ギャルとブレンパワード   作:vespa MDRN

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全て無かったことにした方がいいのかも

 英理佳は翌日を、心に霧がかかったような気分で迎えた。その原因が昨日に色々とあったのが原因だと考えた彼女。とにかくクインシィ・グランチャーに約束を守れなかったことを謝罪しようとアンチボディの格納庫へと向かうことにした。だが……。

 

「英理佳?」

 

 背後から刺すような声がして背筋を凍らせる。声の主はクインシィだった。何でここに、という言葉を口にしたくても出来ない英理佳。金縛りにでも遭ってしまったような感覚に襲われていたのだ。

 

「お、おはよう……」

「私のグランチャーを心配してくれているんだろ?」

「え? 何で?」

「殆どのクルー達はここに近寄ろうともしない。何があるのかは想像がつく」

 

 その鋭い洞察に英理佳は驚愕する。彼女がただの優しげな人でもなければ、激情家でもないことを示していた。

 

「でも安心したよ。英理佳のような、グランチャーを大事に思う人がノヴィスにもいるって知れて」

「困ったときはお互い様ってやつだよね……そうだ、丁度いいし会っていかない?」

 

 千載一遇の時を逃すまいと英理佳は誘いを申し出る。するとクインシィは迷っているのか、格納庫への扉をじっと見つめたまま。以前の彼女であれば、すぐさま飛び込んだだろう。だが今はこのノヴィス・ノアの雰囲気に馴染んで、オルファンの抗体として行動することに抵抗感があるような目をしている。

 

「今はあの子の刺激になるようなことはしたくない。遠慮しとくよ」

「どうして? グランは会いたがってるのに?」

「……今の私には、とても合わせる顔がないよ」

 

 そう言ってクインシィは赤茶色の髪の毛を揺らして去っていく。横切る際に、とても動揺したような表情のクインシィを英理佳は目にした。

 きっと背反する二つの気持ちに葛藤しているのだ。オルファンの抗体としてのクインシィと、ノヴィス・ノアで昔のように畑仕事をしている伊佐未依衣子。どちらを選べばいいか分からない、そんな顔をしていた。

 ここにいる限りはクインシィか依衣子のどちらかを選ばなければならない。その答えが出るまでは英理佳はそっとしておくことにした。彼女は遠ざかる背中を遠くから見つめる。

 

 それから英理佳はクインシィの様子を遠くから伺っていた。ほとんどの時間を畑仕事に費やしているので、目立った事は起こっていない。孤児の子供達とも上手くやっているようだ。

 

(このまま依衣子さんとして過ごしてくれればいいけど……)

 

 ブレンのプレート台に座り込み、一人の女性を注視する様は獲物を高台から見下ろす猛禽類そのものだ。そんな姿の少女の背後に影が忍び寄る。一歩、一歩。着実に距離を詰め、体が触れられそうになると──。

 

「わっ!」

 

 耳をつんざく男の声が英理佳の頭を右から左へ貫いた。驚きで体が少し跳ねる。しかし大したことでないのか、彼女は目を見開くだけで他の表情は全く変化がない。

 その理由は彼女がこのような事をしてるくる人間の見当がついていたからだった。

 

「あんた……何で外に……」

「驚いた……訳ないか。よくこうして驚かせたのは英理佳だもんな」

 

 正体は父親のアルバートだ。だがその服装は患者衣ではなく、整備士用の作業着であった。少なくともアイリーンの許可を得て外に出ているようだ。

 

「何でここにって聞いたんだけど」

「いやぁ、艦長さんにリハビリで畑仕事をしないかって誘われたんだ。それに、ここの人達の事をもっと知ろうと思ったのもな」

 

 顔さえも向けずに淡々と会話をする娘の顔を覗こうとするが、すぐにそっぽを向かれる。その手厳しさにアルバートは小さく笑うしかなかった。一歩ずつ関係を修復していこうと、今は深く干渉しないようにと、去って行く。

 

「なんでそんな昔のこと、憶えてんの……」

 

 不貞腐れた英理佳はすぐ側にいる、エリカ・ブレンのコクピットへと逃げるように潜り込む。そんな様子の主人を案じたブレンはか細く低い声をあげた。

 

「ウチが心配? だいじょーぶだって……。でもちょっとだけ、さみしいかな」

 

 そう呟いて彼女はコクピットシートにうずくまるように座った。オーガニックではないシートも、ブレンの中にあれば温かくなっていく。こうしていれば安らぎを得られるのだ。はるか昔の、まだ胎内にいた頃の記憶が彼女のどこかに残っているからなのかもしれない。

 ふと狭い空間に淡い光が漏れ出す。その正体はブレンのスリットウェハーに映る映像だった。

 

「これ……母さん?」

 

 エリカ・ブレンに宿る、アンチボディ・オウカの記憶、その断片が映し出したのは上水流刻子だ。アンチボディを世話をする様は研究者というよりも親に近い。

 その様を目にした英理佳。普段から神経を逆撫でされて激昂するのだが、今日はそんな気分ではないようだ。

 

「母さんはどうして私よりも仕事を選んだの?」

 

 映像に映る母に問いかけても返答は無い。ただアンチボディに向けて、笑顔で話しかけるだけだ。それも自分に向けられたものではない。その事実が彼女の胸を締め付ける。自分の向けていた愛は一方通行だったのか? ずっと心の中で疑問だったことの答え合わせをされたようで、英理佳は体中が氷のように冷えた気がした。

 

 孤独。それは長い時を彼女と共にしていたが、ここ数年は身を潜めていた。しかし今、舞い戻って来たのだ。

 絶望。それは在りし日に、世界からただ独り、拒絶されたような感覚。

 死。それは冷たく、終わりを意味するもの。しかし英理佳には救済にも思えた。だからこそ、あの日、彼女は世界から消えようとしたのだ。だが未遂に終わり、生きながらえた。

 

 そんな英理佳の元へ一目散に飛んできたのが、叔母のクリスティーン・クロフシュタインだった……。彼女は姪の追い詰められ具合にひどく心を痛め、自身の非を詫びた。

 一緒にいてあげられなくて、ちゃんと話してあげられなくて、兄夫婦を説得できなくて。そう言って姪を抱きしめたのだ。

 久しぶりの人の温もりに英理佳は嬉しさに泣き崩れてしまった。本当に求めているものでなくとも、その愛は偽りではない。無いものねだりをするくらいなら、手に入るだけの小さな幸せで充分。

 だから、これまでの家族の記憶を封じ込め、憎むことにした……。

 

 エリカ・ブレンが低く呻く。割れたガラスの様な記憶に、初めて触れて体が小刻みに震えている。

 

「ありがとうブレン……でも今は悲しくないよ、君が一緒にいてくれてるから」

 

 コクピット壁面のスリットウェハーは風に吹かれたように靡く。それを英理佳は優しく撫でた。スリットウェハーは硬く冷たそうな見た目に反して、柔らかく温もりがある。アンチボディが生命である証拠。感情もあり、痛みも感じる。人間と何も変わりがない。

 

「どうしてだろう。初めて君に会った時はこんな気持ち、どこにも無かったのに。今はこんなに愛しいなんて……」

 

 そう言って彼女はスリットウェハーに身体をぴたりとくっつける。人に抱かれているのと変わりない感覚に瞼は次第に重くなる。

 

「この先ずっと、ウチといてくれる?」

「……」

 

 エリカ・ブレンは頷くかのように小さな声を出した。そんなアンチボディの優しさに触れた英理佳は甘える声で「ありがとう……」と小さく呟いた。

 

 このブレンパワードとなら、どこまでも行け、何でもできる。そう思い、瞳を閉じた微睡の中に落ちていく。

 

 

 

***

 

 

 

 翌朝、英理佳はコクピットで目を覚ます。もう少しこのままでいたいが、ブレンのケア以外にも彼女にはやるべきことはある。

 惜しみつつも英理佳はコクピットから外に出た。日は登っていても辺りは薄暗く、人の行き交う様子もない。

 

「ちょっと外の空気でも……」

 

 軽快な足取りで甲板へ向かった英理佳だったが、その先で思いがけない人物と出会う事になる。手すりに手をかけ、同じく外の空気を堪能していたのは金髪の大男。紛れもなく彼女の父親だった。

 

「お? 英理佳」

「げっ……」

「げ、とは何だ。……とは言っても、もう親父とは積極的に関わりたくない年頃か」

 

 そう話す彼は軍人ではなく、父親の声色だった。そんな父親がやけに物分かりがいいのを英理佳は怪しんだ。きっとアイリーンの入れ知恵だろうなと、彼女は想像する。

 

「でも家族というのは見た目だけでなく行動も似るんだと、つくづく思うんだ。こうして風を浴びたくなるのも、アンチボディに惹かれるのも」

「だから?」

「英理佳は孤独じゃないってことを分かって──」

 

 クロフシュタインの言葉を遮るように「は?」という冷たい声が降りかかる。聞いたこともない娘の声に彼は思わず目を見開いてしまう。

 

「今まで自分らが何をしたか、分かってないの?」

「家を空けたことか?」

「ああ、そうだよ。ずっと私は、あんたらが帰るのを待ってたんだよ? それも半日程度帰るんじゃなくて、毎日顔を合わせられる程度に!」

 

 英理佳の眼差しはかつてない程の鋭さを持ち合わせていた。同時に割れた硝子のような悲しみをもはらんだ瞳は、父親を映すことなく、ただ大海原を反射する。

 

「ウチら、こんなとこまで来ちゃって、母さんも死んで……もうバラバラだよね」

 

 それは青天の霹靂。娘の言葉が信じられなかったクロフシュタインは「今なんて言った?」と思わず聞き返す。

 

「あの人は……あの人はアンチボディをひとり残してこの世を去ったんだよ。この目でちゃんと目にした」

 

 衝撃の事実を耳にしたクロフシュタインは膝をつく。にわかに信じがたいが、そんな不謹慎な嘘を娘がつくはずない、そう確信していた彼の目の前はぼやけていった。

 

「ウチらはもう、全て無かったことにした方がいいのかも。最初からお互い、何も無かったように」

 

 打ちひしがれる男に追い打ちをかける、ひどく冷淡な言葉。それが口にできてしまう程、少女は追い詰められていたのだろう。或いは彼女なりの“復讐”なのかは本人にも分かってはいない。そのまま、英理佳は踵を返して船内へと戻る。去り際に父の姿を瞳に映したが、すぐに瞼で隠した。

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