◇プリンセス・アルファベータ
アルファベータが用いる魔法の絵本は、使い手が相手の名を知ることをトリガーとして起動する。対応したイニシャルのページに、惨たらしい運命が描かれるのだ。ゴム・マーリーはこの絵本が描く運命によって、五寸釘で針山になり死んだ。『G』のページにはその通りのイラストと文が添えられている。
キューティーミントもじきに同じになるだろう。パラパラと絵本を捲りながら、向かってくるミントの拳をかわした。死にかけるほどボロボロになっておいて、先程までよりも速い。そのくせ痛みなど無いかのように突っ込んでくるのだからタチが悪い。抉るような一撃を鎌でいなして、『C』のページを見る。ひとりでに文章が書き込まれていき、呼応してイラストが浮かび上がってくる。それを見て思わず口角を上げ、同時に飛び込んできたミントの飛び蹴りが側頭部を打った。そのままの勢いで倒れ込む。視界が揺れる。さらに仕掛けてくる相手の殴打を何度か食らい、ようやく鎌を振り回して抜け出して、想定よりずっと殴られたせいで全身が痛むのを痛感しながら、完成したページを見せつける。
「くくくっ、よくもここまでやってくれましたね、ですが! それも終わりです! さあ、魔法の絵本があなたの運命を指し示した!」
絵本にはキューティーミントに似た可愛らしい緑の少女が描かれている。が、そのシチュエーションは可愛らしくない。多数の目を血走らせた鴉が群がり、啄み、肉を抉っている。
「『Cはキューティーミント。鴉が集ってクチバシ責め!』」
高らかに読み上げてやった。守られていたメルンは絶望の表情を浮かべ、何も言えないでいた。当のキューティーミント本人はというと、やはり自分などどうでもいいというのか無反応だ。むしろ思いっきり殴りかかってくる。予想外の反応で顔面に食らってしまったが、もう運命は決まっている。さあ、魔法の絵本が生み出した鴉がもう現れている。高い天井の上方を旋回し、狙いを定めている。これが終わりの始まりだ。
「無駄ですよ、運命は変わらない! ほうら、貴女を啄む悪夢がほら……ほら?」
──そのはず、なのに。見上げた天井のあたりを旋回していた鴉たちは、目標を見つけられなかったかのように、ほどけて消えていく。
「なっ……!?」
これまでの性能テストでもこんな事態が起きたことはない。運命は確定したはずだ。それなのに、消える? 一体何が起きているのか──わけがわからず、ミントの蹴りに対して鎌で応戦し、なんとか打ち合う。キューティーミントは健在だ。威力が落ちたりもしていない。さすがのアルファベータも歯を食いしばり、鎌を振り回して距離を取らせる。
「あの……何がしたかったんですか?」
神経を逆撫でされるような発言に、いつもの笑顔が凍りついた。
「それはこちらの台詞ですよ……あれだけ高らかに名乗っておいて偽名だったとでも? いえ、それならそもそも絵本が反応しないはず」
「……ねえ、それ」
メルンが指さしたのは絵に添えられた短い文章。先程アルファベータが読み上げた通り、死の運命が淡々と綴られている、はずだった。そうはならなかった。『キューティーミソト』の文字が虚しい黒でただ書かれている。
……え、あれ?
「
仕掛けは単純で、馬鹿みたいに滑稽な間違いだった。
「……は、意味が、わかりません。魔法の絵本が、誤字!? そんなこと有り得るはず」
「あー……まさか、ペリングの魔法で本当に誤字ってるわけ? あっはは! 何それ、お笑いじゃない」
そうか。メルンはぬいぐるみとなった相手の魔法もある程度使うことができる。でたらめな詠唱で魔法を使っていたあいつの魔法が、文字列をめちゃくちゃにする魔法だった……のか。
そんなことがあってたまるものか。手が震え、下唇を噛み、もはや弄んでやる優しさも抱かず、身体能力に任せて鎌をメルンに向けて振り下ろす。アルファベータの基礎数値は通常の魔法少女とは比べ物にならない。新世代プリンセスとはそういうものだ。
しかしそれを止めたのはまたもやミントだった。彼女は体から木を生やし、それを装甲代わりに鎌の刃を受け止めると、強烈な回し蹴りで武器を弾き飛ばした。カランと音を立て転がる鎌を追いかける。シャッフリンの統括と補充の機能を使うにはあの鎌が必要だ。拾いあげようとして、飛来したゴム毬が当てられて遠くに行ってしまう。それでも追いかけて、とん、と何かで叩かれた。振り向こうにも動けない。横目でなんとか見えたのは、『一時停止』の道路標識だった。
そして時は既に遅い。キューティーミントはすかさず鎌を手にして、もう振りかぶっていた。
「……ッ!! ぁ、あぁっ! ああぁああっ!! わ、
切り落とされた片腕が宙を舞った。有り得ないことだ。こんなただの魔法少女に、凶悪な魔法のアイテムとシャッフリンのジョーカーを掛け合わせるという最新型であるはずのアルファベータが、ここまで追い詰められるなんて。放り出した絵本の偶然めくれたHのページに、塞がる傷、ヒール、といった回復用の言葉を書きなぐる。ペンを引き抜く余裕はなく、インク代わりに血を使う。とにかく傷が塞がりさえすれば、こんな、こんな連中には。
だが絵本までも奪われそうになり、なんとか死守して、ただただ逃げ出した。幸いナイフやジェット気流のページは生きている。追ってくる魔法少女には風に乗せたナイフをばら撒いて追いかけられないようにして、ただ走る。
「はぁっ、くそぉっ、この、こんな、こんなっ」
逃げて逃げて、開かれた分厚い鉄扉を見つけ、中に入った。そうだ、ここはプリンセスジュエル生産装置の部屋。重要な部屋だけにセキュリティも堅いはず。ここでゆっくり傷を癒して、後で必ずあの魔法少女どもは鋳潰してやる。キューティーミントもメルンも、プリンセスジュエルの材料としてやれば良質なものができるだろう。そうだ、それがいい。この部屋で待ち構えて、そのまま装置にかけてやる。
よろめきながらコントロールパネルに辿り着く。その時に勢いよく手をついたせいか、何かのボタンが押し込まれていた。リアクター個体の解放、交換用のボタン……だったか。いや、それはなんでもいい。ここからセキュリティの機能も使えたはずだ。とにかくこの部屋を閉じ、傷を塞ぐ。残った片腕で必死に血とペンで絵本の白紙に文字を書こうとする。
「はぁ、はぁっ……あってはならない、プリンセス・アルファベータが、
──そんな姿を、真っ黒な少女が覗き込んでいた。
「お姉さん、その絵本、イカしてマスね」
振り向いた。そこに立っていたのはなんとなく見覚えのある魔法少女。あぁ、そうだ、この装置の燃料タンク代わりに生きたまま繋いであった個体がこんな見た目だった、ような。確かに装置に繋がるであろう管が体から垂れ下がったままであり、赤い液体を垂らしている。
だがそんな奴に構っている暇はない。絵本に向き直り、続きを書こうとして、ひょいと、少女に奪われた。
「っ! 返しなさい! それはそこらの魔法少女が使えるようなものでは」
「お姉さん、名前、なんデシタっけ。プリンセス・アルファベータ? だから……『P』デスよね」
「だから返せと……!」
「? お姉さん勘違いしてマス。これ、ワタシの絵本デスよ」
魔法少女は宣言の通り、『P』のページを開く。そこには──アルファベータによく似た少女のイラストが。決まった運命は変えられない。訪れるまでに、呆然と読み上げるしかできなかった。
「……『Pはプリンセス・アルファベータ。プレス機でぺったんこ』……」
「よくできマシタ」
少女がアルファベータを蹴っ飛ばし、装置の中に放り込まれる。ここは『材料』を入れるための場所だ。そのまま装置が起動したらどうなるのかは、絵本が指し示した通り。ぱたりと閉じたカプセルの透明な壁を、必死で殴って蹴って壊そうとして、壊れない。半狂乱になりながらひたすら叩いて叩いて、壁が血塗れになって、それでもびくともしなかった。やがて駆動音が響き始める。
「やっ、やめ……ワタシがいなくなったら……オスク派の、魔法の国の損失ですよ!? シャッフリンの統括はどうするんですか! それに、それに、舞台には狂言回しがいなければッ……」
「もう決まってるんデスから、大人しくしてくだサイ」
迫り上がる機構がアルファベータの体を挟み込んだ。カプセルの外では、絵本を奪った少女がそれを無造作に捲っていて、もはやこちらに目を向けてすらいなかった。左右から迫る壁、カプセルごと押し潰されていく。ついに人が入っていられる形ではなくなった。両側から加えられる力のせいで全身の骨がめきめきと音を立てる。頭骨すら例外ではない。行き場を失った体液が噴き出し、組織が飛び出そうとした。もはや視界すら処理できない。潰れていく。全部。有り得ない。有り得ない──。
◇メルン・チック
今度は追う側となってアルファベータを探した。彼女は奥の奥まで逃げ込んでいて、何度も衝撃や轟音が響いているのを聴きながら、追いかけた。他の魔法少女の戦っているであろう横を抜けて、着いたのは分厚い扉の部屋。壊れて開きっぱなしになっていた。室内にまで続いていた血痕は、どうやらこの部屋に置いてある装置の操作盤にまで続いているらしい。
警戒は緩めずに、近づいた。何も無い。誰もいない。血が付着しているだけで、アルファベータの姿はどこにもない。
「一体なにが──」
呟いて歩き出そうとして、何かを蹴った。拾い上げたのは赤黒い宝石だった。そういえば──あいつの身につけていたコスチュームにこんな部位があったような。ティアラの中央がこうだった気がする。ミントと顔を合わせ、メルンは考えた。考えて、宝石を宙に放り投げ、仲間たちに一斉攻撃をさせる。魔法に毬に標識を食らった宝石は粉々に砕け散ってしまい、拾い集めることもできないくらい床に散らばった。
結晶が壊れる音は、とどめを刺すつもりだったメルンの不完全燃焼を少しだけ晴れさせてくれたらしい。
「……これで良かった?」
ぬいぐるみになった仲間たちは、返事をすることなんて二度とない。彼女らに向けた虚しい問いかけ。そのはずが、隣から声がした。
「その、メルンさん、ちょっとすっきりした顔、してます。普段より可愛らしいです。ので、良かったと、思います」
「……ふんっ!」
「ぁいたっ……! あ、あの、なぜ肩を殴って……?」
「余計なこと言うから!」
後悔も復讐も、ここにはもう何もない。残ったのはぬいぐるみ達と、癪だけど、頼れるヒロイン。仲間たちを連れて、メルンは装置の部屋を後にする。