幻想偽典 ~Dies irae Rosenkavalier Kaziklu Bey~   作:時杜 境

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62 卒業式

 残虐極まるくすぐり刑をたっぷり受けた後、城から降り立った私たちは深夜の街を歩いていた。

 不完全ながらもハイドリヒ卿の創造が流れ出している今、この街の魂は魔城に吸収されている。故に夜の静けさの中、二人分の足音だけが響いている。

 

「明日の朝ご飯なんにしましょっか」

 

「フレンチトースト」

 

「あは。了解しました。飲み物はトマトジュースで?」

 

「ああ。おまえは?」

 

「コーヒー。ブラックで」

 

「また飲み切れなくなっても知らねえぞ……」

 

 交わされる他愛ない会話に、一切悲壮さはない。

 いつも通り。いつものように。

 ──()は勝つのだから、今から起きることは通過点に過ぎない、という確信に満ちている。

 

「レイシア」

 

「ヴィルヘルム」

 

 十字路に辿り着いて、足を止める。

 ここから道は分かれている。ヴィルヘルムはこのままタワーへ、私はここで。

 互いに、最後の決着を付けにいく。

 

「負けんなよ?」

 

「死なないでくださいね?」

 

 かけ合うのも皮肉ぶった物言いで。

 見上げた真紅の眼と視線が合う。

 その白貌は不敵な笑みを浮かべている──きっと私も同じ表情だ。

 

 同時に手を伸ばす。握手する。拳をぶつける。手の平を叩き合って、ハイタッチ。

 それで、儀式は完了した。

 

「キスはとっとくか」

 

「ですね。ここで恋人らしい真似をしたら死にそうです」

 

「同感だ」

 

 頷き合い、ハッと彼が鼻で嗤う。

 やがて──

 

「またな」

 

 片手を挙げて、その足が歩き出す。遠のいていく。

 大きい背中は闇に紛れていく。溶け込んでいく。こちらを振り返らないまま。

 前しか見ないで。真っすぐに。

 

「……カッコいいなあ」

 

 前世の縁を頼り切った私とはまるで違う。

 男らしいって、ああいう人のことを言うんだろう。

 ──さて、そんな人に釣り合う伴侶でいるためにも。

 

「頑張りますかね」

 

「何をだよ」

 

 独り言に当然のように返ってきた声に笑みを零す。

 振り向いてみれば、そこには白いマフラーを流した藤井蓮と──マルグリットが立っていた。

 蓮は腕組みの仁王立ち、マルグリットはというと、両手を胸で握ったまま、まだ、躊躇いのある瞳でこちらを見ていた。

 

「俺たちはヴィルヘルムに用があって来たんだが」

 

「そりゃあ残念だったね。あの人には半世紀以上前からの先約がある。誰もここは通さないよ」

 

「……、」

 

 蓮の目が、私を観察する。どうぞ、と隙だらけの姿で軽く両手を広げた。

 

「……おまえ、弱くなってないか。ほとんど人間じゃないか。プレッシャーも、何も感じない。一般人と同じだ。この間、城の上で何やってたんだ」

 

「長年の伏線回収。前からぶっ殺したかった親父殿をぶっ飛ばしてたんだよ」

 

「……! ……じゃあ、メルクリウスに力を奪われて……?」

 

「おいおい、幼女だからって甘く見過ぎだろう。奪われたんじゃなくて、()()()んだよ」

 

 証言に、蓮の目が見開かれる。

 なんだそれは。どういうことだと、狂人を見る視線を向けてくる。

 まだまだこっちの彼は青いナー。決戦で、一手だけ手を貸してくれた未来の彼を思い、そんなことを考えてしまう。

 

「──どこかで聞いてるかな? 元来、私はこの世界全てを虚構のものだと思い込んでいてね。三次元(リアル)じゃなくて二次元(フィクション)。自分も他人も作り物。所詮は神の道具で、観客の消費物で、一時の娯楽でしかない。そういう精神性で、ずっと生きてきた」

 

「……らしいな。そしてそれがおまえの聖遺物だったんだろう。あらゆる幻想を内包して、この世にないものを創り上げる──虚構の夢を語るもの(モルフェウス)。そういう覇道で、それがおまえのアイデンティティーだったはずだ。なのに今は……」

 

「何も感じない──何も持っていない。そこらにいそうな、ただの夢想家に過ぎない。幻想は所詮、幻想。夢は所詮、夢。ああ、今の私はここを紛れもない現実だと思っている。作り物なんかじゃない、誰かの夢でもない……自分は、生きた人間なんだって、思っている」

 

「──、」

 

 蓮が、息を呑む。

 狂人を見るような目には、今や敬服の眼差しが宿っていた。

 ……そう、彼は分かっている。自分たちは幻想になれない刹那に過ぎず、それに耐えられなかった者の末路なのだと。故に、目の前にいる私は──

 

「──幻想(ユメ)から、覚めたのか」

 

 墓から出てきた、永遠ならざる矮小な生者の一人。

 だが、私はそれに少し、視線を落とす。

 

「……でも、まだ完全じゃあない。私が私の変革を行ったところで、それでも捨て去れない『業』は存在する。レイシアという人間の存在起点。そこにあるものを超越しなきゃ、私は前に進めない」

 

 そして、マルグリットを見る。

 生きとし生ける者らを包み込む祝福と愛の覇道。

 この時代において、今この時点において、唯一のハッピーエンドの鍵となる者。

 それに私は、敵視する目を向ける。憎むべき敵を見る眼を向ける。恨みがましい目を──向ける。

 

「このまま第五に移行しても、再び私は繰り返すだけだ。おまえの時代を存続させるためだけに死に続け、人生の矜持を守ることしかできない敗者に成り下がる。だから、必要なんだよ。私とおまえは別なんだという、決定的な勝利がほしい」

 

 自滅因子としての、不戦勝による勝利でなく。

 ただの人間として生きていくために。

 女神の一念から生まれただけという原点(はじまり)を、終わらせなければならない。

 

「……マリィを殺せば、おまえも死ぬぞ」

 

 自滅因子とは宿主ありきの存在。

 蓮の指摘は正しく、ここで彼らと戦うことは自滅の道を加速させることに他ならない。

 それに、ああ、と私は朝の挨拶のように返し。

 

「────だったら、殺した時に私が生きていれば、それは業を越えたってことになるだろう?」

 

 そう。

 英雄(レイシア)とは結局、そういうやり方でしか事を為せない。

 

 対話よりも殺し合いを望んでしまう。

 殺し合いがあってこそ対話が成立する。

 

 存在を賭けなければ生を実感できない。

 戦と平和は表裏一体。

 どちらかが単独で存在することはあり得ないという精神性。

 戦場を渡り歩いてきた、どうしようもない戦士のサガである。

 

「……時代が生んだ膿だ、おまえは」

 

「そして私がここにいることは、反面、そっちの女神がそう望んだから、ということでもある」

 

「……ッ」

 

 蓮が睨んでくる。そんな筈がない、と反論したいのだろうが、それでも言い返すことはできない。

 ──マルグリット本人が、否定できないから。

 

「『自分のせいでみんなが死んだ』」

 

「違うッ! それはおまえらが……!」

 

「『私と出会わなければ、蓮は平穏でいられたのに』」

 

「俺はそんな事……ッ」

 

「『──こんな私、いなくなってしまえばいいのに──』」

 

 ()()()()

 自分のせいで皆が死んでしまう。私に触れたものの首は飛んでしまう。

 だったらいなくなればいいのに。こんな自分、消えてしまえばいいというのに──

 

「だからやっぱり、証明するしかないんだよ」

 

 存在を賭けろ。

 命を示せ。

 

「『そんなわたしはわたしじゃない』と認めてくれよ。そんなもん知ったことか、()()()()()()()と言ってくれよ。そっちの事情なんて知らないんだよ。“絶対に幸せにするまでわたし、諦めないんだから”、って女神(ヒロイン)してくれよ。でないと。そうでないと──」

 

 右手に武器を、形成する。

 もはや私の中に、夢はない。

 けれどもここに、一つの聖遺物が残存している。

 

「──私も前に進めないんだよ。好きな人と一緒にいられないんだよ。次の世界を一緒に見に行けないんだよ。だからさぁ、頼むよ。超克しろよマルグリット。おまえは、おまえが歌劇の主演だろう!? 見せてくれよ、おまえの祝福の円環(ハッピーエンド)ってやつを──!!」

 

 現れる、真紅の刃。

 血の誓いが織りなした、契約の剣。──薔薇十字(ローゼン・クロイツ)。その残骸。

 いつかの日、思いつきで飲み込んでいた代物が、ここに来て私の最後の矜持(ぶき)になる。

 金色(こんじき)の女神が、息を呑んだ。

 

「レイ、シア」

 

「水銀は認めてくれたぜ、私のことを」

 

 人として生きること。

 神の理から脱却して、自由に道を進むこと。それすなわち──

 

「──覚者。『解脱』とでも言うのかね。渇望は克服した。未練も果たした。なら後はこの業だけだ。こんなものがなくたって、私は私として生きていける。ああ、本当にあと一歩なのさ。だけど私、黄金みたいに器が広い人間じゃないからさ。凡人なんだよ。おまえがいる限り、どうしてもどうしてもどうしてもどうしても……! 死ななきゃならない、死ぬことでしか人生を示せない──なんて、思っちゃうんだよ。笑えるだろ」

 

 ここまで来てもなお、それに縛られる。

 どうしもない──どうしようもないほど弱い。あと一手、最後の一線を越えられない。

 

 黄昏(かのじょ)の輝きが、あまりにも眩しくて。

 自分はそこに付随する影に過ぎないんだ、なんて思ってしまう。

 

 弱い──なんて弱い。

 なにが英雄だ、なにが神殺しだ下らない。

 一人で生きていけるなんて言っときながら、舌の根が乾かない内に、彼女がいなければ存在を認められないと自分で言っている。──なんて醜い矛盾。弱者の理屈でしか言の葉を紡げない。

 

 でもこんな私でもいいって言ってくれたんだよ。

 愛してくれるらしいよ、あの人は。

 だったら釣り合いたいと思うだろ。

 強くなりたいって……思うだろ。

 

「……強いよ、おまえは。尊敬する」

 

 瞑目し、蓮がこちらを見据える。

 

「きっとあの時、残滓(おれ)が手を貸したのも同じ理由なんだろうな。だから、俺も今同じことをしたいって思ってる。──マリィ」

 

「レン……」

 

「手伝うよ、俺が。むしろ手伝わせてくれ。ここで幼女一人救えないんじゃあ、魔王を倒すなんて出来ないだろうからな──いいかい?」

 

「──、」

 

 伴侶が差し出した手に、見上げたその瞳の力強さに、マルグリットは見惚れていた。

 刹那の永遠。それは女神が決断を要するのに、充分な一瞬で。

 

「──……うん……! お願い、します……!」

 

 彼らの手が重なる。繋がれる。

 断頭台の刃としてその身を形成し、伴侶たる少年が構えをとる。

 

「ふふ……」

 

「ははは……」

 

 互いに漏れる、不可思議な笑み。

 

 敵意はない。

 憎悪はない。

 怨恨はない。

 なぜなら──

 

 

 ──こんなに晴れやかな気分で武器を握るのは初めてだ。

 

 

 殺し合いのはずなのに、不思議とそう、互いに思ったからに違いない。

 緩く頬を上げ、首を傾げる。

 

「少年、戦の作法は知ってるか?」

 

「知ってるよ。あんたの彼氏に教わった」

 

 言葉が上手いな。

 再び笑いを零しながら、ではそれに倣って、名乗りを上げる。

 

 

「──月乃澤学園二年、藤井蓮」

 

「──同じく三年、レイシア・エーレンブルグ」

 

 

 青春の終わり。

 学園生活の区切り。

 

 ささやかな卒業式が、こうして始まった。

 

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