オルファンの血管ともいえる薄暗い廊下。壁面に伸びるスリット・ウェハーが放つ、僅かな光を頼りにクルーエル・ブレイズは目的地の心臓部へ進む。
リクレイマーでも限られた者だけが入ることを許される禁域。無論、部外者である彼女に許可は下りた事は一度たりともない。
「止まれ!」
「ここの立ち入りは禁止されているんだぞ!」
警備兵として配置された二人の兵士が仮面の前に立ちはだかる。男らは自動小銃を突き付けるも、ブレイズは全く動じない。それどころか、仮面の下では妖しい笑みを浮かべている。
「君達も、ここを守る資格はないだろう?」
そう口にした瞬間、ブレイズは機敏な動きで兵士らの後ろへ回り込んで大柄な拳銃を突き付けた。間髪いれずに一人へと発砲。脳天に命中した弾丸はヘルメットを突き抜ける。
「き、貴様ッ!」
残った兵士が銃を構えようとするが、狭い廊下では長い銃身は思うように取り扱えない。早撃ち勝負で勝てるはずもなく、銃声と共に男は地に伏せた。
「逃避しか選べない愚か者が……」
廊下に伸びている死体へと捨て台詞を吐きながら、ブレイズは心臓部への扉をこじ開ける。生暖かい風が吹きこぼれ、橙色の光が差し込んだ。
「拒否反応が起これば何が起こるかは未知……だが、それこそが私の生きがいなのだよ」
膨大なオーガニック・エナジーが生み出される場所。同時にオルファンの外から見える"フィギュア"と呼ばれる女性を象ったオブジェクトの真裏に位置するのが、この心臓部と呼ばれる部屋だ。巨大な部屋の中心には形の定まっていない、靄のようなものが漂っている。ブレイズの目的はその靄だった。
「あれか……。アンチボディを使って疑似的に同じものを作ろうとしたが、やはり再現は無理だろうな。大量のオーガニック・エナジー、生物の念、そしてこの空間……。それらの条件を以てしても再現出来ないのは、私が何かを見落としているのか?」
恐る恐る部屋へと足を踏み入れようとしたブレイズ。が、すんでの所で立ち止まり、拳銃を構えて振り返る。背後で響いた、コツンという音を聞き逃さなかったからだ。
「君か……」
拳銃を降ろしたブレイズは、よろよろと歩くテッド・ウィーリスへと近づいた。彼はひどく、やつれた顔をしており、軍服は血がべったりとこびりついている。きっと親であるグラント・ウィーリスと一悶着あったのだろうとブレイズは察し、訊かないようにした。
「た、頼む……俺にあんたのアンチボディをくれないか……? あれなら俺だって、上手くやれる……!」
「あれは人造といえどブレンパワードだぞ? 調整されたアーミー・グランチャーとは勝手が違う」
「今なら、わかるんだ……あの女の気持ちが……。親を憎んでも憎んでも、殺しきれないのが……」
その言葉にブレイズはほんの少しだけ眉が動いた。
娘の英理佳が自分を撃てなかったように、目の前の男も出来なかったのだと知ったから。
どれだけ蔑ろにされようとも、愛情を抱いてくれる。子供とは、そこまで健気なのかと感嘆の声がでそうになるが、押し殺した。
「だが、ブレンパワード・オリジナルがあれば出来ると……?」
「あんた前に話してくれただろ? あれは人の感情をダイレクトに反映して、攻撃へと出力が出来ると……」
「そうだ、ブレンパワード・オリジナルはパイロットの感情という弾丸に対し、引き金と指の役割を果たす。だが感情を抑止できなければ、目に映るもの全てを破壊するだけだ」
「それでもいい! あの男さえ殺せれば!」
縋りつくテッドを仮面の裏側から冷淡な目で見つめる。血走った瞳に脂汗を滝のように流す様は軍人とは程遠く、薬物中毒者と間違われても反論できないだろう。それ位にテッド・ウィーリスは親殺しに躍起になっている。
「こんなにも人を狂わせる事が出来るのなら、殺されても文句は言えないな」
ブレイズは自嘲を含んだ笑いを浮かべながら、仰々しくマントを翻した。
「いいだろう、君にブレンパワード・オリジナルを貸そうではないか」
言い放たれた言葉にテッドは身を震わせてうずくまった。よく聞けば、体を痙攣させるようにして小刻みに笑っている。
ブレイズは力に溺れてしまった者へ一瞥をくれてやると、心臓部の大部屋へと立ち入った。漂う靄に触れると、彼女の捨て去った過去が蘇る。故郷、友人、家族……。その姿が幻覚となって襲いかかった。
「ここでもか……」
各々が怨嗟の言葉をブレイズへと投げかけるが、目もくれずに靄の中心へ足を運び、後少しといった所……。
『いかないで』
耳鳴りのする罵詈雑言の中に、幼い声が混じる。か細く芯のないものだというのに、ブレイズには、どの声達よりも強く響いた。声の主がすぐ背後に形を成していることも。
「オルファンの見せる幻想は人の感情を掻き乱す、分かりきったこと……」
『わたしをひとりにするの? どうして?』
少女の呼びかけには応えず、ブレイズは背を向けたまま進み続ける。幾度となく、振り返ることが脳裏に過ぎったが、ここまでやってきたのに立ち止まるのはナンセンスだと、彼女は意を決した。
「すまない、今だけは」
『ママ……』
オルファンとの対話を果たして人類、ひいては地球全体を救うためだと言い聞かせてクルーエル・ブレイズは情を焚べた。光る靄の先にオルファンの意思があると信じて。
「さて、最終フェーズだ。準備に取り掛かるとしようか、ブレンパワード・オリジナル……」
しかし、対話とはお互いが対等な立場でなくてはならない。だからこそ、彼女には強力なアンチボディが必要だったのだ。
ブレイズの呼びかけに応じたブレイズ・ブレン──ブレンパワード・オリジナルはバイタル・ジャンプで目の前へ姿を現した。
そしてガコンと大きな音を響かせ、身につけていた巨大なマントと顔を覆う仮面を脱ぎ捨てる。仮面の裏は鋭い四つ目と血管のような機械部品の配線。オーガニックとは程遠い姿だった。
「オルファンよ、この哀れな人造アンチボディにオーガニックの何たるかを教え給え!」
オルファンは彼女の呼び声に反応したのか、心臓部に蔓延する靄は緑色の閃光を放つ。それらはブレンパワード・オリジナルを取り囲み、リバイバルの旋風と光を生み出した。
「人造とは言え、素材にはアンチボディが使われているオリジナル……。人とオルファンの作りしものが共存を成せるなら、私の仮説は間違いではないことが証明される」
巻き起こる風が止み、リバイバルが完了する。剥き出しの機械部品はオーガニックな外皮に覆われ、体色は暗い茶色から白へと変わっており、至る所に虹色の紋様が蛇のように刻まれていた。
「これは新生ではない、再生だ……」
***
ノヴィス・ノアに戻り、落ち着いた英理佳は甲板の隅で物思いに耽っていた。オルファンで目にした事──特に母親に関しての感情の整理を……。
「ずっとウチだって気づいていながら、あんな態度……」
クルーエル・ブレイズとの邂逅を思い返す。数年ぶりの親子の再会だというのに、あれはアンチボディのことしか目にない様子だった。
「ホントに何がしたいのかわからない。ウチをほっといてでもやるべき事だったの?」
問いかけるような少女の声は夜の波の音に消されていく。答えは誰も知らないかと言わんばかりに。
不意に、ビュンと米軍の戦闘機が英理佳の前を横切った。巻き起こる風に金髪は揺れ、数時間前に起こった格納庫での記憶が蘇る。
勇と比瑪がオルファンが倒すべき敵ではなく、話し合うことが出来る存在だと諭してくれた。ノヴィスのブレンパワード達がチャクラで、オルファンへの道を示してくれた。その時、英理佳は本当にそれが実現可能だと実感できた。かつて、エリカ・ブレンと出会い、心を通わせたときのように。
「オルファンと話し合う方がよっぽど現実的……。イカれた人間なんて、言葉も通じやしない」
口にはしてみても、心のどこかではまだやり直せるのではないかと思う英理佳がいる。父が爆発から庇ってくれ、愛していると呟いてくれた。やり直す事が出来たのだ。片方の親とそれが出来たのならば、もう片方とも……。淡い期待が少女を蝕む。
「まだ起きてたのか?」
「勇?」
英理佳が振り返ると、少しきょとんとした表情の勇がいた。顔からして自分を探している訳では無い事に気づきつつも、英理佳は視線を海へと戻して口を開く。
「あのさ、勇は親にどう言って飛び出てきたの?」
「……」
勇は暫しの沈黙を貫いた。やっぱり聞いてはいけない事だったかと後悔して「ごめん、やっぱりいいや」と話題を切り捨てる英理佳。だが……。
「親に銃を向けて……出ていった」
普段の優し気な眼差しが険しくなっている。銃を向けたのは不本意だったのだろうと英理佳は悟った。
「でも俺には撃てなかった。あんなのでも愛してる自分がいるんだって分かったんだ」
「……そーだよねー」
そう言って座り込んだ英理佳は足を投げ出す。今まで同じ境遇の人とこうやって話すことが無かった。だから、そう言う人達の言葉を聞けて、少しだけ心が軽くなった気がした。
「銃を向けたのも俺の覚悟を理解して欲しかった、からかもしれないな。そうすれば"悪かった"とか"今まですまなかった"って言葉を貰えると思った」
「でも理想とは違った……。ウチもそう。久しぶりに会ったってのに、アンチボディがどーだのこーだの言ってワケわかんなくてさ。……ウチも銃を向けたら、何か変わったかな?」
最後の言葉は消え行く灯のようにか細かった。そんな英理佳に勇は向き合い、はっきりとした声で告げる。
「憎しみだけでは何も解決はできない。オルファンのことも家族の関係も」
それを聞いた英理佳は「ふふっ」と小さく鼻を鳴らした。意外な反応に勇は怪訝な顔を見せるが、いつもの上水流英理佳だと彼も少しだけ笑みを浮かべる。
「勇らしい答え」
「そうか?」
少し前の英理佳なら、その言葉を綺麗事だと切り捨てていたかもしれない。しかし、今は違う。勇自身が抱えた憎しみの深さ、それを知ることが出来たから。
親に研究対象にされたこと、嫌になって銃を向けたこと。それでも尚、そう言えるのだ。だからこそ、英理佳には受け止めきれないほどの重みがあった。
「でもさ、許せないものもあるんじゃない?」
「ああ」
英理佳の予想とは裏腹に勇はあっさり頷いた。
「俺だって親父達の全てを許したわけじゃない。好きになるのと許すのは別だからな」
英理佳は目を瞬かせた。やはり、勇の奥底には、まだグランチャーのコクピットに取り残された幼い彼自身がいる。その片鱗が、声や瞳から見て取れた。
「それでも憎み続けるのも苦しいだろ」
勇は静かに空を見上げた。引き込まれるようにして英理佳の視線も自然と上へ向く。
世界の終わりが近づいているかもしれないというのに、夜空はいつも通り。案外、終わりというものは静かで美しいものなのかもしれない。英理佳はそう錯覚しそうになる。
「だから諦めたんだ、俺は」
「諦めた?」
「親父やお袋が理想の親になるのを期待するのを」
英理佳は思わず黙り込む。それは数年前から彼女が選んだ答えだった。
期待せず、いないものとして扱う。そうして忘れたつもりでいた。
しかし、いざ両親を目の前にした瞬間、押し込めていた感情は堰を切ったように溢れ出した。久しぶりに面と向かった時、両親の顔は昔と大差なく、過去の美しい思い出に心が引っ張られたのだ。
「期待しなければ傷つかないってこと?」
「半分はな」
勇は少し考えてから続けた。
「もう半分は、親父達なりに必死だったんだろうって思うことにした」
「……」
「理解できるかはわからない。でも歩み寄ることはできる」
それは彼が悟った対話の道。オルファンに対して勇たちが選んだ道と同じだった。
分かり合えるかは別として、倒す前に知ろうとすることだ。
「そっか……ありがと、話聞いてくれて」
はにかみながら英理佳がお礼を言う。対して勇は何をする訳でもなく静かにその場で佇んだ。
しばらく二人は黙って海を見つめ続けた。夜の海はいつも以上に穏やかだった。だがその静けさの下では、世界の命運を左右する戦いが着実に近づいている。
いつまでも、こんな時間が続けばいいのにと英理佳は願ってしまう。だが勇の時間をいつまでも奪ってはいられないと、すっと立ち上がって彼へと向き直る。
「早く行ったげなよ」
「どこに?」
「ニブいな~、比瑪とこ以外どこがあんの!」
勇を肘で小突きながら英理佳は笑った。
「絶対どっかで一人で悩んでるって」
「そうかもな」
「そうだよ」
勇は肩をすくめ、歩き出す。が、数歩進んだところで彼は立ち止まって踵を返した。
「英理佳」
「ん?」
「無理するなよ」
そう言い残して去っていった。
再び、英理佳は一人になるが、孤独感はなかった。
「歩み寄る、かぁ……」
海に向かってポツリと呟いた。分かり合える保証もない相手。狂気を孕んだ仮面とどう向き合うべきか、答えは決まっていた。
「オルファンと話し合えて、母親と話せないワケないでしょ」
そう口にした時だった。格納庫の方角から微かに聞こえてくる気がした。ブレンの鼓動にも似たオーガニック・エナジーの響き。まるで待っているような呼びかけに呼応して、英理佳は小さく笑った。
「すぐ行くよ」
英理佳は金髪を揺らし、軽快な足取りでエリカ・ブレンの待つ場所へ向かっていく。
明日、何を失うのかは分からない。それでも今だけは、明るい夜明けを信じて、気丈に笑顔を作ることにした。