凱旋門賞はフォルスストレートを迎える。
《集団はフォルスストレートに入りました。先頭6人と残りのウマ娘達の間が1バ身から2バ身程開いているでしょうか?最後の直線に向けて脚を溜めている段階です》
《特にこのバ場ですからね。早仕掛けをして足を消耗するのは避けたい事態です》
《さぁ先頭を走るのは依然としてリッペンシティフト、そしてホーホドリュックですがっ!すぐ外にはアグネスタキオンが控えています!アグネスタキオンが3番手に浮上!アクアアンバーが4番手、その内にヘルモンが追走する形!サリーブは先頭集団の最後尾6番手につけています!》
《サリーブも外の良い位置につけていますね》
落ち着いたレース展開のように見えるが、ウマ娘達の間で腹の探り合いが続いている。
(いつどこで仕掛ける?)
(相手よりも早く仕掛けないと勝てない。けど、下手したら自滅)
(まだ様子見……決められた地点までは我慢我慢!)
お互いにけん制し合い、動き出しを注意深く観察している。その中でも熾烈な争いを繰り広げているのが──アグネスタキオンとサリーブだ。
(最早内に入ることは見込めない。だとすればどう封じるかだ)
(タキオンの動き出しに合わせる形で動く……んじゃ遅い。彼女よりも早く動かないと)
(おそらくだがサリーブ君は最後の直線で動くだろう……いや、さらに前で動く可能性も捨てきれない)
(ニエル賞や日本のレースを見る限りでは最後の直線で動くはず……本当にそう?)
2人はすでにお互いだけを標的に定めている。コイツに勝てば凱旋門賞を勝てると確信するほどだ。それだけ実力を認めており、油断ならない相手だと警戒している。一挙手一投足を観察し、それでいて未来を予測するかのように思考を巡らせる。その分スタミナの消耗も激しいが、2人には関係なかった。
(……ダメだね。最早封じ込めるなどという楽観的な考えは捨てよう)
(どこで動き出そうが関係ない。結局はシンプル・イズ・ザ・ベスト。そう)
次はどんな手を打ってくる?誰を利用する?どこで動く?どこで仕掛ける?考えて考えて……2人は
((彼女よりも速く駆け抜ければいいッ!))
スピードの証明──重バ場となったロンシャンを誰よりも速く駆け抜ければいいと、そう結論づける。まもなくフォルスストレートが終わり、最後の直線を迎える。栄光を手にするのは誰か?ファンは応援の声を上げながら観戦していた。
◇
もうすぐフォルスストレートを超える。超えたら……最後の直線だ。
(色々と考えを巡らせたが、答えは
コーナーを曲がってからサリーブ君とずっと攻防を続けていた。隙を見せて誘ったり、彼女の進路を誘導しようとしたり。もっとも、一度も引っかからなかったがね。勿論向こうも私に対して仕掛ける素振りを見せた。答えを知っているわけじゃないが……時折驚くように、苦虫を嚙み潰したような表情を浮かべてたことから、彼女の思い通りにはならなかったのだろう。
そんな攻防もつかの間。気づけばもうすぐ最後の戦いが始まる。
(最後の直線で動く……そんな考えは捨てた方がいい。今この瞬間、勝つためにはどこで仕掛けるのがベストか?)
入口が来る、最後の直線へと入る入口。あぁそうだ。このタイミングこそがッ!
「ベストだろう!」
最後の直線で動く、なんて遅すぎる。このタイミングこそが最高のタイミングだ!そう思ったのは、どうやら私だけではないようで。
「『やっぱり君もここで動くんだね!』」
「『行かせはするか!』」
サリーブ君にヘルモン君も同時に動いた。あぁ、彼女らもここで押し切り体勢に入ることを選んだか!
「『実験の始まりだ!未知なる世界への扉を……開かせたまえ!』」
私とサリーブ君、少し遅れてヘルモン君が先頭へと並び、躱す。私達3人が先頭に変わった。
《まもなく最後の直線に入ります!ここでアグネスタキオン、サリーブ、ヘルモンが動いた!3人がグイグイと押してきて先頭に変わります!先頭は内にアグネスタキオン、外にサリーブ!そのすぐ後ろにヘルモンがついている形!》
《最後の直線に入る前で動きましたか!ここから押し切るつもりかもしれません!》
《リッペンシティフト達も必死に粘る!だがこれはどうか!?アクアアンバーも突っ込んできた!さぁ後方からはウォーターペインターがじわりじわりと上がってきているぞ!最後の直線に入るウマ娘達!最後の攻防約533m!誰が抜け出すのか!?》
サリーブ君と競り合う形になる、が。あぁ、やはり速いね彼女は!
「『やっぱり速いねぇ君はッ!』」
「『こっちの台詞だよ!貴方本当にクラシック級!?シニア級って言われても信じるよ!』」
「『お生憎様、まだクラシック級なものでね!』」
もう待ったなしだ。ガンガンペースを上げる私とサリーブ君。ヘルモン君はなんとか食らいつこうとしていたが。
「『クソ……っ、クソ……ッ!』」
少しずつ声が遠ざかっていった。しかし関係ない、隣にいるサリーブ君を競り落とさなければ勝てないのだから!
お互いに一進一退の攻防を繰り広げる。だが……少しずつ、サリーブ君の方が
(ステータスとやらの差か!私の方が幾分か劣っているからねぇ!)
スピードに関してはそこまで差はないが、総合的にはあちらの方が上だ。推進力も上だろう。技術的な差はないと思われるが……地力の差が顕著に出ている。
「『まだまだ負けないよ!貴方だって行けるでしょ!』」
「『無茶を言ってくれる……当然だともッ!』」
成程、彼女は強い。強いからこそ──私は更なる高みへと至れる!
(残りは300程か。
サリーブ君との差は半バ身。この差を詰める!私の……領域で!
(可能性の先へ、今こそ至ろう!)
精神を極限まで集中させる。サリーブ君のことさえも、一瞬だけ思考の外に追いやる。集中して……ッ!来たッ!領域の感覚が!
(私の可能性を照らし出せ!)
真っ白な世界。久しぶりに感じる、私の前を走る
「何故今更幻影が……?」
もう見えなくなって久しいが、アレは間違いなくあの時の。そう思った次の瞬間──幻影の左脚が砕け散った。
(……は?)
おかしい。何だあの光景は?前回は砕けなかっただろう?私の未来は闇の中に消えて、不確定だったはずだ。
(アレが、私の未来だとでもいうのか?)
「?『なんか動揺してる?よくわかんないけど、チャンス!』」
そんなはずはない。回避したはずじゃないか。トレーナー君だって言っていた。私の脚は、もう100%を出せると。私もそう結論づけたじゃないか。弾き出した計算の結果、問題なく出力できると。
(……違う)
あぁそうだ。違うんだ。アレは違う。アレは私なんかじゃない。頭では理解できるんだ。所詮幻でしかないのだと。
けど、それでも。
(違う違う違うおかしいおかしいそんなはずはないだろう私は大丈夫なはずだだってトレーナー君と私が導き出した結論だぞ?間違っているはずがない絶対に正しいはずなんだだがその正しさを誰が証明してくれる?誰も証明してくれやしないだから私が証明するしかないというか今どれだけ走った?どれだけもたせることができる?サリーブ君は今どこだ?あぁクソ思考が纏まらないクリアにしたいのに雑念ばかりが押し寄せてくる止めろ止めろ止めろ!私に嫌なイメージを押し付けるな!私の脚は大丈夫だ私はもっと走りたいもっと駆け抜けたいこのレースを勝ちたい誰にも負けたくない!だからこんなところで折れるわけにはいかない立ち止まるわけにはいかない!どうすればいい?どうすればこの雑念を止めることができる?クソもうどうでもいい私にまとわりつくな共有するな!)
嫌なイメージはとめどなく溢れてくる。私の脚は砕け散るのだと、お前の夢はここで終わりなのだと見せつけてくる。脚に問題はないはずなのに、なんら異常はないはずなのに……悪いイメージばかりがとりついてくる。
考えて考えて……はは、何となく想像はついた。でも、今はこのレースを勝たなければいけない。
(さっさとこのレースを終わらせてやる……ッ!)
「ア゛ア゛ア゛ァ゛ァ゛ァ゛ッ゛ッ゛!!」
少しでも早くこの悪夢から覚めるために、全力を出して駆け抜けた。あれほど望んでいた100%の領域、歓喜に震えることもないまま。
◇
繰り広げられるアグネスタキオンとサリーブの攻防。サリーブが優勢か?と思われたその時だった。
《残り200を切ってサリーブ先頭!サリーブ先頭!ついていけるのはアグネスタキオンだけだ、残りのウマ娘はすでに4バ身は離れているでしょうか!?最後の戦いはこの2人となった!だが優勢なのはサリーブ……ち、違う!?ここでアグネスタキオンが息を吹き返した!サリーブへと襲い掛かるアグネスタキオン!》
《はは、これでクラシック級ですか……!末恐ろしいですね彼女は!》
《譲らない譲らない!日本の期待を背に、誇りを胸に!アグネスタキオンがサリーブと競り合う!アグネスタキオンとサリーブの両者一歩も譲らない勝負!》
アグネスタキオンが息を吹き返す。少しずつ離されていた差をすぐさま縮め、サリーブとの競り合いになっていた。
「『アグネスタキオン来たぁぁぁぁ!』」
「『負けんなよサリーブぅぅぅぅ!』」
熱い戦いにロンシャンレース場のボルテージが上がって行く。天井知らずの盛り上がりに誰もが手に汗握る。
その中で高村は──誰の目から見ても分かるくらいに動揺していた。
(どうしたんだ……タキオン?)
ファンからすれば必死の形相で走っているアグネスタキオンの姿が映っているだろう。だが彼の目には……彼女が何かを振り切るように走っているとしか思えなかった。
高村は人の機微に疎いところがある。だが、アグネスタキオンとの付き合いは長い。すぐに気づいた。
(領域は間違いなく100%の力を発揮している……なのに、なんでそんなに怯えているんだ?)
今まで感じたことのない彼女の怯え。彼の胸中に不安が押し寄せてくる。気づけば手に持っていたノートやペンを落とし、動揺を顔に出す。
(タキオン……どうして)
「そんなに怯えているんだい……?」
呟きは歓声にかき消される。戦いは最終局面を迎えていた。
◇
もうどれほど走っただろうか?もうどれくらい未来の自分の脚が砕ける姿を見せられただろうか?すでに種は割れているというのに、ご苦労なことだねぇ。
「『負けない……負けないんだからっ!』」
サリーブ君の声が聞こえる。すぐ隣だ。どうやら差はないらしい。おそらくだが領域も使っているのだろう。でも、確認する暇すらない。
(終わらせる、終わらせる!この勝負をすぐにでも終わらせてやるッ!)
走る、ひたすらに走る。脚を動かす。
《アグネスタキオンかサリーブか!?どちらが前に出るか!後続はもう追いつけない!すでに差は6バ身は開いている!先頭2人の一騎打ち!サリーブかアグネスか!?サリーブかアグネスタキオンか!残り100m!》
スタミナはすっからかんだ。かけらほども残っちゃいないだろう。もっとも、それはサリーブ君も同じ。いや……彼女は
私よりもずっと外を回っていた。さらに、序盤の位置取りでも内枠につけなかった。対して私は最内をキープ、途中で捨てたものの基本的には内側。スタミナの消費は抑えている。だからこそ。
「『クッ、ソォッッッ!!!』」
彼女が先に落ちるのは、道理だ。
《アグネスタキオン前に出る!アグネスタキオン前に出る!アグネス先頭アグネス先頭!サリーブを競り落としたアグネスタキオン!栄光のゴール板はもう50m!これはもう決まったか!?サリーブ懸命に粘る!しかしアグネスタキオン振り切る!その差が半バ身開いて──》
「ッカ、ハァッ!」
私の身体が、ロンシャンレース場の誰よりも速くゴール板を通過した。それと同時に、領域の景色が切れる。
《アグネスタキオンだッ!日本のアグネスタキオンがやりましたッ!強敵サリーブを下して、凱旋門賞の栄光を手にしたのはアグネスタキオン!日本に初めての栄光をもたらしたアグネスタキオン!まさに光のごとく駆け抜けましたッ!》
《終盤の末脚は凄かったですね!サリーブにも引けを取りませんでしたよ!》
《日本からやってきた光速のプリンセスが、世界の舞台を光で包み込む!世界の頂点に立ちましたアグネスタキオン!ここが頂の景色だ!》
歓声が聞こえる。私の勝利を祝福する言葉が聞こえる。本当は喜ぶべきなのに、先程の光景がフラッシュバックして、どうしても手が震える。自分の身体を抱きしめたくなる。
その中で鮮明に聞こえたのは。
「タキオンッッッ!!」
私の名前を呼ぶ、トレーナー君。普段滅多に聞かない大声を聞きながら、考える。
(ポッケ君のことをなんだかんだ言っておいて……私も同じ穴の狢とは。どの口が言ってたんだろうねぇ)
「さて、これから先どうしようか?」
トレーナー君が駆け寄ってくる。喜びではない、私を心配しているような表情。あぁ、申し訳ないね。君にそんな顔をさせてしまって。
私の身体は五体満足だ。なんら問題はない。精密検査をしても異常は出ないだろう。他ならない自分の身体だ。一番よく分かっている。なにが悪いかと言われたら……。
(あぁ、そうだね……トゥインクル・シリーズ引退もいいかもしれない)
100%には到達したわけだし、凱旋門賞も勝ったわけだ。それに……止めておこう。とにかく、終わったらトレーナー君と相談だ。
(ま、いつものようにいいよって答えるだろうがね)
そう考えると、
惜しみのない賞賛の声を聞き、トレーナー君と会話を交わしながら、私の凱旋門賞は終わった。日本勢初の勝利。結果としては最高のものになっただろう。これから先の未来に思いを馳せて──
◇
「というわけで、トゥインクル・シリーズ引退を考えているんだ。良いだろ?」
「ダメだね」
は?
100%の領域。日本勢初の栄光。引退を考えるアグネスタキオン。なお却下される。