◇プリンセス・デリュージ
プリンセス・クランブル。プリンセス・グラビティ。どちらも、侵入者としてデリュージを排除しようとしている。デリュージは変わらず追われる身で、助けに来たはずの相手が今の敵だ。
──状況は理解している。納得はできず、飲み込めはしない。ただ、死なないためには動くしかない。
駆けるデリュージを阻んだのは分厚い鉄の壁だ。入る時は何も思わなかったが、2人を相手にこれを悠長に開いている暇はない。じゃあどうやって逃げ出せばいいのか。とにかく槍を突き立て氷をぶつけ、これでは威力が足りないとして振り向いた。
大槌を振り回して追ってくるクェイク──否、プリンセス・グラビティを前に、デリュージは歯を食いしばり、ギリギリまで回避行動を取らなかった。振り下ろそうとした寸前で動き、背にしていた扉だけを壊してもらう。
目論見通りに扉は壊れるが、そう逃がしてくれる相手じゃなかった。部屋の中を逃げ回り、隙を見て飛び出す算段だったが、そこへ襲いかかる重圧。見れば、床に突き立てられた大槌から巻き起こる力場が範囲内のものを押さえつけていた。グラビティと言われていた通り、重力の魔法だ。魔法少女の身体能力でも全力を出してようやく動けるかどうか。
ただグラビティもこの技を使っている間は武器を動かせないらしい。見下ろす彼女の目には、慈悲はない。
「ねえ……クェイク! 私っ、みんなを、助けに……!」
「ごめんなさい。守らなくちゃ。姫様の命令も、クランブルのことも」
「姫様って……誰!?」
そもそもプリンセスはこっちの方だ。彼女らに命令を出した誰かがいる。グリムハートか。それとも別の誰かなのか。叫んでもグラビティは答えない。その間に、ふらりとクランブルが装置の中から現れて、思うように動けないデリュージの手を取った。左手が小さな両手に包まれる。
「はい、握手! わあ、手、冷たいね。冷たいから、いらないよね?」
急に感覚が失せた。クランブルに触れられた手が灰色の煙をあげている。いや──煙じゃない、塵だ。分解されている、のか。クランブルには重力がかかっていない。重い体でも強引に動いて、自らの槍を手首に突き立て、左手を切り離しながら、クランブルの方に飛び出す。驚いたクランブルは手を防御に回したが、攻撃をする余裕はこちらにもない。傷口は凍らせて塞ぎ、どうにか重力圏から抜け出して、壊れた扉にまで駆けていく。
あんな魔法、テンペストにはなかったはずだ。触れたものを塵にするなんて。そもそもプリンセスジュエルの色も違う。彼女は彼女、のはずなのに。
部屋から飛び出して、だがすぐ後をグラビティが追ってくる。大槌を振り回しているとは思えない速度。氷霧で行く手を阻もうとして、衝撃波が走る。重力を力だけで飛ばしてきた、のか。理解が追いつく前にグラビティ自身がデリュージに追いついて、ハンマーの一撃で壁に叩きつけられる。壁は砕け散り、中の部屋に押し込まれ、家具を薙ぎ倒しながら着地した。痛む体をどうにか起こす。目の前に構えるグラビティとクランブル。激しく咳き込んで、思うように動けない中、デリュージの中には現実が突きつけられる。
デリュージの助けなど、彼女らは必要としていない。そもそもピュアエレメンツであったことさえ否定されてしまった。仲間に戻ろうとなんて、相手は思っちゃいない。
──学校生活と同じ、だ。
気がついたその時、夢物語の中から、現実に連れ戻されたようだった。楽しい魔法少女活動の時間は終わり。ヒーローごっこをすることも許されない。デリュージは、
それは単純に言ってしまえば、仲間はずれだ。それまで友達だと思っていても、何かの切っ掛けから、それは始まる。この目で見たのだからよく知っている。
かつて目にしたあの時は陰口や無視だった。それがこうして命のやり取りに変わっていて。今の標的はデリュージだ。クランブルもグラビティも、きっとどこかにいるインフェルノも、デリュージを置いて何かを知っていて、デリュージを殴って、蹴って、排除しようとしている。これが、あの虐めと同じでなくてなんなのか。
三叉槍を握る手から力が抜けた。膝をつき、それ以上、足が動かなかった。グラビティの槌が、クランブルの手が、近づいてくる。クランブルに首元を掴まれて、脳裏にチェリーの顔が浮かんだ。ついてきてくれると言っていた彼女に、またあの時間を取り戻してはあげられない。
「……おふたりとも。今は、そこまでに」
しかし響いた声が、それを止めた。
「あれ? ゲヘナ、戻ってたんだ。なんで? 侵入者だよ? 殺しておくべきだよ」
クランブルがぐっと手に力を込め、首元の装飾の表面が塵に変えられ、それだけで止めた。
「だってあんな変なことを言い出して……殺しておかないと。何が起きるかわからないから……ほら、いいでしょ? ねえ」
「姫様のご命令です」
「……そっか、姫様、姫様なら仕方ないか」
「グラビティも」
「姫様の命令なら、従うわ」
しかしクランブルは最後までこちらを警戒していて、膝から崩れ落ちた後もその目は向けていた。ゲヘナと呼ばれた少女は2人には行くように伝え、動こうとしないクランブルをグラビティが背中を押して手を引っ張って連れていき、2人きりになるまで見送った。
助けて、くれたのだろうか。この黒い少女は、何者か。そうだ、監視カメラで、インフェルノをはじめとした魔法少女たちと共に行動していたうちの1人ではなかっただろうか。敵か味方か判断をしかねていると、少女は口を開いた。
「……これで、少しはわかった? 私の、気持ち」
「え──」
「プリンセスモード・オフ」
ゲヘナはデリュージたちと同じ言葉で変身を解除する。解除された後に立っていたのは、見知った黒髪の少女だった。
「そう……私だよ。
黒崎落果──彼女とは家が近所だった。幼稚園から一緒で、幼馴染みのようなものだった。そんな彼女と奈美が、小学生だった頃のことだ。クラスの中心にいた女子の何か気に障ったのだろう。女子は一斉に口裏を合わせ、彼女を無視し、陰口をたたいた。
その時、青木奈美は彼女を助ける選択をしなかった。見殺しどころか、加担していた。自分もそうなるのを恐れ、いじめる側の輪の中に入ろうとした。クラス替えのない学校だったがゆえにそれは卒業までひたすらに続き、奈美はそちら側に立ち続けた。
結局、彼女は私立の中学校に進学し、あれからはすれ違ってもただすれ違うだけ、話すことなんてまるでなかった。そのはずなのに。
「なんで、あなたまで魔法少女に」
落果は答えない。何も言わずに、プリンセスジュエルを構えた。
「プリンセスモード・オン」
宝石の輝きは黒く染まり、ドロドロとした液体となり、落果を包む。再び現した魔法少女の姿で、溢れ出す黒い液体が形作った槍を突きつけ、デリュージを見下ろす。
「辛い……? かつての仲間に虐められるのは」
「っ……それ、は」
「あなたが私の陰口を言っていた時……私はそういう気分だった」
ゲヘナが、落果が放った言葉は槍よりも鋭利に突き刺さる。他者に合わせて生きてきた奈美が、魔法少女である間はそうしなくていいなんて思った、そのぶんの清算をさせられているかのよう。
「わ、私を……殺すの」
目を見て問い質すつもりが、そのただ黒く塗り潰されたような眼にむしろこちらが引きずられるようで、目を逸らした。
「……
漆黒の槍は液状化し、デリュージの失った手に降りかかる。咄嗟に引っ込めようとしても動かず、いっそ先程のように根を切り落として逃げようとした。が、それをゲヘナの手が止める。黒い泥はデリュージの左手を包み、やがて突然ほどけるように消えていく。残った先には、なくなったはずの手が戻っていた。
違う。デリュージの手じゃない。長いつけ爪がキラキラしている。こんなに派手なネイルをするのは、女子グループの中でもかなりませた子くらいだ。これは、誰の手だ。
「なにが起きたの」
尋ねてもゲヘナは答えてくれない。誰も、何も教えてくれないことばっかりだ。
「まだ仲間を助けたいだなんて思っているならご自由に……私はもう、あなたに構っている暇はないから」
ゲヘナにも見逃され、デリュージはまだ生きている。かつての仲間も、もっと昔の友達も、誰も助けることさえできないまま。
思わず握りしめた自分の左手は死骸のように冷たかった。