皐月賞は向こう正面半分を過ぎる。レースはエフェメロンが先頭でレースを引っ張る展開。ペースとしては速めだ。
《1000mの通過タイムは58秒5!58秒5と速いペースで流れています!先頭でレースを引っ張るのはエフェメロン、競り合うようにクライネキステ!半バ身遅れて3番手にサコッシュ、サコッシュが続きます!1番人気アグネスタキオンは現在5番手でレースを展開、その1バ身後ろにはジャングルポケットが控えています!》
《ジャングルポケットはアグネスタキオンをマークしていますね。ホープフルステークスでの雪辱を果たしたいところ》
《少し離れた8番手の位置にアクアスプリング、アレスタント、そしてダンツフレームと続きます。最後方は3人が控えています、それ以外は固まったバ群。まもなく第3コーナーのカーブを迎える局面、ここで動く子は出てくるのか?》
中山の直線は短い。第3コーナーが近づくにつれて、前に追いつけるようにとウマ娘達は差を詰めてくる。なにより、誰もがアグネスタキオンを警戒していた。
(タキオンを自由にさせたら不味い!)
それがレースに出走しているウマ娘達の共通認識である。
肝心のアグネスタキオンはというと、前から5番手の位置、しかも抜け出しやすい外目をキープ。多少のロスは織り込んでいるような位置取りだった。
(ペースは速め、しかし私の脚はさほど消耗していない……)
最後の直線に向けて脚は溜めてある。第3コーナーを回りながらアグネスタキオンはそう考えていた。ただ、気になることはある。それがレースの序盤からタキオンをマークするように走っているジャングルポケットの存在である。
(私の動き出しに即座に合わせられるよう半バ身程の位置をキープしている、か。考えたものだねぇ)
ジャングルポケットの末脚は目を見張るものがある。前の位置では少し脚色が鈍るかもしれないが、それでも十分な力を発揮できるだろう。そう分析した。
そして迎えた第3コーナー。
(……動くとするか)
それにつられるのはジャングルポケットを始めとした後続。アグネスタキオンを追いかけるようにこちらも前へと出た。
《第3コーナーのカーブに入ります、先頭は依然としてエフェメロン!しかしここでアグネス動いた!アグネスタキオンがじわりじわりと追い上げてきます!サコッシュはどうだ?サコッシュはまだ動かない!アグネスタキオンが進出を開始する!バ群はさらに固まります、レースが動いたぞ皐月賞!最初に抜け出すのはどのウマ娘か!》
エフェメロンが抜かせないようにとペースを上げる。追従するようにクライネキステ、サコッシュはまだ動かず4番手で走っていたアライブカリンが3番手に浮上。アグネスタキオンは外を回るように走っており、その後ろにジャングルポケットがつけていた。また、中団からはダンツフレームが早めの動き出しを見せる。
(切るのは最後の直線でいいだろう。十分に躱せる)
自分の領域を切る位置を決めるアグネスタキオン。第3コーナーと第4コーナーの中間、バ群はさらに一塊になっていた。
アグネスタキオンの後ろを追走するジャングルポケット。
(へっ、この位置からなら十分に躱せる!)
「もう負けねぇぞタキオン……俺が勝ってやる!」
アグネスタキオンに並ぶように動き始める。だが、ジャングルポケットだけじゃない。
(わたしも、わたしだって!)
ダンツフレームもすぐ後ろまできていた。第4コーナーのカーブを超えて最後の直線を迎えようとするタイミング。アグネスタキオンはバ群の真ん中の位置、ジャングルポケットは大外、ダンツフレームは2人の間を陣取る。
《第4コーナーを抜けて最後の直線へ!固まったバ群が最後の直線へと入ります!さぁ~誰が一番最初に抜け出すことになるか!ジャングルとアグネスの一騎打ちになるのか!?先頭エフェメロン懸命に粘る粘る!しかし差はもうない!》
《最後の勝負!中山の直線は短いですよ!》
会場のボルテージも上がる、そんな時だった。
「──実験と行こうかっ」
アグネスタキオンはそう呟き、一気にギアを上げた。同時に、会場の空気が一変する。
見物していたウマ娘達は背筋に冷たいものを感じる。先程まで熱のこもった応援をしていたファンも、声を上げることすら忘れてその景色に釘付けになる。
最後の直線。飛び出したのは──アグネスタキオン。彼女がいの一番に抜け出し、気づけば先頭を走っていた。ただ真っ直ぐに、狂気すら感じさせるような瞳で先頭を駆ける。
(さぁ、君達はどこまで立ち向かえる!?)
アグネスタキオンの胸にあるのは期待。自分という存在相手に、皐月賞に出走しているウマ娘達はどこまで立ち向かえるのか?どこまで自分を阻んでくれるのか?そして──自分はどこまで速くなれるのか?そんな感情が支配していた。
この局面において、アグネスタキオンは笑みを見せる。観客はその笑みに……狂気のような何かを感じた。
ジャングルポケットは驚愕に目を見開く。今自分が走っていることさえも忘れて、目の前の光景に釘付けになる。
(……おい、どうなってやがんだ?)
懸命に脚を前に出す。気づいたらダンツフレームがすぐ隣まで上がってきていた。チラリと表情が見えたが、彼女の表情もまた驚きに染まっていた。おそらく、他のウマ娘もそうだろう。
彼女達の目の前にはアグネスタキオンがいる。いるが……その姿は、あまりにも眩しかった。
圧倒的な速さ。自分達は一生懸命に脚を動かしているのに、目の前を走る
「クソ……クソぉっ!」
まだ200mある。それだけあれば追いつくどころか追い越せる。ジャングルポケットはそう信じて脚を動かすが──その考えに反するように、脚色は鈍る。
隣を走るダンツフレームと競い合う。彼女だけではなく、他のウマ娘も負けじと競り合っている。それでも。
《アグネス速い!アグネス速い!アグネスタキオンが早々に抜け出した残り200m!その差を広げようとしているアグネスタキオン!エフェメロンは後退していく!ここでジャングルポケットが2番手に浮上、すぐにダンツフレームも追い上げてきている!前を走るアグネスタキオンに追いつくことができるか!?》
自分達の眼前にいる光は、あまりにも速く眩しかった。
「ハァ……ハァ……ッ!クソ、クソッ!」
懸命に脚を前に出す。脚色が鈍っていようが関係ない。負けるのが嫌だから脚を動かす。自分が目指す最強になるために、皐月賞を勝つためにとジャングルポケットは必死になる。
しかし──現実は残酷だ。
《ジャングルポケット追いつけない!ダンツフレームもこれはもう厳しいか!?アグネスタキオンがあまりにも速すぎる!アグネスタキオン独走独走!ただ1人、桁違いの末脚を披露している!やはり彼女が強かった!》
ジャングルポケットの心が、絶望に染まる。
(俺とアイツで、こんなにも差があるのかよ……っ)
自分も努力を重ねてきた。次は負けないようにと頑張ってきた。勿論アグネスタキオンが努力を重ねてないとは思わなかったが、それでも自分は彼女を超えるような努力をしてきた。そう確信していた。
どれだけ甘い考えだったか、この最後の直線だけで分からされた。圧倒的な光の前に、ジャングルポケット達の輝きはくすむ。
気づけば戻っていた大歓声。ファンは勝利を確信する。
《アグネス大丈夫!アグネス大丈夫!アグネスタキオン先頭ゴォォォルイン!アグネスタキオンまずは1冠!アグネスタキオンが圧倒的な速さで皐月賞を制しました!》
《いやはや……これは凄い!もう、本当に速かったですね!それしか言えませんよ!》
《2着はダンツフレーム!3着にジャングルポケット!そして──走破タイム1:58:0!皐月賞のレコードを更新しましたアグネスタキオン!当然と言わんばかりのレコード勝ち!彼女の今後のレースが非常に楽しみです!》
皐月賞を制したのは、アグネスタキオンだった。
祝福の言葉を贈るファン。その中でジャングルポケットと親しいメイ達は残念がり、彼女のトレーナーは……恐怖する。
「なんという……強さじゃ」
これほどまでに差が開いているとは思わなかった。アグネスタキオンという圧倒的な光に、思わず慄く。それはフジキセキも同じだった。
「……ポッケ」
膝をついているジャングルポケットを見据え、心配するように呟いたその言葉は、歓声の中に消えた。
ゴールし、息を荒げて膝をつくジャングルポケット。
「ハァ……ハァ……ッ」
近くにはダンツフレームもいる。彼女と一緒に、自分達よりも先にゴールをしたアグネスタキオンを見て──最後の直線を思い出す。
(ンだよ……あの速さはよっ!?)
アグネスタキオンのスピードを見せつけられた。彼女の実力を目の当たりにした。そして刻まれた……自分達は一生追いつけないのではないか?という感情を。
そんな光景を見たジャングルポケット達が抱いたのは
(俺はこの先……アイツに勝てんのか?)
アグネスタキオンという光に対する、怖れだった。
◇
……ふぅン。実験の結果としては上々だ。皐月賞のレコードを更新することができたのだからねぇ。
(従来のレコードは委員長君とブライアン君の記録がタイ、だったかな?それを更新する形になったのはまぁいいだろう)
目に見える形で速さを証明した。そのこと自体に文句はない。
勝負服の袖で口元を覆いながら、一緒に走ったモルモット達を見据える。誰も彼もが私に対して恐怖の感情を抱いているのが見てとれるねぇ。それは──ポッケ君やダンツ君も例外じゃない。
あぁ、そうか。
(
「まぁいい。それならそれでやりようはあるわけだからねぇ」
今回の実験は成功に終わった。だが、私の実験はまだ終わっていない……これから先、もっともっと速くならなければ。
ただ、このレースをもって決定した。
「さぁて、そうと決まればトレーナー君に言わなければならない。メディアの対応は面倒だが、これも実験のためだ」
踵を返してターフを去る。
◇
レースはアグネスタキオンの勝利で終わった。それも、レコードを更新する形で。
「おぉ!私のタイムを更新するとはッ!流石はタキオンさんですねッ!」
「……相変わらず、とんでもない子を育てるね聖君」
「頑張ってますので」
ヒクついた顔をしている天城さんに返事をしながら、今後のことについて考える。アグネスタキオンの表情は……何とも言えないね。ただちょっと、ジャングルポケット達を見て残念がっているようにも見えるかな?
まぁ、十中八九面倒なことになるだろう。嫌だけどそう確信している。
「浮かない表情だな、トレーナー。タキオンの勝利が嬉しくないのか?」
「勿論嬉しいよドゥラメンテ。ただ……今後のことを考えるとちょっと気が滅入るだけ」
「え?何かあるんですか?」
不思議そうな顔をするホッコータルマエ。みんなはあまりピンと来てないようだ。
(これは僕とアグネスタキオンのことだし、教えてないから知らないか)
「メディアの対応でちょっと、ね。色々と報告することができたから」
「……なんだろう、頑張ってね、聖君」
〈ガンバレガンバレ!〉
天城さんとお友だちさんから応援の言葉を貰う。ちょっとは気が楽になったかな。いや、どちらかというと申し訳なさの方が来るな。メディアが悪いというよりは、こっちが悪いんだから。
控室にアグネスタキオンを労いに行く。
「トレーナー君、私は決めたよ。君ならば……察しがついてるだろう?」
「まぁね。何となくだけど」
アグネスタキオンと答え合わせをする。僕が感じたことをそのまま伝え、その結果君ならこうするんじゃないか?と自分の考えを伝えると、アグネスタキオンは満足げな表情を浮かべて。
「では、その通りに頼むよ。私の付き添いは必要かい?」
「いいよ。僕の方から説明しておく」
「なんだか悪いねぇ。なら、この薬を君に!」
「それは後日ね」
やることが決まった。
◇
後日、世間に衝撃のニュースが走った。
【アグネスタキオン日本ダービー出走回避!?】
早く3回目観に行きたい。