幻想偽典 ~Dies irae Rosenkavalier Kaziklu Bey~   作:時杜 境

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32 回想録:1995年 - 2

「逢いたかったわヴィルヘルム──私を死人にした男」

 

 ──彼が敵を蹴散らしながら辿り着いた大橋では、一つの邂逅があった。

 目の前に立ちふさがったのは、赤いドレスを身にまとった妖艶な女。ジェーン・ドゥと名乗る彼女曰く、ベトナム戦争の際、ヴィルヘルムによって部隊を全滅させられ、指揮官であった己もまた、その時に死者となったという。

 

「……、」

 

 誰だったかなァ、とヴィルヘルムは考えていた。

 目の前の女に見覚えはない。だが死体──狂気に達するほどのプラシーボで若々しい見た目を保つ女、己をここまで信奉してくる相手に対して、まぁ、最低限の礼儀として、顔を思い出すくらいはしようとする努力をしていたのだ。

 

 が、さっぱり全然ダメである。

 ベトナムといえば、二代目トバルカイン──櫻井(れい)と出くわしたことは覚えている。いい女だったので戦った。そして逃げられた。彼女は偽槍と契約し、その呪いに取り込まれてしまった。

 

 

 ……真なる問題はその後。興が乗ったとはいえ、他の女に手を出したことに、しばらく花嫁(白薔薇)が口を利いてくれなくなったのだ。

 

 相手が自分の愛称とする、(レイ)、という名前で被っていたのも大きい理由だったらしい。

 拗ねた奴は恐ろしかった。身の周りの世話だけやって、まったくその姿を現さなくなったのである。当時はどこに潜んでいるか分からなかったので、かつてない地獄の日々だった。結局、棒読み気味ではあったが、“ゴメンナサイ”の一言で許されたのは良い自戒の思い出となっている。

 

 故に。

 このジェーン・ドゥとかいう女もまた、花嫁の嫉妬の判定に引っかからないかどうか──ヴィルヘルムにしては、割と大真面目に記憶を遡っていた。無理だったが。

 

「あー……おう。まぁいいわ。とりあえず俺にぶっ殺されてぇっつー変態なわけだ。昔の俺好みの女だが、悪ぃな。先約どうの以前に──てめぇには興味ねぇわ。失せな」

 

「は……?」

 

 しっしっ、と手の平を振るヴィルヘルム。

 それに()()()()のだと理解が及んだ動く死体(ジェーン・ドゥ)の目に、険が宿った。

 

「先約以前の問題……? どういう事、どういうことよ……? あなた、ベアトリス・キルヒアイゼンと因縁あるんでしょう!? 取り逃がしているんでしょう!? ()()()()()()()()()()()()()()って、それはどういう事よッ!?」

 

「あーあーやっかましい。つかキレんのはそこかよ。どうもこうもねぇんだよ、()()()に言い寄ってくんじゃねぇ、っつってんの」

 

「さッ──」

 

 ジェーンの瞳が愕然と見開かれる。

 余りにも予想外、想像だにしていなかった現実に。

 

「……嘘。嘘、嘘、嘘よ……! あなたは取り逃がす定めなんでしょう!? だから櫻井鈴の時もそうだった! いつ!? どこの馬の骨よ! ありえない……あり得ないわ、こんなの……っ」

 

「馬の骨だァ?」

 

 なんだそれは。聞き捨てならない。

 俺の血で咲き誇る白薔薇を、そんな言葉で貶すなど。

 

「殺してやる──殺してやるわっ! ええそうよ、私からあなたを奪ったそいつを私が奪う! これでお互い公平よ、でないと収まりなんかつかないわっ!!」

 

「──てめぇが救いようのねぇ奴ってことは分かったよ。俺から白薔薇(あいつ)を奪うだぁ……? 吼えやがったな。だったらよォ、略奪愛なんてする屑は生かしちゃおけねぇよなァッ!!」

 

 薔薇の夜が炸裂する。茨の杭は周囲を戦場へと変え、夜に吸血鬼の怒号が轟いた。

 怒りで美貌を歪ませながらも、ジェーンはそこに喜悦を滲ませる。

 

「ええ……ええ、そうよ! あなたに殺され、あなたに焦がれたッ! あなたの恋の奴隷になったのよ! お願いヴィルヘルム、吸血鬼なんでしょう、私の心臓を抉りたいって言って! その爪で、その牙で、私を奪ってよォォオオオ!!」

 

「ほざきやがれ、鬱陶しいっつってるだろ変態がァッ!」

 

 辺り一帯を死杭の嵐が蹂躙していく。

 花嫁を罵った不届き者を誅するため、吸血鬼は今宵の暴虐を開始した。

 

 

     ※

 

 

 鎧を剥がしたとはいえ、魔人は魔人。人間は所詮、人間でしかない。

 力量差など明白。どれだけ策を講じたところで、初めからある差を覆せる未来などありはしない。

 

「──、どう、して……?」

 

 肢体を、腹部を、胸を串刺しにされながら、ジェーンの口から声が漏れる。

 この敗北という結果にではなく──己を串刺している杭、その効能の異変さに。

 

「あなたはずっと奪われ続ける……そうでしょ? だから、だから──()()()()んでしょう? 満たされないんでしょう? そういう吸血鬼なんでしょう? なのに、なのに、どうして──……」

 

 そう。

 彼女が入手していた情報によれば、カズィクル・ベイとは全てを吸い尽くし、枯れ落ちさせるもの。故に己自身も、その魔の手にかかれば、血を、魂をも吸い上げられる──それをある種、己が理想の終わりと定めてここまで来た、のだが。

 

 ()の杭は()()()()()()()

 吸い上げるどころか、ただただジェーンの身体を突き刺したまま、激痛のみを与えるだけの処刑道具としての効能しか、無い。

 

「ああ、宗旨替えしたんだよ。──愛ってやつだ」

 

 それを、あっさりと吸血鬼は認めた。

 これは以前とは違うものだと。

 自分は、以前とは違うものであると。

 

「確かに飢えてるぜ。乾くし、満たされはしねえ。だがそれがどうしたってんだ? 多少奪われたくらいで癇癪起こすガキは卒業したんだよ。俺は、俺のためになるモンさえあればいい。無敵無敵だって昔は言ってたけどォ──『()()』の方が、より吸血鬼としては()()()じゃねえか」

 

 “夜に無敵になる吸血鬼になりたい”。

 それがかつての彼の渇望。だが今は、

 

「“夜に不滅となる吸血鬼になりたい”」

 

 そう、変わったのはそれだけ。意味合いにさして変化はないが、込められた意味は大きく違う。

 そしてそれを、振られた女であるジェーン・ドゥが知ることは永遠にない。

 

「信仰が上がったんだよ。強くなった。()()()()()()()()()()()()()()だ。そしてあいつを咲かせるのは他の屑の血じゃねえ。だから奪ってる暇なんかねえんだよ。その果てに、俺は俺の世界で全てを塗りつぶす」

 

 いつまでも残り続ける。生き続ける。

 黄金の獣の爪牙として。たとえ、仮に、万が一、黄金の獣がいなくなったとしても──

 

「……妬けるわね」

 

 ジェーンは彼の語った話の本質を察する。恋焦がれてきた女の勘だ。

 彼をそんな風にしたのは──間違いなく、彼の花嫁となった者によるものだから。

 

「あなたに殺されはしたけど、糧にすらなれないなんて……ねえ、どんな女なの。教えてよ……」

 

「ああ──怖い女さ。こと、俺に言い寄る女に対しては、な」

 

「え……?」

 

 不可解な言葉にジェーンが声を上げる。

 瞬間。

 

 

『──人の男に手ぇ出してんじゃねぇよ、アバズレ』

 

 

 この空間に。

 どこからともなく、響く処刑の一声。

 

「は──」

 

 その時、ジェーンの視界に映っていたのはヴィルヘルムただ一人。

 だが、()()()から。

 立ち上がってくる──白き幻想が。

 

 引き金が引かれる。発砲音は屍鬼(ジェーン)の頭部を吹き飛ばし、その()を終わらせた。

 

 

     ※

 

 

 白銀の銃──454カスールカスタムオートマチックを手にしながら、ふう、と硝煙を吹き消す。

 まったく、すぐ目を離すとコレである。つーかベイ中尉の女運がマジどうなってんの?

 

「目ぇ覚めてたか、レイ」

 

「……浮気男」

 

「ちげぇ!!」

 

 なんでそんな食い気味に。

 ちょっと、別に抱き着かなくていいですからー。もー。怒ってないよ。

 

「あぁあ……ビビらせんじゃねえよ、ったく……」

 

「なんで自ら尻に敷かれるような挙動を……あれ、なんか変な感じな空気ですね。呪い?」

 

「俺らの鎧を紙に変える代物だ。おまえも気を付けろよ、今致命傷を食らったら、そのまま消えかねねぇ」

 

「あー……」

 

 そういやそんなのもあったっけな。

 んじゃ、今はベアトリスさん編か。お疲れ様としか言いようがない。

 

「……これも『知って』んのか」

 

「大方は。しかし命令がない限り、人の選択に干渉する気はありません。権利ないし。ガヤですし」

 

「ふうん」

 

 銃を消したところで、ひょい、っと抱き上げられてベイ中尉が歩き出す。

 目指す先は今夜の最終地点。──公園だ。

 

 

「あぁー……言っちゃった……」

 

「言っちまったなぁ。これはもう言い訳きかねえぞ」

 

 公園にやってくる頃には、天気は雨模様になっていた。

 その中で。敵組織の一人を打ち倒したベアトリスは、はっきりと口にした──

 

 “私はヴァルハラを落とす”、と。

 

 それは禁忌の一言であり、同時に彼女が黒円卓の反逆者──裏切り者に堕ちたことを意味する。

 

「はぁい、はぁーい。すっばらしー。かっこいいじゃないの、ヴァルキュリア?」

 

「──ッ、マレウス……!」

 

 拍手喝采の観客さながら、合流してきていたルサルカの声でベアトリスがこっちを見る。

 ベアトリスとは偶に文通していた仲だったけれども、残念な結末だ。けれどもまぁ、それが彼女の選択ならば、従僕として言うことはなんにもない。

 

「傷ついた淑女をからかうものではありませんよ。そうでしょう」

 

「シュピーネ……っ」

 

「もう一戦やらかす元気は余ってるかい、キルヒアイゼン中尉殿?」

 

「ベイ──……ッ」

 

「……、」

 

 私は求められない限りノーコメント。ただまぁ、ベイ中尉に抱えられたまま、残念そうな顔で目を逸らしておく。

 

「詰みだ。聞こえたぜぇ、さっきの台詞。てめえ、それが何を意味してるか分かってんのか」

 

「狂気の沙汰ね。どう考えても」

 

「ハイドリヒ卿に刃向かおうなどと、まともな人間が行う思考ではない」

 

 三者三様の追及である。

 しかし追い詰められている側であるはずのベアトリスは、毅然とした態度を崩さない。

 

「……レイシア」

 

 と、名前を呼ばれたので顔を上げる。

 そこには、微かな希望を込めた眼差しをした、ベアトリスが立っている。

 

「あなたは……どう思いますか。私の選択を」

 

 訊かれたということは命令だ。

 そうですね、と口を開く。

 

「やめた方がいいです。私もハイドリヒ卿と戦うのはイヤです。せめて水銀にしましょーよ水銀。ホラ、なんかあっちの方が弱そうだし」

 

「くはッ」

 

 いつも通りな馬鹿げた回答にベイ中尉が肩を震わせる。

 というか私は黒円卓の序列にさえ入れない格下中の格下である。人権なし。ペット。反逆するなど自刃するも同義だ。こうやって軽口じみた調子で反骨精神を示せるのは黙認している水銀相手くらいだ。

 

「だったら」

 

 と──意外にも、ベアトリスは食い下がった。

 

()()()()()()()()()()()。これは命令ではなく……ただ個人として、あなたに聞いています」

 

 ほぉ、とベイ中尉が息を吐いた。

 はいはい、暴力衝動は抑えててくださいね。

 

「──だったら、答えはもっと簡単です。お断りします。私、好きな人がいるので」

 

 言って、ベイ中尉の頭に身を寄せる。

 あらまっ、とルサルカとシュピーネさんは目を丸くし、ベアトリスは分かっていたのか、歯を食い締める。

 

「っつーわけだ。おまえがこいつに何を言おうと無駄だし()せぇ。レイシアは俺のもんだ。手を出させると思うか?」

 

「……でしょうね。ああもう、すっかり出来上がっちゃったようで何より」

 

 かつて彼女はそれを応援してくれていた立場だったのが、またなんとも切ないことで。

 交渉は決裂。であれば──次の展開も明白。

 

「──気に食わないなら、来なさい。あんなものに膝を折り、隷属することを正気だというなら私は狂人で構わない。私は騎士、ベアトリス・キルヒアイゼン。獣の群れごときに退いたりしない──!」

 

 ベアトリスが剣を構え、刀身を帯電させる。

 ()る気満々、その目は当たり前のように、これに噛みついてくるだろうベイ中尉へ向けられているが──しかし。

 

「やっぱいい女だな、おまえ。ああ、半世紀前にそう言ってくれていたなら、その喧嘩も買ってやったかもしれねえけどな」

 

「──?」

 

 怪訝な顔になるベアトリスに対し、ベイ中尉は私の方に視線を寄越してくる。

 

「どうせおっぱじめたところで横槍が入るだけだ。俺ぁ昔からそういうもんだからよ、知ってるだろ。だからせめて、自分の物になったもんは()られねえよう気を張っとくのさ」

 

「なにを……」

 

「おまえはもう好みじゃねえ。勇ましいのは結構だが、いつまでも進歩のねぇ下種だと思われんのは癪だなァ」

 

 ベイ中尉も本心では戦いたがってはいるのだろう。なにせ最初期に逃した獲物。ケリをつける機会なら今をおいて他にない。……なのに。

 

「見ての通り()()()()()()()。俺がおまえに向けてやれるもんは、もう無い。だから──」

 

 と、そこで彼は振り返った。

 この場に現れた、横槍になるはずだった──一人の青年(櫻井戒)を。

 

「──任せるぜ、小僧」

 

「……ああ」

 

 そうしてあっさり踵を返して、ベイ中尉は離れていく。

 青年とのすれ違いざま、

 

「ベイ……感謝する」

 

「間男になんのはご免だからな」

 

 男同士のカッコいいやり取りなんか挟んで。

 ──ヴァルキュリアと青年が辿った結末を、私たちは後日、知ることとなる。

 

 

     ※

 

 

 まぁ、それはそれとして。

 

「お久しぶりです。お二人とも」

 

 公園からほどなく離れ、雨宿りできる場所で、再会の挨拶などする。

 久々に会ったルサルカとシュピーネさんは──うむ、まったくお変わりないようで何より。

 

「あんたは相変わらずねー。あ、飴ちゃん食べるー?」

 

「淑女として一皮剥けた佇まいになりましたね。これチョコレートです。お一つどうぞ」

 

「わ、ありがとうございます」

 

「おォイ、買収されてんなァ!!」

 

 バッ!! とベイ中尉に身体をかっ攫われる。ああー、お菓子がー。

 俵担ぎされて軽くジタバタするが、まるで意味なし。無力なり。

 

「しかしもー、ほんとにあんたはどうしちゃったのよベイ。悪いものでも食べ過ぎたんじゃない? あそこで食ってかかって、後からきたあいつに邪魔される、ってのがお約束の流れじゃないの」

 

「あぁ、ったくその通りだぜ。レイシアがいなきゃそうなってたんだろうよ。冗談じゃねえ。危ないところだった」

 

「レイシア嬢はまさにベイ中尉の女神、ですな。結果は同じとはいえ、過程が変わるとこうも印象が違うとは。あのベイ中尉も、この半世紀で大人になったようで」

 

 ひとまず降ろされ、後ろからベイ中尉に抱きしめられつつ、主人の顔を仰ぐ。

 

「よかったんですか、ベイ中尉?」

 

「よかねぇよ。結局また取り逃がしだからな。最悪の気分なのは変わらねえが……、」

 

「レイシアちゃんが手元にいるから良し、と」

 

「美しき哉……愛ッ!」

 

「てめえらぶっ殺すぞー」

 

 割とマジ一歩手前な殺気を放つベイ中尉。

 そんな彼に背を預けながら、公園の方から聞こえる戦闘音に耳を澄ませる。

 

 ──雨はまだ止まず。

 今日を境に、なにかが狂い出したことを、察知できる人は誰もいなかった。

 

 

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