今回はアビドス対策委員会編への繋ぎなので短めです
ジンの生態観察日記
「ジン〜。おいで〜」
私がシャーレオフィスで本格的に先生として活動を始めて数日。周囲の人たちには『生徒をはべらせている』だの『日夜違う生徒を連れ込んでいる』だのあれこれ変な噂を立てられこそしたけど、今ではすっかり打ち解けられた。
外出中に出会えば挨拶を交わし、ちょっとした雑談も交わす。良好な人間関係を築けている。
そんな私の最近の日課、それが『ジン生態観察日記』という日記を記すことだ。
私たちの目の前に現れた巨狼、ジン。人の言葉を理解し、心中を察し、文字まで書ける人間のような獣。
普段、ジンはその巨体が周囲に与える威圧感を気にしているのか姿を隠している。
近隣住民の方々も最初は警戒していたけど私に撫で回される姿や私をベロンベロン舐め回す姿に警戒を解いてくれて、今では私も撫でてみたいと言ってくれる人も現れている。
本人にもその声を伝えては見たのだけど、本人が気にしているのかシャーレオフィス前に居着いてくれる事はなかった。
「がう!」
「うわっ!?」
どこに身を潜めているのかは分からないけど、私が名前を呼ぶと必ず現れてくれる。今回の場合はシャーレの屋上から飛び降りてきた。
巨体に見合わぬ軽やかさを可能とする身体能力にものを言わせてよじ登ったのだろうか。
以前周囲の建築物の屋上をぴょんぴょんと飛び回っている姿を見たけど、あんな巨体でそんな簡単に飛び回れるのかと目を疑った。
「び、びっくりした……」
いきなり目の前に落ちてきたらびっくりしてメガネがズレてしまった。クリアに見える視界と不鮮明な視界が混在して気持ち悪い。
ズレたメガネの位置を整えていると、ジンの顔がぬっと迫ってきた。舐め回すつもりか、と身構えると顔に生暖かい鼻息を吹きかけられる。
驚いていると、ジンが口を半開きにしてカラカラと笑っていた。この子、結構イタズラ好きである。
これで少しでも叱ると目に見えて凹むのだから可愛くて仕方がない。
警察犬や軍用犬が泣いて逃げ出す迫力が普段ならあるのに、叱られた時は子犬のように見える時がある。
「このイタズラっ子め」
「ゴグルルルルル……」
シッテムの箱を起動し、ジン生態観察日記のフォルダを開く。
このイタズラっ子という情報は記載し忘れていたから付け加えておかないとな。
(それにしても不思議な生き物だ)
ジン生態観察日記なんて大層な名前がついてはいるものの、詳しい生態の殆どは謎に包まれている。
ワカモから受け取った肉を食べていたから肉食なのは分かるが、この体格と運動能力を考えればあれだけで満たされるとは到底考えにくい。
常識から外れている生物なのは間違いないからあれだけの肉でも十分なのかもしれないし、もしかしたら潜伏先に潤沢な食物があるのかもしれない。
あるいは何処かでひっそりと狩りを行っているか、だ。
目撃情報はチラホラと聞かれるものの、その殆どは夜間に集中している。夜行性なのか、人間を怯えさせないよう配慮しているのか。
人目がある日中での目撃情報は皆無と表現しても過言では無い程に少なく、日があるうちは潜伏先で身を潜めているとみて良いだろう。
(寂しくはないんだろうか)
人とじゃれ合うことを好み、人に触れられることを喜ぶ生態なのも確認済み。オフィスへ辿り着いた後、ユウカたちと別れた時も悲しそうにしていたことからこれも間違いでは無いだろう。
そんな生態のジンがひっそりと身を潜めていると考えると寂しそうで、私の方がなんだか悲しくなる。
出会ってまだ日が浅いというのに、私も随分とジンを気に入ってしまったようだ。
でも、仕方ないだろう? これだけ巨大で力強く、荒事絡みの仕事となると頼りになるボディーガードまでしてくれる存在が自分に腹を見せて甘えてくるんだぞ?
気に入るな、と言うのは拷問に等しい。
(玩具では満足しないだろうしな)
人間の基準で考えるとジンの精神年齢はある程度の成熟が見られる。
誰かにじゃれ付く際は消し飛んでしまうが自制心も確認され、状況を的確に判断して立ち回る知性が存在している。
そんな相手に玩具を与えたところで寂しさは紛らわせないだろう。むしろ寂しさを助長させかねない。
もっと悪い方向に転がってしまえば舐めているのか、と怒らせてしまう可能性すら有る。
(そもそもだ、ジンはどこからきた? 仲間はいないのか?)
寂しいという点で見れば、ジンには同族が存在しないのかという疑問も現れる。
調べてみたがキヴォトスにおいて狼が生息する地域は限定的であり、シャーレからはとてつもなく離れている。一番近くても数万キロと検索結果が出た時には目を丸くした。
それに一番近場に生息するオオカミもジンとは見た目がかけ離れている、というか極めてシンプルで如何にも『The オオカミ』って感じの見た目だ。
ジンと身体的共通点が見られるオオカミはキヴォトス内に存在していない。生まれ育った土地も不明であり、同族が存在するのかどうかも分からないのだ。
(もしかして……同族が居ないからジンはこんなに甘え付いて来るのか?)
人間に相当する知性を持ちながらあれだけじゃれ付くのは無理だろう。羞恥心や世間体に対しても理解があるだろうし、それ等が邪魔をしてじゃれ付くことも出来ないはず。
でも、ジンの甘え方はかなり激しい。顔を擦り付けたりベロンベロン舐め回したり腹を撫でてもらったりと、犬のように思い切り甘えてくる。
そこも不思議だったが、これが『同族に会えない悲しさ』を『知性レベルが近しい存在』である人間にじゃれ付くことで誤魔化しているのだとしたら説明が付くのではないか?
羞恥心や世間体を度外視してまでじゃれ付く程の孤独感……それがどれだけ苦しいものなのか、私には分からない。
「がぅ?」
私が思考を巡らせる中で暗い気持ちになったのを察知したのだろう、ジンが不思議がるような声を漏らして顔を覗き込んでくる。
人の気持ちが分かる程の高い知性があるのであれば、孤独感や疎外感といったネガティブな感情が与える精神的負担は相当なものだろう。
「うぅん、なんでもないよ」
「がう……ごるるるる♪」
誤魔化してしまった。寂しくないか、なんて聞いたところでジンはきっと否定する。
私が誤魔化したことにも、ジンはきっと気付いている。気づいている上で言及せず、私が誤魔化してしまった罪悪感で撫でているのを受け入れてくれている。
顎に触れている手に対して甘えるように、匂いを付けて『この人は私の仲間だ』とマーキングをするように顔を擦り付けて来る。
体格に見合わない可愛らしい姿にキュンキュンしてしまうが、同時にこの行為も同族に会えない悲しさから来る行為だと考えると悲しくもなる。
「がう。がるるる…ごるる?」
甘えるのをやめて、ジンが私を見つめながら首を傾げた。
なんで私を呼び寄せたの、と言いたげだ。
「寂しいんじゃないかな、と思ってね」
特に理由なんてない。普段なら仕事の際にボディーガードを頼んだりするのだが、今回は大した理由なんてなかった。
ジンが寂しがっているのではないか、そう思って名前を呼んだ。
「……がふっ」
呼んだ理由を聞いて、ジンは短く息を吐いた。それがどのような意味合いの行為なのかは、私には分からない。
ジンは私たちの言葉を理解し心中を読み取る事ができる。仕草が持っている意味合いも理解している節がある。
でも、私にはジンの言葉が理解できない。仕草が持つ意味合いも理解出来ないことがある。
一方的に理解されているという不快感は無い。あるのは申し訳ないという気持ちだ。
私はまだジンを理解出来ない。身体的特徴や身体能力といった目に見える要素は理解出来ても、その心の中までは理解出来ていない。
それが申し訳なくて、同時にジンのことを良く知ろうと改めて決意した。
「私は弱いからさ、これからもよろしくね」
「…わんっ!」
これからもよろしく。いつまで関係が続くのかも分からないジンに対して投げ掛けるには少し酷かもしれない言葉だったが、ジンは嬉しそうに頷きながら答えてくれた。
そして、その数日後。
私の元に一通の手紙が届き、廃校を阻止すべく懸命に努力する少女たちの元に向かったことで私たちの関係はより深みを増していくことになった。