「……、……」
ジンは目を覚まさない。静かに、深く、月明かりを浴びながら眠り続けている。
角が新しく生えたり元々生えているものが湾曲したり、尾の形や棘が生えたりと今回の戦闘で彼女は劇的な変容を遂げた。
体も大きくなっている。計測ミスでなければ角の先端から尾の先端までで約全長27m。
健やかに育って行く我が子を見る親、というのはこういう気分なのだろうな。眠っているジンの顎を撫でていると、そんな気分にさせられる。
「私は、どうしたのだろうな」
惚れた弱みとは違うだろうが、私のジンに対する肩入れ具合は少し異常だ。
カイザーPMCとの一戦を終えて帰路に着くジンに対し、皆は複雑な感情を抱いていた。
感謝と恐れと戸惑い。
自分たちを守ってくれていることへの感謝。
人智を逸脱している力への恐れ。
感謝と恐れが混在している複雑な心中に対しての戸惑い。
先生であっても例外ではなかったと言うのに、私には恐れが欠片も存在しなかった。
あまりにも非人道的な生物兵器へと作り替えられてしまった大型モンスター達の何かしらを継承し、より崇高な物へと変容を遂げたとすら思わせる姿へと変じたことに喜びすら感じていた。
「……ダメだな。私には分からないよ」
「局長、そろそろ」
恐れを感じないことは悪くないことだが、周りと違うとなれば気になりはする。
それをこうしてジンの角を撫で、鼻先をくすぐり、顎下に触れながら考えていたかったがそれを時間が許してくれない。不服そうな部下の声に頷いて返した。
先程、私たちヴァルキューレ警察学校の頂点に立つ人物とも言える防衛室長から強制帰還命令が下された。
休暇中の生徒であっても非常事態対応等の有事に対応させる為、強引に帰還させる権限が行使された。
以前のカイザーローンガサ入れの直前に入った指示と言い今回の強制帰還命令といい、カイザーコーポレーションにとって不利となる出来事を未然に防がれている、そう思わざるを得ない。
ここまで来ると防衛室長、不知火カヤがカイザーコーポレーションと何か裏で繋がっているのではないかと疑ってしまうのも無理は無いだろう。
下手に探りを入れれば逆に怪しまれる事になる以上、今は頭の中で怪しむことしか出来ないが。
「全員、乗車して車内で待機。私が戻るまで休息を取るよう伝えてくれ」
「……本当に、良いのですか。ジンさんとまた離れることになるんですよ?」
怖い顔をしている私は部下からも怖がられていたが、ジンと触れ合う姿を見られていくうちに苦手意識を持つ者が減っていった。
今ではこうして私の胸中を読んで『本当に良いのか』と判断に後悔が伴わないのかを聞いてくれるくらいには打ち解けてくれている。
「そんなこと、言わなくても分かるだろう?」
懐に手を入れ、取り出したのはジンが機械化されたモンスターと殺し合った際に攻撃を受けて剥がれ落ちた甲殻や鱗の破片。
ほぼ無傷で大型モンスター5連戦を制したジンだが、それでも数発はやはり攻撃を受けていた。
その際に致命傷を避ける防具として働いてくれたモノ達をそのままにはしておけなくて、カイザー達の目を盗んでこっそりと拾い集めていた。
「離れたくないとも。ようやく会えたのに、また数日で別れるなんて」
ジンと再会してまだ数日なのに、また離れ離れになる。そんなもの認可したくないし、カヤの眉間に拳銃を押し当てて強制帰還命令を取り下げろと脅したいくらいだ。
でもそれは出来ない。私は充分ワガママを聞いてもらった。
本来なら受理を待たねばならないものを即決で認可してもらい、随分とジンと触れ合わせてもらった。
ならそのワガママを聞いてもらった恩くらいは返さなければねらない。例え相手が新たに出会った友とその学び舎を苦しめる巨悪と結託しているだとしても。
「それに、小鳥遊ホシノに関しても気になるからな」
砂漠においてジンに気圧され意識を喪失する直前、カイザーPMC理事の悪足掻きによってアビドス高等学校の借金の金利が法外も法外な跳ね上がりを見せた。
それに対して怒りの声が上がる中、ホシノだけが少し違う反応を示したのが気になった。
何かを決意したような、それでいて深い悲しみを抱いておきながらそれを無理やりに隠しているような、そんな反応。
尋問をしてきた身としては、人間が何かを決意した時や隠している時の反応はオフの時でもやはり目に付いてしまう。
あの場で尋問しようと思えば出来たが、これはアビドス高等学校とそこの在学生である彼女達が決めること。私のような部外者が口を出すことでは無い。
「……はぁ。こういう時に大人は煙草を吸うのでしょうね、先生?」
「まぁ、そうだね」
校舎内から屋上へと出る為の扉が開かれ、疲れた顔をしながら現れた先生に下らない質問を投げ掛ける。
羨ましいくらいに豊満な胸をスーツに押し込み、メガネの後ろの濁った瞳で無理くりに笑顔を作りながら落下防止フェンスに寄り掛かり、ジンをちらりと見る。
「流石に今は吸えないかな。未来有望な子供達にこんな害しかない煙を吸わせるのは、大人として恥ずべき行為だからね」
眠っているジンを起こしてもいけないからさ。
微笑みながら先生は私を見つめてくる。きらきらとした灰色の瞳。そこに耳を垂らした私の悲しげな表情が映り込んでいた。
なるほど、ここまで別れを惜しんでいるとは自分でも思わなんだ。
「カンナはさ、ジンが怖くないの?」
その問い掛けに、私は怖くないと即答出来たがそれを控えた。
質問をしたのは私の答えが気になったのもそうだろうが、何よりも自分が胸の内を吐き出す切っ掛けを求めていたからだと何となく感じ取っていたから。
「私は怖かった。あんな大きな化け物を簡単に倒しちゃうその力が怖くて……でも、今までのジンが脳裏に焼き付いているから素直に怖がることも出来なくて……」
震えた声で吐き出される、生徒の肩を持ち全力で支えてくれる大人の弱音。
先生だって人間であり生物だ。親しい相手であってもそこに恐れが芽生えてしまえば恐ろしいと感じてしまう。
仕方ないものであったとしても、それが生物である以上避けようがないものであったとしても、それを許せないと先生の目は訴えている。
弱音を語っているとは思えないくらいに拳は強く握られ、色白の肌に赤みが刺していく。
このままにさせたら爪が手のひらの皮膚を突き破りそうだ。それを阻止したいと言う目的と、私の思いを話したいという願いから、私は先生に投げ掛けられた問いに答える。
「どれだけ変わり果てて、荒れ果てようともジンはジンです。私が彼女に向ける気持ちは、想いは変わりません。友として、彼女を愛していますから」
私がこれだけ彼女に入れ込む理由は本人であっても分からない。初対面時に舐め回される、なんて普通なら最悪の初対面だったのに。
何か見えない力が働いていて、私の気持ちを本来あるべきものから逸れたものに作り替えられているかのような、何とも言えない気分だ。
でも、仮にそうだったとしても私は構わない。有り得た正しい姿とは似ても似つかないものになっているのだとしても、私は今の私を気に入っているからな。
ジンの親友であり相棒、それで良いんだ。
「……カンナは強いね。羨ましいくらいに強い」
「いえ、これは強さではなく無謀というものですよ先生。私は私の生き方を、ジンの隣にいる生き方を貫こうとするでしょうから……きっとこの先、酷い目に遭う」
ジンの隣にいるということは、ジンに向けられる害意や脅威に私の体を晒すということ。
ハッキリ言って無謀だ。先の機械化大型モンスターはおろか、私たちの武器で仕留めることが可能である小型モンスターですら私にとっては命を落とし得る危険な存在だ。
それでジンの隣に立つなんて、自殺行為に他ならないと分かってはいる。
「それでも、カンナは隣を退くつもりないんでしょ?」
「えぇ。私はもう、私という人間の生き方について心に決めています。ジンの隣に立って、例え離れ離れになってしまったとしても心で繋がって、寂しがりな彼女を支えるって」
例え自殺行為になってしまうのだとしても、私は私の生き方を既に心に決めてしまっている。曲げるつもりも取り下げるつもりもない私の生き方、ジンを支えるという覚悟。
彼女には随分と助けられたから。
イビルジョーの魔の手から救い、日々の激務で荒んでいた心身を癒し、仕事以外に没頭出来る趣味を見付けて、生きる理由を見出させてくれた。
それに報いるのには、二度や三度命を救うくらいでは到底足りない。彼女か私どちらかの生命が尽きるその日まで隣に立ち、安寧なる最期を迎えるまで連れ添う事。
そうでもしなければ、私はジンにとって相応しい相棒だと胸を張って名乗れないから。
「先生。これは私の勘になるのですが……ホシノが何かをします」
「……そっか、ホシノが」
時間が刻一刻と迫って来ている。あまり時間をかけてはいられなくなってしまった。
だから立ち去る前に局長としての勘が囁く今後の大きな荒波について、先に先生に伝えておくことにした。
「彼女は何か思い詰めている風に見えました。人間一人一人が何かを抱えているように、彼女も何かを抱えている……どうか一大人として、彼女を見捨てないで上げてください」
「勿論だよ。拒絶されたって見捨てるものですか。だって、私は先生であって大人だからね。子供を守り、導く義務がある」
そう答えると分かり切っていたけど、言葉にして聞かされたことで安心できた。
ホシノはアビドス高等学校を構成する大切な一人。それが欠けたり機能不全にでもなろうものなら、残された面々には大きな精神的動揺となる。
それに、カイザーがその隙を見逃すとは思えない。借金の金利が馬鹿げた額まで跳ね上がったというどうしようもない絶望の中で広がる動揺は、つけ入るのにはうってつけだからな。
「私はこれからアビドスから離れます。多分、当分の間はお会いすることは出来ないでしょう。モモトークもお互いの仕事の都合の関係上、頻繁には交わせないと思います」
「うん、分かってるよ。ジンをよろしく、でしょ?」
聡明な方だ、話が早くて助かる。
微笑みながら差し出された手を掴み、引き寄せる。
有り得ないとは思うが一応、友として脅しをかけておく。
「ジンを悲しませるのは良いとしよう。楽しいことばかりが人生じゃない。だが仮に悲しませたとして、そのままにしようものなら……分かるな?」
「私だって自分をジンの相棒だと思っているからね。そこは安心してくれて構わないよ。むしろ、私としても少しカンナに対して言いたいことがあるかな」
今度は私が脅される番だった。
面白い人だ。先生だ大人だと言っておいて、こうして欲望を言葉にするのは実に『人間』らしかった。
「無理をして怪我をしたとしても、それをそのままになんてしないように。ジンを悲しませるような真似をして何もしないなんて、私は絶対に許さないよ」
「……分かっています」
真剣な表情で話しているのだから笑いを堪えるのに必死で、少し返事が遅れた。
答えた後、最後の触れ合いにと眠っているジンの目元を撫でた。
ザラザラごつごつとした鱗に覆われた顔が微かに動いたが、目が開かれることは無い。
あれだけ暴れ回ったのだから疲労困憊なのだろう。
ゆっくり休んで、明日からまた元気になって欲しい。
そしてまた、何処かで会おう。
別れが齎す寂しさを誤魔化す為に、月と星に彩られた夜空を見上げた。
アビドスの砂漠化進行によって乾燥している風が吹き流れていく夜空は、日が落ちたこともあり少し肌寒い。
帰りの運転は冷えそうだ。途中で暖かい飲み物でも仕入れなければ帰還時には風邪を拗らせそうだな。
「…先生。空を見てください。アレ」
キラキラと煌めく月と星。夜空にあって当然なその二つの他に光を放つものを私は見つけた。
声と指差しで先生にも空を見上げさせる。その後に彼女の口からおぉ〜、と感嘆の声が漏れたのが聴こえた。
「彗星だね」
「ええ。それも
天を横切る紅の彗星。初めて見た現象だが、中々どうして美しいものではないか。
まるでジンと別れて帰還する私の道行の幸運を暗示してくれたかのようで、少し心が軽くなった。
眠っているのを起こしてしまわないよう、心の中で別れを告げてアビドス高等学校校内の階段を下る。
悲しいはずの別れなのに、私の足取りは軽かった。