ロンシャンレース場に集まったアグネスタキオンのファンは、初の偉業に歓喜の声を上げていた。
「や、やった……やったやった!」
「タキオンが勝ったんだ!」
「すっげぇぇぇぇ!」
今まで届かなかった凱旋門賞。世界一を決める戦いとまで呼ばれたレースで、日本のウマ娘は敗れ去っていった。もっとも近づいたあの瞬間、エルコンドルパサーの惜敗が記憶に新しいだろう。
惜しくも届かなかった高い壁。その壁を……日本からやってきた光が貫き穿った。日本のクラシック戦線を眩く照らした、アグネスタキオンという光が。
「「「おめでとーう!タキオーン!」」」
全てを出し尽くしたように座り込み、息を荒げている彼女に拍手をし、祝福の言葉を贈る。また、欧州のレースファンも彼女の強さに魅せられた。最後の直線、サリーブとの攻防。手に汗握るデッドヒート。ラスト100mで競り落とし、勝利を掴み取った瞬間は隣の人と肩を抱き合って喜ぶほどに。
佐岳メイもまた、アグネスタキオンの勝利に気づけば涙を流していた。
(やった……、やった。ついにっ)
「届いたんだ……ッ!」
これまでの軌跡が思い出としてよみがえる。話題のトレーナー、高村聖の凱旋門賞を勝たせるという言葉から始まった、彼らとの挑戦。なんとか上層部を説得し、レースを勝つために毎日資料とにらめっこを続け、持てる限りの財を投じての挑戦だった。上手くいかない日もあったし、困難の連続だったと言えるだろう。
いつかは勝ちたいと、世界の頂を見てみたいと望んでいた。夢物語と言われても構わない、無謀な挑戦だと言われてもいい。この凱旋門賞を勝ちたいという思いがあった。
その思いが、今日この時──結実したのである。トレセン学園のトレーナー、高村聖とアグネスタキオンによって。
(聖トレーナー、タキオン)
「君達は本当にっ?」
凄い人物だ、と口にしようとした瞬間、高村の表情がメイの目に入った。驚愕に満ち、焦っているような表情。およそ勝利したとは思えない態度に、メイは困惑する。
「どうしたんだ?聖トレ「タキオンッッッ!!」ひ、聖トレーナー!?」
心配するように声をかけるが、当の本人は真っ直ぐにアグネスタキオンの下へと向かった。近くで観戦していたサクラバクシンオー達も驚いている。滅多に出さない大声を上げてタキオンに駆け寄る姿に困惑していた。
ここで佐岳の脳内に、嫌な考えがよぎった。
(あれほど取り乱す聖トレーナーは見たことがない。タキオンは座り込んでいる……ま、まさか!?)
彼女に何かあったのではないか?もしかして、怪我をしたんじゃないか?という最悪の予想が浮かんだ。さっきの喜びすらも忘れて顔を青ざめさせる。なんとか平静を保ち、高村とタキオンの成り行きを見守っていた。
実際にどうなっていたかというと……アグネスタキオンは普通に立っており、高村と少し言葉を交わしただけ。本当にただそれだけだった。特別なことは何もないように見える。
(一体……何があったんだ?)
周りの観客からは勝利した担当ウマ娘を讃え支えるトレーナーだと賛美の嵐。しかし、高村の行動に佐岳達は困惑するしかなかった。
なお、後に高村から諸々の事情を説明してもらい、アグネスタキオンに異常はないということが分かると安堵の息を漏らす。
「では、結局何だったんだ?」
「……まぁ、色々と。デリケートな問題なので」
深くは追求しないでおく佐岳達だった。
◇
凱旋門賞が終わり、控室でタキオンから事情を聞いた。どうして君が苦しそうに走っていたのかを、なにかを振り切るように走っていたのかを教えてもらう。彼女は、隠すことなく教えてくれた。
「幻影の私の左脚が砕かれ続けていた……まるで、これが私の未来だと暗示するかのようにね」
「実際に、脚は?」
「私は五体満足でぴんぴんしているさ。このままライブにだって行ける」
「……脚、触るよ?」
「構わない。好きなように調べたまえ」
許可を取り、彼女の脚を触診する。……特に異常らしいものはない。本当になにもないのだろう。
タキオンは溜息を吐く。安堵か、それとも落胆か。多分前者だ。
「それにしても、せっかく100%の出力を発揮したというのに……まさかこれとはねぇ」
「原因は、分かるの?」
「おおよそは。つまりはアレだ、私はどうも臆病になってしまったらしい」
臆病になった?
「私の脚はガラスだと随分前に言っただろう?」
「……あぁ。でも、克服したはずだよね?」
「無論、克服した。私と君で作り上げた理論は完璧だ。その結果を示すように、私の脚は正常だとも」
タキオンは自分の脚を大切そうに撫でている。壊れ物を扱うように繊細に、指をなぞらせていた。
「……だが、精神まではどうにもならなかったようだ。リスクを回避し、怪我をしないように努めてきたことが、ここにきて足枷となってしまったらしい」
「つまり、メンタル面の問題ってこと?」
「その通りさ。今思えば、20%しか出せなかったのは脳がストップをかけていたのだろう。無意識のうちに全力を出さないようにしていた……私の臆病さが原因でね」
自嘲するように、吐き捨てるように言うタキオン。臆病さ、か。
(誰だって怪我をするのは怖い。しかも、それが一生モノとなったらなおさらだ)
これからのレースを棒に振る可能性だってある。そう考えたら、タキオンの考えにも
つまりは、タキオンは全力を出せば自分が壊れてしまうんじゃないか?という恐怖心を抱いているのだろう。今回と同じように引き出せばいつか壊れてしまう、それが幻影となって現れた。これが自分の未来だと、だからリスクのある行動をするなと訴えるように。
(20%しか出せなかった理由がこれか)
じゃあなんで今回引き出せたのか?それはきっと、
(僕の予想は半分当たっていて、半分間違っていたのか)
強敵がいないから100%を発揮できなかった、怪我への恐怖があるから出せなかった……これが正解というわけか。今更、だから何だ、って話だけど。
これもある種、怪我のリスクを徹底的に排除してきた結果かもしれない。ガラスの脚を克服し、ずっと走れるようになったからこそ、タキオンは恐れている。もし走れなくなってしまったらどうしよう?と。タキオンの気持ちは察するに余りある。
「ポッケ君には私を恐れているだの言っておいて、当の私がこの様か。お笑い種だね」
「待って、君ジャングルポケットにそんなこと言ってたの?」
「まぁ……100%は出せたわけだ。景色も……まぁ最悪の一言に尽きるが、良いとしよう」
タキオンは立ち上がり、僕の目を真っ直ぐに見ている。何かを伝えようと、試しているような目だった。
「さて、トレーナー君。そこで君にお願いがあるわけだ」
「なに?僕にできることなら」
「なぁに、君にしかできないことさ」
僕にしかできないこと、か。一体なんだろうか?
「というわけで、トゥインクル・シリーズ引退を考えているんだ。良いだろ?」
「ダメだね」
いや、そんな、は?みたいな表情しているけどダメに決まってるでしょそんなこと。
「君ぃ、いつもなら二つ返事で了承するだろう?今回もいいよ、と答えたまえよ」
「ダメ。絶対にダメ。今ここで引退しても、待っているのは最悪の結末だよ」
「ふぅン……まぁいい。どうして引退がダメなのか、君の意見を聞こうか」
椅子に座り直し、僕の言葉に耳を傾けている。なら、伝えようか。僕の考えを。いつものように、タキオンと意見交換会をする時のように。
「まず、ここで引退したら君はずっと悪夢に苛まれることになる。全力を出そうとするたびに、フラッシュバックするはずだ。そんなこと、耐えられないだろう?」
「あくまで領域の時だけだ。ならば、使わないような状況になればいい。そう……研究一筋になるとかね」
「それで君は満足するの?いいや、満足しないはずだ。君は必ず走ることになる」
「ほう?」
興味深そうに目を細めるタキオン。
「君は私が怪我をしてもいいのかい?」
「怪我をさせないために僕がいる」
「予測不能な怪我についてはどうする?どうしようもない事態だってあるはずだ」
「そしたら、一生をかけて償うだけだよ。僕のやることは変わらない」
「君は平気でそんな言葉を口にするねぇ……いつか刺されても知らないよ?」
刺される?なんで?
「なにより、どうして私が引退するのはダメなんだい?さっきのはおそらく建前、本当の理由が分からないな」
「
「……」
図星を突かれたのか、タキオンは黙る。反論するのではなく、次の言葉を待っているんだ。僕がなんて答えるのかを。
「そもそもの話、君はここで引退なんて考えていないはずだ。確かに怪我は怖い、恐れるのだって分かる。君が本気で引退したいんだったら、僕はいいって言うつもりだった」
「……」
「君は、もっと走りたいって考えているはずだ。たとえ恐怖が襲ってきてもいい、それでも走りたい……そう考えているんじゃないかな?少なくとも僕はそう思った」
本当は、タキオンは引退なんて考えていない。きっと、僕を試すための方便なんだろう。もしかしたら本気かもしれないけれど、少なくとも僕は嘘だと思っている。
「何故、そう思ったんだい?」
「
「ふぅン?」
「でも、君は走るのを止めなかった。出力を抑えなかった。頭を恐怖が支配しても、君は脚を動かしていた──勝つために」
目を丸くするタキオン。合っているのだろう、僕の考えが。
「君はよく、レースに勝敗は関係ないって言ってる。でも本当は……ものすごく負けず嫌いだ」
「ほほ~う?」
「負けたくないから出力を抑えなかった。勝つために全力を出し続けた……恐怖心を抱えながら」
口では勝ち負けについて気にしてないって言うけれど、凄く負けず嫌いな子。それがタキオン。
「恐怖心があるのは本当だ、もしこのまま走り続けたら壊れるんじゃないか?と心配する気持ちも分かる。だけど、引退をさせるわけにはいかない」
なにより、タキオンだって思っているはずだ。ここじゃ終われないと。引退するわけにはいかないと。彼女はずっと追求してきた。ウマ娘の限界速度を。可能性の果てに見える景色のために頑張ってきた。そんな彼女が、こんなところで終わっていいと思うはずがない。
「こんなところで終わっていいの?恐怖に負けたまま、終わってもいいのかい?」
「……」
「君は納得しないはずだ。それに恐怖心を抱えながらも思ったんじゃない?この恐怖を乗り越えた先に──自分が待ち望んだ景色があるのかもしれない、って」
「ッ!」
タキオンなら思うはずだ。だって……
「君は僕を狂ってるってよく言うけど、
「……クックック」
「100%の領域に怯えながらも、この先にどんな景色があるんだろう?そう思わずにはいられなかった。だって君は、目標に一途だから……違うかい?」
顔を伏せ、手で覆うタキオン。どうしたんだろうか?と思っていると。
「ハッハッハ……アーッハッハッハッハッハッハッッ!!」
うわ、ビックリした。急に大笑いするからのけ反ってしまった。当のタキオンは手を叩いて笑っている。
「相変わらず君は、私のことを
「あ、やっぱりそうなんだ」
「あぁ、あの時確かに私は恐怖を感じた……だが、その中で直感した。この先にきっと、私が待ち望んでいた“限界速度”があるのだと!」
タキオンは一転して愉快そうだ。楽しそうでなによりだね。
「ま~かなり焦ってしまったよ。レース後は柄にもなくナイーブになってしまったからね」
「そんなに?」
「相当だ。過去一といってもいい。しかし、冷静になってみるとここじゃ終われないと思ってしまったのさ!君の思いを聞いているうちにね!」
というか、ふと思ったんだけど。
「僕が君の引退を受け入れたらどうするつもりだったの?」
「うん?どういう意味だい?」
「君の引退を、僕がいいよって答えたらどうしたの?」
絶対にないことだけど、一応聞いておこう。タキオンはキョトンとしていた。
「
「……できれば、止めて欲しいかな。悲しいから」
「悪かったよ。だが、君のおかげで完全に立ち直ることができた。感謝している」
確認も済んだところで、現状の確認だ。
「言っておくが、なんとかなったといっても恐怖心がなくなったわけじゃない。おそらく、100%を出力するたびに同じ景色を見ることになるだろう」
「ってなると、根本からどうにかするしかない」
「あぁ。恐怖に打ち勝つほかないだろう。私が先へと辿り着くためには、ね」
これからまた手探りだ。タキオンが恐怖を克服するために、頑張らなければいけない。でも、やる。僕は彼女のトレーナーだから。
「さぁて、私の
「内容次第かな」
タキオンは笑みを深め、僕に言い放つ。
「私が恐怖に打ち勝つために、これからも──協力してくれるかい?」
「いいよ」
さぁ、新しい実験の始まりだ。
新目標 恐怖に打ち勝つ。
完全に私事ですがドリームジャーニー引けました。道中ドリームファルコンだったりスズカジャーニーだったりサクラドリームだったりタルマエジャーニー×2だったり水着アグネスドリームだったり来ましたが190連でフィニッシュです。