目の前で繰り広げられている光景に、私は言葉を失った。
「す、すごい……おい、この喉元凄いぞ…」
「ツルツルだ……なんか、私羨ましくなってきたよ…」
「カッコイイ狼って、良いよね」「分かる」
あのカタカタヘルメット団が、私たちを長々と苦しめて来た暴力組織の構成員たちが誰一人として一発たりとも弾丸を受けることなく無力化されている。
アヤネちゃんが送っていた支援要請。
弾薬と補給品の援助が受けられるようになったことを証明する書類を届けてくれた(一応信用出来そうな)大人と、鞍を装着させるくらいにその大人に気を許している巨大な狼のコンビにカタカタヘルメット団はあっさりと壊滅した。
タブレットを睨みながら相手の配置や移動先の予測を先生が通達し、狼が飛び込んで精密な動きで武器だけを次々と破壊。
傷を付けることはなく、軽やかであり力強くもある見た目に似合う大立ち回りで武器を奪い、勝ち名乗りの大咆哮で狼が無力化してしまった。
「どう? うちの相棒はすごいでしょう? 強さも毛並みもそんじょそこらの狼とは比べ物にならないんだから」
腰に手を当てて胸を張り、大層自慢げにふんぞり返る先生。腰が痛いのに無理をして見栄を張っているのを腰に当てている手が小刻みに震えているのが証明していた。
見栄を張る大人。事実とは異なる事を声高に言ってみせる大人。
私を騙した汚い大人と、先生は大して差がないように見える。騙している内容がしょぼいから他の大人ほどの不快感は無いけどね。
私だって馬鹿じゃない。騙された時は馬鹿だとしても、騙された後なら学びもする。
大人は汚い存在。子供を騙し、搾取し、自分だけが満たされれば良いと思っているドス黒い存在だって、そう思ってきた。
「わふぅ〜……」
最初の方に無力化されたカタカタヘルメット団の構成員は逃げ出して行ったけど、後半の方に無力化された構成員たちは巨大な狼、ジンに思い切りじゃれ付かれてメロメロになっちゃった。
押さえ付けてベロンベロン舐め回してヨダレまみれにして、体をぐりぐりと押し当てて、楽しそうに鳴き声も上げて。
見上げるような巨体と激戦を生き抜いてきた猛者であることを示す赤赤と光る傷跡は相当な威圧感を生み出すのに、心の底から楽しそうにじゃれ付く姿のせいでそれが消える。
伏せの姿勢でまん丸のお目目をキラキラさせているジンの首筋やら顎の下といった、静電気を帯びている柔らかそうな毛以外の場所を撫で繰り回しては激しいじゃれ付きですっかり骨抜きにされた構成員たちがキャーキャーと楽しそうに騒いでいる。
私を口の中に閉じ込めている間に皆とじゃれていたジンは、人と触れ合うことが好きな生物なんだと思う。
大人数から一気に撫で繰り回されて、周りで騒ぎ立てられているのに嫌がるどころから気持ち良さそうに目を細めている。
「……」
ただ黙って、目の前の光景を目に焼き付ける。
私たちはアビドス高等学校を守り、廃校を回避する為に戦ってきた。和平交渉の兆しすらもなく、ずっと戦い続けた。
終わりが見えない借金地獄。こちらの都合とはお構い無しに襲ってくる暴力組織との抗争。
それうちの片方が終わるかもしれない、そんな希望を感じさせてくれる光景だ。
校舎を狙って性懲りも無く襲い続けてきたカタカタヘルメット団の構成員たちが、私たちの肩を持ってくれる大人によって連れられてきたジンと仲良くじゃれ合っている。
「こうすると、ほら! 角にぶら下がらせてくれてるのよ!」
「おぉ〜すごーい! それに楽しそう! 私にもやらせて!」
「じゃあ左角の方に移動してセリカちゃんの真似をしてみてください!」
ジンとカタカタヘルメット団が仲良くすることに最初は不快感を示し険しい顔をしていたセリカちゃん達も、そこにジンが突っ込んで来てじゃれ付かれたのを皮切りに笑顔で交流を始めている。
私だって複雑な心境ではある。可愛い後輩たちが楽しく誰と接している姿は良いものだけど、相手は校舎を狙ってしつこく襲撃し続けてきたカタカタヘルメット団。
ジンと触れ合う姿から本来なら悪い子じゃないんだろうな、というのは伝わってくる。彼女たちも居場所を失って、同じ境遇の子達が自然と寄り集まった結果としてああなったんだろう。
言い方を変えれば、彼女たちは私たちに起こり得た『もしも』の姿……なのかもしれない。
「どう? 後輩ちゃん達とちょっと悪い子なだけの良い子たちが触れ合う姿は」
いつの間にか、先生が私の隣に立っていた。ジンの近くに立っていたはずなのに…接近に気付けないくらいセリカちゃん達に視線を奪われ、思考に耽っていたのか。
「うんうん。おじさんも嬉しいよぉ……」
皮を被る。いつも通り、何も変わらない。
いつもそうしてきた。本来の私を隠し通して過ごしてきた。
セリカちゃん達にだって見せたことは無い。最初の頃はあったかもしれない己を偽ることへの罪悪感や嫌悪感も気付いた頃には無くなっていた。
その筈なのに、先生を見ているといつも通りではいられなかった。
「ホシノ」
私たちに自己紹介をした時はゆる〜い感じのぽやぽやーっとした話し方をする人だったのに、私の名前を呼んだ時の声は妙な威圧感みたいなものを感じた。
いや、威圧感じゃなくて真剣さだ。アヤネちゃん達が大切な話をする時の真剣さとは違う、大人の放つ真剣さ。
自然と背筋が伸びた。怖い。何を言われるのだろうという不安が溢れて溢れて、体が震えそうになる。
騙された時、怒りを覚えただけでは無い。大人に対しての恐怖すらも、私は植え付けられてしまった。
「……なに?」
己を偽る余裕は消えていた。本来の私で言葉を返す。
先生は驚きもしなかった。声色も目付きもまるで違くなっているはずなのに、片眉をピクリと動かすみたいにほんの僅かな反応すらもなかった。
「君が私を警戒しているのは何となく理解しているよ。それを警戒するな、信頼しろ、なんて言わない。君が私を警戒する必要が無い人間だって思えるようになるまで、いくらでも時間をかけて欲しい」
「……へ?」
助けてやったのだからお礼をしろ、とまで言われるかもしれないなんて邪推を本格的に巡らせそうになっていた私の耳に届いた言葉は想定していたものとは完全にかけ離れていたもので、理解するのに一瞬の間を要した。
「でも、ジンだけは信頼してあげて欲しい。あの子はとびっきりの人間好きの甘えたがりでね、少しでも叱られると本気で凹むくらいなんだよ。君に警戒されたらあの子もきっと悲しむ」
「いや、それは大丈夫だけど……私もジンくん?ちゃん?は好きだし」
戸惑いながらも声がどもらないように気を付けつつ答えると、先生は黒いアンダーフレーム眼鏡の奥に見える瞳が嬉しそうに細められた。
この言葉は嘘じゃない。私はジンを気に入っている。いきなり食べてくるのはちょっと困るけどね。
私の事を気にかけてくれているような、そんな気配をジンからは感じた。野生で生きて来た事で観察眼が培われたのか、あのバカっぽい瞳から私の内面を見透かしているのがわかる。
見透かして、それを癒そうとしてくれた。
私を口の中に閉じ込めてベロンベロン舐め回しまくって、そのまま頭を振り回すなんて滅茶苦茶な方法で私を元気付けようとしてくれた。
方法は少しアレでも私を思って動いてくれたことは痛いくらいに伝わって来たから、私はジンの事が気に入った。
「もしかして、私がなにか理不尽な要求でも言ってくると思ったかな?」
「…まぁね。分かっちゃった?」
戸惑いが伝わったのか、先生に邪推をしていたことがバレた。
それを言葉として伝えられてしまうと否定しようがなくて、私は降参したと示すために両手を上げる。
「無駄に30数年生きてないからね。歳食ったなぁ私」と先生は苦笑いして、私の頭にポンっと手を置いた。
大人に触れられるなんて気持ち悪いだけだと思っていたのに、先生に触れられるのは不思議と悪くないように思えた。
撫でようと伸びてくる腕を払い除ける気にも、頭を撫でる手から逃げようという気にもならない。
「私は生徒たちの味方だよ。裏切られたって、銃で撃たれたって、私は生徒の為に動くし生徒を助ける事を優先する」
撫でてくれている手が頭の上から側頭部、後頭部と移動していく。
もっと撫でて欲しいと思えてくる、とっても優しくて暖かい手。
「それが大人としての在り方であって、先生としての役割だからね」
「……大人としての在り方、か」
騙された経験から、私は視野を狭めていたのかも。
大人は私たち子供を騙して利用するだけの存在なのだと、それ以外の大人なんて存在しない気になっていた。
大人とはどんな存在なのか、自分はどんな存在なのかを語る先生の姿からは微塵も不快感を感じられなかった。私を黙そうという意志を感じなかった。
「私にはジンみたいに力は無いけど、君たちを助けたいって意思だけは一丁前に持ち合わせているからね。信用しなくても良いから、私に力を貸させて欲しいんだ」
「……ぷっ、あははははは! 力を貸させて欲しいなんて言われたの初めてだよ!」
真剣な表情と声色で変わった事を言うものだから、私はついつい笑っちゃった。張り詰めていた緊張の糸が緩んだのかもしれない。
先生のことを信用した訳じゃない。悪い人じゃないというのは分かったけど、それでも完全に心を許したのでは無い。
大人のことはまだ信用しきれない。
「ごふるるるるる」
体の茶色い甲殻のそこかしこにカタカタヘルメット団構成員やセリカちゃんたちをぶら下げながら、ジンが私と先生の目の前に歩いてくる。
見た目は威圧感があるのに、沢山の人に遊ばれている公園の遊具みたいな姿がどうしようもなくバカっぽくて笑えてくる。
「わんっ!」
私の目の前に来たジンはべろんっと、私の頬を舐めてくる。
先生が私を撫でてくれた時と同じ、優しさと暖かさを感じられた。
二人の関係がどんなものなのかは分からない。飼い主とペットなのか、それとも対等な関係なのか。
なんであれ、二人がそっくりなのは理解出来た。他人に対して底抜けに優しい人たち。
「ふふふっ……くすぐったいよぉ」
頼りになって、一緒にいると楽しくて気持ちが楽になる人たちだっていうのは理解出来た。
べろべろと舐め回されるのを受け入れながら、私は笑っていた。肩が少し軽くなったような感覚を感じながら。