竜を仕留めた後、アビドス高等学校に到着するまで丸一日を要した。ジンの前腕負傷によって移動速度が大きく低下し、住宅街のど真ん中で日没を迎えてしまったからだ。
シロコには一旦帰宅してもらい、翌日学校で出会う約束を交わした。
最初は住宅街のど真ん中で野営するなんて大丈夫なのかと思ったけど、シロコの説明で大丈夫なのだと理解する。
アビドス高等学校は以前までなら相当な生徒数を誇るマンモス校だったが、度重なる砂嵐とそれに対しての巨額な対策費が原因でどんどん人口が流出していってしまっている。
全校生徒はシロコを含めて5名。その5名で地域の暴力組織と化した不良生徒たちから校舎を守りつつ、借金返済に日夜明け暮れているそうだ。
『ヴグッ、ガアアァッ! グギュアガァァァァーーー!!!!』
幸い竜との殺し合いでもクーラーボックスとその中身は無事であり、夕食となるインスタントラーメンを食べていた時のこと。
ジンが突然左前脚の傷口に電撃を浴びせ始め、激痛に悶え苦しみ絶叫を上げたのには心底驚かされた。飲み込んだラーメンを吐き出すかと思ったよ。
傷口を焼いたんだ。竜を苦しませることが出来るほどの電撃だ、肉体に当てれば大火傷する程の温度も当然ある。
「嘘でしょ……」
まさかの光景に驚かされながらも何とか無理やり眠って一夜を越し、朝になるとジンの左前脚はたった一晩で既に回復を始めているという驚異的な治癒能力まで見せ付けられた。
薬品を塗った訳でもない、単純な自己再生能力であの傷を乗り越えようとしている。
人間と比べれば当然様々な能力が高水準であることは予測出来ていたがこれほどまでとは……いやはや、恐れ入ったよ。
野生を生きてきたジンの力強さに改めて感心する。
「わおんっ♪」
殺し合いを演じていた時は冷酷で徹底的な戦い方を見せていたジンも、すっかりいつもの底抜けに明るい馬鹿面オオカミに戻っていた。
眠っていた私の顔面をベロンベロンに舐め回し、まん丸お目目でおすわりをし、尻尾をブンブン振り回して砂埃を巻き上げていた。
守ってくれたことへの感謝と労いの言葉をかけながら首筋を撫でて上げると嬉しそうに目を細め、顔を寄せてきて私の頬にグリグリと押し当ててくる。
いつも通り過ぎて、本当にあの竜との殺し合いを演じたジンと同一人物なのか疑わしいレベルだ。
いや、そもそも人では無いのだから同一
「おはようシロコ。昨晩はよく眠れた?」
「うん、ぐっすり。おはよう先生。ジンも、おはよう」
朝になり、約束通りにシロコと合流。クマも見られていないし本当にしっかり眠れたようだ。
ジンに対してもシロコは挨拶をし、右手を差し伸べる。
「わんっ♪ ごるるる……がうっ!」
「んっ……ふふっ、くすぐったい」
彼女の右手に顎を乗せてグリグリと擦り付けていたジンが、甘えた声を出しながらシロコを押し倒してベロベロと舐め始めた時はつい目を逸らしてしまった。
なんか、イケナイものを見た気分になった。別におかしくはない。人懐っこ過ぎる巨大オオカミと武装少女がじゃれ合っているだけだ……おかしくない、ハズだ。
合流したシロコも背中に乗せて、彼女の案内を受けながら私たちは目的地であるアビドス高等学校の正門を潜った。
確かに大きい校舎だ、マンモス校だった名残りを感じさせられる。
(なのに……寂しいな)
名残を感じる、つまり今はマンモス校らしさがほとんど感じられないということだ。
年若い子供たちが詰めかけて勉学に励むことを目的とする学校に存在して当たり前の活気が、人の気配が、アビドス高等学校からは感じられない。
纏う雰囲気はむしろ廃校となった校舎のそれに近しいものがある。シロコを含めた在校生5名で整備をしているらしく、まだギリギリのラインで廃校舎らしさは醸し出されていない。
「あははははっ! 凄いわ! 私の事こんなに軽々と持ち上げちゃうなんて!」
「がぁう♪」
私たちの到着にシロコ以外のアビドス高等学校の生徒たちが校舎内から飛び出してきて、シロコが連れてきたバカでっかいオオカミの姿に目を丸くしていた。
一番最初に飛び出してきたのは1年生の黒味セリカ。化け物が襲ってきたと思ったのか出会って早々に銃を構えてきたけど、ジンが頭から彼女を咥えてベロベロ舐め回したせいですっかり唾液でベタベタだ。
最初は怒っていたけど、ジンがそれに対してガチ凹みをかましたことで怒りが引っ込み、今ではジンの右角に両手で掴まり体を持ち上げてもらって遊んでいる。
「シャーレにはとんでもなく大きい番犬がいるって噂でしたし写真も見ましたが……まさか合成とかじゃなくて本当だったんですね…」
私に連絡をくれた子、奥空アヤネは唾液でベタベタにしたセリカを押し倒してじゃれついていたジンを見て、最初のうちは少し顔を引き攣らせていた。
ジンが顔を上げて視線を送るとビックリしちゃったのか身を縮こまらせてしまい、それを見てジンも凹んで身を縮こまらせるという変な光景が展開。
馬鹿みたいに人懐っこいことを説明し、鞍を外してうつ伏せに伏せてもらい首筋を撫でてもらうとすっかり打ち解けていた。
「凄い大きなわんちゃんですね☆ お目目もまん丸お目目で可愛いです♪」
2年生でシロコと同学年の十六夜ノノミは最初からジンに対する警戒心が皆無で、ジンの首筋をアヤネと一緒に撫で回している。
先の2人と比較するととても落ち着きがある。2年生としてしっかりしなければならない、そういう思いと元々の性格がこの冷静さを生み出しているんだろうかと推測する。
「うへぇうへぇうへぇ〜〜! これやめさせてぇえぇえぇえぇえぇえぇ〜〜!」
そしてアビドス高等学校唯一の3年生、小鳥遊ホシノ。絶賛ジンの玩具にされている人だ。後ろ襟を噛まれ、左右にブンブン振り回されている。
角にぶら下がっているセリカが楽しそうに笑っているものだからジンも悪ノリ状態。ホシノの声が振り回されるのに合わせて震えながら虚しく響いた。
まず、アビドス高等学校の校舎から出てきた4人の中でジンに対する好感度が最も高そうなのがホシノだった。
ジンの姿を視認した途端に眠そうな顔をぱっと明るませて、目をキラキラさせながら駆け寄ってきた。
それがマズかった。ジンもいきなり受け入れられて少し驚いてはいたけど、すぐにその驚きが喜びで完全にぶっ飛ばされた。
私の制止も無視してジンは暴走。大声で咆哮を放ちながら爆走してホシノに肉薄すると、口に咥えて持ってきてしまった。
そこから先は全身をベロベロ舐め回したり鼻をゴリゴリ擦り付けたりと、やたら激しくじゃれついた。今みたいに後ろ襟を噛んで持ち上げて、その反応を楽しんでいる様子も見られた。
セリカが銃を構えた理由の一端はその行為にもあるだろう。
「……ふふっ。ほら、そこまでにしておこう? 目的を忘れちゃいけないよ」
竜と殺し合った時は強烈に殺気立っていたジンが見慣れた姿に戻ってくれたのは嬉しいし、もう少し人とじゃれ合う姿を見ていたいのも本心だ。
でも私たちは遊びに来た訳では無い。助けを求められ、それに応える為に来たのだ。
「ぐるるるるる……わんっ」
不服そうに唸っていたけど真っ直ぐに見つめていると、ようやくホシノを振り回して遊ぶのをやめてくれた。その場に伏せ、後ろ襟から口を離す。
振り回されて目が回ったのかホシノは「うへうへうへぇ〜……」とふにゃふにゃした声で話しながらその場にぺたんと座り込む。
セリカは対照的に「とっても楽しかったわ! ありがとう!」と満面の笑みでジンの首を撫でていた。
場は整った。なんで私たちがこの場に来たのかを説明しようとした時、ジンが動く。伏せたばかりなのに立ち上がって、ホシノを見下ろしている。
目を見て分かった。何かを思いついたいたずらっ子のような目をしているように見えて、まだ辞める気ないんだなと察した。
「わぐっ♪」
「うぎゃぁぁぁぁああああ!? なになになになにぃ〜〜!? 暗いよ〜〜!! ヌルヌルするよ〜〜!!! 怖いよ生暖かいよ助けてぇ〜〜!!!!!」
頭の下に座っていたホシノを頭から食べてしまった。飲み込んではいない、口の中に閉じ込めたんだ。
閉じられた口の中からホシノの可哀想な悲鳴が聞こえてくる。
「んん〜〜♪ ふんん〜♪」
楽しそうに頭を左右に傾け、ご機嫌に鼻歌まで歌い出す。
口の中でもホシノが左右に転がされているのだろう。目が回るよぉ〜、と可愛らしい悲鳴が聞こえてくる。
ある程度満足したのか、ジンはガバッと口を開いた。舌の上で全身ヨダレでベッタベタにされたホシノがほぼ半泣き状態で、冬場の猫みたいに丸まっていた。
「ぶっ、くくっ、ふふふふっ……」
セリカが吹き出した。
「セリカちゃあ〜ん……笑ってる暇があったら助けてよぉ。おじさん汚されちゃって」
丸まりながら抗議するホシノの口は、半笑いだった。
もう笑う以外に出来ることがない諦めから来る笑いなのか、それとも本人は本人でそれなりに楽しかったのか。
試しに聞いてみようかと思ったけれど、それは叶わなかった。
「あむんっ」
「にょわぁぁぁァァァァァ〜ッ!?」
話している途中なのにジンが口を閉じてしまい、小鳥遊ホシノ2度目の暗闇へご招待。
水に浸かった後の犬が水気を払う時のように頭を左右に振りながら、片方の前脚を上げてバランスを崩してみたりと口の中にいるホシノをひたすらに転がしている。
「ぶぐっ、くくっ、あはははははは! ホシノ先輩がにょわぁぁぁぁぁだって! あはははっ!」
セリカ、大爆笑。
両腕を上に上げてぴょんぴょんと飛び跳ねる。それを見たジンは頭を振るのを一時中断して下げ、右角をセリカに掴ませてから頭を上げた。
音楽を聴いてリズムに乗るように頭を振る。それに合わせてセリカも歓声や笑い声を上げ、ホシノが悲鳴を上げる。
サーカス団が連れてきた象と戯れる子供、そんな感じの光景が私の目の前に展開された。
「……あの! わ、私もいいですか!」
アヤネ、参戦。
ジンが頭を下げてアヤネに左角を掴ませ、人間を2人もぶら下げているとは思えないくらいに軽々と頭を上げる。
大人しそうで、少し引っ込み思案なのではないかと思っていた彼女が私も混ぜて欲しいと言ったのは、間違いなく人と触れ合うことを楽しむジンと彼女に振り回されている仲間たちの姿を見たからだろう。
「楽しそう。私も混ぜて」
「あらあら☆なら私もお願いします♪」
シロコとノノミも混ざってしまった。
胸元から肩を経由して背中へと生え揃う甲殻を2人に掴ませ、ジンは旋回したり軽く小走りをしたりとひたすらに動き回り始める。
モンスターと人間がじゃれ合っている光景は異質ではあるが、すごく微笑ましいものだった。
シッテムの箱に備え付けられている写真撮影機能を立ち上げ、記念写真を撮る。
「ハッハッハッハッ♪」
「うわぁぁぁぁあぁぁぁん! 誰も助けてくれないよおぉおおおぉぉぉ〜〜!」
誰かと触れ合える楽しみを噛み締めているジンの楽しげな鼻息と口の中から聞こえてくるホシノの悲鳴が、午前中のアビドス高等学校正面玄関前に響いていた。