この身は怪獣、されどヒーロー 作:全ての道はところてんに通ず
頭が酷く重い。
思考は朧げで、まるでゆりかごに揺られる赤子の様に昏睡と覚醒を繰り返している。
これではいけないと思い身じろぎをしようと試みるが、身体を動かすという生物として当たり前であることすら何処か遠くに感じてしまう。
見渡す限りの暗闇の世界は、自らの存在を疑うほどに暗く、黒く、冷たい。
いつしか意識には深い霧が立ち込め、思考は暗闇へと緩慢に溶けていく。
『ーー』
何処からか声が聞こえる。
それを認識した直後、目の前で火山が噴火したかのような推力を背中に感じる。
同時に意識が急速に引き上げられ、暗闇を埋め尽くすほどの光が目に飛び込んできた。
瞼を何度も瞬かせながらも顔を上げると、まず目に飛び込んできたのは大きな円錐形の中に収められた異形の姿であった。
透明な液体に全身を漬け込まれた異形は腰巻以外の衣服を身に着けおらず、藍色の素肌をむき出しにしている。
そして何よりも奇妙だったのは、彼の脳味噌がむき出しにされていることである。
質感や微かに上下する胸部から生きている人間であることはかろうじて理解できるが、悪趣味なオブジェだと紹介されれば違和感なく受け入れてしまいそうなほど、それは人間の姿を留めてはいなかった。
振り返れば、背後には彼が収められたカプセルと同じものがガラスの割れた姿で存在している。
全身が微かに濡れていることから、自分はここから出てきたのだろうと分かった。
一抹の不安がよぎり頭部に伸ばした手に髪の毛と皮膚に包まれた頭蓋骨の硬さを感じ、ほっと一息安堵する。
そのまま体をペタペタと触りながら周囲を見渡すと、辺りには数えきれないほどのカプセルとそれらの管理を行うコンピュータが倉庫のような空間に敷き詰められていた。
しかし、研究室や実験場のような様相をしたここは放置されているのか機材のどれもがほこりを被り資料は乱雑に放置されている。
さらに、倉庫のいたるところには亀裂や風穴、燃えた後のすすのようなものが見受けられた。
何があったのか見当もつかないが、状況から見るにこの場所はすでに放置されているのだろう。
現状を少しでも理解するため、足元に落ちていたボロボロの資料を拾い目を通す。
それはこの研究室で実験を行っていた実験体の管理資料のようで、カプセルの中に収容されている人物と似た人間の写真が記載されているようだった。
そして探すこと数分、彼はガラスに映る自らの顔と同じものをリストの中から見つけその名を呟く。
「
自らの名前すら思い出すことのできなかった頭に己の口から紡がれたその名は、まるでそれが当たり前であるかのように違和感なく自身の胸にストンと落ちた。
緑谷出久、それが自分の名前。
何度も何度も心の中で繰り返すことで忘れないようにする。なぜかはわからないが、そうしなければいけない気がした。
そして出久は更なる情報の収集のため研究室の奥に存在するひときわ大きなコンピュータへと歩を進める。
幸い電気はまだ通っているのか、コンソールにあるボタンを押せばコンピュータは問題なく動作し2枚の大きなモニターはその画面に光を灯す。
どうやら、この施設では人間を人工的に改造する研究を行っていたらしい。
風貌からろくでもない施設であることは予想していたが、思っていた数段ろくでもない施設だった。
さらにレポートに目を通せば、改造研究の目的は
個性とは人類が先天性に持ち合わせる超常的変異であり、変異の内容は当事者がコントロールすることはできない。
しかし、この施設ではそれらの個性を人工的に培養、そして付与する研究を行っていたらしい。
そのために、己のような人材はさぞ使いやすかったことだろう。
出久はコンピュータのデータの中からフォルダを探し出し、それを画面に表示する。
『成功例No.8
個体名:緑谷出久
性別:男性
年齢:15歳
個性:無個性→変身
備考:隕石から採取されたウイルスに遺伝子改造を施した個性因子を移植することにより新たな個性の製造に成功。その後他の被験者から摘出した個性を複合させていったが脳組織の損壊が発生。利用価値が見いだせなくなったため2か月の観察期間を置き廃棄予定』
世界の総人口の8割が個性を手に入れた個性社会において、無個性というマイノリティはそれだけで差別の対象となりえる。
そんな無個性な少年が絶望から非行に走りそのまま行方が分からなくなる。そんな個性社会ではありふれた筋書きは警察もそこまで大げさにそれらを取り上げなくなった。
その副産物ともいえるのが、この膨大な被験者なのだろう。
とはいえ、これが分かったところで現状はどうにもならない。目ぼしい情報はないかとログを漁ってみるが、最後の履歴には『襲撃』、『簒奪』、『AFO』というよくわからない単語が残るのみだ。
パソコンの横にかけられた職員の作業着らしき服を身に着けながら、出久は状況を整理する。
今手元にある情報はあまり多くない。
ここに至るまでの記憶はなく研究所で手に入った有益な情報といえば己の名前と、そしてもう一つ。
資料の記載によれば、自身の体には改造された個性が付与されているらしい。名前は、確か変身だったろうか。
出久は目を閉じ、個性の事を考えながら集中する。
そうすることで彼はようやく自身の違和感に気づくことができた。
研究所に微かに香る薬剤、油、鉄さびの匂い。外から吹き込む風の方向、そして無個性の少年のものとは思えないほどの身体組織、その構造の細部まで。
彼の感じる感覚は、すべて人間としての規格をはるかに凌駕していたのだ。
これではまるで、化物がガワだけ人間の形を保っているようだ。
…いや、案外本当にそうなのかもしれない。
出久はうっすらと笑いを浮かべる。
その瞬間、彼の体はボコボコと沸き立つような音を上げ変容を始める。
半液体状の身体はそのまま徐々に膨張を始め、体長は2mほどまで巨大化する。
そして拡張を止めた肉体は形を成していく。
身体は鱗のような質感の黒い筋肉で隆々と覆われており、その上から黒い外角、一部には鎖骨や脊椎のような白い外角が表れる。
外角同士のわずかな隙間には青白い光を放つ線が流れ、そして顔には鬼か悪魔を思わせる角の生えた仮面のような白い外角が形成された。
フィクションに登場する怪物のような姿に変容した出久は、そのまま無造作に右腕を上へと薙ぎ払う。
その剛腕から放たれる風圧は容易く研究室のめくり上げさせ、室内の研究道具のことごとくを破壊、天井を吹き飛ばしたまま上昇を続けるそれは遥か上空の雲を揺らした。
「これは…絶対人に向けちゃダメなやつだ」
何もかもが吹き飛び、ほぼ更地となった中心で出久は空を見上げながらつぶやく。
この力はどう考えても常識を逸脱している。軽く振るっただけでもこれなのだ。全力で拳を振るおうものならその威力は想像を絶するものとなるだろう。
彼の頬に一筋の汗がつたう。
その時、後方から何かが床に落ちる硬い音が響く。机から落ちたその円盤状の物体は衝撃でスイッチが入ったようで、光を放ち空中に映像を投影する。
映像はどこかの災害の様子をスマホで撮ったもののようで燃え盛る町が映し出されている。
その中に立つ一人の男は、その中であっても不遜な笑みを浮かべて人を助ける。
筋骨隆々な体にアメリカのコミックを思わせるコスチュームを身にまとい、金髪で二本の触角を作ったその男は、カメラの向こうにいる人々へ向けこう言い放つ。
『もう大丈夫!何故って!?……私が来た!!』
その言葉に、出久の心臓は呼応する。
衝撃は心臓に、脳に、そして魂に熱を灯し、彼の心をどうしようもなく熱くさせる。
そして同時に沸き上がった衝動に身を任せ、頬まで裂けた口を大きく開かせながら彼は……笑った。
「あれがヒーローなら、さしずめ僕はヴィランの怪物……いや、爬虫類っぽいし、怪獣だな」
身体を改造され記憶までも消滅した出久にとって、すでに日の当たる場所に行く選択肢はない。
しかし、何という皮肉だろう。あんなものを見なければ、彼は思い出すこともなかったのだ。
──自分が、ヒーローになりたかったなんて。
記憶が残っていれば、それこそ自害でもしていたのではないだろうか。
皮肉交じりな感傷を抱きながら、変身を解除した出久はその円盤をポケットへしまい山を下りるように歩き出す。
まずは情報収集、その後に自分がどう動くかは決めたらいい。
「名前とかはどうしよう……そのままってのもよくないよな」
昔の出久を知っている者に出くわすのも面倒だが、人体実験をしていた研究者が成功作である自分を狙いに来ないとも限らない。
「怪獣ってだけは味気ないし、何か名前をもじって付け足すか。緑谷、みどりや、みどり……はち」
そこまで思考が行き着き、彼はハッと思いついた顔をする。
少々人間味に欠けた名前だが、この身はもはや人ではない。そんな自分ならその名は相応しいといえるのかもしれない。
「……怪獣8号、これからはそう名乗ろう」
訣別の意を込め呟いた8号は、そうして研究所の跡地を立ち去っていくのであった。
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