幻想偽典 ~Dies irae Rosenkavalier Kaziklu Bey~   作:時杜 境

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15 月光に咲く

 ──棺。

 洞窟最奥にあったこの小部屋には、ただひとつ、それだけが置かれていた。

 

「これは……? あっ……」

 

 その中にあった骸は、外気に触れるや否や、塵となって崩れ去っていく。

 何百年と風化していたようなそれは、跡形もなく。

 存在の痕跡は、闇へと消えていく。

 

「……ベアトリスさーん」

 

「えっ、ちょ、私はなにもやってませんよレイシアちゃーん!?」

 

 一番近くで棺を覗き込んでいたベアトリスを小突くが、まぁ実際彼女は悪くない。

 ──ただ、まぁ。

 

「……Amen(エイメン)

 

 十字を切ってお祈りしておく。

 ……お疲れ様でした。ゆっくり休め。

 

「……何をしてんだよ。さっきのが異常の発生源か?」

 

「状況を見る限り、そうとしか思えないけど……まぁ、詳しい話は彼から聞きましょう」

 

 リザさんの視線の先にいた、法衣をまとった謎の赤毛の男が首肯する。

 その言に従って、ベイ中尉たちは真正の変質者(断定)ことルートヴィヒを名乗るモノを連れて、この洞窟を後にしていく。

 

「……、」

 

 皆が出ていく最後尾で、チラリと棺を一目見る。

 もうそこには何もいないし、誰もいない。

 最後の最後にもう一度瞑目し、哀悼を捧げて、私も外へと歩いて行った。

 

 

     ※

 

 

「──ふむ。それで、あんたはあんたでカチンの怪異を調べにきたけど、全滅してしまったと」

 

「ああ、残念ながら。恥をさらすようだが、事実なので仕方がない」

 

 この森には、私たちよりも先に東方正教会と教皇庁(ヴァチカン)が何度か部隊を送っていたらしい。死者が蘇るなんて神秘、教会としちゃ無視できない第一級の異端なので当然だろう。

 

 ベイ中尉を除き、リザさんたちがあんまりルートヴィヒを警戒していないのは、この当時、ドイツと教皇庁(ヴァチカン)は同盟関係にあり、身元を裏付けるように、彼が教会の法衣を着ているからだ。

 

 いやまあ誰が思うかってよね。その正体が人間(ルートヴィヒ)に成り代わってる怪異(じんがい)なんてさ。

 

 紛れもなく変質者だよ!!

 

「仲間を全滅させた身で大きな態度はとれん。私の上司には、そちらの上から話を通してもらおう」

 

 ルートヴィヒはいったん黒円卓で身柄を預かることになったそうだ。

 何事もなければ早くお国に帰れる、とベアトリスは言うが、やはり真相を知ってる身からするとうずうずしてしょうがない。とりあえず殴っておきたい。

 

「ともあれ、これでひとまず落着、ですかね」

 

「そうね。もうここには何もない。何も感じない。神秘の痕跡は綺麗になしよ。その辺、解決してくれたレイシア的にはどうなのかしら?」

 

 そこで一同の視線がこっちに集まる。

 うむ、私はばっちり闇払いの現場をベイ中尉に目撃されている。ひとまず今回の件で、元凶を払って功績を挙げたのは私、ということになったのだ。

 

「ええ、問題ないと思いますよ。とりあえず全力で叩き込んだんで。幻想とはいえ星の光、これで壊せてなかったら桜の木の下に埋めてもらっても構いません」

 

「なぜ桜の木……」

 

「いちいちツッコむな。こいつの戯言に付き合ってたら神経もたねぇぞ」

 

 辟易した様子のベイ中尉は私ベテランの貫禄がある。流石はご主人だぜ!

 さて、と。じゃあこっちもこっちで好感度調整いっときますかね。

 

「それとルートヴィヒさん、さっきはすみませんでした」

 

 唐突にしおらしく謝ったことに虚を突かれたのだろう、皆の目が丸くなった。

 

「反射だったとはいえ、何の罪もない人を変質者呼ばわりした上、暴力を振るってしまって。仲間を亡くしてしまった人に対する挨拶ではありませんでした。反省します」

 

 ごめんなさい、と頭を下げる。

 こうしていると、第三者的には真っ当な幼女に見えるかもだ。真っ当性のアピールなんぞ、たぶんベイ中尉からしたら気色悪い光景だったに違いねぇ。

 

「顔を上げてくれ、レイシア。元はといえば、君を驚かせてしまった私に非があるのだから。そう己を責めるものではない」

 

「……、」

 

 ベイ中尉の背後を取ったことには言及しない辺り、紳士なのは確かだ。さりげないフォローだったが、それに気付いたらしいベイ中尉は苦虫を嚙み潰したような顔になっていた。

 

「……なんだベアトリス」

 

「いやぁ、別に? ちょっと危機感を持った方がいいのではないかなーと。ま、私としては安心ですけどね」

 

「ほざけ。ワケ分かんねぇよ」

 

 さっさとベイ中尉は踵を返していく。

 森の外へ出ていく道を、追いかけるように私たちも歩き始めた時。

 

「──、」

 

「? ベイ中尉?」

 

 不意にご主人の足が止まる。今度はどうしたというのか、と見上げた瞬間、──銃声が響いた。

 

「──」

 

「……」

 

 私の顔の前には、白い手袋──すなわちベイ中尉の掌が。

 それが、森の中から私を狙って発砲されてきた銃弾を掴み取っていた。

 

 ……わ、わーっ!! 幼女危機一髪! うわぁ凄い、初めてベイ中尉のカッコいい所を見た気がするぞ!?

 

「ぅおっ……ベイ中尉、ありが、」

 

「──面白ぇ」

 

 あ、もうこっちの事ぜんぜん見てませんこの人。バトルジャンキー!

 新たな獲物の気配に、吸血鬼の真紅の眼は森林の方に釘付けだ。確かにお礼など言っている暇はなかった。銃撃が再び闇の向こうから炸裂する。

 

 同時に、私も私で武器を出して応戦しようとしたのだが、

 

「レイシア、君はこちらへ」

 

「え」

 

 後ろから肩を引かれる──いや、肩を引かれたかと思ったら、抱え上げられていた。ルートヴィヒの野郎である。羽毛より軽々しく、しかして丁寧な所作で射線から離脱し、安全地帯にまで連れていかれて降ろされる。

 

「ここで待っているといい。目を閉じていればすぐに終わるよ」

 

「え゛。いやあの」

 

 物凄い紳士ヅラ!!

 あまりにも自然すぎ、かつ耐性のない扱われ方に鳥肌が立った。おそらく淑女として完全に間違っているのは私だろうが、そんな私の驚愕に構わず、ルートヴィヒが戦線へと跳び出していく。

 

「ちょっ、ちょっとあの──!?」

 

 わ、分かってるよ! お前が正しいんだろうよルートヴィヒ! 紳士ヅラとしては間違いなく模範解答だろうけど!!

 

 でも……でも、こう、なんだ……!

 

 すまない! そしてありがとう! だがしかし、あえて言おう! なんかチガウ、と──ッ!!

 

「レイシアちゃん、大丈夫?」

 

 駆け寄ってきてくれたベアトリスに、曖昧に頷く。

 ……敵さんがいる方を見ると、既にルートヴィヒが暴れ始めていた。続こうとしていたベイ中尉だったが、そちらはリザさんが抑えに行っている。ここで彼の実力を計るためだろう。

 

 敵方の正体は、まあ、カチンの怪異を調べにきた一般の兵隊さんたちだ。

 この森は敵地。あちこちの部隊が送りこまれ、動いていた死者たちもその成れの果て。

 で、先ほど三時間ばかり暴れていたベイ中尉たちに引かれ、隙を伺い、おそらく今に至ると。

 

「…………、うー」

 

 ルートヴィヒの動きは澱みない。十人そこらの分隊を、苦も無く蹴散らしている。

 そして──殺していない。

 

 殺していないのだ。

 

 だからどうしたのか、という話になるが、こんな手ぬるい真似をベイ中尉は許さない。

 

 許さないとどうなる?

 ベイ中尉が代わりにぶっ殺す。

 そして周囲にドン引きされる。

 

 なんかもう、そういう流れが読めてきた。あの人はこう、自分で自分の株を下げにいく性質というか、そういう星の回りなのだ。いや、「自分を曲げない」というのは美点だとしても、ここでそれを発揮されると、はい、従僕としてもフォローのしようがなくなるんですねぇ──!

 

「彼……中々ね。ヴァチカンの裏部隊というのは嘘でないみたい」

 

「はい。高度に訓練されている動きだと思います」

 

「……──」

 

 リザさんやベアトリスはそんな感じに評しているが、ベイ中尉は面白くなさそうに見ている。

 私は私で、あんな奴の動き云々はともかく、次の展開にどう動こうかばかりを考えていた。

 

 フラグ管理! 好感度調整! チャート設定! 乱数調整に加え、目標完走タイムの試算!

 

 もうそればっかりである。これからどのようにしてルートヴィヒに、そしてベイ中尉に関わるのが最善か!? ここが最後の熟考タイムだ。あーもう、頭痛がしてきた。

 

「──ふむ。こんな所か」

 

「お見事」

 

 十分とかからない内に、ルートヴィヒは敵を全滅させていた。リザさんが賞賛の声をあげる。

 ……敵は生きている。兵は生きている。

 

「…………、」

 

 ちらり、と地面に転がっている兵士諸君を見る。

 私としても、ベイ中尉の株とか関係なく、敵である以上は彼らを見逃しておけない。ここでのことを報告されるわけにはいかないし、増援も呼ばれたくないのだ。であれば……、

 

「とにかく、今は早急にここから離れましょうか。次が来るかもしれない」

 

「ああ。では行くとしよう。レイシア、君も平気だね?」

 

「──ええ。先ほどは、ありがとうございました。お強いんですね、ルートヴィヒさん」

 

 緊張からか、やや硬い声になってしまう。

 いやまあ、こいつの本来の強さは人間の尺度で測っても仕方ないので、あくまでも表面的な褒め言葉なのは事実なのだが。

 

 ……ルートヴィヒ・ヴァン・ローゼンクランツという人間が修練の果てに得た、その戦闘技術は本物だ。

 

「けど、私はもう少し辺りを見回ってから合流しますよ。皆さんは先に行っててください」

 

 従僕スマイル。

 そう、目の前でやるとドン引かれるなら、誰もいないところで始末すればよいのだ! 字面だけ見れば最悪だなぁ!

 

「え……レイシアちゃん、それは、」

 

「──いいや、俺が残る。てめえはさっさとこのアホども連れて先に行ってろ」

 

「え」

 

 アレッ!? 従僕スマイル、不発だとっ!?

 

「そうね、ここはベイに任せましょう。気が済んだら最初の場所に戻ってくること」

 

「ああ」

 

 ……ご主人の命令である以上、従僕の身は逆らえず。

 そのまま、すごすごと、ベイ中尉を残して他の皆さんと森を後にしたのだった……

 

 

 ……いやアレちょっと待って、結果的には私の勝ちではないか────ッ!?!?

 

 

     ※

 

 

「──何もなし、か」

 

 つまらねえな、と軽くヴィルヘルムは溜息を吐く。

 事を終えた後、他に潜んでいる敵兵がいないか探し回ったが、収穫はなし。結局、森の入口にある池のほとりに手ぶらで戻ってくることとなった。

 

「あ、中尉。おかえりなさーい」

 

「──、」

 

 そこで当然のように出迎えたのは、白い従者。

 だがそれ自体に驚きはない。この時ヴィルヘルムが微かに驚愕したのは、彼女が()()()()()()()()()()ことだった。

 

 月光に弾かれた白亜の絹髪。

 無色にみえる幼い双眸と、瑕一つなく完成された永遠のカタチ。

 闇の中で黒円卓の制服をまとった姿は、まるで夜の花束のようだった。

 

「……他の連中はどうした」

 

(あし)を捜しに行かれました。ベイ中尉も哨戒、お疲れ様です」

 

「……、」

 

 純粋な労わりにヴィルヘルムの目が細まる。

 レイシアは見た目こそ子供だが、中身は完全に此方側だ。戦い、殺し、奪う側の人間だ。

 

 敵兵を殺さなかったルートヴィヒは、彼女を気遣ったつもりだろう。何も知らないのだから。だが、あそこで兵士たちを殺めていたとしても少女は普通に受け止めていたはずだ。

 

 故にあの時、ヴィルヘルムはそうしようとしていた。軍人として当然の義務だと、レイシアの目の前で兵たちを手にかけようと思った。多少、彼女が怖がる素振りを見せないか、という期待も込めて。

 

(だが先手を打たれた)

 

 ──彼女自らがトドメを刺しておく、と提案された。

 やはり、そうなのだ。子供ではない。それを時折、忘れかける。リザ──バビロンもベアトリスも、幼子の前で殺戮を見せることに躊躇いがあったのだろうが、それはとんだ思い違いで、要らぬ気遣い。

 

 だからこそ出し抜かれたのだ。彼女らは気を遣ったつもりで、逆に気を遣われた。最終的に名乗り出たヴィルヘルムに後始末を任せたのも、それを察してのことだろう。

 

 故に、不本意な流れながら、自分らしくもない格好(展開)になってしまった。

 まるでこちらこそが従僕に気を遣ったようではないか。そんなつもりは一切なかった。あのまま、彼女の思惑に乗ることが腹立たしかっただけだ。

 

 ──というか、第一。

 

「おまえ、あの聖職者野郎とかいうのはどうした」

 

「え? あの変……げふんげふん。あの紳士面が何か?」

 

「……あいつ、ずっとおまえを見てたぞ。気付かなかったのか?」

 

「…………、」

 

 そこで、レイシアの顔から表情が抜け落ちた。

 いつもの朗らかさはそこにはなく、ただ、警戒するような眼差しを宙に泳がせる。

 

「……?」

 

 てっきり、嫉妬がどうだのと、いつもの能天気な返しが来ると思ったのだが。

 予想が外れた。こいつはあの聖職者に、大して好印象は持っていないというのか。兵士たちをわざわざ自分で始末しようとしたのは、ルートヴィヒへの気遣いが始まりではなかった……?

 

「……アレ、どう思います?」

 

「気に食わねえ」

 

 乱暴な所感に、しかしレイシアは、ですよねと首肯する。

 それがやはり、ヴィルヘルムとしては意外といえば意外で。

 わざわざ謝ったり、庇われたりしていた割には、彼女からは冷たい温度を感じる。

 

「……なんだ。あいつに響く乙女心ってのはなかったのかよ?」

 

「水銀に似てるから無理」

 

 バッサリだった。

 好みのタイプじゃありません、みたいな理由よりもバッサリだった。身も蓋もない。

 

「ま、あんな奴のことはどうでもいいです。それよりベイ中尉、銃撃された時、弾丸を止めてもらってありがとうございました」

 

「お? おう……」

 

 ペコリ、とお辞儀されるが、“そういやそんなのもあったな”ぐらいの認識しかなかったヴィルヘルムは生返事してしまう。

 

 この従僕と話す時は、万事がこんな具合だ。調子が狂って仕方がない。

 ──いや、いけない。主導権を握られてどうする。

 

「……つか、そもそもアレはてめえの不注意だろ」

 

「うぐ。それを突かれると痛い……しょーがないじゃないですかー。気が抜けてたんですよ。知らない顔も増えて緊張してたし。大技ぶっぱした後でもあったし」

 

「言い訳だな。戦場で気を抜く馬鹿がいるか、この馬鹿」

 

「うー。ベイ中尉が冷たいー」

 

 ちくしょー、といじけ始める馬鹿従者。水面の上で立ったまま、そっぽを向く。

 多少気が晴れたところで、その足元をヴィルヘルムは指さした。

 

「つかおまえソレ、どうなってんだ」

 

「ん? ああ、湖の精霊の加護も含んでいるんですよ、今日の異能。名高きアーサー・ペンドラゴンの幻想ですからねえ」

 

「なんでもアリかよ……」

 

 ここまでデタラメを詰められると呆れる他にない。

 そういえば「エクスカリバー」だとかと叫びながら技を放っていたか。一体こいつの世界観はどうなっているのか。

 

「だから今日の私は聖剣使い──あ。おっと」

 

「!?」

 

 その時、不意にレイシアがヴィルヘルムへ向かって飛び掛かった。

 いや、飛び掛かるというよりは、いきなりそこから跳ねてきたのだ。咄嗟に身体が動き、少女の身を受け止める。──何をしているのか、俺は。

 

「おい、なんだいきなり」

 

「日が変わりましたので。危ない危ない、あのまま立ってたら池に落ちてました」

 

 そういう事か。

 レイシアの異能は強力無比だが、一つにつき24時間しか使うことができない。膨大な数の幻想の中には、まったく戦闘の役に立たない、場をわかせる芸にしか使えないものまで存在する。

 

 ……で。

 

「……いつまでくっついてやがる」

 

 ヴィルヘルムは手を離したが、少女は腹の辺りにしがみついたまま動かない。邪魔だ。

 退けようと首根っこを掴むが、こちらを抑える力が強くなる。なんなのだ一体。

 

「……いいじゃないですか、ちょっとぐらい」

 

「何がだクソガキ。邪魔なんだよ」

 

「女の子は好きな人に抱き着いてると幸せな気持ちになるんですよぉー」

 

「……はぁ?」

 

 さらりと言われたことに、思わず問い返す。

 少女はヴィルヘルムの制服に顔を埋めたまま、微動だにしない。

 まさか、こいつ──

 

「…………チョロすぎねえか……」

 

「だああー! 言ってはいけないことを!!」

 

 言ってはいけないも何もない。

 つまりこの幼女、自分に惚れているのか。

 

「あ、い、いや違いますよ! まだ違いますとも! この世には『Like』オア『Love』問題があるように、まだLike! ラブってる方じゃないんでセーフ!! セーフでお願いします!!」

 

 一体なにがどういう基準でセーフだというのか?

 馬鹿なのか?

 

「そうかい、ご愁傷様だな。ハッ、キス一つで落ちたか。処女臭ぇ」

 

「…………」

 

 抗議の声はない。

 俯いたまま、羞恥の墓穴に自分で埋まっているのだ。憐れすぎて可愛らしいではないか。

 しかし──

 

「つくづく、俺には理解しがたい感情だがね。愛だの恋だの、持っちゃいねえ。無駄に初恋散らしたな、改めてご愁傷様だ。選ぶ相手を間違えたな」

 

 ヴィルヘルム・エーレンブルグは血を啜る魔人である。

 恋、愛、友情、絆、青春万歳。闇夜の中を歩いてきた人生において、そういったものとは、とんと縁がない。全て、奪い、喰らい、殺し、吸い尽くす。そのようにして生きてきた。

 そもそも求めたところで──

 

「……そうですか。失恋確定ですか。それは少し、悲しいですね」

 

 そこで少女が腕を離した。目を伏せ、立ち尽くしている。

 だがそんな様子とは裏腹に、今の声は、とうに覚悟が出来ていたように芯のあるものだった。

 

「でも恋も愛も分からないとなると、中尉は大変ですね。──ハイドリヒ卿は全てを愛しているのに、その心が理解できないまま、なんて」

 

「──む」

 

 知ったようなクチを──と言いたかったが、従者の言は的を射ている。

 恋。確かにそれを己は知らない。

 これまで獣の爪牙として多くのものを殺し、奪ってきた。だが、そこに主のような愛はない。情の欠片だってない、美学がそこに存在しなかった。

 

 ならば自分は、自分なりの愛とやらを理解しない限り、本質的には何も得られないのでは──と。

 そう思わせる、一言だった。

 

『……ヴィルヘルム、ああ、わたしのヴィルヘルム……』

 

 ──己の内から、声がする。

 あの洞窟の己の「闇」で見た、姉の声。始まりの女。

 母親。

 吸血鬼、ヴィルヘルム・エーレンブルグを成立させるために殺した、己が原点。

 

 自分を創り出したのが畜生たる人間などと到底許容できるものではなかった。故に新生するために、父親ともども焼き殺した。そこから彼の人生は始まった。それをしないと、始まることさえできないと感じたから。

 

 ……そこでヴィルヘルムの中で、一つのアイデアが繋がる。

 

 生まれ変わらせたのが(ヘルガ)なら、吸血鬼として愛をかける始まりは。

 

 そしてこの本質的には飢えている少女を、「満足させる」方法とは────

 

「──レイシア。おまえ、俺に忠誠を誓ってるんだよな?」

 

「はい。もちろん」

 

 従者が顔を上げる。

 その目は真っすぐに、迷いはない。

 これから、何を言われるのかさえ、理解しているような面だった。

 ならば話は簡単で──

 

「ならおまえ、“俺のために死ね”、って言われても死ねるのかよ?」

 

 ──そう命ずればいいだけだというのに、余計な工程(愚問)が挟まった。

 少女はただ、微笑(わら)って。

 

「はい。もちろん」

 

 同じ答えを、寸分違わず返していた。

 夜の静寂が満ちる。

 それは彼女にとって、死の予感にも匹敵した静謐だったかもしれないが。

 

「……そうかよ」

 

 吸血鬼は、踵を返した。

 差してくる月光から、逃れるように。

 

「ベイ中尉……?」

 

「なんだ、喰われるとでも思ったのかよ。冗談言え、そもそも俺はおまえにまだ惚れてねえんだよ」

 

「──まだ、って」

 

「おぉ、努力してやらあ。ま、念願叶った暁には、おまえは死ぬけどな」

 

 口から出てくるのは悪意のみ。

 気持ちは解った。だがおまえに与えるのは死という末路、糧になるという最期だけだと告げた。

 自分に寄りつく者は例外なく、そのような運命にあるのだと、この上なくはっきりと。

 

「……わかりました。期待せずに待っていますね」

 

 なのに、従僕から届いたのは嬉しそうな一声だけ。

 心底、救いようのない馬鹿だとヴィルヘルムは思ったが。

 ……どこか、安堵したような心地になった事実には、厳重に蓋をした。

 

 

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