仕事で疲れていた、というのは否定できない。毎日凄まじい量の資料作成・整理に追われてそこにヴァルキューレ警察学校公安局としての実動任務もあるのだ。
毎日毎日仕事仕事仕事仕事……気が休まるのは眠る時と息抜きでコーヒーを飲んでいる時くらい。
慣れたつもりではいたが、実は案外ストレスが限界近くまで溜まっていたのかもしれないな。
「アッハハハハハハハハ! おまっ、何をやっているんだ! もう少し恥じらいってものをだな!」
目の前で無理矢理二足歩行になり、体を支える後ろ足を細やかに動かしながら歩き回る巨大なオオカミ型生命体の姿に私は腹を抱えて笑っていた。
その姿に頭の中のモヤモヤが吹き飛ばされる。アニマルセラピーという言葉を聞いたことはあるが、こういうことを指すのだろう。
・『オオカミ型巨大モンスターと遭遇した』
・『そのモンスターと打ち解けて草食性大型モンスターを保護した』
・『オオカミ型巨大モンスターが走り去ったと思ったら進行先で激しい打撃音や落雷が観測された』
書類整理を終えて息抜きにコーヒーを飲んでいた時にこんな連絡が飛び込んできて、私は最初耳を疑った。
だっておかしいだろう? モンスターだぞ、モンスター。捜索依頼が出されていた犬を保護したとかとは訳が違う。
しかもそこに草食性大型モンスターのオマケ付き。真昼間から居眠りでもして寝惚けた状態で連絡をしてきたのかと、私は本気で疑った。
馬鹿な事を言うな、と通信を切ろうかと思った私がそれを踏みとどまったのは、通信してきた相手が現在遂行中の任務内容と通信越しに聞こえた音。
彼女たちは昨夜から早朝にかけて何件も舞い込んできた『オオカミのような遠吠えが聞こえた』という通報を受けて出動していた。
その通報内容と通信越しから確かに聞こえるオオカミのものに似た遠吠えが、オオカミ型巨大モンスターの存在を私にも有り得ると思わせた。
「あおんっ♪ ワンっ♪ ハッハッハッ♪」
巨大なオオカミなんてそれだけで住民たちにとっては恐怖でしかない。ただのオオカミですら人間を容易く殺傷できてしまうのに巨大ともなれば尚更だ。
私もこの目で確かめた方が良い。そう思って書類整理を丸投げして駆け付けてみれば……コレだ。
子供の落書きみたいなまん丸の目をキラキラさせ、体を支えたり攻撃に使用する屈強な前足をプラプラさせてちょこちょこと意味もなく歩き回っている。
あまりにも身体の見た目にそぐわない、でも顔つき的にはそぐう奇っ怪な動きとそれを楽しそうに行う姿がもう面白おかしくてたまらなかった。
これを警戒しろ、というのが無理な話かもしれないな。こんなの誰がどう見たって私たちに害を及ぼすとは思えない。
仮に害を与えるとしても、その巨体でじゃれついた際に傷付けるくらいか。
(それにしても……巨体だな)
笑いながらも、目の前にいる未知の生命体を観察する。
後ろ足で立ち上がっているせいで巨体さは余計に際立っている。私の身長は166cm、それを基準にしてパッと見で推定しても20m以上はあるんじゃないだろうか。
楽しそうな鳴き声を発してはいるが口には鋭利な牙が生え揃っているし、可愛らしい有り様になっている前足もその屈強さと鉤爪の存在が一撃必殺の武器足り得ると感じさせる。
そこに、ここに駆け付けるまでに何かと交戦したのだろうな。
地面は捲れ、焦げを伴う陥没痕が無数にあり、空気中には肉が焼け焦げたような匂いと血の匂いが混ざっている。
「ん? これは……」
周囲の状況を見回していた際、足元に転がる奇妙なものに気付いた。
恐らく目の前のオオカミ型巨大モンスターが楽しそうにはしゃぎ回る拍子に、奴の足元にあったものが蹴飛ばされてこちらに転がってきたのだろう。
人間のものでは無い、やけに細長い指。その先端には鋭利な鉤爪が生えており、指の断面は食いちぎられたかのようにギザギザだ。
恐らく、この指の持ち主とコイツは交戦したのだろう。落雷を引き起こすという生物として有り得ない能力を駆使して。
そして打ち勝ち、捕食した。見た目通りの肉食性というわけだ。
(だが、それだと疑問が生まれる)
肉食性なら私の部下たちが遭遇した際に襲いかかっていたはずだ。
ここに到着するまで詳しい事情を説明してくれた部下の話が正しければ、遭遇してからオオカミ型巨大モンスターがいきなり駆け出していくまで一時間前後しか経過していない。
その間に空腹を迎えたのだとしても、そこからいきなり駆け出していって別の場所で狩りをするという選択肢が浮かぶだろうか?
しかも手負いの草食性大型モンスターを保護し、傷の手当まで行ったという情報もある。
捕食するのにはうってつけも良いところなのに、コイツはそうしなかった。
(相当に利口な肉食性大型生物か……厄介だな)
獲物を選び、人間と意思疎通を図り、捕食出来る相手を保護し手当まで行う。
私の言葉にも完全に理解を示しており、敵意がないことを示すために面白おかしい行為を自ら進んで行う。
利口なんてものでは無い。
行方を上手いこと誤魔化して捜査の目を免れる犯罪者とは違う意味で厄介だ。
今後、何かの拍子で人間に牙を剥くことがあればその知性は肉体と同等かそれ以上に凶悪な武器と成る。
人間の考えを読み取り、その裏をついて鉤爪や牙、電撃といった防ぎようのない一撃必殺を叩き込んでくる。
想像するだけで頭が痛くなる。こんな存在、野放しにして良いものだろうか。
(だが……だがなぁ…………)
私は立場上、ありとあらゆるリスクを考えなければならない。
考え無しに動いて何か住民の方々に実害が出たとなれば、それはヴァルキューレ警察学校公安局の立場そのものを揺るがしかねない。
それは分かっている。痛いくらいに承知している。
だがその上で、その上で私は目の前の巨大モンスターを放ってはおけなかった。
「くぅん?」
「ぐっ…ぶふっ…クククッ……」
だって見ろコレ! ひっくり返って足バタバタさせながら『どうしたの?』と言いたげな視線向けてくるんだぞ!?
なんだコイツ図体の割にいちいち仕草が可愛いなぁ! 本当にこの惨状を生み出した元凶かコイツ!?
こんなバカっぽいツラしたヤツが!?
失礼、取り乱した。
兎も角、この生物を監視もなしに野放しにするのはリスクがある。この存在を知ってしまった以上、何かしらの手は打たねばならない。
しかしどうしたものか……まず最初に思い浮かんだものはこの森を覆い尽くす巨大なドーム(監視カメラ付き)を建築するといったものだが、これはあまりに非現実的だ。
そんな資金と素材をどこから抽出するのか、環境への影響はどうなるのか、近隣に住む住民の方々にどう説明して納得してもらうのか、色々と問題点が多すぎる。
監視カメラだけを取り付けるにしても、コイツは私へのじゃれ付き方から相当人懐っこい性格をしているように思う。
取り付け作業をしていれば『何してるの?』と様子を見に来るだろうし、監視カメラの存在に気付けば『監視されてる?』と思い傷付ける恐れがある。
知性が高いせいで、私たちが取った対策で傷付けてしまう可能性が極めて高くなってしまう。
なんならこの後私たちが立ち去ることですら人懐っこい性格上心理的負担になってしまいかねない。
「……局長。私たちは、この生物を連れて行くことを提案します」
「…本気か?」
半ば詰みとも感じられる状況に頭を悩ませていると、部下の一人がとんでもない提案を投げ掛けてきた。
コイツを連れて行く? 番犬にでもするつもりか?
「はい。この生物は私たちを仲間だと認識し、共に他生物の保護も行いました。人間に相当する知性、判断能力や判断指標を持ち合わせているものと推測します」
「それなら自然環境から引っ張り出して人間の住まう環境に連れて行っても順応出来る、と?」
確かに悪くはないかもしれない。この生物の知性の高さは人間に相当する、人間の住まう環境に連れ込んでも順応出来る可能性は有る。
それにこの戦闘能力は私たちにとっても頼もしい。犯罪者の中には逮捕の直前まで激しく抵抗する者も珍しくなく、その抵抗によって負傷する者もいる。
だがこの生物なら見た目の威圧感も相俟って、相手に不必要な抵抗を行う気力すら起こさせないだろう。
公安局が落雷を発生させる強力な番犬を手に入れた。こんな噂が流れればそれだけで犯罪に対する抑止力とも成り得る。
「だが、それを住民の方々が受け入れると思うか?」
利点は多々あれど、そればかりを見てはいられない。
第一に、私たちがいきなりこんな生き物を連れて来たとなれば住民の方々に要らぬ不安と誤解を招きかねない。
これだけ巨大で牙や鉤爪を持つ生物が生息している、それだけでも相当な恐怖だ。
それが公安局の管理下に置かれる。それは公安局が今まで以上の力を得る事にもなる。
治安を乱す犯罪者を取り締まるのには役立つ力を、住民の方々が受け入れられるとは考えられない。
しかもシステムによって制御されている機械では無い、己の頭で考えて動く生物だ。心を許されている私たちでも予期できない行動に出て被害を出す可能性も捨て切れない。
強大な力を公安局が得るのは私たちに対する認識が、悪い方向へ切り替わるきっかけに成り得てしまう。
「それに第一、アレは自然環境に身を置いて生きてきた生物だ。いくら知性が高かろうと人間環境に連れていけば必ず支障が出る。屋内で飼われるペットとは違うんだぞ」
20m超えということは学校のプールとほぼ大差ないくらいの大きさになる。そんな生き物が人間用に整えられた環境で不自由なく生活出来るとは、私は思えない。
狩りをして生きる生物が人間社会でどう生きる。
落雷を引き起こせる生物が人間社会にどんな影響を与える。
鉤爪と牙を全て折り、鋭利な部分もある甲殻を全て削って丸みを帯びさせたとしても、その巨体がぶつかるだけで周囲のものを破壊しかねない。
人間の言葉を理解出来るとか、気持ちを読み取ることが出来るとか、そんなものは無意味だ。
あの生き物はあの在り様で生まれ落ちた時点で、私たち人間とは決して相容れない生き物なのだ。
「グルルルル……」
「ふふっ……なんだ、心配してくれるのか?」
今後の対応をどうするか、この場では結論は出せない。
しかし後回しにも出来そうにない。生物が相手となれば、時間の猶予はほぼ無いに等しい。
どうしたものかと悩んでいると、はしゃぎ回るのをやめて私のすぐ目の前まで寄ってきてぺろぺろと頬を舐め始めた。
「がうっ!」
「そうか……お前は優しいな」
やはり、私の言葉を理解している。応答と頷きを見せられてはそう思わずにいられない。
私に対する親愛を感じさせる真っ直ぐな眼差しを見てしまうと、何だか悩んでいるのが馬鹿らしく思えてしまう。
首筋に生えているサラサラの毛を撫でようとしたが、それは嫌なのか顔を反らされてしまった。
「局長。その白い毛には静電気が蓄えられています。私が触れた際にもバチッとしました。多分、喉の部分を撫でろということかと」
「そ、そうか……なら…ふおぉ……」
茶色がかった甲殻に保護されている喉に触れると、フサフサの白毛とは違ってツルツルとしていた。まさかの触り心地に変な声が出る。
「ぐるるるる♪」
コロンとひっくり返って気持ちよさそうに喉を鳴らしている。大好きな飼い主に構ってもらえてご満悦の犬、そんな感じだ。
コイツ、私のこと大好きすぎるだろ……私、これを置いて帰らなきゃいけないのか?
立ち去ったら絶対に悲しむぞコイツ。そんなの見たくないし想像もしたくない。
個人的なことを言ってしまえば、私だってコイツを連れて帰りたい。色々大変だろうがコイツのじゃれ付きを受ければ日頃の疲労もストレスも吹き飛ぶ、そんな確信がある。
この森林と公安局のオフィスは片道2時間くらいの距離がある。そこを往復する訳にもいかないし……
「……………良し、決めた」
「局長? 決めたって…何を?」
悩んだ末、私は馬鹿な思い付きをしてしまった。
私らしくない、効率性も常識も完全に度外視した本当に馬鹿な思い付きだ。
でも、悪くない思い付きでもある。
そうとなれば即行動だ、時間を掛けては居られない。
「私は、この森にログハウスを建てて移住する!!!!」
「「「……ハァ?」」」