母さん、と呼ばれたクルーエル・ブレイズは二つに割れた仮面を拾った。彼女は手に取ったそれを少し観察すると、オルファンの奈落へと捨てる。
「さて、どこから話したものか……」
掠れ消えいく程の小さな声で英理佳が「どうして……」と言った。口を動かした事しか確認できなかったブレイズ──もとい刻子は顔を顰めながら、娘の元へと寄る。その瞬間。
「どうしてクルーエル・ブレイズとして、私と接したの!!」
降りかかる火の粉の如く、英理佳は声を荒げた。胸ぐらを掴まんとする勢いで顔を寄せて訴える。
「ずっと、ずっとウチだって知りながら正体を隠していた!」
「それは申し訳なかった。だが私にはやるべき事が──」
「私はぁ! クルーエル・ブレイズに聞いてんじゃなくて、母さんに聞いてんの!!」
娘の成長を知らない刻子はその剣幕に押された。が、しかし、彼女がここまで強くなったのかと感心しつつ、自身の考えが間違っていなかったことを再確認する。
「悪かったわ……。まずはずっと黙っていた事を謝るわ。ごめんなさい」
「……」
ずっと謝って欲しいとは思っていた英理佳だったが、いざ目の前でそうされても彼女の気分は晴れない。求めていたのはこれでも無いようだった。
「それで? 宗教を作ったり変な格好をしたりして、何をしようとしていたの?」
それを聞かれた刻子は小さく笑い、マントを靡かせながら背を向ける。そんな、未だクルーエル・ブレイズを演じようとする母親に愛想を尽くした英理佳はつっこむ気にもなれなかった。
「私の目的を単刀直入に言うなら、地球とオルファンの共存」
「共存……? それってオルファンをどうにかするってこと?」
「その通り。けれども私の場合はノヴィス・ノアとはやり方が違う。私はオルファンとの対話を行うつもりでいるの」
オルファンとの対話。それは以前、比瑪が実行しようとしていた事だ。しかし、それを行った比瑪は依然としてノヴィスに戻ってきてはおらず、成功したのか失敗したのかを知る術が今は無い。
「ふーん。話し合いをしようってワケ……でも少し遅かったね。もう既にノヴィスの比瑪って子がオルファンに呼ばれて話し合ってんの」
「そうなの? そうなのね……」
刻子は不気味に微笑んで見せると、考えるそぶりをした。
また何かを企んでいるに違いないと英理佳は「邪魔はさせないから!」と声を張り上げる。そして同時に自分の知る母親はもういなくなったのだと悟った。完全にクルーエル・ブレイズとして振る舞っているのだ。
「邪魔なんてとんでもない。むしろ私としてはその現場を目にしたい程よ!」
「あんたはもうクルーエル・ブレイズに成り下がった……」
ボソリと呟いた英理佳は常に携帯していた拳銃を向ける。それも自身の母親と同じ顔の人物に。
しかし刻子は臆することなく、娘を真っ直ぐ見据えた。これは彼女が昔に言った“銃を向けるなら、撃たれる覚悟をしろ”という価値観から来ているものだった。
だが同時に、娘に撃たれないという確信もあったのだ。だから未だに薄気味悪い笑顔を崩すことがない。
「だから! ここでケリを!」
そう叫び、英理佳は引き金へと指を伸ばした。その瞬間、彼女の瞳の中に懐かしい人影が飛び込んでくる。遠い記憶の母、そして本当の親のように接してくれたマリアンヌ……。
それを目にした途端、冷たい引き金はひどく重くなって英理佳には引けなくなってしまう。
「こんな時に! 私は何を思い出してんの!」
「母親思いの、いい娘を持って良かったわ」
刻子はニタリとひと笑い。そうしてカツカツと靴音を響かせながら闇の中へと去っていく。英理佳は銃口を向けつつも、それを見送ることしかできなかった。
その後ろ、少し離れた場所で一部始終を目にしていたテッドは何も残さずにその場を後にする。が、その顔には様々な感情が這いずり回っており、それが今にも飛び出てきそうだった。
「何も……出来ないまま?」
地面にぺたりと座り込み、英理佳は力なく呟いた。
親を撃つ。普通なら出来なくて当然の事。しかし彼女は引き金の重みやその責任を受け入れる覚悟があっても尚、出来なかった。
あれほどに自分を放っておいて、アンチボディを育てていただけでなく、正体を隠して宗教まで開いていた。強い憎しみに心を支配されていた筈なのに、まだ情が湧く。
そんな当たり前の感情を英理佳は許す事が出来ず、未だ震える指を引き金にかけていた。
***
オルファンの内部通路で足早に歩く音が反響する。それがふたつ、みっつと増えていき、雑踏をなした。その先頭を行くテッド・ウィーリスが口を開く。
「例の計画は進んでいるのか?」
「はい、既にバロン・マクシミリアンは隊を率いてガバナーを押さえたとのことです」
「ならば遅れは取れまい。こちらも軍の頭達を取りに行くぞ」
彼の一声で周りの軍人らは「了解」と一斉に、そして綺麗に返した。
彼らの目的はオルファンでの武装蜂起。計画の立案者はリクレイマーである、バロンやジョナサンだった。
彼ら曰く、ガバナーのやり方ではオルファンを生かすことは出来ない、とのことらしい。
軍人らを率いてテッドは一つの部屋へと辿り着く。そこは佐官クラスの軍人が使う場所。まさにグラント・ウィーリスのいる場所だった。
先陣を切るテッドはノックをする間も無く、扉を開ける。バタン、という音ともにテッドの背後に控える兵士たちが小銃を構えた。
「テッドか……」
「ここに来たのが俺で悪かったな。だが、あんたの警戒を緩めるなら、適役だと判断されたから来たんだよ」
グラントが深く息を吸い、ため息をついた。まるでこうなることを予測していたかのように無抵抗で、諦観的な瞳。テッドはそれが幼い頃から嫌いだった。
「おい、なんだその態度は」
狼が唸るような声。その一言で周囲の空気は一変する。兵士達はお互いをチラリと一瞥し、状況を確認しようとしていた。
「……不服なのか?」
「当たり前だ! お前はいつも、その諦めたような目で俺を見る!」
激しく怒鳴り散らすテッドを制止しようと一人の兵士が前に出る。が、そんなことをする間も無く、テッドは父親へと掴み掛かった。
「お前のその態度が、お母様を……!」
「アレが出て行ったのは私とは関係がない。彼女が自ら望んで行った」
「デタラメを!!」
「なら、本人に聞いてみるといい。今まで接触を許可しなかったが、今だけは許そう」
そう言ってグラントは近くの紙切れに電話番号を素早く書き留め、息子に投げ渡した。
それの扱いにも少々イラつきながらもテッドは拾い上げる。部下の兵士達にアイコンタクトで“目を離すな”と伝えた後、携帯電話でその番号へと電話を繋ぐ。
電話の主人は5コール目でやっと電話を取ったようだ。もしもし、というか細い女性の声がテッドの耳を通る。
やはりそうだ。彼は確信した。電話の向こう側にいるのが、紛れもなく自分の母親であると。
「お母様? 俺だよ、テッド。あんたの息子の……」
久しぶりの母の声に感極まったのか、彼の声はうわずっていた。その様子を前にしてグラントは険しい顔で鼻を鳴らす。そして息子がやったように、周りの兵士達にアイコンタクトで奴の有様を見ろと言う。
『テッド……テッド……えっーと、どちら様?』
電話越しに帰ってきたら言葉にテッドは凍りつく。まさか自分の産んだ子供を忘れたのか? そんなことがあり得るのか?
「は、ははは……冗談はよしてくれよ。テッド・ウィーリス、息子の名前を忘れたのか?」
『私は独身ですけど……? 子供も産んだ記憶はありませんが……』
嘘の電話番号かと、テッドは一瞬疑った。しかし、電話の声は何度も聞いても在りし日の母の声なのだ。
混乱したテッドは“失礼しました”と電話を切り、すぐさま父親へと殴りかかる。鋭い音が部屋に響く。
「てめぇ! お母様に何があった!? 状況を説明しやがれ!!」
左頬を赤く染めたグラントは動じずに淡々とした口調で説明をした。
何でもテッドの母親は薬物中毒者であったようだ。それをグラントが知ったのは息子が言葉を話し始めた頃だった。
故にそんな人間を家に置いておく、ましてや子供の世話などさせるわけにもいかない。すぐに離婚の話を進めたのだが、頑なにテッドを手放そうとしたかった。
「だから裁判を起こし、彼女が薬物中毒者であることを暴露したのだ。こうなれば親権は容易に取れよう。……そうして打ちひしがれたであろう彼女は記憶障害を患ってしまったのだ」
「嘘だ! あの人はいつでも俺に優しかった!」
「それは当たり前だろう。お前と接する前にはいつも薬を使っていたらしい……常に気分がいいようなものだろうな。が、その裏では禁断症状で苦しんでいたようだが」
憐憫も嘲笑すらもこもっていない、平たんなグラントの口調。たとえ薬物中毒者であっても、一時は愛した女性だというのにこの冷淡さ。テッドは心底、それを嫌悪した。目の前の男には人の心が無いのだと、彼は更に激情に駆られる。
「でっちあげだ、捏造だ! 俺を陥れ、この場をひっくり返すつもりだろう! だがな、俺は信じないぞ!」
「どう思おうが勝手だが、今聞いた母親の声が紛れもない真実であることは忘れるな」
「このッ!!」
テッドがホルスターに手をかけた、その瞬間、彼の背中に筒が押し当てられる。先程まで味方だった兵士達が反逆を起こしたのだ。
「お前達ッ……何故!?」
「申し訳ありませんが、今の中尉にはついてはいけません」
「バロン・マクシミリアンらを裏切るのか?」
兵士達は皆、同じ意見だと頷いたり、目を合わせたりしている。
「オルファンは既に合衆国の領土だ。マクシミリアンやらブレイズとやらの変人奇人に任せられるものでは無い」
グラントはそう言って、兵士達を率いる。そのうちの一人がテッドを一瞥するが、立ち止まらずに新たな指導者の背を追った。
たったひとり部屋に取り残されたテッドは、つい数十分前の少女の姿を思い出す。
客観的に見れば彼女と今の自分の姿は重なるだろう。
「俺は……俺は違うぞ!」
ピストルを抜き、急いで父親の後を追う。幸いにも遠ざかる父親の姿ははっきり見えるほどだった。
照星と照門を標的に合わせ、彼は衝動的に指を引く。薄暗い廊下に瞬く閃光、そして響き渡る、空を引き裂く音。同時に一人の男が膝をつく。
「「「大佐!?」」」
周囲の兵士達が動揺と驚愕の声を上げた。何故なら、目の前の上司がピストルを発砲していたからだ。
「ぐっ……おまえ……」
肩を射抜かれたテッドは腕をだらりと下げて、地面に伏す。彼の傍には小さな赤い水溜りが生まれていた。
その様子を眉一つ動かすことなくグラントは見つめる。彼の左頬にも銃弾を掠めた傷があり、ゆっくりと赤い血が滴った。
「いつまでも細かいことに拘るんじゃない。次はないぞ」
そう言い残してグラントは兵士と共に去っていく。
小さくなっていく背中を見つめながら、横ばいのままテッドは砕けん程に歯軋りをして、叫んだ。
「必ず、俺はお前を殺す!! 絶対にだッ!! 俺はあんな軟弱な女とは違うんだ!!」