アグネスタキオンの海外挑戦は大きな反響を呼んでいた。
「おい、聞いたか?アグネスタキオンの次走!」
「聞いた聞いた!まさか海外挑戦なんてね~」
「まさか過ぎて全然頭になかったよ。相変わらず予想のつかないことするよな~」
日本ダービーの出走回避で愕然としていたファンだが、まさかの次走に目を見開く。出走回避のことなど頭から吹っ飛びそうなほどだった。
「ダービーに出ないのは残念だけど、海外に行くなら納得いくかも」
「いや~どうだ?日程に余裕はあるんだし、ダービーに出てもいいと思うんだけどなぁ」
「皐月賞の勝ちっぷりを見ると、ダービーも確実だったしな」
会見から数日が経つと、改めてアグネスタキオンの出走回避について議論されるようになった。賛否が綺麗に分かれており、日程に余裕があるんだから出走しても問題はないんじゃないか?という意見が上がるようになる。議論は白熱し、番組では必ず触れられるほど。様々な著名人が言及するほどの事態になっている。
普通のレースだったなら、ここまでにはならなかっただろう。だが、日本ダービーともなると話が変わってくる。ダービーを制することは最高の栄誉とまで呼ばれ、ウマ娘ならば誰もが憧れるようなレースだ。そんなレースを出走回避するなら、なにかしらの理由があるのではないか?と勘繰るのも仕方ない。
「アグネスタキオンに怪我はありません」
一応、彼女のトレーナーである高村聖は怪我はないと公表したものの、それでも気にはなるだろう。理由が、アグネスタキオンが出走を望まないから、と述べているが裏の理由があるのではないか?と噂されるようになった。もっとも、最終的には。
「まぁあのサクラバクシンオーのトレーナーだし……多分嘘じゃないでしょ」
「ゆーてあの人、ウマ娘の要望をちゃんと聞く人だしね」
「ちゃんと聞いた上で勝たせるんだからすげぇよな、高村トレーナーって」
高村トレーナーがやってきたことを思い出し、嘘ではないし裏もないだろうと判断されることになる。
大きな波紋を呼んだ一連の騒動。今もまだアグネスタキオンの日本ダービー出走を望む声が多数上がっている。それだけ彼女の走りに魅せられたファンが多いという証拠でもあった。
だが、そんな状況をよく思わない者も一定数いる。
「もう一本だ!こんなんじゃ全然足りねぇ、
「ポッケ、いくら何でも走り過ぎだよ。少しは休憩しないと」
「止めないでくださいフジさん!今は、走ってねぇと落ち着かねぇンす!」
ジャングルポケットも、その1人だった。
◇
ジャングルポケットは苛立ちを隠せない。理由はきっと、アグネスタキオンが関係しているだろう。
(ニュースでは連日のようにアイツのことが話題に上がる。ダービーに出てたら、今からでも出れるならってよ!)
がむしゃらに走る。頭を空っぽにするためにただ走る。世間が注目しているアグネスタキオンという存在を振り切るために走る。
アグネスタキオンが注目される理由は分かっている。皐月賞での走りはそれだけ衝撃的だったし、なによりジャングルポケット自身見せつけられたのだ。彼女の圧倒的なまでの速さを。日本ダービーへの出走を望む声も、一定理解している。
しかし、脳裏によぎるのはアグネスタキオンとのやり取り。彼女は、利益がないからと日本ダービーの出走を拒否した。
(意味分かんねぇ……!マジで意味分かんねぇ!本当に意味分かんねぇ!けど、それ以上に……!)
「俺自身が不甲斐なくて、仕方ねぇ……!」
そして、その理由に自分が関与していることも。ジャングルポケットは深く理解していた。
(皐月賞でタキオンの走りを恐れた。勝てねぇって思っちまった。そう思っちまった自分が、情けねぇ!)
彼女の日本ダービー出走回避は自分も関与している、無関係ではない。結局は自分の不甲斐なさが招いたことであると理解していた。
それでも苛立ちは収まらない。アグネスタキオンの物言いを思い出し、士気を無理矢理上げる。
「見てろよタキオンッ!俺が日本ダービーを勝ってやる!勝って、またテメーに挑んでやる!俺は、諦めねぇぞ!」
ジャングルポケットは練習に打ち込む。次のレースで勝つために。
そんな彼女を、トレーナーもフジキセキも心配していた。
「……タイムは悪くないんだけどね。むしろ、どんどん良くなってる。だけど」
「あぁ。今のままじゃイカンな」
アグネスタキオンのところへ乗り込んで以来、練習の量がどんどん増えている。加えて、なにかに憑りつかれたように走っている。痛ましくも見えるその姿に、苦虫を嚙み潰した表情を浮かべる2人。
黙ってみていたわけじゃない。忠告もしたし、休むようにも言った。それでも彼女は止まらない。2人に黙って自主トレをするなどして、少しでも身体を動かそうとしている。
(黙って自主トレをするぐらいなら、わしらの監視下でトレーニングしてもらった方がはるかにマシじゃ。しかし)
「早急に手を打たねばなるまいて」
「何か策があるの?トレーナー」
「なんとかするのがトレーナーじゃ」
フジキセキの言葉にそう返すトレーナー。ジャングルポケットに効く言葉があるわけじゃない、でも動くのがトレーナーだ。トレーナーは、覚悟を決める。
学園の外へランニングをしに行くジャングルポケット。
「ハァ……ハァ……ッ」
ただ、連日の無茶なトレーニングの影響か早々に疲れる。休憩のために、川の土手に寝っ転がることにした。
夕焼けの空、綺麗なあかね色。いつものメンタルならばもう少しマシに見えただろう。
しかし、ジャングルポケットの頭に浮かぶのは──アグネスタキオンからの言葉。
(私に対して勝てないと思っている相手と走って、私に何の得がある?時間の無駄だ、か)
何も言い返せなかった。事実、皐月賞で抱いてしまったのだから。だからこそ、アグネスタキオンの言葉に、反論することができなかった。
苛立ちは募る。自分の不甲斐なさに腹が立つ。やり場のない怒りが頭を支配する。どうすることもできない、どうやっても発散できない。だから、声を出して少しでも和らげる。
「畜生……チクショオッ!」
「荒れてるのう、ポッケ」
「ッ!?」
ジャングルポケットを覗き込む人影。思わず驚いて飛びのいた。正体は、彼女のトレーナーである。
トレーナーの表情を窺い、バツが悪そうに視線を逸らすジャングルポケット。
(やっぱ、怒られんのかな?)
練習の量を増やしていること、散々止められているのに無茶をしていること。さすがに看過できないレベルまで来たのかと怯える。しかし、トレーナーは叱るわけではなく。
「隣、座るぞ、ポッケ」
「はっ?あ、あぁ……まぁ、いいけど」
よっこらしょと彼女の隣に腰を下ろした。怒られると思っていたジャングルポケットは呆ける。ただ、気まずいので会話をすることができない。無言の時間が支配する中、川の冷たい風が2人を撫でた。
先に沈黙を破ったのは、トレーナーの方だった。
「アグネスタキオンになにを言われた?」
「えっ?」
「シマから報告があってな。お前がアグネスタキオンのところにカチコミをかけたと。それからじゃ、お前の様子がおかしくなったのは」
「……」
「ま~皐月賞が終わってから様子はおかしかったがな」
「ウッセ」
拗ねるように返すが、これ以上心配をかけるわけにはいかない。そう思ったジャングルポケットは語り出す。あの日、旧理科準備室でアグネスタキオンに言われたことを。自分がアグネスタキオンに怯えていることは伏せて、ありのままを語った。
「……俺が不甲斐ないせいで、アイツは日本ダービーの出走を止めちまった。俺がもうちょっとマシな走りができたなら、アイツはきっとダービーに出てたってのによ」
「そうか。アグネスタキオンは、利益がないからダービーに出走しないと。そう言っていたわけじゃな?」
「あぁ。それに、皐月賞のアイツは本気じゃなかったんだ。領域の20%の出力しか発揮してなくて、俺はそんな相手に負けて……悔しくて……ッ!」
悔しさから身体を震わせる。タキオンとの会話を思い出し、拳を強く握りしめる。
息を吐くトレーナー。ジャングルポケットの思いを聞いて、納得した。
(確かに、悔しいじゃろうな。ライバルと思っていた相手からお前はもうライバルではない、と言われたようなものじゃからな)
加えて、ジャングルポケット自身がそのことを理解している。確かに練習に打ち込みたくもなるだろう。二度と同じような思いをしないためにも、同じ高みへと至るためにも、多少の無茶はするだろう。全てはアグネスタキオンというウマ娘に追いつくために。
気持ちは理解する。しかし、トレーナーとしては止めなければならない。
(怪我をして、全てを棒に振る……そんなことになってからでは遅い)
「ポッケ。アグネスタキオンが言ってたのは、それだけか?」
「へ?え、え~っと……多分、こんだけ」
要領を得ないトレーナーの言葉に困惑するジャングルポケット。トレーナーは、再度同じことを尋ねる。
「本当か?本当にそれだけじゃったか?」
「な、なんだよトレーナー。それ以外のことは……あっ」
ふと、なにかを思い出す。それは、余力を残していると告げられた後の言葉だ。
「怪我だけはすんなって、そう言われた。怪我はこえぇからって」
あの時だけは、本気で心配するような声色だったことを思い出す。気のせいかもしれないが、不思議とそう感じた。
「……そうか。ではポッケよ、今お前がやっていることは?」
気まずさから視線を逸らす。痛いところを突かれたとバツが悪そうにする。
「お前のアグネスタキオンに追いつきたいという気持ちは理解する。しかし、怪我で全てを棒に振ってしまったら本当におしまいじゃぞ」
「……」
「怪我をしたら復帰するのにも時間がかかる。その間に、アグネスタキオンがターフを去る……そんな可能性だってあるわけじゃからな。追いつきたいがゆえに無茶をする……決して褒められたことではない」
トレーナーの本気で心配する気持ちが、ジャングルポケットに伝わる。自分がやってはいけないことをしたのだと、トレーナー達を心配させてしまったことを改めて反省する。
「お前に怪我をしてほしくない。無茶なトレーニングはこれっきりにしてくれ」
「……ごめん、トレーナー」
頭を下げ、謝るポケットに満足げに頷くトレーナー。ポンと彼女の頭に手を置き、彼女を安心させる。
「それに、お前は強いウマ娘じゃ。他ならない、お前を育てたワシが言うんじゃ。間違いない」
「……えっ?」
「そうじゃろう?お前は皐月賞でアグネスタキオンの強さを見た、速さを体感した。それでもなお、お前は彼女に噛みつきターフへ向かおうとしておる。そのメンタルは……間違いなくお前の長所じゃ」
優しい声色で言い聞かせるように語る。負けていない部分を、長所を。これから先も大事にしてほしいことを。
「ポッケ、その悔しさを忘れるな。負けても尚立ち上がり、挑み続けるんじゃ。最悪、負けた原因をワシのせいにしても構わん」
「いや、さすがにそんなことしねぇけど」
「ウマ娘がウマ娘なら、トレーナーもトレーナーじゃからのう……アグネスタキオンのとこは。それはまぁいい」
手を離し、ジャングルポケットが顔を上げる。その目にもう淀みはなかった。肩の力も抜け、問題ないとばかりに立っている。
向き合い、誓い合う。
「ダービーを獲るぞ、ポッケ。そして、アグネスタキオンを後悔させてやれ──お前が見放したウマ娘は、これだけ強いということを見せつけてやるんじゃ!」
「上等ッ!トレーナーをダービートレーナーにしてやるよ!」
2人は笑い合う。ダービーを本気で獲ると誓う。お互いに拳を突き出し、合わせる。ダービー制覇という目標に向かって、突き進む。
◇
この一件以降、ジャングルポケットは無茶なトレーニングを止めた。
「おっしゃあああ!見てろよタキオン!俺がダービーを勝って、後悔させてやるからな~!」
……まぁ、タキオンを意識しているのは変わらずだが。
「ポッケ、大丈夫そうだね。何て声をかけたの?」
「特別なことはなんも言っとらん。ありのままの言葉を伝えただけじゃ」
「ふ~ん?」
ニヤニヤとした顔でトレーナーを見るフジキセキ。そんな視線を無視してジャングルポケットに檄を飛ばす。
「良いタイムじゃポッケ!けど、お前ならまだいけるじゃろ!」
「とーぜん!まだまだ行けるぜトレーナー!」
ダービーに向けて新たなスタートを切ったジャングルポケットだった。
大丈夫かもしれないポッケ陣営。