「英理佳がいなくなった?」
勇はアイリーンから聞いた言葉をオウム返しにした。
「ええ、依衣子さんのグランチャーが出ていく前あたりぐらいから」
「エリカ・ブレンは何か知らないのか?」
そう言って勇がプレート台に座るブレンに問いかけるが小さく小刻みに唸るだけ。どうやら何も知らないようだ。エリカ・ブレンは主がいないことが不安なのか、ソワソワと周囲を観察している。
「あいつがブレンだけを置いてどこかに行くとは思えないが……」
ナッキィが首をかしげていると周りのクルー達が同意するように首を縦に振った。以前にも英理佳は数日だけノヴィス・ノアを開けたことがあったが、その際に自分のブレンパワードを置いていくことはなかった。
「前に話してた、クルーエル・ブレイズという人物が関係しているかもしれない」
だいぶ前にポロリと話していた怪しい人物の話を勇は思い出した。アンチボディに精通しており、仮面を被っているという点ではバロン・マクシミリアンと共通している。もしかすれば互いに手を組んでいる可能性だってあるのだ。
「何にせよ、様子を見るしかないわね。船内の捜索は続けさせます」
アイリーンの一声でクルーやパイロット達は持ち場に戻る。その様子を陰から伺っていた英理佳の父、アルバート・クロフシュタイン。娘が行方不明になったという事実を知って冷や汗が肌を伝う。自分の言動に嫌気がさしてしまったのか、もう人生に意味を見出せなくなったのか。そんな不吉な想像が彼の頭をぐるぐると巡る。
「俺が間違っていたんだ……!」
絶望感に頭を抱えるアルバート。その視界の端に一人のブレンパワードが見え隠れした。エリカ・ブレンがうずくまる彼を凝視していたのだ。その瞳から放たれる視線は憐れみでも侮蔑でもない、純粋な興味を含んでいる。アルバートもそれに気づくことができた。
「英理佳のブレンパワード?」
そう口にするとエリカ・ブレンが呼応する様に低く声を上げる。初めてのブレンパワードとのコミュニケーションにアルバートは物怖じした言動になってしまう。
しかし、ここで怖気付いて何もしなければ永遠に娘と和解できない。自分から歩み寄ることをしなければ。アルバートはブレンへゆっくり近づいた。
「英理佳の、ブレンパワード……だな? ああ。英理佳の父親だ……。でも俺はダメな親父で、あの子の事をちっとも理解しようとせずに現実から目を背けた。だから償いがしたいんだ! 今度こそ、英理佳にしてあげられる事をしたい!」
そうしてアルバートは頼み込むように腰を下ろし、頭を地につけた。
その姿を見降ろすエリカ・ブレンは小さく唸ると同時に瞳を光らせる。
「ブレンが俺に……!?」
次にアルバートが顔を上げた時、視界いっぱいの大きな手が差し伸べられていた。まさに"手伝ってやる"と言わんばかりの仕草。しかし、ブレンの声には少しばかりの不満の色が見える。
「力を貸して……くれるんだな!」
***
ひとり取り残された英理佳はオルファンの内部を彷徨っていた。彼女自身、オルファンについての情報はいくらかは勇から仕入れていた。
その中でオーガニック・プレートや使われていないアンチボディの保管所があることを彼女は思い出し、そこへ向かっていた。
「そんな場所があるとは言ってもね〜。迷路みたいなオルファンで見つけるのは無理があるよなぁ」
地図も無ければ、辺りに頼れそうな人すらない。下手に進むのは得策ではないと、英理佳はわかっていながらも歩みは止められなかった。今まで行き当たりばったりに生きてきて、上手くいっていたから、今回も大丈夫だろうという自身があるからだ。
が、今日は違った様子。彼女は人すらいない区域へと迷い込んだのか、永遠にも感じられる時間、長い通路を歩く羽目になる。
やがて足が悲鳴を上げ始めたところで、英理佳はその場にぺたりと座り込んでしまう。
「やっば……完全に迷ったよねコレ……」
途方に暮れて、辺りを見回す。薄暗いが、仄かに光が明滅するオルファンの全身を巡る、血管ともいえる通路。他の区画はリクレイマーやアメリカ軍人らが、血液のように通路を行き交っているのだろう。
しかし英理佳のいる場所は違った。誰も通ることもなく、空気の澱んでいるのか、心なしか明かりも弱まっているように見える。
「オルファンを生かそうってのに、このカンジ……。リクレイマーやアメリカ軍人は地球から逃げたいだけなんだ……」
人間の本音と建前の乖離なんて、ありふれたことだと英理佳は理解していた。
クルーエル・ブレイズの宗教も建前ではオルファンとの共存を謳っているが、本音では何を考えているかは分かったものではない。
娘との約束を無碍にするような人間のやることだ、と心の中で悪態をついていた英理佳。
そんな時、重く鈍い声が彼女の鼓膜を撫でた。明らかに人の出す声の波長とは違うその正体を暴くのに時間は要らない。
「アンチボディの声?」
声を耳にしてから不思議と力が湧いてきた英理佳はその方向へと、向かってみる。そして、何故ここが澱んだ血管なのかを彼女は理解することとなった。
「これって全部、硬化したアンチボディ!?」
英理佳が覗いた暗がりの格納庫──そこには体を縮めたアンチボディ達の姿が並んでいる。その窮屈に押し込められている姿は差し詰め、奴隷船の如く。
「ここでも同じことが……」
かつて大陸で見たアンチボディの墓場が彼女の脳裏に過ぎる。灰色の巨体が濁った池の中で朽ち果てていく様は見るに耐えないものだった。今、目の前にあるのも、それと同じだろう。
英理佳は意を決して暗闇の中へと足を踏み入れる。先程の“声”が幻で無ければ、まだ救えるアンチボディがいるはずなのだ。そう信じて、一寸先も見えない道を進む。
格納庫の空気はどこか重苦しい。英理佳は声はともかく、息すらも潜めていた。この様な場所では大きな声を上げるべきではないと彼女は分かっている。
ここは人を乗せることを拒み、使い潰されたアンチボディが静かに眠る場所なのだ。人間の霊安室と大差ない。
(一体どこから呼んでたの?)
硬化しきったアンチボディ達を英理佳は注意深く観察する。まだオーガニック的な力が残っているそれを探して。見つけた。一人だけ、コクピットハッチを開けたままのアンチボディが。
(見つけた!)
英理佳がその場所へと駆け寄ると、生き残りがグランチャーである事に気づき、足が止まる。
「グランチャー……」
その名を呼ぶと反応する様にそれは真紅のバイザーを光らせて唸る。ぎこぎこと耳障りな音を立てて首を回し、少女を視界に映した。
普段なら、今に襲いかからんとする勢いのプレッシャーを放つグランチャー。だが今日、英理佳が出会ったものは違う。
瞳に敵対の感情はおろか、救いを求めるといったものも無い。ただ自身の運命を理解して、終わりが訪れるのを静かに待っている様だった。
「硬化が進んでるから上手く動けないんだ。でも、ウチのブレンもそこから持ち直したんだから、グランチャーでも!」
そう言って英理佳はグランチャーのコクピットへと勢いよく飛び込んだ。当然の如く、操縦を補佐する計器類は何も無い。素の状態のアンチボディを操縦する事は彼女にとっては初だ。だと言うのに英理佳の頭に不安の二文字は浮かびもしなかった。
「さあグラン、こんなところで終わるのはダメだよ! 外には楽しいことがいっぱいなんだから!」
コクピット内のスリット・ウェハーに手を当てると僅かな暖かさが指を伝う。このグランチャーがまだ、動けるという証拠だ。
英理佳がグランチャーを立ち上がらせようとしたその途端──。
「ず、頭痛!? また拒否反応だ!」
拒否反応が襲いかかる。頭を割くような激しい痛みは今までのものとは一線を画す。
それだけ、このグランチャーは人というものを拒んでいるのだ。相応の理由があるはずだと英理佳は踏んだ。
こんな暗く空気の悪い場所に閉じ込められ、仲間が石になっていくのを指を咥えて見ていることしか出来ない。人ならとても耐えられない孤独を感じていたのだろう。
そんな孤独を英理佳もひとかけら程度は味わっていた。だからこそ、共感できると彼女は確信している。
「辛いよね、怖いよね……。頑張って人を乗せたのに否定されて、こんなところに詰め込まれて、嫌だったね。でももう一度でいいから、私達のこと信じてみない? 私は絶対に君を見捨てないから」
そう言葉にはしてもグランチャーが簡単に心を開く事はない。あれらは自らの意思をパイロットに強制する、一方通行のコミュニケーションなのだ。パイロットへの頭痛は止むことを知らないが、英理佳が諦める事はない。一方的な会話を許さず、ちゃんと相手に自分の声を、気持ちを伝えるのだ。
「そうだよ、ウチはここから出たい。それは君も同じでしょ!? 利害が一致してるんなら、一緒に外の世界を見てみようよ。だって君はもう、エリカ・グランチャーなんだから!」
エリカ・グランチャー……そう呼ばれたグランチャーは少女から受け取ったオーガニック・エナジーで勢いよく飛び出した。格納庫から発進デッキへと急上昇。その勢いは通りすがる誰もが驚愕する事しかできなかった。彼女らを阻む者は誰一人いない。
「何だあれは!?」
「侵入者のブレンパワードに違いない! 追いかけるぞ!」
「待ってください! まずはバロン・マクシミリアンの指示を!」
矢のように飛んでいくエリカ・グランを三人のアーミー・グランチャーが追いかける。しかし、それらが先頭に追い付くことは無いどころか徐々に引き離されていく。その時、追跡隊の一人が目の前のアンチボディがグランチャーであることに気づいた。
「隊長、あれはグランチャーですよ!?」
「バカか! 識別信号を出さない奴はグランチャーだとしても侵入者に決まってる!」
抗体化が進んだ隊長と呼ばれた男は手柄を立てることしか眼中になかった。相手が何であろうと彼には関係無く、グランにソード・エクステンションを構えさせる。が、発進デッキはもう間も無くだ。
「あと少し! 光が!?」
発進デッキから外の光が溢れでているのが英理佳の青い瞳に反射する。外界にようやく出られ、肩の荷が落ちるかと思われた瞬間。小さな人影が英理佳達名前に立ちはだかる。それがただの人だというのに英理佳には強大なプレッシャーを放っているように見えて、思わずグランの足を止めさせてしまった。
「もう、帰るのかい?」
「クルーエル・ブレイズ!!」
唇を血が出そうな勢いで噛んだ英理佳は相対する人物を睨んだ。相手は新しく仮面を付け直した上水流刻子──クルーエル・ブレイズだった……。