幻想偽典 ~Dies irae Rosenkavalier Kaziklu Bey~ 作:時杜 境
なんてことはない
その時系列は私が黒円卓に合流するより、少し前。
戦場で死にかけている奴を見つけた。別にそこで立ち去っても、きっと天の導きか、世界の修正力かなにかか、彼自身の底力で免れる程度の、軽く死の淵にいる奴だった。
『──すまない。
水よりも傷の手当てよりも先に、そんなことを言ってきたものだから驚いた。
どうも彼が肌身離さず持っていたソレは、敵の凶弾によって砕かれてしまったらしい。とはいえ、私は十字架なんて持ってないし、その辺に落ちているものといえば、木々の枝くらいだった。なので適当に一本選んで、折って、十字架の形に紐で結んだものを手渡した。
すると彼は、天の助けでも得たかのように深い深い、実に丁寧な口調でお礼を言って、祈りの言葉を唱え始めた。いやンなことしてる暇あんなら傷を手当てしろよ、と思ったのだが、一時間もした後、すっくと当たり前のように立ち上がったものだから度肝を抜かれた。
『ありがとう。もう大丈夫だ。ところで君は、天使だろうか?』
『逆に訊きたいんだが、お前は狂人か?』
──それが本物のルートヴィヒ・ヴァン・ローゼンクランツという男との出会いだった。
※
頼むお願いしますこれで殺っててくださいマジで頼むお願いします。
──レールガンのトリガーを引き、メトシェラへの直撃を視認してから意識が数瞬飛んだのは覚えている。
私に残されていた勝ち筋は、やはりメトシェラが油断している間にケリをつける──というものだった。故に初めから総力戦だ。兵器を使い、技術を使い、異能を使い、勝利をもぎとる。
勝ってくれ、直死の魔眼!
流石にこれで殺せてなかったらしんどいっす。
そんなことを思いながら目を開けると、月が見えた。……周りは見るまでもない。暴れまくった瓦礫が散乱していることだろう。ベイ中尉、巻き込まれてなきゃいいが。
「────お目覚めかな、レイシア」
「…………」
チラ、と声のした方に視線を向ければ、まだそこには五体満足の闇の王さんが浮いていた。
おいユー、何回殺したと思ってやがる。体力ゲージが十本以上あるというのか。貴様はORTか。
「君が倒れ、私は立っている。──約束はこれで果たされた、と見て構わないね?」
「明白すぎる状況に異を唱えるほど捻くれてないんでね……」
「それは良かった。だが、勝者として一つ教えてほしい──君はなんのために、そこまで戦ったのか」
「……、」
だからそれは別に知らなくてもいいことなんだってば。
彼の物語は虚無に消えた。原典でもそうだし、ここでもそうだ。運命は何も変わらなかった。私も変えようとはしなかった。それが全てなのだ。
「……あの玄室で。君だけがあの骸に祈りを捧げたね。
そこまで察しがついてるなら、尚更訊くなという話だが。
まぁ……どちらにせよ、大して変わらないなら、答えておくか。
「母国のために死ぬほど修練を積んで、信仰のためなら何だってできるとかって豪語して、だけど子供には甘くて、ちょっと間の抜けたお人よし」
「……」
「悪人だったかもしれない。善人とは言えないかもしれない。だけど、少なくとも
それが私の目から見た、私なりの彼の人物像。
メトシェラとしての彼しか知らない者らからすれば、戯言としか捉えられぬ私見に違いない。
「もっとも、彼自身は私のことなんか覚えていないがね。──友情なんてものは所詮仮初のもの。だから魔術で記憶は消した。その身体を奪ったお前も、思い出せないだろう?」
覚えていられると、後の──今の舞台への余計なノイズとなるから。
だからルートヴィヒという人間も、彼との思い出も、今や私が一方的に憶えているだけだ。
「無意味と嗤うか? 下らないと失笑するか? 結構。よろしい、元より私はそういうものだ。無意味なことしか犯さない愚者に過ぎん」
──だからこそ。
「……だけどあいつはそんな私を
「──、」
「それだけだ──それだけの、話だ」
……殺すだけならまだいい。そういう覚悟があって、あいつもカチンの森へ行ったんだろうし。
……だけど、「成り代わる」なんて、もはや死者の冒涜だ。死の冒涜だ。
勝手に虚無にされて、あまつさえ皮を被られて。
なんだその理不尽。しかも道具扱いって。死者にだって尊厳は残されて然るべきだろう。私が知ってる本物のルートヴィヒは、こいつみたいな変態じゃないんだよ。全然違う奴なんだよ。
「時代に馴染むための擬態だなんだ、知るかよ。
人間を見下しているくせに、人間がいないと関われないものたち。
そこは水銀も同様だ。愛に凝りすぎて一大歌劇の設営中である。なんかスケールがおかしいだろ。
……元より、ルートヴィヒが私を助けてくれた理由も定かではない。
助けてくれた、というか、助力してくれた、という方が近しい。当時、
打算があったかもしれない。私を介して、魔道に関する情報を得ようとしただけかもしれない。──真相など、もはや誰も知らない。
けれど──事実だけが残っている。
私には、「助けられた」という事実のみが。
闇に立ち向かい、挑みかかる理由など、それで充分すぎた。
「そういう
──意識が落ちていく。
敗者は勝者に従うのみ。それがこの世の理だ。
ははっ、と思わず乾いた声が漏れた。
「ほんっと、無理ゲー……でもなぁ、頑張ったよなぁ、ルイ……?」
※
声色は悼むように。
もうこの世にいない
「……友、か」
少女が気絶したのを見て、ようやくメトシェラも安堵の息をつく。
……とんでもなかった。とんでもない少女だった。間違いない。
こうしてメトシェラが生きていたのは、一重に、“死”の痛みが消えたためである。
──日が変わったのだ。
故に、少女から与えられた傷も多少は復元した。とはいえ、
「……削られたな」
彼の生きてきた数万年分の夜は、ごっそり殺されていた。
レイシアがメトシェラを殺し切れなかったのは、やはり彼が持つ総体が膨大すぎたためだ。いわば、「夜の死」でも視なければ直死の魔眼は発揮できない。
故に、まとう闇の深い場所にあったメトシェラの「核」まで、攻撃が届かなかった。
彼が生き残り、勝者となったのは、そういう理由。
「まったく、お転婆な子だ」
賞賛を滲ませる声色を漏らしつつ、少女を抱え上げる。
……約束は果たされた。ようやく伴侶を手に入れた。
──ああ、しかし。
(……これでいいのか?)
不意に、そんな思いがよぎった。
一方的だと言われた。否定はしない。元より承知の上である。
しかし、だ。
……これは、自分は、間違っているのだと。
信じる光からあれほど言われて、何も思わぬ彼ではない。
「…………」
もしかすると。
ここで彼女を手放し、その未来を想うことこそが……最善の選択なのではないか、と。
「……ああ、それでも」
意義が欲しい。
闇として生まれ、彷徨い続けた生涯に。
お前はただ愛しているだけだと。愛したいだけで、相手のことは何も考えていないのだと直訴された。
それでも諦めきれないものがある。譲れないものがある。
むしろ──
「それほどまでに私を理解してくれた伴侶など、君以外にはいない」
なに、愛を知ってもらうのは後からでも遅くはない。
今は一刻も早くここを離れるべきだ。そう思い、
「──待てよ。人の女をどこへ持って行く気だ、てめえ」
その声に。
僅かな苛立ちを覚えながら、振り返った。
※
──その戦いを見たのは、途中からだった。
突如として街を襲った雷光の轟き。
ぶっ放した斬撃を幾度も致命傷として与える神業。
まともな防御手段もない脆弱の身で、魔人顔負けの英雄らしき立ち振る舞い。
しっかりヴィルヘルムが目撃できたのは最後の場面くらいだった。けれども、あの従僕がどれだけ馬鹿で、デタラメで、大馬鹿野郎なのかが更によく分かっただけだった。
「知らねえのかもしれないが、そいつは
「貴様……彼女を何だと思っている。犬だと? 聞き捨てならんぞ、撤回しろ」
「撤回するも何もただの事実だよ。そいつ自身も認める所さ。──いいからさっさとそいつを寄越せ。それに先に目を付けたのは俺の方だ」
「……、」
筋は通っている……が、納得できるものではない。そもそも目の前の白貌の男からは危険な気配しかしない。到底、この愛する伴侶を安心して任せるなど、できるはずがなかった。
「彼女は、貴様の何だ」
「従僕だよ。それ以上もそれ以下もねえ。命令を聞くだけのワンコロだ」
「歪んだ認識だな。尽くされているのにその言い草とは」
「尽くさせてやってんだよ。実際、フラれてんのはどっちだ。筋合いがねえのはそっちだろう」
「……彼女をどうする気だ」
「それこそ無関係のおまえには関係のない話だが」
「どうする気かと訊いているッ!」
ハア、とヴィルヘルムは面倒くさそうに息を吐く。
そんな質問に答えたところで、展開は変わらない。相手の行動は変わらない。
実に茶番だ。辟易する。
「どうするもこうもあるか──そいつは俺たちに捧げられるためのもんだ。勝手に盗み取るようなら容赦はしねえ」
「生贄のつもりか。おぞましい。彼女の尊さを何も理解しない、貴様のような凡俗がか」
「尊さァ? そいつは頭の救いようがない馬鹿だろ。さっき、てめえこそ理解したはずだ。真っ向から襲われたんだからな」
「蛮勇だったと? 違うな。彼女は生きる意志に満ちていた。……友人のために、私を倒すという気概で立ち向かっていたのだ。──英雄と讃えずとしてどうするという」
「何が英雄だ、下らねえ。そんな器じゃねえよ、その馬鹿は。自分ことしか見えてねえだけの屑だ。こうして主人に手間かけさせてんのが証拠だよ」
両者の論議は平行線だ。
少女を光と尊ぶメトシェラと、
従僕を餌だと断じるヴィルヘルムは。
──まずもって、どのような会話の流れをしたとしても、相容れない。
「貴様にレイシアは渡せんな」
「どの面で言いやがる。赤の他人が首突っ込んでんじゃねえ」
交渉の席にすらつかない会話は、やがて決裂する。
しかして、それで終わり──とはならない。
「──うむ、ベイの言にこそ理があって然るべき。メトシェラよ、他ならともかく、彼女を伴侶として選ぶというのなら私も口を挟まぬわけにはいくまい。──なにせ、
「「──!?」」
ひょこりとヴィルヘルムの後ろから顔を出したメルクリウスに、両者が瞠目する。
養父と養女。肩書きだけの関係性だとどこかで思っていた二人にとって、彼の登場は予想もしえない流れだった。
「ほら……よくあるだろう。『お父さん、娘さんを僕にください』、的な。おまえもそうするべきではないのかな、私に対して。せめて挨拶の一つくらいするのが筋ではないかね? ん?」
「メルクリウス、てめえ……何のつもりだ」
「──何のつもりもなにも、全員意見が一致しちゃったって事よ、ベイ」
更なる人影の登場に、ヴィルヘルムのみならずメトシェラも目を見張る。
続くようにして姿を現したのはルサルカ。その傍にはシュピーネが、ベアトリスまでもが揃っている。
「まあ、献身的なお嬢さんであることは認める所ですので」
「そーよねー。みすみす見逃せる
「あなたには今、未成年略取誘拐の容疑がかけられています。私たちの怒りを買いたくなくば、今すぐその子を置いて去りなさい」
冷静な声色だったが、この場の誰よりもベアトリスの言葉には熱があった。従僕少女への思い入れの差であろう。既に剣を構えている。
「……なんというか。とても珍しい状況になっているわね……?」
「断っておくが、私はハイドリヒ卿の備品を盗もうとする輩がいると聞いたから来ただけだ」
続く顔ぶれにもヴィルヘルムは呆気に取られる。
──なんなのだ、この流れは。なにかがおかしい。そう思わずにはいられない。
「僕も彼女の『ご主人様』、だからねぇー。それにベイ一人じゃあ頼りないし。うん、僕ら仲間だしね。仲間が困っているなら協力してあげるってのが良い仲間だよねえ?」
飄々と、絶対に上辺だけで言っているだろうシュライバーまで。
その横にも、重圧を放つ団員が一人立っている。
「……俺の知ったことではないが」
──マキナ。幕引きを司る鋼鉄の武人。
このような場面においても、やはり必要最低限の事柄しか発さない。だが問題はそこではない。
(…………いや、どうなってやがる……)
残存する黒円卓メンバーが、ここに揃っている。
あの従僕一人のために? いやまさか。それこそまさかだ。ありえない。
どんな展開になっている、これは。
「まあ要するに、皆おまえと同じ気持ちだということだよ、ベイ」
「はァ?」
メルクリウスの突拍子もない補足に、ヴィルヘルムは素っ頓狂な声を出す。
「
それにな、とわざとらしく肩をすくめてみせる。
「──我らが黒円卓が、みすみす使い魔を奪われた、などと……ははは、そのような醜聞、出回っては首領の威光に傷がつく。ああ、養父として私も汗顔の至りだよ。まったく何をしているのかね、あの娘は」
「……いや養父っておまえ。仮にも副首領を名乗る奴がそんなんでいいのかよ」
メルクリウスの主張は一貫して「養父」としてのものだ。
副首領として振舞うならば、まず間違いなくここで従僕など切って捨てるだろうに。
「別に構うまい? 偶にはこういう趣向も悪くなかろうよ」
返ってきた答えはやはり言葉遊びでも楽しむ調子で。
本当にあの従僕を案じてのことなのか、ただの諧謔か、まったく区別が分からない。
「……、大いに彼女への扱いには意見したいところだが。なるほど、趣向とは言い得て妙だ。英雄気取りは勝手だが、無粋な横槍であると知れよ、小僧ども」
メトシェラの影がゆらりと宙を飛ぶ。
その腕には白い少女が一人。もしも起きていれば、この展開も彼女なりに評しただろうが、その反応は、今はない。
「だが水銀よ。おまえにとって彼女は何だ? そこな歪んだ戦に狂う愚者どもを引き連れ、なぜレイシアをここへ置く」
闇の問いにも、やはりメルクリウスは涼しい表情を崩すことはない。
その目は変わらず、旧知を見るものでしかない。
「そうさなぁ……どう評するべきか。あえて言うのなら、我が娘は、我が女神の
かくして返された言葉も、彼なりに誠実に答えたのだろうが要領を得ない。
トラオム。夢。意味があるのか、ないのか。
結局のところ──
「そのためにも下積みをさせていた中途だったのだよ。故にこそ残念だともメトシェラ。伴侶を得た喜び、満たされた幸福。拍手を返してやりたいところだが、他を当たってはくれまいか」
「──断る。むしろ先刻よりも決意は固まったぞ水銀。私は彼女をおまえたちから解放する。
……それが、私から彼女へ与えられる唯一の安寧だ」
見えていた決裂はここに成立する。
その瞬間を以って────
『──よろしい。宣戦布告、しかと受け取った』
声が──響く。
死者たちの主。地獄の王からの宣誓に、走狗たちの心身が震い猛る。
『素晴らしい舞台だ。我々を打倒せんがため英雄となるか、闇の神秘よ。卿ほどの存在が安らぎに果てるだけなど、世の損失に相違ないとも』
謳われる声音は戦を言祝ぐように。
メトシェラからすれば大敵と睨んで、城を見据える。
「ハイドリヒ……!」
『英雄同士の戦ほど、目を引くものは他にあるまい。さて、私は御身を壊したことがあるのかな──気になるな。知りたいぞ。うむ、試してみよう』
主の意向に、また魔城も鬨の声をあげていく。
ヴェヴェルスブルグ城が膨れ上がり、そこには山を悠々超える巨大な黄金の骸骨の像が顕現する。
上半身のみの威容、地を這うような姿格好は、まさしく死者という概念結集そのものだ。
──
戦鬼たちが、死者たちがその想念を唱和する。
刹那、髑髏の口から放たれた破壊光が、今宵全ての決戦の狼煙となった。
あらすじ
黒円卓の皆さん<従僕をたすけにきたよー
おかしい。まるで正義の味方のようだ。
気絶中の幼女
美味しいところを見事に見逃している。不覚。
もしも感想があったならタイトルの通り。