よく喋る光る剣   作:Talioata

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第2話

 朝焼けの中、凄惨な跡が残る児童養護施設に、数人の術師たちが到着した。

隠匿術式の帳はまだ空気中に残っており、呪術的に閉鎖された空間に鼻をつく鉄と泥の匂いが微かに漂っている。

破壊された建物、血の染みた布団、瓦礫の隙間に落ちた小さな靴。

降車した術者たちはすぐさま事後処理のため散らばり、忙しなく働き始める。

 

 そこに、不釣り合いなほど軽い足音が響いた。

 

「おっそいなあ、みんな。僕だけ先に着いちゃったじゃん」

 

 黒い目隠しをした男が、コーヒー缶を片手にフェンスを越える。

五条悟。呪術界の“最強”が、どこか浮かれた調子で現れた。

 

「……子ども、生存者は保護済みです。呪霊は消滅。職員ひとり、重傷で搬送」

 

 部下の報告に、五条は軽く目隠しの奥で目を細めた。崩れ、汚れた養育施設を一瞥し、鼻を鳴らす。

 

「ふぅん……またこれか」

 

「また?」

 

「うん。“子どもたちの声が誰にも届かなかった系・呪霊事件”。年に何件目だったっけ」

 

 彼は壊れた玄関の前に立ち、あくび交じりに手を上げた。

そこには、軽薄で飄々としたろくでなしがいた。悲劇的な事件を茶化し、平然とコーヒー缶を煽る。

 

「いやぁねえ。大人が腐ってて、呪霊が育ってて、子どもが被害受けて……

 で、事件が起きてから“助けられた”って話になる。

 ほんと、感動ポルノにありがちな構図だよねえ」

 

 部下のひとりが、苦い顔をした。

五条悟は“ありがち”と言った。そう、これは事実よくある話だ。虐げられる者は大概にして立場が弱く、声を上げることすらできない。助けを呼ぶこともできずに、事が明るみになれば被害者として哀れまれる。もし舞台の影に消えれば、後には物言わぬ骸がリストに載るだけ。

 彼の言葉に偽りがないことが、何よりも部下の心をやるせないものにした。言いたいことなど山ほどあったが、その全てを飲み込んだ。なぜか。無駄だと“知っている”からだ。

 

「……その通りです。けれど、現場で呪霊と戦ったと思わしき子供がひとり。詳細は不明ですが、残穢はなく呪具ではありません。呪霊でもない、“何か”を使ったと」

 

「へえ」

 

 五条は、ちょっとだけ驚いたように口笛を吹いた。彼は一歩、瓦礫の上を踏みしめて進む。焼け焦げた絵本。折れたおもちゃ。炭になったぬいぐるみ。その中に残る戦闘の痕跡を指でなぞる。恐ろしく鋭利でブレのない斬撃痕。木製の家具やフローリングといった比較的柔らかいものから、基礎コンクリートの中の鉄筋まで。素人ではこうは行かない。対象の硬度や戦闘での要因が、剣先をぶれさせ軌道を曲げる。それも、術式や呪具によらない、一切呪力を用いない方法で。

 

それらを見下ろして、五条はふっと笑った。

 

「でも、残念だな。どこまでいっても、これは“よくある話”だ」

 

「どうして……?」

 

「君たちもわかってるでしょ。“世界は変わらない”。

 誰かが踏み出しても、また誰かが沈んでいく。

 これは、そんな物語のほんの一つにすぎない」

 

 けれど。 

 

 ひとつだけ、五条悟が拾い上げたものがあった。

金色の毛が少しだけ残った、小さな布の切れぬの。燃えかけのぬいぐるみの一部、誰かが、大切にしていたであろうもの。彼はそれを指でくるくると回しながら、言った。

 

「……誰かがルールを変えない限りね」

 

 

 

 

 静寂の降りた室内に、足音がひとつ、またひとつ落ちる。重い沈黙を破る歩みは、一つの椅子の前で止まる。

会議室の中心には、長い円卓。影のような呪術界の上層部がそこに並んでいた。

 

 その正面に、ひとりの少年が座っていた。

 

 蒼だ。

年齢にして十七。標準より酷く細身で小柄。俯いた顔色は悪く、目の下には深い影を落としていた。

 

 蒼の膝に座るぬいぐるみ。キャリバーンは、誇らしげに足を組んでいる。いや、本人は「足を組んでいる」と主張していたが、綿が詰まった身体ではそれも定かではない。

 

「……これは、呪力を一切持っていないのに呪霊を祓ったと?」

 

 影のひとつが、声を低くして訊く。

静かな室内に落とされた疑問は波紋を広げて、蒼の全身に降り注ぐ。蒼に課せられた重荷が、さらに大きくなる。

 

「……」

 

「しかもそれは、自ら顕現させた“呪霊”らしき存在の力によって、という理解でよいか?」

 

「……」

 

 蒼は答えない。答えられない。

あの時何が起こり、何があったのか。蒼にすら分かっていない。そして、極度の疲労が蒼の心を占有していた。蒼には、何もわからない。

 

 貧者は沈黙し、されど会議は踊るのだ。

蒼などいないかのように、影たちは意見を交わしていく。

 

 呪力の残穢もなかった。術式もない。ただのちっぽけな“意思”だけで、少年は呪霊を祓ったとしか。それは、呪術界において“前例のない事象”だ。

 

 呪力とは、常に事実に裏打ちされた物語を持つ。尊い血、一族の執念、そして恨み。蒼にあるのはありふれた悲劇のみ。どこまで行こうと、特別な背景を持たない一般人だ。

 

「前例がないということは、危険であるということだ」

「反転術式に近い呪力を持つ呪霊。いや、呪力かも疑わしい…」

「外部の呪的存在にも関わらず、所有者に依存して顕現する異常性……」

「これを“術具”と見るのは困難だ。“使役する呪霊”とも異なる」

 

 並ぶ術師たちの間で、ざわめきが起こる。

 

「よって篠原蒼は“抹消対象”、あるいは“隔離観察”とすることを提案する」

 

「ちょっと待ってよ」

 

 その声は、円卓の影から聞こえた。軽い口調に、場の空気がぴんと張りつめる。

 五条悟だった。

 

「彼、確かに特異だけどさ。見たでしょ? 記録。

 呪霊の前に立ったとき、ちゃんと“助けたい”って思って、動いた。

 そんで、自分でその力を呼び出したんだよ。呪霊のせいでも、誰かの命令でもなく」

 

「だからこそ危険だというのです。“意思をもった呪具”など前代未聞だ」

 

「うん、だから新しい可能性ってわけでしょ? 封じるの、早すぎない?」

 

 五条は、蒼の肩に手を置いた。

 蒼は声も出せず、ただ目を伏せていた。膝のキャリバーンは、面白くなさそうに鼻を鳴らした。

 

「彼が何者かなんて、誰にもわからない。

 でも“彼が何を選ぶか”は、彼にしかわからない」

 

「…責任者は」

「僕でいいでしょ」

 

 短い沈黙が続いた。

 その後、結果として蒼は「保護観察」の名のもと、高専傘下の保護施設に引き取られることとなった。

 いつでも処分可能。

 それが、蒼の立場だった。

 

 キャリバーンは、議場を出た途端にくしゃみをした。とてもくしゃみと言えない不思議なものだ。 

 

 蒼は少しだけ、笑った。

 

 

 

 

 蒼の個室に、やわらかな陽射しが差し込んでいた。古いニスの塗られた木造の内装と小窓からの風。小さなベッドに、少年がひとり座っていた。

 

 蒼の顔色は戻りつつあったが、目元にはまだ痛みが残っていた。けれど、蒼は現状に満足していた。まだ飲み切れていないことも多くあるが、完全な理解が人生に必要ないことを蒼は経験として知っていた。安息に勝る納得はなく、納得に勝る理由はない。

 何より、その膝に乗っているものが、蒼の思考を埋めていた。

 

「……ぬいぐるみが喋ってる…」

 

「失敬な!」

 

 迂闊だった。

 その“ぬいぐるみ”キャリバーンは、ピンと姿勢を正し、誇らしげに言った。

 

「我が銘はキャリバーン。

 かの王に選ばれ、英雄の右腕となり、百戦錬磨の果てに今ここに至る!

 まあ、貴様のような少年に教養を求めるのも酷だ。私は古びた井戸の老人ではない。何度でも語ろうでは無いか。大人しく拝聴したまえ」

 

 そして始まる、数々の武勇伝。嘘か誠か定かでは無いが、葵にとっては些細な問題だ。いま、蒼は平穏を享受している。

 

「……すごいんだ」

 一息ついた時、蒼は浮ついた声を出す。

しかし、どうやらキャリバーンは喋り足りないらしく、ステッキを地面で鳴らして改めた。

 

「よろしい、では百のルールを授けよう!」

 

 キャリバーンは勢いよく指(のようなもの)を立てて宣言する。

 

「第一条、“キャリバーンには敬意を払うべし”! 第二条、“我が話を遮るべからず”!

 第三条、“我がくしゃみに拍手を忘れるな”!」

 

 蒼は目を丸くする。

 

「……くしゃみ?」

「ファッフゥン!!」

 

 言い終えるが早いか、金色のぬいぐるみは頭を仰け反らせて奇妙な音を放った。

 蒼は少しだけ肩の力が抜いて、笑ってしまった。 

 

「……それ、くしゃみだったんだ」

「第三条、“我がくしゃみに拍手を忘れるな”!」

 

 窓の外では、春の兆しが光を滲ませていた。

 キャリバーンの語る“百のルール”は、うざくて長い。けれど、蒼にはどこか温かかった。

 蒼はまだ、自分がこれからどうなるのか分かっていない。でも、このぬいぐるみが傍にいるなら、もう少しだけ、頑張れる気がした。東京都のとある専門校に、キャリバーンの調子ハズレの歌が聞こえる。

 

 エークスカーリバーン

 エークスカーリバーン

 オーマイフェイバリットソード

 

 

 

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