日本ダービーが終わってからのジャングルポケットは不調気味だった。
「どうした、ポッケ!タイムが落ちておるぞ!」
「……わりぃ」
乱れた息を整えつつ謝罪をする。ただ、どこか心あらずといった様子であり、トレーナーも怪訝な表情を浮かべた。明らかに様子がおかしいことに気づく。
幸か不幸か、日本ダービーを制したジャングルポケットの環境は一変した。取材やモデルとしての仕事が舞い込むようになり、メディアからも新世代の1人として扱われるようになった。テレビにも引っ張りだこ、放送された自分の姿を見た時、彼女は本当に喜んでいた。
日本ダービーを制したことはあまりにも大きい。それが、ジャングルポケットにとって良くも悪くも影響を及ぼしていた。悪い例の最たるものが──アグネスタキオンが日本ダービーに出走していたらどうなっていたか?という論調。
なお、この話題に関しては高村トレーナーの言葉で一蹴された。普段の変わり映えしない表情をわずかに怒りで歪ませていた姿は、世間のファンを困惑させた。
「私とアグネスタキオンはダービーに出走しなかった……戦いの土俵にすら上がらなかった。それだけです。出走していないレースの何を語ればいいのでしょうか?」
「そもそもレースにたらればはありません。勝ったのはジャングルポケットであり、褒め称えられるべき偉業を成し遂げたのは彼女です。なので、ジャングルポケット達におめでとうとだけ伝えたいです」
映像を見た時はできた若者だ、と感心したものである。
ダービー以降、気が抜けているように見える彼女をどうしたものか、とトレーナーは見つめる。
(ポッケはどうも集中できておらん。今の状況でトレーニングを積み重ねても、良い結果は得られないじゃろう)
走ったところで彼女の力にはならない。そう思うが中止にするわけにはいかない。目標であるアグネスタキオンには永遠に届かなくなってしまうから。
アグネスタキオンだけではない。同期であるダンツフレームにペリースチーム、秋から始動する予定のマンハッタンカフェにすら置いていかれるだろう。そしたらジャングルポケットは……いよいよもって再起不能になる。
(……ならば、やるべきことは)
「ポッケ!メニュー変更じゃ!違うトレーニングをするぞ!」
「……あ?」
練習メニューを一新することだった。考えるようなトレーニングは極力やらないようにし、ジャングルポケットの運動能力を底上げするような基礎トレを中心に組み立てる。
「なんで今更基礎トレなんて……」
「こぉりゃポッケ!基礎トレを舐めるでない!ここぞという時に力を発揮するのはこういう基礎トレじゃ!どんな応用も、全ては基礎に通ず!そのことを忘れるな!」
「わーってるよ。ったく、なんでそんなに気合入ってんだ?」
今更基礎トレ中心になったことにブツブツと疑問の声を上げながらもしっかりとこなす。練習自体はマメにこなしているのでトレーナーとしても安心だった。
とはいっても、普段の生活でもジャングルポケットはボーっとすることが多くなった。
「~ってわけなんだけどよ、ポッケはどう思う?」
「……あっ、わりぃ。聞いてなかった。もっかい言ってくれるか?」
「おいしっかりしてくれよポッケ~!」
「あ、アハハ。わりぃわりぃ。今度はちゃんと聞くからさ」
普段の彼女らしくなく、シマ達も心配しているが当の本人はなんでもないとしらを切るばかり。
「なにがなんでもない、だアイツ」
「なにかありました~、って雰囲気バリバリだね」
「う~っ、大丈夫っすかねポッケさん?」
どうしたものか、と周りも考えるようになる。だが、当のジャングルポケット本人が何も言わないので打開策もないままだ。
そんな調子で夏合宿を迎えるが、やはり良いとはいえず。時折気持ちが入ったように練習に打ち込むことがあるが、ほとんどは上の空でトレーニングをしていた。
「身体を鍛え続けるんじゃポッケ!たとえ気持ちが入ってなくとも、身体を鍛えることだけは忘れるな!」
「わー、ってる……よッ!てか、余計なお世話だトレーナー!」
練習、練習、練習。アグネスタキオンに勝つために、ひたすらにトレーニングを重ねる。そんなアグネスタキオンはというと。
《アグネスタキオンはフランス現地でも順調にトレーニングをこなしている様子が確認できますね~!今まで成し遂げられなかった偉業、凱旋門賞制覇に期待がかかります!》
《トロフィーを持ち帰って欲しいですよね!エルコンドルパサーは惜しかったですから!》
凱旋門賞出走のためにフランスへと旅立っていた。現地でのトレーニングをニュースで見たジャングルポケットは。
「……タキオン」
ボーっと眺めている。闘志を滾らせるわけでもない、負けるものかと奮起するわけでもない。なにも感じていないかのように、ただニュースを見ていた。
「やっぱタキオンが原因だよな?」
「っしかないっしょ。ポッケが落ち込む原因なんて」
「で、でも!ポッケさんなら今度はギッタンギッタンにしてくれますよ!」
「……そういう問題じゃないんだろうね」
心ここにあらずな彼女を心配するシマ達にフジキセキが加わる。彼女もまた、ジャングルポケットを心配していた。
さりげなく聞いたこともある。ここ最近どこか上の空だけどどうしたのか?と。なにか変わったことでもあったの?と聞いた。しかし、彼女は何も言わなかった。曖昧な笑みと言葉で濁し、のらりくらりと躱し続けている。
心当たりがないわけじゃない。おそらくだが、あの日本ダービーでなにかがあった。フジキセキはそう睨んでいる。
(ポッケ……君は)
次なる策を思案する。言葉でダメならどうするか。早くしないと、今の彼女はかなり危うい。同期に置いていかれる可能性がある。
ダービーで2着だったダンツフレームは順調だった。日本ダービー敗戦からすぐに立ち直り、今も元気にトレーニングに励んでいる。
「フギギギ……!」
「良い。さらに負荷を上げるぞ。貴様の目指すべき場所はそれだけ遠い」
「うえぇ~!?さすがに上げ過ぎじゃないかなオルフェちゃん!」
「たわけ。彼奴を甘やかすな。これしきの事で根を上げるようでは、あの者に勝つことは到底叶わぬ」
オルフェーヴルとマチカネタンホイザ、同じチームである2人の尽力によってメキメキと実力を伸ばしている。今戦えばどちらが勝つかと言われたら、ダンツフレームが勝つだろう。メンタルの差だろうが。
秋から復帰するマンハッタンカフェ。こちらも順調である。
「あ、あの!カフェさん、頑張ってくださ~い!……うぅ」
「声掛けとは殊勝な心掛けだ、シュヴァルグラン。マンハッタンカフェの士気も上がるだろう」
「で、でも……僕なんかの声掛けで大丈夫なんでしょうか?」
「な~に心配してんのさ!応援されたら嬉しいものだよ?もっと自信もって!」
「あ、あうぅ~」
仕上がりは順調であり、強力なライバルになることは間違いない。なにより、シンボリルドルフとトウカイテイオーのトレーナーが育てているのだ。実力に関しては疑いようがない。
アグネスタキオンは言わずもがな。フランス遠征によって更なる力を得ている。なによりトレーナーがトレーナーだ。言うまでもないだろう。
ジャングルポケットだけだ。停滞しているのは。どれだけトレーニングを重ねても、本人の気持ちが入っていなければ無意味。レースで勝つことなどできるはずがないだろう。
(このままだと、本当に置いていかれちゃうよ)
「……ポッケ」
心配するように呟くフジキセキ。その不安は現実のものとなる。
秋シーズンの前哨戦にと走った札幌記念。シニア級ウマ娘達を抑えての1番人気に支持されたが。
《ジャングルポケットは3着!ダービーウマ娘ジャングルポケットはまさかの3着敗戦!圧倒的1番人気に支持されましたが、後もう一伸びが足りませんでした!》
《どうも精彩を欠いていたように見えますね。大丈夫でしょうか?》
結果は3着。この結果にフジキセキは目を瞑って逡巡する。
正直、勝敗に関しては仕方ないと思っている。負けることだってあるだろう、これも彼女の糧になれば……と考えている。だが──ジャングルポケットの表情がそれを許さない。
「ハァ……ハァ……ッ!」
怯え、竦んでいるような姿。瞳孔を大きく開き、わずかに身体を震わせ恐怖しているような姿を見て、我慢することはできなかった。
そして。
(もう、これ以上は限界だ)
再度、ジャングルポケットと話すことにした。
◇
「ポッケ、ちょっと砂浜で歩かない?」
「え!フジさんと!?行きます行きます!」
フジキセキのお誘いに秒で反応するジャングルポケット。思わず苦笑いを浮かべるフジキセキだった。
夜の砂浜。月が見下ろす中、2人は歩く。
「夏だけど、この時間の砂浜は涼しいね。ポッケもそう思わない?」
「……そう、っすね」
都会の喧騒はない。波の音が聞こえるほどに静かであり、穏やかな気持ちになれる。楽し気なフジキセキと、バツが悪そうにするジャングルポケット。正反対の反応をする2人だが、どちらもこの時間を楽しいと思う気持ちは本物だ。
少し歩いて、砂浜に腰掛ける。どこからかフジキセキが飲み物を取り出して、ジャングルポケットに差し出した。
「はい、ポッケ。君にあげる」
「あ、あざっす」
どちらか先に声をかけるか、反応が待たれていたが。
「ポッケ。最近調子はどうだい?……ちょっと意地悪な質問かもしれないけど」
フジキセキが切り出した。そして、ジャングルポケットはやはりか、と表情に出す。
「……っとうに意地悪っすよフジさん。俺が調子良くないの、知ってるでしょ?」
「ごめんね。でも、君が中々口を割らないから。ついつい意地悪しちゃった」
からかうような口調だが、真面目な表情で見据える。
「ねぇポッケ。君になにがあったんだい?」
「……フジ、さん」
「日本ダービーが終わってからずっと変だ。トレーニングにも集中できてないし、心ここにあらずといった感じで普段の生活もボーっとしてることが多い」
今のジャングルポケットの様子が明らかにおかしいことを指摘していくフジキセキ。心当たりがあるのか、どんどん表情は曇っていった。
「別にポッケを責めたいわけじゃない。私にだって隠し事の1つや2つはあるし、無理に聞き出すのは正直止めようと思ってた」
「……」
「けど、さすがにもう看過できない。だって今のポッケは……凄く辛そうだから」
フジキセキの心配する声。ジャングルポケットは俯く。
「ダービーに出走したの、後悔してる?」
「それだけはないっす!絶対に、絶対にない!」
「そっか……それじゃあ、世間の声が辛い?」
「うっ……それは、ちょっとあるかもしんねーっすけど」
問題の核心ではない。そういうことだろう。ならばフジキセキに思い当たることはたった一つ──疑問が確信に変わった瞬間だった。
(タキオン、か)
皐月賞で圧倒的な勝利を収めた光速のウマ娘。彼女が生み出した狂気の残光が、今なおジャングルポケットを蝕んでいる。そう睨んだ。
けれど口にはしない。追い詰めかねないと思って、口をつぐんでしまう。彼女の悩みを無理矢理にでも聞き出そうとしたが、躊躇してしまう。
長い長い沈黙が流れ、波と風の音が支配する中。
「……俺、タキオンが怖いんです」
ポツリと。絞り出すように、懺悔をするようにジャングルポケットが呟いた。
次回 ジャングルポケットの胸中。