◇姫河小雪
現身であるグリムハートと混ざりあったせいか、小雪の心の底には空間があった。精神の奥の世界に、オスクと共に同居させられているかのような感触でいる。
そんな心の奥底からずっと、『姫河小雪』は『スノーホワイト』が成すことの全てを見続けてきた。
自分の出した指示で魔法少女たちが無惨に殺されていくのを傍観した。
挑みかかってくる者には刃を向けた。それが正義を掲げた罪なき者だとしても、行く手を阻むことが悪なんだと切り捨てようとした。
魔王パムのことだって、プリンセス・ランタンを利用して死に至らしめた。
どれだけもがき苦しんで叫ぼうとしても『アークプリンセス』は止められなくて、小雪はずっと泣いていた。泣き虫で弱虫で、逃げ出したくて、逃げ場はなくて、心の奥底で蹲っているしかなかった。
それが変わったのは、ナイトの──大事な友達の声がしたからだ。
すぐ目の前には、君臨するスノーホワイトがいる。スノーホワイトはもうとっくに小雪の手からは離れてしまっている。その姿を使っているのは、流れ込んだオスクだ。オスクの精神は小雪をただの『重り』程度としか見ていない。同じ溶け込んだ自分だからわかる。その自分の中のオスクに、小雪は必死で掴みかかっていた。
「無駄だよ」
オスクに突きつけられる言葉。事実なんだろう。抵抗したって、ただの人間が三賢人の魂をどうにかできるわけがない。
それでも、だった。首筋が熱く痛む。現実の世界で、ナイトに貫かれた傷だ。その痛みが、想いが、小雪に抵抗する力をくれる。互いの手元が淡く光り、心の中で互いに
「悪い魔法少女を滅ぼすのはあなたの望み。私はそれを叶えてあげようとしているだけ」
「そんなの……いらない……! 私が欲しいのは……そんなことじゃないっ……!」
握った刃で斬り掛かる。柄を握られ止められても、歯を食いしばって、押し込もうと力を込める。届かない。動いてくれない。
「そんな私なら、もういらない」
オスクにあっさりと押し返された。弾き飛ばされて、転んで、擦りむいた。息を切らして顔を上げ、そこにはもう既にオスクが見下ろしている。いや、あれは、かつての賢人の魂であるだけじゃない。小雪の中にある消えてしまいたいなんて感情が、溢れだしている。そんなの、何度そう思ったことか。砕けそうなほどに奥歯を噛み締める。今はそれでもここにいたい、いなくちゃいけない。ナイトが命を捧げてまで、届けてくれた声なのだ。振り上げられた刃を前に、小雪はただ、拳を強く握り締め、己の脚を恨んだ。
その刃が振り下ろされる時、炎が迸る。剣が奔る。2つの光は甲高い金属音を鳴らし、オスクの振るう薙刀を弾き、彼女を後退させる。
「え──」
振り向く影がふたつ。心の中に差した光。奇跡としか言いようがない。いや──傷口から血が混ざり、プリンセス・ジュエルが反応した、のだろうか。推論を立てても変わらない。今はただ、目の前に立つ少女と、少年を見る。
「ごめんごめん、心ん中に土足で入っちゃって。颯太がどうしても、ってさ」
「ちょ、朱里ちゃん! それは言わない約束だろ」
「ふふーん、なんの事かなぁ。それより。言わなくていいの? あれ」
剣を携えた少年は照れくさそうにして、それからこちらに手を差し伸べて、目を合わせてはくれないけれど、告げた。
「助けに来たよ……小雪」
「っ……!!!」
強く、彼の手を取った。その温かさに震えながら、立ち上がった。そして朱里が拾い上げてくれた武器を受け取り、ぐっと両手に握り締める。
「心の中に他人が入り込んでくるなんて。でも、ただの雑音でしょう? 増えたところで……この体はもう
「嫌……スノーホワイトは! 渡さない……! 行こうっ、朱里ちゃん、そうちゃん……っ!」
駆け出したふたりが両側から仕掛けていく。朱里が振るう偃月刀からは炎が噴き出して、颯太の剣は自在にサイズを変幻させながら、時に朱里の盾となり、オスクの振るう刃にも対応していく。叩きつけるような振り下ろしを颯太が受け止めて、横から襲いかかった朱里の炎を避けようとしたその先、小雪が狙うのはそこだ。上方に振り上げたのを躱され、そのまま踏み込んで切りかかり、突く。逃げ回るオスク。その先には颯太の振り回す巨大な刃。刃には刃を当てて逸らそうにも質量で押され、さらに朱里と小雪が同時に突き入れて、後退を余儀なくする。弱まったところをさらに巨大化、質量を押し付け、その薙刀が震え始めたところ、朱里が放った斬撃から炎が飛び、足元を切り刻み、逃げ場を奪う。
そして駆けてきた颯太がオスクの両腕を押さえつけ、振り払おうと暴れられながら、こちらに叫ぶ。
「小雪っ!」
走り出した。自分自身、スノーホワイトと同じ顔をしたその存在に、刃を向ける。押し込む。刺し穿つ。捨てられない思いのために、描いていた理想のために。私が、私で居続けるために。
「っ……! そん、な……現身でありながら……私を、賢人の魂を……!」
「私は、私でいたいから」
ざくり。
小雪に胸元を貫かれ、オスクの姿がもがきながら萎んでいく。それでもなお小雪に向かって伸ばされた手を、朱里が払い除けた。その手は燃え、灰になっていくのを見届ける。心の中にずっとあった異物感が大きく弱まった。あれで、この世からオスクの魂は完全に消えたのか。自分ではまだ何もわからないが、少なくとも、スノーホワイトの体は小雪の意思で動くだろう。
消滅する敵を見送って、その末に、傍らにいてくれた2人を振り返った。とびきりの笑顔で、勝ったよ、なんて叫びたくて、息を深く吸い込んで。振り返った先では、口を開けた光の中へ、消え去ろうとする姿であった。
「っ……待っ、て、そんな」
そもそもここで彼女らと交流できたことだけでも奇跡なのだ。本来他人の干渉できない精神の奥底で、今際の際に共鳴することができただけ。
「嫌っ……行かない、で」
わかっていても、感情は片付けられなかった。むしろ散らかるばかりで、溢れだしてきて止まらない。
「私、私っ……ずっと! 一緒に、魔法少女、したかった! 朱里ちゃんと、そうちゃんと! 一緒に魔法少女でいたかった! それだけ、なのにっ……」
いつもそうだ。隣にいようとした人は、どこかに行ってしまう。小雪はいつも置いていかれる側だ。ずるい。私も連れて行ってほしい。なのに。
「なんだ。言えるじゃん。泣き虫だなー、小雪は」
朱里ちゃんはそんなふうに笑うのだ。彼女にも仲間がいた。それなのに私に付き合って、こんなところで、終わりまで行ってしまうなんて。苦しいに違いない。
「……あたしのことはいいんだよ。罪は全部、あたしが持っていく。だから、小雪は小雪でいてよ」
そしてその無理な笑顔を最後のきっかけにして、颯太の方が耐えられなくなったらしかった。
「っ……あのさ、小雪」
颯太の声は上擦っていた。泣いている。泣き顔なんていつぶりだろう。そもそも、彼と会えなくなってからもう何年も経っているんだった。彼は袖で涙を拭って、拳を突き出した。
「あの日、何も言えなかったけど。先に行って……ごめん。でも。未来を、魔法少女を、頼んだよ。スノーホワイト」
──託された。
光が強くなる。ふたりの姿が消えていく。追いかけても、止められない。ずっと、ずっと強くなった光は、大事な幼馴染み達のシルエットさえ見えなくして、次の瞬間には、目の前に広がっていたのは現実の世界だった。
己にかかる重みは、もたれかかったまま息絶えたプリンセス・ナイトのものだった。周囲は戦闘の、破壊の跡のまま。魔法少女たちは警戒した体勢で、まだ続くのならいつでも対応できるように構えている。空は青く、悲しいほどに、ずっと青い。
スノーホワイトはもう感情を押さえつけなかった。行ってしまった友達の、僅か少しだけ残った温もりをぎゅっと抱きしめて、声をあげて、泣いた。