ジンオウガは化け物、恐暴竜イビルジョーとの死闘を終えた後に三日三晩殆ど眠り続けた。
途中目覚めては仕留めたイビルジョーの死体を食らって腹を満たし、腹が満たされればまた眠って体を癒す。
自分が仕留めた化け物を枕にして『私はコイツを仕留めたんだぞ』と、その力を示すように。
エリア2に他の大型モンスターが現れることも多々あったがジンオウガの姿と、彼女に仕留められて食い荒らされたイビルジョーの死骸を見ると慌てたように逃げ出す。
お陰でジンオウガは死闘の傷をゆっくりと癒せたようで、4日目の早朝に目覚めを知らせる雄叫びを放ってくれた。
「おはよう、ジン。体はもう痛まないか?」
「ゔぁうっ!」
満足そうな顔をしながらログハウスの前に現れたジンオウガに挨拶をする。嬉しそうな返事が帰ってきて、ベロベロと私の頬を舐め回す。
ジンオウガと毎回呼ぶのは、なんだか失礼なように思えた。
親しい人に『カンナさん』と呼ばれるのではなく『尾刃カンナ』と毎回呼ばれると思うと良くない気がして、短縮して『ジン』と呼ぶことにしてみた。
本人も最初にジンと呼ばれた時は目をキラキラさせてくれていたし、ステップしながら駆け回る姿から受け入れてくれたと判断している。
「そうか、元気なら良いんだ」
「がうがうぅ♪」
本当、私と話しているジンは心底楽しそうで嬉しそうだ。
そんなジンだが、イビルジョーとの壮絶な生存競争を乗り越える前と現在とで容姿に変化が起きている。
まず、体格が更に大柄へと変化した。測定すると2514cm、25mを突破して学校のプールをほんの僅かにだが上回る。
全身を覆う甲殻は黒味を帯び、殺し合う最中で全身に刻まれた擦り傷や噛み傷は赤々と発光している。静電気を溜め込んでいた白毛は部分的にではあるが金色へと変色していた。
顔周りも変化している。牙がより鋭利になり、顔全体の鋭さが増した。
相変わらず目は丸の中央に黒丸を描いたようなバカっぽい目をしているが、右角が左角の倍近い長さまで湾曲しつつ伸びている。
「なぁ、ジン。お前、今の姿分かっているか? だいぶ見違えたぞ?」
「ばうぅ?」
これがジンの同種に共通する成長過程での変化なのか、とも思ったがそうだと仮定しても成長が早すぎる。
成長とは普通、長い年月をかけてゆっくりと進行するもの。肉体は急激な変化を引き起こせるような拡張性に富むものでも、急激な変化に耐えられるほど頑強なものでも無い。
これは成長というか、進化に片足を踏み込んでいるとしか思えない変容ぶりだ。
「ジンの同種は皆、こんな急激に変化するものなのか?」
「くるるるる……」
何やら、言い淀むような戸惑う仕草を見せる。目を逸らして、どう説明したものかと悩みこんでいるようだ。
やがてジンは前脚の鉤爪で地面をガリガリと削り、それは大層巨大な?を描いた。
とぼけている、という様子ではない。困り果てたようにか細く「くぅ〜ん…」と鳴いている様子から察するに本人も困惑している、ということか。
「……はぁ。まぁいい。肉体に不調や違和感は無いのだろう? なら今はそれで良しとしよう」
「……がうっ!」
本人も分からないのであれば、私があれこれと追求するだけジンにとってもストレスとなる。
相棒にそんな負担はかけたくないし、私としても心苦しい。
彼女はあの化け物との死闘を経てより強くなった、今はそれだけで良いだろう。
「ゔあ〜〜〜う」
気の抜ける鳴き声がして、アプトノスの群れがやってくる。先頭にいるのはジャギィによって刻まれた引っ掻き傷が顔が残っている個体、ジンと私の部下たちが保護した個体だ。
皆、後ろには元ログハウスだった木材と、完成直後に少しばかり搬入していた小道具たちを乗せたソリを牽引していた。
イビルジョー襲撃の一件を受け、私はログハウスを取り壊して元いた寮に戻ろうと考えた。
今回はジンが駆け付けてくれたからどうにかなったものの、毎回こうも上手く行くとは考えにくかったから。
それをジンに伝えると、着ていた衣類の襟に噛み付いて私をどこかに向けて猛ダッシュで連行していった。
木々の隙間を図体に見合わない機敏なフットワークで、私が酔わない絶妙な速度加減をしながら縫うように進み、イビルジョーを仕留めたエリアを経由して到達したのが今の私がいる場所。
目の前には澄んだ水を湛える深い湖があり、水底に見える大穴がどこに続いているのだろうという妄想を掻き立てる。
その湖のほとりにはログハウスを移築できるだけの余裕があり、ここへ通じる一本道もジンによる入念なマーキングで見えない障壁が構築された。
『ここに引っ越せば良いんだよ!』
マーキングを終えて私の目の前にお座りをする彼女の目は、私にこの場所へ留まることを求めていた。
あんな目を向けられたら断れない。
マーキングの効果もジンに意図的に誘導された大型モンスター達が拒否反応を示したことで立証済み。
そうして私はこの湖のほとりにログハウスを移築し、本格的な移住を済ませてしまった。
「……本当、馬鹿だな。私らしくもない」
今更ながら、私らしくない判断だ。片道2時間もかかる場所に移住すると決めて、自らの手でログハウスまで作る始末だ。
少し前までの私なら想像も出来ない。書類整理に追われ、治安を乱す凶悪犯罪者としのぎを削り合い、寮に戻れば死んだように眠る日々。それが普通だった。
「がう……あう?」
「ふふっ、なんでもない。なんでもないんだ……なんでも、な」
心配するような顔で覗き込んできたジンに笑顔で答え、顎の下を撫でてやると嬉しそうに目を細めた。
今でも、以前の生活とほとんど変わりは無い。
書類は山のように襲ってくるし犯罪者は私の都合にお構い無しで暴れ回るし、それ等を相手取って疲労困憊。
でも、少し違う。私には頼れる相棒たちが出来て、その相棒たちから向けられる愛情に心底癒されている。
「あ”あ”〜〜〜むっ」
「ギャンッ!?」
傷のあるアプトノスがジンの尻尾に噛み付いた。驚いて跳ね上がった彼女を見てふす〜〜っと息を吐く姿から、イタズラを仕掛けたのが分かる。
それに対してジンは怒るのではなく、尾を体の下に隠して身をかがめながら唸るだけ。体格差は歴然なのに態度がそれに見合っていない。
尾を噛まれる、というのがトラウマになっているのかもしれないな。イビルジョーに噛み付かれた際には散々地面に叩き付けられたのだから。
「ふふっ……ク、ククッ…!」
トラウマなのだとしたら申し訳ないが、笑うなという方が無理だ。より厳しい雰囲気を会得したジンがゆる〜い雰囲気のアプトノスにイタズラをされて、あんな可愛らしい悲鳴と反応を見せる姿はあまりにも滑稽だ。
「ゔるるるる……」
笑うな、と言いたいらしい。低い唸り声を出して伏せながら私を見上げる様は、図体だけが異様に巨大化しただけの犬のようだ。
怖さを微塵も感じない。ただ、愛おしい。
「悪かった悪かった。そう怒るな、撫でてやるから」
頬を撫でてやると、低い唸り声はぱたりと止んだ。
代わりに嬉しそうな声が漏れ出し、ブンブンと尻尾を振り回し始める。
本当、私のことが好きすぎるな。
そう思っているとジンが体を激しく振り始めた。力を貸してくれる昆虫、雷光虫をそうして追い払うとぬっと体を寄せ、私を見下ろす形で口を開く。
あ、これ許してない。騙された。
そう気付いた時には時すでに遅し。パクッと私の体を丸呑みにすると、そのままジンは湖に飛び込んでいた。
雷光虫を追い払ったのは水に入るからだったようだ。
「がうっ♪」
「あわわわわわっぶふ!?」
空中に放り投げられ、私も湖のひんやりと心地よい水の中に放り投げられる。少し塩っ辛く、水底にある大穴の先は海に続いていることが分かった。
ビックリして遊泳していた魚が逃げ出してしまったが、ジンはまるで気にしていない様子。その巨体に見合わない見事な犬かき、終いには数分間に渡る潜水まで私に披露して見せた。
水が澄んでいるお陰で水中での動きもよく見える。巨体を器用にくねらせながら大柄な体格に似つかわしくない見事な泳ぎっぷり。
浮上する際には私の真下に出るよう位置調整までし、角の上に私を乗せる形で水面に浮かんだ。
「全く……お前って奴は…ふふっ、あはははははっ!」
さっき見せたばかりの見事な泳ぎとはかけ離れた、バシャバシャと水を巻き上げる犬掻きをする姿に私は笑いを堪えられなかった。
角にぐったりとその身を預け、この身の全てをジンに委ねる。
遊泳を本人も楽しんでいるらしく、差し込む日差しで濡れた私を乾かしながら鼻歌を歌って泳ぎ続けていた。
何もせず、ただぐったりとする。余計なことも考えず、体を照らしてくれる暖かい日差しとジンの温もり、力強さを一身に浴びる。
幸せだ。日々の激務の疲れを忘れさせてくれる。
こんな日がずっと続けば良いと、心の底から思う。
「……なぁ、ジン」
私は声をかけた。その声色から私が眠気に襲われていると察していたのだろう、ジンは返事もしない。
「私たち……ずっと、いっ、しょ……に…」
その言葉を最後、私は意識を失った。ジンの返事も聞けないままに。
その数日後、事件が起こる。
連邦生徒会長の突然の失踪。これによりキヴォトス内全域において様々なシステム障害やトラブルが発生し、私が所属するヴァルキューレ警察学校の牢屋からも囚人が脱走する騒ぎが起こった。
ただでさえ手に負えない治安レベルのキヴォトスが更に混沌を極める事態となり、私はログハウスに帰ることもままならず公安局オフィスに泊まり込みで事態の収拾に尽力する事となった。
それ自体は大した問題では無い。
いや、連邦生徒会長が失踪するなど前代未聞であり大事件なのは大事件なのだが、このキヴォトスにおいて大事件ではない事件の方が稀有だ。
では何が問題か。連邦生徒会長の失踪に呼応するようにしてジンが、私の相棒が、忽然と姿を消してしまった事だ。
自分が殺したイビルジョーの頭蓋骨とそこに刻み込んだ『ゴメン』の一言を残して。
私は、何かを間違ったとは思わない。ジンとの短い付き合いの中で誤りを犯したとは思わない。
だから、取り乱すことは無かった。悲しくはあったが、絶望はしなかった。元よりジンはモンスターで私は人間、本来なら相容れない存在。
でも確信がある。ジンは私に愛想を尽かして姿を消したのではない。私の事が大好きで大好きでたまらないアイツが、私を嫌いになるはずがない。
何かやりたい事を、成したい事を見付けたのだろう。それ等を成し遂げるか成し遂げる最中に私たちはまた巡り会う、という確信が。
「局長。そろそろ少し休まれてはどうでしょう。だいぶ長いこと書類と睨めっこをしていますが」
「そうか……わかった。なら少し、休むとしよう」
部下の提案を聞き入れ、睨めっこを演じていた書類から視線を離す。ぐっと背を伸ばし、デスクの上に置いてある写真立てに視線を向けた。
アプトノスの群れに囲まれて眠るジンと、彼女にもたれ掛かりながら読書をする私。
部下の一人がこっそりと撮った写真で、あまりに良い写真だったから譲り受けた私の大切な代物だ。
「……頑張れよ、ジン。私も頑張るからさ」
写真の中のジンに声を掛けた。私らしくもない、ロマンチストじみた痛々しい行為。
悪くない。悪くない気分だ。
風が吹き抜けたのか、それとも近くに居るのか。
オフィスの外から聞こえたオオカミの遠吠えに似た音に、私は目を閉じた。