年下の姉 作:はる
長いもの、短いもの。大きいもの、小さいもの。
重いもの、軽いもの。上にあるもの、下にあるもの。
それは比較のなかに存在べき当然の法則であって、誰であっても容易に分別がつくもの。
けれども、当時のぼくらは幼くて、恥ずかしいことにものごとの分別ができなかった。
あれはぼくが小学校に入るかどうか、それくらいの頃であったかもしれない。
その頃、ぼくには妹のように可愛がっていたいとこがいた。
ぼくはひとりっこであったし、彼女もひとりっこであったから、お互いにきょうだいのように接していた。
けれども、きょうだいのようにとは言っても、実のきょうだいではない。だからこそ“お兄ちゃん”“カヨ”と普通のきょうだいのように呼び合うのではなく“シュウくん”“カヨちゃん”と上下のない呼び方をしていたし、ぼくも彼女も年上や年下といった意識はほとんどなかったように思う。
しかし、意識するかしないかにかかわらず、年の差というものは関係に影響を及ぼす。
実際、ぼくは彼女を年少者として妹のように扱ったし、周囲もぼくが彼女といるときは僕を年長者として扱った。
ぼくらの間にある意識だけが並列であった。
あるの日のことだった。誰かが言った。
“カヨはお兄ちゃんの言うことをよく聞くのよ”
誰が言ったのかは覚えていない。何に対してだったのかも覚えていない。
ただ一言、その誰かがいつものように僕を年長者として扱ってそう言った。
“お兄ちゃんの言うことをよく聞くのよ”
“シュウくんの言うことなんて聞かないもん!”
彼女は烈火のごとく怒り狂った。雲を裂き地を割るかのような大きな声で泣き叫び、周囲の大人たちを困らせた。まるでその小さな身体に大きなエンジンを積み込んでいるかのような暴れようであった。
いわゆるイヤイヤ期というものである。
やがて、彼女はその激しい衝動に任せてひとつの解決策を思いつく。
“カヨがお姉さんだから、シュウくんが言うことを聞かなきゃいけないもん!”
ぼくがお兄さんだから言うことを聞かなくてはならない。ならば、彼女がお姉さんになれば言うことを聞かなくてもよい。そういう理屈であった。なんとも稚拙な子どもの理屈である。
当時のぼくは一過性のものだと思って受け入れたし、周囲の大人たちもそう思ったからこそ容認した。
“今日からは、カヨのことをお姉ちゃんって呼んでね!”
彼女は得意満面の笑みで喜んだ。
その日から、ぼくは彼女のことお姉ちゃんと呼ぶようになった。
その日から、“並列”であったぼくらの関係が、ねじれた。