幻想偽典 ~Dies irae Rosenkavalier Kaziklu Bey~ 作:時杜 境
──城に、もはや敵はいなかった。
藤井蓮は氷室玲愛を奪取し、戦線を離脱した。
城外で「未来の己」の流出を感じたことで創造は完成し、二人の大隊長を退け、消耗した黄金卿の隙を突いて────遊佐司狼と櫻井螢という犠牲を払いながら。
そして今、玉座の間の天井から墜落してきたモノがあった。
城主、ラインハルトはそれに歩み寄る。
「カール」
触覚としての水銀は秒読みで消滅の一途を辿っていた。
その心臓に突き立っているのは銀の細剣。
“
たった一度きりの殺傷能力に特化した聖遺物は、座にいる本体にも多少のフィードバックをもたらしていた。絶命どころか髪の毛一本を揺らすほどもない剣撃だったが、かの一閃は既知を疎む神に鮮烈すぎる
「まったく、抜け駆けとはな。彼女との一戦、どのような具合だった?」
「……素晴らしい。拍手を送りたい情しかありませんとも。ああ──彼女との闘争は、とても楽しかった」
「そうか。それで、私に何か言う事は」
「特に何も?」
「カ、ァ、ル」
しゃがみ込んだ黄金の獣は友の片頬をつねり上げる。
おまえ、ここまで来てそれはなかろう、と呆れを滲ませた黄金の瞳が云っている。
それに水銀は微苦笑し、
「……許されよ、獣殿。友であれ、いや、友だからこそ秘したい事情もあるものです」
「また常識人ぶったことを……気が変わった。やはり卿には、一つ吠え面をかかせなければ始末がつかんようだ」
「?」
そこでラインハルトが立ち上がり、片手を挙げるとエレオノーレが小さい箱のようなものを持ってくる。その蓋を開くと、そこには何やら、白い薄型端末……携帯電話らしきものが鎮座していた。
「確か操作は……うむ、こうだったな」
持ち前の記憶力で、空想科学上にしかない端末を操り、ラインハルトは一つの画面を呼び出す。
メルクリウスはそれを見上げながら、アレはレイシアの幻想……空想具現が造り出した代物の一つかと推測する。今や彼女は全ての幻想を捨て去ったはずだが──否、吸血鬼幻想という点においては、そちらは伴侶が持っていっているのだったか。ならばそこに含まれる空想具現の一品もまだ残存しているのだろう。
「カールよ。ところで卿は、レイシアから自分がどのように思われていると感じる?」
「ご覧の通りでしょう……娘からは随分と嫌われてしまったようだ。まさか、殺すためだけに挑んでくるほど嫌悪されていたとは」
「ふむ。やはり残念な父親だな。愛が足らん、愛が。だからそんなザマを晒すことになるのだよ」
「お言葉ですが獣殿。親子の情など、あなたこそ理解するものではないでしょうに」
「少なくとも卿よりは理解が及んでいると自負するが? 今から録音を聞かせる。よく聞いておけよ」
ポン、と軽い機械音が響く。
端末を水銀の耳の近くへ寄せ、ラインハルトは昔日、従僕と交わしたささやかな同盟の約定を果たした。
『──これを聞いている頃、きっと私は死んでいるか、勝って生きているかどうかしているでしょう……とりあえず水銀ザマぁ! と言っておこう。お前が勝ったか私が勝ったかは知らんが、どっちにせよ殺し合ったなら言っておかなきゃならんことがある』
「……?」
『お前のことだから? どーせ「まさか娘にここまで嫌われていたとは……トホホ」みたいな心境になっているのだろう。──浅い。浅い。なんて浅い勘違いだ、すいぎ~ん。そんなんだからお前は駄目なのさッ! 皆から嫌われるワケがよく分かるッ!』
「……ハイドリヒ。これは一体どういう……」
『私は確かにお前を常! 殺したい殺したい死ね死ねぇ! と言っているがぁぁ──!!
──“嫌い”、なんて一言も言った覚えはねえんだぞメルクリウス』
ぽかん、と水銀の王は本日何度目かの間抜け面を晒している。
それを視界に認め、うむとラインハルトは頷いた。
「卿のその顔が見られただけ良しとしよう。曰く、殺意と好意は両立するものだとか。忠誠もまた同じく。女心……というより、娘心か? 親の心、子知らずとは言うが、卿らの場合はまるで真逆だな」
「い、いや……しかし彼女は、シュライバーに『嫌いな相手を答えよ』と命ぜられた際、迷う事なく私を指していましたが……?」
「では、『嫌いだ』と言われたことはあるのかね?」
「……、」
つまりそういう事になる。
彼女が虚言を口にした瞬間など、この水銀さえも目にしたことはないのだから。
ならばあの死闘は──子として、彼女なりに甘えた結果、とでもいうのか。
「親を越え、離れていく子を見送るのも親の務め。違うかね、カール?」
「……ははははははは──いやまったく、その通り」
ならば彼女の道行きを見届けよう。
それこそが敗者の義務である故に。
「……ところで。これまでの彼女と、此度の彼女。何か、明確な違いはあったのかね?」
これまでの永劫回帰と、今回の世界線。
少女が限界を超え、異能を捨て去るまでの決断に至るまで、大きな差異はあったのか。
そんな友の問いに、水銀は淡く笑った。
「……しいて一つ挙げるのなら。私が副首領としてではなく、養父として接し続けたくらい……でしょうかな」
その回答に、今度はラインハルトの方の目が丸くなった。
なるほど、と役目を果たした端末が粒子となって手の中で崩れていくのを眺めながら、肩をすくめる。
「親と子は似るものか。人の関係とは奇妙なものだ。となると、卿は自ら遠回りをしていたことになるのかな」
「……この結果だけを見れば……そうなりますかな。ああ……私も愛が足らず、か。初めから、女神が寵児に向ける愛を、かの世界で育ってきた魂の輝きを信じていれば、よかったものを──」
──敗者の言葉はそれまでだった。
後に残った銀刀も、その消滅と共に、砕けて消えた。
※
「オ──イ……」
「むにゃむにゃ」
「オイこら聞こえてんだよ狸寝入りカマしてんじゃねえよッ」
「や、ヤダーッ! もっとこう、ぎゅっと! 甘い恋人タイムが不足してるんですよこっちはァ──!」
ソファで膝枕を堪能していた状態から起き上がり、その首にしがみつく。
あのなぁ、と耳元で溜め息をつく気配はあったが、引っぺがされることはなかった。
──衝撃の水銀戦から数時間。
半日ほどグースカ寝ていた幼女が目覚めると、そこはグラズヘイムの一室であったッ!
あと半ギレ状態のヴィルヘルムもいた。わぁい。
「つーか今のおまえをぎゅっしたら潰れるだろうが」
「……あ」
せやった。
幻想装甲を失くしたレイシアちゃんは今、紙装甲も同然ッ! もうヴィルヘルムの肌には掠り傷も付けられないし、殴られたり首を絞められたりしたらポッキリ逝ってしまうのだ!
「まぁ、
「ですねー……うわー、ヴィルがすっごい硬い。全身金属? 体当たりされたらひとたまりもないなコレ……」
「誤解を招きかねない発言をヤメロ」
ボヤきつつも、恐る恐るといった感じの力加減で、髪を梳いてくれる。
とても優しくされている。神格を落としたので、今の私は完全に人間だ。彼からすれば、幼女の形した豆腐が自分の膝に乗っているようなものか。
「いや俺はともかく……おまえは怖くねえのかよ?」
「へ?」
「へじゃねえよ。命握ってんだぞこっちは。こんなベタベタしやがって、少しは身の危険を感じろよ」
「……命を賭けるのはもう日常茶飯事ですし……ていうかヴィルヘルムには何されてもいーんで、感じる危険は皆無かなぁ」
ストレートに言うと向こうが言葉を失う。
うん、分かってて言った。隙だらけなので唇を頂戴する。
「おま、やめろ……抱きたくなるからやめろマジで」
「なにか問題でも?」
「こん城の家具が何で出来てるか忘れたのか」
あー。
そういや城って全部、死者で作られてるんだっけ。骸骨の皆さん! つまりヴィルヘルムが座っているソファも、床も、天井も、ベッドのシーツの何からなにまで、皆さんに丸見えなのだ!
……両手で顔を覆う。
「…………恥ずかしくなってきた……」
「墓穴を掘るしか能がねえ奴だよなあ……」
こっちはただイチャイチャしたいだけなのにーぃ!! じょ、常時監視体制って! いや、そういう場所だとは分かっていたよいたけどもコレッ、慣れるまで地獄だぞぉ──!?
「──それはともかく。目ぇ覚めてきたんなら答えてもらおうか? おまえ、あのハイドリヒ卿はどういう──」
「前世だからノーカン」
「……いや、」
「前世だ。ノーカンだ。私は知らねえ、あんなハイドリヒ卿」
対水銀戦においては果てしなく心強かったが。
心強かったが。
…………この話はこれで終わりッ!
「本日はクリスマスイブですねぇ……」
「……そうだな」
今日の深夜、全ての決着がつく。
その一番手となるのが、他でもないヴィルヘルムとシュライバーによる「白騎士」の称号をかけた決戦だ。
激戦必至。
楽しみだなー。
※
────ヴィルヘルムは考える。
己が業の始まりの決着。
欲しいものを取り逃がし、望んだ相手と添い遂げられぬという宿業。
……それは果たして今の己にも当てはまる事項なのか?
なんでもかんでもと奪い尽くしたがる衝動は、確かに表出する機会が激減したとはいえ、本能の根にはくすぶっているだろう。なぜならそれがヴィルヘルム・エーレンブルグの原点なのだから。
だが以前と一つだけはっきりと違う点がある。
欲しいものを唯一に絞り切っていること。
確かにシュライバーとのけりは付けなければなるまい、とは分かっている。白騎士の称号も、本来は自分が与えられるべきものだったという自負はある。
しかしそれは、その手段はあくまでも、もはや本命にあらず。
本命を手に入れるためだけの手段と成り果てているのではないか────等と。
(……いや、別に日和ってるわけじゃあねえと思うんだが……)
何かが引っかかっている。しかしこの引っかかりが分からない。
見逃したとして、さして問題にはなりえない。レイシアの言葉を借りるなら、全力で戦わなければ分からぬのだろう。
その果てに、何を得るのか。
それに少しだけ期待を抱いたところで、
「──ちゃんと攫いに来てくださいね?」
「──、」
手元にある薔薇からの声に、我に返る。
その瞳の色も、触れる感覚も、ただの人。彼がその気になれば、かつて狙っていたように摘み取ることは簡単だ。
だが、今それを行うのは違う。
その意味をこの娘は悟っているのか? 察しているのか。見抜いているのか。
……だとしても。
「当然だ。てめえこそ逃げ出したりしたら──」
「しません。愛に誓って」
「────愛、ねえ」
「なんです? まさか、まだ信じられていないと!? 信頼度、まだ足りないんです!?」
「そうじゃねえよ」
互いのことはとうに知り尽くしている。
血盟が薄れたとはいえ、それは変わらない。感情を読み取ることができなくとも、既に手に取るように目の前の伴侶のことは理解できる。
「……ヴィルヘルム──……? って、うわ!? なに、なに!? あは、あはははははは! くすぐったいくすぐったい! あはははは、なになに、なんなの──!?」
懲りずに顔を近づけてきた阿呆をくすぐり始める。鈴を転がすような笑い声は、下らない懸念を洗い流していく。
伝説の馬鹿にして最強のロリ。
これに愛された己が、今更、凶獣になぞ負けるはずがない────