英理佳がノヴィス・ノアに乗船してから数日が経過した。彼女自身は上手くやっていけない、などと弱音を吐いていたのだが、それは杞憂に終わる。持ち前の明るさを利用して、ブレンパワード隊のメンバーは勿論、他のクルーともすぐに打ち解けて、たちまち馴染んでいった英理佳。そしてエリカ・ブレンにはアップデートと称して、モニターや操縦機器を搭載するのであった。
「確かに、こういうのがあると操縦ってカンジがして動きをイメージしやすいかも」
「そうだろうな。他にも色々と機能があるから、ちゃんと覚えろよな」
壮年のメカニックが仕様書と言葉を残してコクピットから出ていく。その背を見送った後に英理佳は「はぁ~い」と生返事をしながら紙切れへと一応目を通す。勉強が苦手な彼女にとって、この手の紙の束は忌諱してきたものだ。だからと言って、右も左もわからない状態で精密機器を触るのは憚られる。連なる文字に目を回しながらも耐え続ける彼女は、暫くの間は仕様書に寄生しなければならないようだ。
「はぁ~マジしんどい~……うん?」
メカニックと入れ替わるようにして現れたのは比瑪だった。英理佳は苦笑いしながら、手を振って挨拶。その様子と手元の紙を見て、比瑪は彼女の苦笑いを理解する。
「しっかりと勉強してて、えらいわ」
「これもブレンの為だと思って、なんとかね。比瑪もこれを?」
「勿論。一行一句、余さず読んだわ。それよりも休憩の時間よ、適度のお休みも大事なんだから」
その言葉で少し気分が良くなったのか、英理佳の表情が緩み、強張った体から力が抜ける。比瑪はその様子を見てニッコリ笑い「それじゃあ後でね」と言い去っていった。それを追うようにして英理佳は重い腰を上げてコクピットから出る。ここ数時間はブレンに乗りっぱなしで、腰が凝り固まっていた彼女は大きく伸びをした。
「ふぅー、ブレンも疲れたでしょ? 休みな~」
エリカ・ブレンは返事をすると正座の体勢から、あぐらをかいて楽になる。ブレンは英理佳が頑張っているからと、敢えてきつい姿勢でいたのだ。
そうして比瑪の元へと向かおうとすると、ばったり勇と遭遇する。彼とだけはイマイチ打ち解けられない英理佳は、気まづそうな顔でその場をやり過ごそうとする。
「あはは~、気分どう? そう、それじゃあ……」
そそくさとその場を後にしようとすると「おい」と引き留められて英理佳はビクッとした。恐る恐る振り返ると勇はすぐそばまでやってきているではないか。自分に何かあるのかと色々と思考を巡らすが、何も思いつかない。困った彼女は昔に先輩に教わった、とりあえずヘラヘラ笑っておけばいいという方法で乗り切ろうとする。
「お前、本当にこれでいいのかよ」
「何が?」
その返答に勇は呆れたのか、ため息をついて踵を返す。そして彼が顔を上げると、ぱっと比瑪と目が合った。その時、勇の中に立ち込めていた不満の狼煙が一気に立ち上がり、気づけば口は開いていた。
「ノヴィス・ノアってのは、こんな民間人ですら戦力にするのか! ただブレンが動かせるってだけで!」
「あの子が役に立ちたいって言ったのよ」
唐突に抗議を食らった比瑪は反射的に言い返す。彼女らのコミュニケーションというのはいつもこういう感じだ。これを初めて目撃をした者は口を揃えて"不仲なのか?"と周囲の者に聞く。だが彼彼女らを知る側としては、あれは平常運転であり、決して仲が悪い訳ではないと言う。英理佳も勇と比瑪のやりとりには当初は困惑していた。だが世の中には"ケンカップル"なる言葉があることを思い出し、そうなんだ、と微笑むのであった。
「だからって……!」
「はいはい、もういいって。ウチのこと心配してくれるのは超嬉しいけど、覚悟あるからね」
見ていられなくなった英理佳は二人の間に割って入り、保冷材の役割を果たそうとする。そして言葉を遮りながら鋭く力のこもった眼光を放つ。その視線に勇は一瞬怯むがすぐに巻き返した。
「都合よく大人に利用されるんだぞ!」
「ウチだって都合よく大人を利用する」
彼女が都合よく人を利用できるとは思えない、そう感じた勇は「何言ってんだか」と吐き捨てて、カナンのブレンチャイルドの方へと歩いて行った。それを追いかける比瑪を見送りながら、格納庫出口へと向かおうとする英理佳だが……。
「来たぞー!!」
一人のメカニックが叫んだのを耳にして一同はその方向へと目を移す。そこには小型ボートで格納庫へと突っ込んでくる三人の男達。彼らは格納庫を横切っていき、飛行甲板前までやってきた。
その様子を見ていたカナンは先ほどまで会話をしていたラッセに、彼らが何者かを尋ねる。
「どなた?」
「キメリエスの艦長」
ボートに乗って来たのはノヴィス・ノアの護衛潜水艦キメリエス、レイト艦長らだった。彼は呉港で開催される、オルファン対策などの問題に関する会議の為にやってきたのだ。
「ヒギンズ! ヒギンズじゃないか!」
レイト艦長は黄色い服がトレードマークの少女へと声を掛けた。ヒギンズは元々、キメリエスに搭載されている小型潜航艇コンガイールのパイロットだった。故に彼女とレイト艦長は多くの時間を共にし、親密な関係に発展していったのだ。
「艦長!」
レイト艦長はボートを飛び降りてヒギンズの元へと駆け、二人は抱き合う。そうして恋人たちのやり取りを傍観していた英理佳はまた、微笑ましいと破顔させるのであった。
「アツアツだねぇ、見てるこっちがやけどしそう……あ、艦長?」
突然、背後から現れたアノーアに驚きながらも、彼女が自分に用がないことに安堵する英理佳。やはりお堅いタイプの人間は苦手で、初対面では歓迎はされたものの厳しめの言葉をいただくこととなった。それが意外と刺さったようで、一挙手一投足でアノーアの評価が一転するのが恐ろしいのだ。英理佳が通っていた学校でも似たような教師はいたが、あれほどの貫禄は持ち合わせていなかった。彼女には自然と従わざるを得ないという凄みがあるのだ。
「レイト艦長! ヒギンズ・サス! 現在ただいまはそのようなことは控えてもらう!」
「ヒギンズにエネルギーを分けていたのであります」
ビシッと直立不動の姿でいるレイト艦長に様は流石軍人といったところだ。だが第一印象がアレではあまり様にならないようだ。実際、彼は英理佳の"恐れなくていいクルー"のリストに仲間入りしていたからだ。
「今は貴様のエネルギーを消耗する時ではない。宇都宮比瑪はブレンパワードで護衛を頼む」
突然の指名に比瑪は拍子抜けして、覇気の籠っていない返事で答える。それに対して勇も同行を希望するが、バッサリと断られてしまう。だがどうしても譲れないのか、諦めずに直談判を続ける。その末にアノーアは勇の動向に許可を下した。
風が舞い上がる中でウェッジやブレン達が飛び去っていくのを英理佳、カナン、ラッセは見送る。最後にヒギンズ・ブレンが飛び立つのを見たラッセは、カナン・ブレンに「また追いかけていくなよ」と声を掛ける。
「あんたに出ていかれると、こっちも大変なんだ」
今度はカナンに対して話すと「今はこのブレンに、恋をし始めているわ」と返される。
「そうしてくれ」
そう言い残してラッセは休憩時間に入り、格納庫を後にする。カナンはその様子を、彼が視界から消えるまで目で追った。
「ウチらはお留守番か~。カナンさんも休憩に。お茶でも一杯どう?」
「そうね、そうしましょう」
英理佳に誘われたカナンはブレンの乗る台座から降り、同じく格納庫を去っていった。
そうして、あっという間に休憩時間も終わって英理佳達は再び格納庫へと戻ると、そこはやけに騒がしかった。人も機械もいつもより多く多く行き来しており、慌ただしい様子が伝わってくる。
「何事?」
「補給よ。武器弾薬だけでなく、衣服食料、その他設備の備品とか」
カナンの説明を受けて英理佳は「そうなんだ」と納得する。甲板へ次々とウェッジが入ってきては、その荷をフォークリフトが受け取っていくのだ。それを見て何か手伝えないのかと、英理佳はツーサイドアップに結った金髪を揺らしながら、周囲を見回した。そもそもクルー達が運搬している貨物は到底、人の力のみで運べるようなサイズではない。フォークリフト等が操縦できない限り、手伝うのは難しいだろう。
「まぁ、俺らにできることは少ないかな」
後からやってきたラッセが二人の少女の肩に手を置きながら、同じようにして首を振る。どうしたものかと、英理佳は腕を組んで考え込む。しかし数秒としない内に彼女に妙案が浮かび、ぱっと顔を上げる。
「ブレンを使うってのはどう?」
「貨物船で運ぶ大きさの荷物なら適役かもしれないけど、ウェッジが運ぶのだとねぇ……」
「腕次第、ってところだな」
カナンとラッセにそう言われるが、やってみなくてはわからない、と英理佳はブレンの元へと駆けた。二人はこれも経験だろうと、彼女を止めずに見守るのだった。さて当の英理佳はブレンの元へと辿り着くとコクピットへと近づく。
「ねぇブレン、ちょーっと手を貸してくれない?」
するとエリカ・ブレンは頷いた後に主人へと手を差し伸べた。英理佳はその大きな手にひょいと飛び乗ると、コクピットまで連れられる。そして開かれたハッチの中へと頭を垂らしながら入っていく。
「さーて、ひと仕事ひと仕事♪」
英理佳は少年の如く心を躍らせながら、操縦桿を握る。まるでこれをいち早く使ってみたかったと言わんばかりの高揚ぶりだ。エリカ・ブレンもその気にあてられてしまったのか、いつもより活気あふれる様子。とても傷ありとは思えない。
「英理佳ちゃん、偵察かい?」
「マリアンヌさん? 違うっすよ。荷物運びを手伝おうって思って」
声を掛けたのはウェッジのパイロットの一人、マリアンヌだった。彼女はブレンパワード隊を除く、ノヴィス・ノアの乗員の中で一番に英理佳と打ち解けた人物だ。そんなことから少女はこの女性に信頼を置いている。
「それはいい心がけだねぇ。港にはまだまだ物資がいっぱいあるから、頼んだよ」
ウェッジから送られた座標をモニターに反映する英理佳。場所は呉港付近の大規模倉庫だ。早速出発しようとするが、ある疑問が浮かんだ英理佳はブレンを立ち止まらせてコクピットから顔を覗かせる。
「何か秘密の暗号とかはないんですか?」
「無いよ、そんなもん。さぁ行った行った!」
苦笑交じりでマリアンヌは、面白い子だ、とブレンと少女を見送った。こんな風に子供と話すのはいつぶりかと、彼女は昔を思い出に浸るのであった。
***
港付近に辿り着くと英理佳は三人のブレンが外で待機しているのを見つけた。あれが例の会議の近くなのだと察する。
「今はお偉いさんと会議かぁ。何を話してんだろ。プレートだとか、オルファンだとかだと思うけど……」
そう疑問には思いつつも、決められた仕事を優先して倉庫へと急いだ。そうして目的地に着くとブレンを膝立ちで着陸、待機させる。辺りには搬入中のウェッジが数機並んでいた。この調子では全て運ぶ頃には日が暮れているだろう。
「ウチは関係者と話してくるから、いい子で待ってな」
急いでいるのか、英理佳は返事も待たずに走り去っていく。それを妙だと思ったのかエリカ・ブレンは小さくなる背を一瞬たりとも見逃すことはなかった。
「えーと確か、3番倉庫だったはず……」
メモした紙を手に英理佳は辺りをうろうろとしている。目的の場所がなかなか見つからず、同じ場所を行ったり来たりしている。情報の通りだと近いはずなのに『3番倉庫』の表記が何処にもないのだ。
そんな風にしていると、倉庫の出口から四人のガラが悪そうな従業員達が出てきた。これはチャンスだと英理佳は男らに声をかける。
「すいませーん、3番倉庫への行き方ってわかりますか?」
そう尋ねられた男達は少し間を置きながらお互いに顔を見合わせた。一人の坊主頭は何やら不敵な笑みを浮かべており、もう一人の角刈りも同じように二ヤついている。だが残りの二人は英理佳の姿をじっと観察した後に「ガキじゃあねぇ……」と呟いて去っていくのであった。そんな言葉を介さない問答に、英理佳は不信感を覚える。やっと坊主頭の男が「えーっと、3番倉庫だよな」と口を開いた。だがまだ何か考えているのか、視点は余り定まっていない。
「どうした、忘れちまったのか。こっち」
見かねた角刈りが親指で後方を指さすと、坊主頭は「そうだったな、こっちだ」とその方向へと歩いて行く。そんな怪しさ満点の男達にでも、今は頼ることしかできない。その場に流されるがままについていき、辿り着いたのは小さな小屋だった。そこには"宿直室"と書かれており、どう読んでも3番倉庫にはならない。
「あのー、ここ倉庫じゃないよね? どーいうつもり?」
「嬢ちゃんよぉ、今の世の中はな、情報はタダで頂けねぇんだよ。払えるモン払ってから……ってのが当たり前でさぁ」
坊主頭はそう言いながらゆっくりと英理佳の背後へとまわる。それと同時に肩に触れてくる手を払いのけるが、坊主頭は「ククク」と気色悪い忍び笑いを出す。連れてこられた場所と、この態度で男らが何を求めているのかが分かった英理佳は、付き合ってられない、と男達から逃げる手段を考える。
「あー、そういう……。じゃ、もういいよ。ウチ一人で探すから」
踵を返しながら、そそくさと逃げ出そうとするが、行く手を角刈りの男に阻まれる。
「おいおい今更、契約破棄は無いだろ」
「もう! 通してよ!」
英理佳が道を阻む角刈りを無理やり押しのけようとすると、腹部に黒色の筒のようなものが押し付けられる。それは無機質で微かに黒光りしており、紛れもなく自動拳銃だった。アメリカではよく見るようなやつだが、まさか遠い日本に来てまで目にするとは思いもしなかった。そして人生で初めて、それを突き付けられているのだ。英理佳の頭の中で、前のアンチボディ戦の景色が甦る。自分が敵を殺めたように、自分も同じような運命を辿るのだろうか。因果応報と彼女はぎゅっと目を閉じた、その時。
「ぐわぁ!」
角刈りの苦悶の叫びが、銃声と共に聞こえる。何事かと目を開くと目の前の男は地面にうずくまっているではないか。すぐに坊主頭が「どうした!?」と駆け寄ると、その頬を弾丸が掠めた。英理佳は弾丸がやってきた方向へと顔を向ける。
「銃を向けるなら、撃たれる覚悟をしろ」
「クルーエル・ブレイズ!」
男達へと発砲したのは拳銃を片手にした仮面の女、クルーエル・ブレイズだった。その奇怪な姿を目にした坊主頭は血の気が引いたのか角刈りを引きずりながら、その場からとんずらする。男らの気配が消えたの同時にブレイズは銃をしまい、英理佳の様子を確認した。見たところ外傷のようなものはなさそうだ。
「大丈夫か? 何かされなかったか?」
「いや、大丈夫だけど……」
英理佳は助けてもらったことよりも、こんな所まで追いかけてきたこと対してに思うことがあった。それを尋ねるとブレイズは大笑いで否定する。
「今回は偶然だよ。呉で開催される会議に出る予定だったが、寝坊した挙句に迷子になってね」
「だらしなー」
やはりこれはダメな大人だと更に理解した英理佳。さっさと離れようと思った矢先、大事なことを思い出した。3番倉庫の物資を搬入しないといけないのだ。だがここでまたブレイズに貸しを作るのは、気分が悪い。
「それで、君はどうしてここに?」
「あー……」
「見たところノヴィス・ノアが近くで停泊しているようだが、君はその手伝いをしているのでは?」
その鋭い洞察に英理佳は手も足も出ない。渋々、自分の置かれている状況を話すことにした。
「三番……あぁ、なるほど」
そう呟いたブレイズはマントを翻しながら進んでいく。この変人に倉庫の場所がわかるのか、疑いつつも英理佳はついていくことにした。そうして歩くこと数分で目の前の仮面が歩みを止めた。周りを見回してみるが3番倉庫の文字はどこにも見当たらない。しかも、ここは英理佳が最初に男らに絡まれた倉庫ではないか。やはりこいつも迷ったんだと、少しでもブレイズを信じた自分が馬鹿だったと英理佳は頭を抱えた。
「ここが参番倉庫だ」
「どうしてここが3番倉庫だってわかるのさ」
英理佳が強気に訊くとブレイズは、やはり読めないんだ、と仮面の下でニヤリと笑う。
「この"参"という文字を見るんだ。これは日本では3を意味する漢字なのだよ。だからここは"参番倉庫"で間違いない」
「こんなの読めるワケないじゃん!」
頬を膨らませていきり立つ英理佳を見て、ブレイズは「フグがいる」と揶揄うようにして笑う。
「まぁ、この表記は日本人でも最近は使わないな。ここは古いから、こうなんだろう」
ひとしきり笑ったブレイズは息を整えながら話す。あんなナリでも意外と博識なのだと、英理佳は相手が腐っても大人なのだと思った。物腰は柔らかで服装は……マントと仮面以外はキッチリしている。やはり仰々しいマントと気味の悪い仮面が無ければもう少し信頼出来そうな人になれると感じた英理佳。
「……まぁ、今日は色々と助けられたし……その、ありがとう」
こんな人間にお礼を言うのは不本意だった英理佳だが、助けられたことは事実、感謝の言葉は述べなくてはならない。対価に何を要求されるか分かったものではないが、英理佳は覚悟を決めている。だが礼を受けたブレイズは軽く一礼して「その感謝、素直に受け取ろう」と言うだけでそれからは何も要求しなかった。英理佳があっけに取られている間に、仮面の女は踵を返して既に歩き出している。
「また会う時があれば、ゆっくりと話そう。それと助けたことは気にするな」
そう言い残してブレイズは姿を消していった。派手な姿ながらも、哀愁の漂う背を見つめていた英理佳の心にはモヤモヤが残っていた。それはブレイズに助けられたから、というものではなく、助けられたのに相手に何もお返しが出来なかったという葛藤だった。
「こういうの、都合よく利用されるって言うのかな」
そう呟いた後に、英理佳は自分の仕事を全うすることにした……。
***
日も落ちきって疲れ果てた英理佳は格納庫で夕食を摂っていた。昼間は沢山のウェッジが出入りしていた飛行甲板は、そんなことが噓のように感じられる程に静まり返っていた。そんな場所で少女は一人、サンドイッチをかじる。彼女は故郷のアメリカでも、よくこうして海辺で食事をしていた。それは誰にも邪魔されない時間。聞こえるのはさざ波の音と、海鳥の鳴き声だけ。
「隣いい?」
声を掛けてきたのはマリアンヌだった。英理佳は声だけで彼女だと判断し「いいっすよ」と返すと、同じようにして横に腰かけるマリアンヌ。彼女も支給されたサンドイッチを取り出して食べ始めた。
「ここには慣れたかい?」
「まぁ……ウチなら余裕っすよ」
そうやって英理佳は無理矢理生み出した笑顔を向ける。だがそれが作り笑いだとマリアンヌは一瞬で見抜くのであった。
「何か悩み事?」
「ウチ、そんなに顔に出てます?」
英理佳は困った眉で、あはは、と笑みをこぼす。するとマリアンヌが「そりゃ、あの顔じゃあねぇ」と豪快に笑って見せた。そんなにしおらしい表情をしていたのかと、英理佳は両手の人差し指で口角を上げて見るが、ぎこちない笑顔しか作れない。作り笑いが難しいと悟った彼女は騙す技術を伸ばすよりも、誰かに相談することに慣れようと思い、話すことにした。
「人を都合よく利用するコトって、どう思います?」
意外な言葉が来たことにマリアンヌは驚きながらも少し考え込んだ。それほどに難しいことなのかと、英理佳は自身の悩みの重大さを再確認する。少しすると顔を上げたマリアンヌが「まぁ、そういう時もあるでしょ」と意外な回答を出した。
英理佳は昼間、勇に言われた言葉を思い出した。大人に都合よく利用される。彼の言う通り、大人はその辺りは割り切っているのだと知った。
「いざ利用する立場に立たされると、心地が悪いというか……モヤモヤして」
「利用された人は嫌そうだったかい?」
「それは……」
真っ白な仮面が彼女の中でフラッシュバックする。そこには人間の感情は無く、その裏に存在している真意は隠されていた。口調も余り前と変わらない様子で、嫌悪なども感じられなかった。
「わかんない」
「でも、その人は何か対価を要求しなかった。それは"貸し借り"の考え方を持っていない人なのかもね」
英理佳の信条の一つには"貸し借り"は必ず守られるべきというものがあった。それは彼女がよくつるんでいた先輩達が重要だと教えたからだ。それをしなければグループからは理不尽な扱いを受けたり、最悪の場合には仲間はずれにされたりする。だから英理佳はずっとそれを意識して生きてきた。故に今、ブレイズへの借りがあるはずなのに、何も返せていないどころか、本人がそれを拒否していることに違和感を覚えているのだ。
「でも……」
「そう難しく考えず、素直に厚意を受け取んなさいな。子供を助けるのは大人として当たり前のことなんだから」
そう言われ腑に落ちないながらも、言葉を飲み込んだ英理佳。当たり前、そんな言葉を両親が知っていれば、幼い頃に嫌な思いをせずに済んだのにと振り返る。
「そういうのはもう少し大人になってから考えな。今はただ、ありがとう、とだけ言っとけばいいの」
マリアンヌは立ち上がって「そんじゃあね」と言い残して去っていく。彼女は既にサンドイッチを平らげていたようだ。
「そういう考え方もあるんだ」
一言呟いた後に、英理佳は食べかけのサンドイッチを口に放り込んで飲み込んだ。だが、そのタイミングと同時に艦内警報が鳴り響き、驚いて喉を詰まらせてしまう。
「ごほっ! 今度は何さ!」
近くにいたクルーに状況を尋ねると、どうやらリクレイマーのスパイが紛れているとのこと。名をケイディといい、短髪を後ろで結っている三白眼の男らしい。これは同じリクレイマーのカナンが提供した情報だそう。
英理佳は付近にいる、銃を担ぐクルーを止めて武器を要求する。対抗手段を持たない状態でスパイとい対峙するのは危険だからだ。
「あんたに使えるのか!?」
「撃ったことはあるし!」
気迫に負けたクルーは渋々とホルスターに差した拳銃を渡す。だが英理佳は空いた片手をくいくいと動かすのだ。クルーは少しして予備のマガジンを取り出して手渡した。
「わかってんじゃん♪」
そう言って英理佳は銃のセーフティを解除、チャンバーチェックも済ませて走り出す。その一連の流れを見ていたクルーは、慣れた手つきだなぁ、と感心と驚愕の二つの気持ちが共生していた。
こうしてノヴィス・ノア艦内をクルー達は協力しながら、ケイディを甲板まで追い詰める。射殺しないよう、威嚇射撃を繰り返しながら誘導したのだ。
「射殺するなよ!」
後からやってきたラッセとカナンが、英理佳達とは別方向の射線を作る。二人はスパイに向かって投降を呼びかけるが聞く耳を持たない。そのうち拳銃を撃ち切ると、海へ飛び込んで逃げていったのだ。
それを助けに来たのか、二人のグランチャーがノヴィス・ノアへと接近してくきた。その少し離れた後ろにはユウ・ブレンとヒメ・ブレンが追尾する。ブレンのパイロット達は、各々のアンチボディへと飛び乗っていく。だが……。
『エリカ・ブレンはイランド隊とノヴィスの直掩だ』
「また留守番~? ウチは番犬じゃないんだけど!」
ブリッジからの命令が下されて、英理佳は文句を垂れつつも従った。彼女が上空に上がる頃には、敵はブレンパワード隊に取りつかれており、ノヴィス・ノアの付近まではやってこなかった。
結果的にキメリエスが一機撃墜をしたのみで、スパイには逃げられた。だがこのことを重くとらえる者は少なく、その理由に早期発見が役立ったと言われている。
「カナンさん、お手柄だったんだね」
英理佳は戻ってくるブレンパワード隊を甲板で迎えながら、カナンへと感謝の言葉を述べるのであった。
次回はお待ちかねの"あの回"ですね