幻想偽典 ~Dies irae Rosenkavalier Kaziklu Bey~   作:時杜 境

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37 日常は崩壊するためにある

「……知りたきゃ吐かせてみろよ、白髪(しらが)野郎!!」

 

「──良い啖呵だ。簡単に死ぬんじゃねえぞォ!!」

 

 そうして猛獣を相手に、少年の試練が始まった。

 街灯がひしゃげ、倒れていく。地面は抉られ、陥没する。

 

 再び獣の鉤爪が迫る。それを少年が掴み、完璧なカウンターで蹴りを放つ。だが、それでもダメージは一切通らない。通らない。通らない。通らない。人間と魔人の力量差、単純なスペックの壁は絶対的だ。

 

 人では──黒円卓に敵わない。

 

「く────そ」

 

 反動で吹き飛んだ少年は街路樹にもたれかかる。

 既にその身体はボロボロだ。致命的な直撃こそ避け続けてきたものの、とっくにアバラは数本、腕も、脚も、とっくに常人なら動けないほどに痛めつけられている。

 

 それでも、立ち上がる。

 ここで死ぬわけにはいかない──否。

 ここで戦ったとしても、彼が死ぬ未来は訪れない故に──

 

「どうする?」

 

 煽るように戦鬼が呟き、横殴りの一撃を叩き込む。

 街路樹を盾にそれを凌いだ少年は、咄嗟に凶器となりうる木片(ぶき)を選択。射出機とするのは左足。回転蹴りと共に、それを怪物の喉元へ穿ってみせる。

 

 間違いなく渾身の一撃。それでも。

 

「──そんなもんか?」

 

「……ッ!!」

 

 白貌に、傷はない。

 度胸は買うが、その程度の価値なのか? と嘲笑を浮かべてさえいる。

 木杭が砕け散る。追撃が襲い来る。肉体にかかる負荷など計算する間もなく、少年は全力でそれを回避する。

 

「──……ッ」

 

 差は歴然。

 少年自身、この絶望的な戦力差を痛感していた。

 なにせ決定的な一手がない。ジリ貧だ。常識枠の攻撃では、目の前の男と対等な仕合すら演じることができないのだから。

 

 だがそれでもなお。

 少年の瞳には、命の危機、死という絶望が、まったく映っていなかった。

 

「……、」

 

 それを認めた瞬間、嘲笑を張り付けていた鬼の周囲の気温が急降下した。

 表情は消え、凪のような夜の静けさが場に満ちる。

 ゾッ──……と、嵐の兆候にも似た感じを少年も覚えたか、これまで以上の怖気にその身が震えた。

 

「……ハァン、そういう事かよ。代替、ね。そりゃ似通るってのも道理だわな」

 

「──何を」

 

「てめえの事さ、ツァラトゥストラ」

 

 白貌は動かない。

 彼をただの戦闘狂だと認識していた少年は、そこで己の思い違いを自覚する。

 ()()こいつはそれだけじゃない。何かがある。甘く見てはいけない、軽んじて舐めていれば、きっと取り返しのつかないことになる。

 

「気に食わねえな。まったく冗談じゃねえよ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ──それは少年にとって、初めて死の悪寒を心底から感じさせる一言だった。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「ぶち殺してえのは山々だが……あぁ分かるぜ、この感じ。どうせまた邪魔が入るんだな? どうせまた取り逃がすってんだな? ったくよォ……ざッけてんじゃねえよクソッタレがッッ!!」

 

 咆哮が爆発する。

 放たれた鬼気は、覚悟の無い常人が浴びればそれだけで死に至らしめるかと思われるほどの圧があった。

 そしてそれは、少年にとって──

 

──死にたく、ない。

 

 そう渇望させるには、充分な生命(いのち)の危機だった。

 

 

時よ止まれ(Verweile doch)──おまえは美しい(Du bist so schön)

 

 

 魔法の言葉が頭に反響する。

 刹那の空隙に、精神世界で対話は終わる。

 そうして時が、動き出す──

 

 

「──ベイ。何をしている」

 

 怜悧な一声から、それは再開した。

 今にも飛び掛からんと怒気を放っていた鬼が、忌々し気にその発声源に振り返る。“ああ、今回はおまえだったのかよ”、と恨みがましい視線を篭めながら。

 そこに立っていたのは、背に届く黒髪を流した若い女だ。少年と同い年ほどに見える。

 

「見ての通り。試してたのさ。ここでくたばるボンクラに用はねえ」

 

「なら彼は合格だろう。どうあれ、生き延びた。それにあまり勝手をされても困るな。この件は聖贄杯猊下から私に一任されている。指揮には──」

 

「──従えってか。この俺が。おまえに?」

 

 冷えた夜空を、白貌が仰ぐ。ふうぅ、と肺の中から息を吐き出し、気を落ち着かせる。

 それを緊張状態と受け取ったか、黒髪の女はピクリとその指先を動かしたが──

 

「そうかい、ご苦労なこった」

 

 くるりと、あっさりと白い魔人は踵を返した。

 この場にもう用はない、と興味そのものを叩き捨てたかのように。

 

「……? どういうつもりだ」

 

「察しが悪ぃな、てめえ頭回んねえのか? その小僧はくれてやるよ、好きにしな。劣等同士、勝手に淫乱してろや。クソくだらねえ茶番で発情してろ、ド素人」

 

「……殺すぞ」

 

「猿に付き合ってやる趣味はねえ」

 

 ばっさり斬って捨てて、男はその場から離れていく。

 後に残した三人のことなど、もう眼中に無かった。

 

 

     ※

 

 

 傷心中であった。

 

「……、あのぅ」

 

「……」

 

 声をかけたって微動だにしない。

 ここは拠点にしている教会内の割り当てられた一室。そこにある寝台に腰かけた私の膝の上には現在、拗ねまくっているご主人様の白い頭が乗っかっていた。

 

 うつ伏せで。しかし両腕はがっちりとこっちの腰を固定して。

 影の中から呼び出されてからこっち、ずっとこの状態である。無理もねえ。

 

「……カッコよかったですよ?」

 

「……何がだよ……」

 

「……ご自身の宿業を冷静に分析した、時とか……?」

 

「……それ褒めてねえ……」

 

 ぶつぶつ。

 などなど。

 サラサラの髪を撫でつけ、ゆっくりと時間を過ごす。

 可哀想で可愛い。庇護欲を煽られる現状であった。

 

「男に可愛いとか抜かしてんじゃねぇ…………」

 

「欲目というやつです。お見逃しを。でもやっぱ、更生してきてますよ中尉。かっこいい、かっこいい。純粋戦闘狂(バトルジャンキー)に見えてシビアな視点を欠かさない、兵士の中の兵士。これは相対したら厄介極まりない強敵ですねえ、序盤ボス詐欺ですよ。レベル30に見えて、実はレベル90の終盤ボスでしたー! みたいな」

 

「おまえの例えはいちいち胡乱なんだよ……」

 

 ジト、っと此方を見上げてくる深紅の眼。それに私は苦笑を返しながら、引き続き頭を撫で続ける。目を閉じた吸血鬼は、そのままそっぽを向いて唸るように命ずる。

 

「……もっと褒めろや。賞賛しろ俺を。語彙を尽くして」

 

了解しました、我が主様(ヤヴォール・マインヘル)!」

 

 そんな感じの従僕生活であった。

 役得役得。これもまた愛おしい時間である。

 

 

     ※

 

 

「──そういえば、私のことは紹介しないんですか?」

 

「あー?」

 

 翌朝。

 部屋に備え付けられているキッチンで朝食を作り、我がソウルフード(フレンチトースト)を口にしながら、テーブルの対面席に座るベイ中尉にそう尋ねた。そんな彼も、本日は同じメニューを食してくれている。

 

「レオンハルトちゃんですよ。えーと、櫻井(けい)。彼女が北米で修行してた時も、援助だけするだけして、私と会わせなかったじゃないですか」

 

 昨夜、ベイ中尉に介入してきた長い黒髪の女の子。

 ヴァルキュリア──ベアトリスの空席を埋めるために育てられ、黒円卓に所属することになってしまった、“巻き込まれた一般人”枠にして、ヒロインの一角である。

 

 私は黒円卓の従僕なので、当然そんな彼女にも、私をこき使う権利はあるのだが……、

 

「いいんだよ。別に存在を伝えてねえってわけじゃねえしな」

 

「“大隊長クラスぐらいにしか従わせられない使い魔”……みたいな説明をしてたのはどこの誰ですか。あれ絶対、私が現世にいるとは露ほども思ってないでしょーに」

 

「そもそも俺はあいつを仲間とは認めてねえよ。ハイドリヒ卿に忠誠を誓ってねえのが丸見えだ。それに……おまえを使いこなせる頭を持ってるとも思えねえしな」

 

「あー……」

 

 色んな意味で“頭が悪い”と言われがちの子だしなぁ。良い意味でも、悪い意味でも。それこそ彼女の真骨頂にしてアイデンティティーみたいなもんなので、確かに私という手駒を用いた小細工なんて向かないだろう。

 

『ベーイっ。ねぇちょっと、起きてるー? 起きてるなら起きてるって言いなさいよ、ちょっと見てほしいもんがあるんだけどー』

 

 ──と、ルサルカの声と共に、部屋にノックの音がある。

 ベイ中尉に視線を向けると、首を横に振られる。“相手にすんな”、という事らしい。

 従って私も黙って居留守を使っていたのだが──

 

「やっほー! あ~ら、やっぱり。レイシアちゃん、出てきてたわねえ」

 

 施錠の概念など黒円卓メンバーの前では皆無に等しい。

 ばーん、と恐らく影でも操って、無理矢理ルサルカがドアを開けてくる。

 

「入ってくんじゃねえよ……つか、なんだその衣装(カッコ)は」

 

「学・生・服・よ! ほら昨日の子──あ、藤井蓮(フジイレン)って言うらしいんだけど。その子が通ってる学校(シューレ)に、今日からあたしとレオンも転入することにしたの。どうどう、似合う~?」

 

 どうやら制服姿を見せびらかしに来たらしい。螢がいないのはベイ中尉の部屋だからだろう。好き好んで彼に近寄りたい印象など、向こうにはないだろうし。

 

「あッそう。どうでもいいわ、失せろ」

 

「んもう、つれない男。レイシアちゃん、どーお?」

 

「お似合いですね。まるで飛び級した天才児のような印象があります」

 

「あ~ら褒め上手。レイシアちゃんも行かない? 学校。興味ない?」

 

「んー、一回行ったから、もう正直興味はないですかねえ」

 

 言うと、ルサルカが目を丸くする。

 当然だろう。私が月乃澤学園に通っていたことは、クリストフやリザさん、シュピーネさんくらいしか知らない事実だ。

 

「えっ……ちょ、何ソレ。ベイ、あんたどんだけ従僕に甘いのよ!?」

 

「途中でヘマやって中退したけどな。レイシア、この後輩になんかアドバイスでもしてやれよ」

 

「そうですねえ。教員が入れ替わってなければ、国語と数学の時間は最初の五分間だけ真面目なツラしてれば、後は眠っても大丈夫。歴史と理科は隙さえあれば早弁できます。体育は基本サボってオッケー。美術は三十分遅刻しても申告すればヘマはチャラ。あぁ、数学教諭はロリコン疑惑あるんで、可愛くおねだりすればお菓子くれます」

 

「……、」

 

「……あの。ちょっと詳し過ぎじゃない、あなた? あとなんか、アドバイスの方向が、『いかに楽に過ごせるか』ってベクトルにしか向いてない気がするんだけどッ!」

 

「学校なんて場所はそれが全てでしょう。あ、二組に入れたら端のロッカーに抜け道作ってあるんで、そこから屋上に登れますよ」

 

「こ、怖い!! 完全に基地と化してる! どんな学園生活してたか気になるんだけどッ!?」

 

 そりゃ普通の学園生活ですとも。

 授業に出て、サボって、寝て、好成績だけ残して教員全員黙らせるだけのヌルゲーである。

 

「ま、ルサルカさんならカリスマだけでどうにかできるでしょう。学園アイドル、目指してみるのも一興かと。肝が据わった連中が集まってたなら、生徒会とドンパチするシナリオも組めますよ。いやぁ、『血の生徒会選挙』は盛り上がりましたね……まさか教頭がラスボスとして出てくるとは予想外で……」

 

「やっばい……こうしちゃいられないわ、どんだけ面白い学校なのよ!? すぐ行ってくるわ!!」

 

 風のように去っていくルサルカ。扉が開いたままなので鍵も直すついでに閉じておく。

 すると呆れたような溜め息が後ろから聞こえた。

 

「……俺ぁ学なんてねえけどよ……おまえの『学園生活』ってのが一般から隔絶してるってのは分かるぞ……」

 

「あんな箱庭はですね、どれだけ生徒側のルールを押し通せるかが肝なのですよ。是、青春の鉄則なれば」

 

「意味わかんねえよ。面白え女だな、気が狂ってて」

 

「えへへー」

 

「褒めてねえぞー」

 

 しかし藤井後輩には同情するばかりである。

 彼の愛した“変わり映えのない日常”は、これからも崩れていく他にないのだから。

 

 

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