曇り空の中山レース場に8人のウマ娘が姿を現す。G2弥生賞、皐月賞のトライアルレースの1つが始まろうとしていた。直前まで雨が降っていたが、現在はあがっている。
《各ウマ娘が入場してきました。最も注目されているのはやはり!1番のアグネスタキオンでしょう!ホープフルステークスで見せたレースはまさに圧巻、弥生賞は彼女の出走を聞いて取り止めた陣営もいるほどの強さを誇ります!クラシックの主役はもはや内定、今回はどのようなレースを見せてくれるのか!?》
「調子良さそうだな、アグネスタキオン!」
「問題は不良バ場だけど、アグネスタキオンなら問題ないでしょ!」
「頑張れー!」
最注目はアグネスタキオン。ホープフルステークスの6バ身差勝利は記憶に新しく、クラシックの本命候補に推されている。今回彼女がどんなレースを見せてくれるのかが弥生賞の見どころとなっていた。
対抗として挙げられるのはマンハッタンカフェ。トレーナーがシンボリルドルフとトウカイテイオーのトレーナーとして有名であり、もしアグネスタキオンが負けるなら彼女だろうと目されている。
件の2人はというと、調子良さそうにウォーミングアップをしていた。
(さて、今回の検証は
(……追いつきます、あの子に)
それぞれの思いを胸にゲートへと向かう。順調にゲートインは進んでいた。
《中山レース場、芝2000m、バ場の状態は直前の雨の影響もあり不良バ場と発表されています。果たしてどのようなペースで進むのか、ペースを握るのは誰になるのか?そして皐月賞への優先出走権を掴み取るのはどのウマ娘か!アグネスタキオンとマンハッタンカフェに注目が集まりますが、他のウマ娘も負けていません!》
《ただ、どうしてもアグネスタキオンに注目が集まりますね。ホープフルステークスの勝ちっぷりを考えると、彼女の人気も頷けます》
《そして今、最後のウマ娘がゲートに入りました。皐月賞のトライアルレース、弥生賞!かつては無敗の三冠、いえ無敗の四冠ウマ娘サクラバクシンオーも通った道。果たして制するのはどのウマ娘か!態勢整って──》
静寂に包まれる中山レース場の空気を切り裂いて、ゲートが開く音が鳴り響く。沸き上がる歓声、ウマ娘達の走る音が聞こえてくる。熾烈な位置取り争いが繰り広げられている。少しでも良いポジションにつけるため、思考を巡らせていた。
《スタートしました!弥生賞開幕です!まず先手を取るのはどのウマ娘か?飛び出したのはっ、ウカルディ!3番のウカルディがハナを奪いに行きます!》
弥生賞が始まった。
◇
第2コーナーを越えて向こう正面へと入るレース。ポジション争いも落ち着き、少人数ということもあってか隊列は縦長の展開を見せていた。
《向こう正面へ入ります弥生賞。先頭で走るのはウカルディ、ウカルディがペースを握ります!これはちょっと早めのペースか?バ場を考慮するとハイペースな展開となります弥生賞。2番手はウカルディから遅れること5バ身差でクピドズシュート、クピドズシュート2番手。その3バ身後ろの位置に1番人気アグネスタキオンが控えています!》
《アグネスタキオンは3番手。い~い位置につけてますね。焦りも見えません、好調そうです》
《アグネスタキオンに並ぶようにサコッシュ、サコッシュ4番手。サコッシュからはさらに離れます、かなりばらけた8人のウマ娘!後方集団の先頭、5番手はマンハッタンカフェ、マンハッタンカフェだ!アイアムクイーン、アクアスプリング、アンバーシュシュと続きます!ばらけたバ群、ポジション争いは落ち着いています》
3番手でレースを進めるアグネスタキオンはレースを俯瞰する。
(雨の影響で地面がぬかるんでいる……通常よりもパワーを使うねぇ。厄介なことこの上ない。ただまぁ、私が見据えている凱旋門賞はこれの比じゃない。そう考えると、今日ここで体験できたというのは僥倖か)
レースの展開を読みつつ、バ場の状況についても思考を巡らす。正直重いバ場が得意というわけではないが、今後を見据えるなら慣れておいた方がいいと結論づけ前を見る。少し先には2番手のウマ娘が、そのさらに先にハナでレースを進めるウカルディが走っている。
(……さて、検証すべきは第4コーナー。後続がどう差を詰めてくるかだが……まだ動く様子はない)
後方で走るウマ娘の警戒も怠らない。アグネスタキオンをマークするようにサコッシュが動くが意に介さない。問題ないとばかりに2番手を5バ身差で追走する。
(このハイペースなら、遅かれ早かれ落ちてくるだろう。彼女達のスタミナは織り込み済み、なんら問題はない)
ペースを崩さない。悠々といった様子でついていく。アグネスタキオンは冷静にレースを展開していた。
そして、ついにその時が来る。第3コーナーへと入り、第4コーナーへと向かうこの瞬間、アグネスタキオンが動く。
「──さぁ、検証を
5バ身ついていた2番手との差を縮める。前を走るクピドズシュートとの差がグングン縮まり、ウカルディとの差もなくなる。中山レース場からはさらに歓声が沸き上がった。
《第3コーナーを走るウマ娘、ここでアグネスタキオンが動きます!アグネスタキオンがクピドズシュートとの差を詰めていく!グングンと差を詰めるぞアグネスタキオン!必死に逃げるクピドズシュート、そしてウカルディ!まもなく第4コーナー、アグネスタキオンが先頭との差を縮めます!》
《ここで動きましたね!さぁ前の2人は逃げ切れるでしょうか?》
《アグネスタキオンが動いたのを見て後続も動く!いや、マンハッタンカフェだけは先に動いていた!マンハッタンカフェが5番手に浮上、4番手サコッシュを抜き去ろうとしている!ここで第4コーナーへと入りましたウカルディを先頭にした3人!アグネスタキオンが大外へと持ち出したぁ!》
大歓声が支配する中山レース場。アグネスタキオンが大外、内にウカルディ、真ん中にクピドズシュートと横並びになる。が、それも一瞬のこと。
「お先に失礼させてもらうよ」
「なっ!?」
「む、むり~!」
最後の直線を向く頃にはアグネスタキオンが1人抜け出す。後ろからはサコッシュも抜いたマンハッタンカフェが猛然と追い上げてきていた。
「……逃がしません!あの子に、追いつくためにもッ!」
アグネスタキオンが通ったルートを使い、外から追い上げてくるマンハッタンカフェ。しかし、すでにアグネスタキオンの視界には映っていなかった。
「──実証、開始」
力をさらに込める。周りの景色が加速する。一歩、一歩踏みしめる度に速くなるような感覚を覚える。
(まだだッ!)
思考を極限まで集中させる。無駄な思考をそぎ落とし、ただ速く走るという一点のみにイメージを集中。他には何もいらない、ただ1つの物事に集中力を費やす。
──瞬間、アグネスタキオンの思考はクリアになる。自分以外のものが真っ白に見え、世界に自分1人だけが走っているようなイメージ。この感覚には覚えがあった。
(領域……ここまでは順調だ)
領域に至り、アグネスタキオンはさらに求める。
(さぁ見せろ……可能性の果て、私が至るその先の景色をッ!)
彼女は幻視する。自分の前を走る、もう1人の自分を。未来の自分が到達しうるであろう領域、限界の果てへと至るであろう自分のイメージを。
凄まじい速さ、まさしくウマ娘が出せる限界速度の果てと思わせるようなスピード。アレに追いつくことこそが自分の目的。そう思うが──刹那。
もう1人の自分は闇に飲まれて消えた。不可思議な闇としか言いようがないものへと突っ込み、姿は虚空へと消え去る。まるで最初から存在しなかったように。
(……そういうことか)
アグネスタキオンは笑みを零す。瞬間、彼女の意識は急遽現実へと引き戻された。
《──オン!アグネスタキオンだ!アグネスタキオンが弥生賞も圧勝!後続を寄せつけない圧倒的強さ、これがアグネスタキオンだ!2着のマンハッタンカフェに3バ身差をつける快勝劇!皐月賞に向けて視界は良好、アグネスタキオンが弥生賞を制しました!》
《やはり彼女は凄いですね!ですが、そんな彼女に追いすがったマンハッタンカフェもまたお見事!皐月賞に出走するのかどうか、それが気になるところです》
気づけば自分の身体はゴールを通過していたようだ。そう認識したアグネスタキオンは、己の脚を撫でながら先程の光景に思いを馳せる。
(ふぅン、あの闇の正体についてはどことなく察しはついている)
「
足に痛みはない。むしろもっと走らせろと主張してくるようだ。気分は高揚し、先程の景色を思い出す。
(先が見えないということは、私の未来はまだ確定してないのだということ。途中で消えたということは、まぁそういうことだろう)
「クックック……面白いじゃあないか!」
アグネスタキオンは笑う。未来が見えないという不安に、己の未来は破滅一色ではないということに歓喜する。
「ここからどうなるかはまさしく私の選択次第ということか!そいつは面白い……あぁ、凄く愉快だ!そうでなくては面白くない!」
「……」
そんな彼女の様子をマンハッタンカフェが呆れた目で見る。本来ならタキオンを労おうと近づいたカフェだが、狂ったように笑うタキオンを見て引いていた。
「さて、まず私はなにをすべきか。いつも通り実験をするのは確定だ。トレーナー君には是非とも手伝ってもらわなければ。あぁ、領域についても検証を進めなければいけないね。実戦投入は初だ、身体に問題がないとも限らない。アイシングは念入りにすべきだろう。まぁトレーナー君がやるから「レース終わりなのに、テンションが高い……」お~や~?カフェじゃないか!お疲れ様だねぇ!」
「……お疲れ様、です。何故、レース後なのにテンションが高いのですか」
カフェの質問にタキオンは愚問とばかりに答える。
「当然だ!未知の事象が見えたんだぞ?テンションが上がって然るべきだろう!私はこれから先の私が楽しみで仕方がないよ!」
「……そうですか」
「ただ、残念だ。君の検証を蔑ろにしてしまった……!仕方がないので今度実験で「しません、飲みません」まだ何も言ってないんだがねぇ!まぁいい、とっとと戻ってレポートにまとめなければ!」
アグネスタキオンは破天荒に去っていく。周りのウマ娘は呆然と見ているだけだった。
「……本当に、変な人。でも、お友だちに、追いつきそうにっ!」
マンハッタンカフェは拳を強く握りしめる。次こそはアグネスタキオンに勝つ、そう誓い、レース場を去っていった。
アグネスタキオンテンションMAX。