幻想偽典 ~Dies irae Rosenkavalier Kaziklu Bey~   作:時杜 境

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63 月天血牙

「正直、現状のままだと勝ち目は薄いですよねー」

 

 ────幻想の月世界でそう言ったのはレイシアだった。

 あぁん? と地面に仰向けに倒れ込んだまま、大の字で俺は聞き返す。

 

「対シュライバー卿についてですよ。絶対最速にして絶対回避。無敵とか絶対貫通とかじゃなく、とにかく回避特化。戦法とは攻撃ありて意味をなすものですが、そもそも()()()()()()()()んじゃ消耗戦は避けられません。相手の燃料切れを待つ他にない──それまで此方の燃料も持たせる他にない。そういう理でしょう? このままだと、ジリ貧で勝ち目薄すぎだなーって」

 

「…………、」

 

 それは、ちょうど俺の渇望──「創造」の効果が変わり始めていた頃の会話だった。

 全てを吸い尽くす薔薇の夜を失う以上、その時のシュライバーとの戦いがどれだけ絶望的なものになるかなど想像はつかない。それでも別に負ける気なんざ更々なく、また己が負けるイメージもなかったが。

 

「俺じゃあ勝てねえと言いたいのか」

 

「勝ってほしいから言ってるんですよぅ」

 

 またそんなツンデレ要素を、などと嘯き、口を尖らせるレイシア。

 言いぶりはともかく、その目は真剣だ。一時の諧謔やジョークの類で話題にしているワケではないらしい。

 

「燃料切れ、一撃滅殺攻撃……常道的に行けばとれる勝ち筋はこれくらいです。後は、向こうが思いも寄らない奇策を練っておくとかですねー」

 

「奇策、ねえ」

 

「お気に召しませんか?」

 

「好みじゃねえな」

 

 真正面から叩き潰してこその勝利である。

 奇をてらった小細工など己の覇道ではない。

 

「戦法のえり好みで、獲れる勝利を逃す方が間抜けな気がしますけど……」

 

「そういう問題じゃねえよ。こいつは美学の問題だ」

 

「ふーん」

 

「なんだよッ」

 

 拗ねたような態度に思わず声を荒げる。

 こういう時の奴は内心で俺を舐めている節がある。女子供の価値観で勝手に評価を下方修正されるのは癪だ。

 

「いや、いいんですよ。考えなしの突貫作戦は実に中尉らしくて。シンプルかつ王道。鮮血と殺戮の世界を創るのが中尉という吸血鬼なんですし。──でもそれ、狩人(ハンター)ってより捕食者って感じですよね」

 

「……何が言いたい」

 

「貪欲さが足りない」

 

 また、意外な言葉だった。

 貪欲さが足りない? 自分が? あれだけ散々吸い尽くしたいと奪ってきた己に、まさかそんな評価を下すとは、こいつの肝の据わり方はやはり常軌を逸している。

 

「中尉のソレは、『勝つのが当然』って人の思考ですよね。実際、ハイドリヒ卿に出会うまで負け知らずだったんでしょう? 勝利は安売りされるもので、だから飽いていた。どうせ勝つんだから、あれこれ考えたところで無駄だとか? 思考停止の典型ですねー。黒円卓の皆さんはまあ、傲慢こそが美点ですが、故に格上殺し(ジャイアントキリング)の浪漫を解ってらっしゃらない」

 

 浪漫。

 ここでそんな単語をチョイスする辺り、実に口が回る奴だと思ったものだ。

 

「浪漫だあ?」

 

「──例えばの話。ハイドリヒ卿に勝たなければいけない状況に置かれたとして、中尉、どうします?」

 

「どうって……」

 

 それは意味のない仮定だ。

 まずそんな状況になる事はありえないし、大体あの人と戦うことなど──

 

「絶対の忠誠を誓っているから戦わないんですか? それは叛意、不忠と見なされると?」

 

「……そりゃそうだろ」

 

「私だったら全力を尽くして挑みますよ。ハイドリヒ卿って水銀のお友達ですし。友達をぶっ殺された水銀の顔、見てみたくありません?」

 

「──!?」

 

 怒りよりも先に瞠目したのは、こいつが本気でそれを口にしていたからだった。

 奴がハイドリヒ卿を軽んじて、傲慢ゆえの発言では断じてないと理解していた故の衝撃でもあった。

 

 黒円卓の従僕。

 その忠誠の固さをさんざん思い知らしめてきたレイシアが、不忠からでも叛意でもなく、ただ純粋な戦意を見せていたことが、驚きだった。

 

「なんですその顔? そんなに変なコト言いましたか。忠誠、心酔してるからって挑戦しちゃいけないって理由はないでしょう。大体あの人、本気を出したくて仕方ないって方だったじゃないですか。実際、水銀の思いつきで()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

「ちょっと待て──ちょっと待ておまえッ!?」

 

 流石に聞き捨てならずに飛び起きる。

 ハイドリヒ卿と戦り合った? こいつは今、そう言ったのか?

 

「なんで生きてやがるッ!?」

 

「いや、引き分けたからですけど」

 

「引き分けだァッ!? ホラこいてんじゃねえぞォッ!!」

 

「えぇ……何その反応……」

 

 こわい、と身を引くロリ野郎。

 馬鹿だ大馬鹿だと散々言ってきたが、いやまさか、そこまで度を越していたのかこいつッ……!?

 

「いや──待て分かったぞ。そりゃ幻想(いのう)ありきの話だな? ああそうだそうに違いねえ、でないとありえねえからなッ……!」

 

「普通に黄金機巧(グルヴェイグ)だけですけど……あの、武器の方の」

 

「……冗談こきやがれ」

 

「嘘ついてどうするんですか?」

 

 ……。

 …………マジで言ってんのか?

 

「……ハイドリヒ卿に手加減されてた、だな?」

 

「どうなんですかねえ。そうかもしれませんけど」

 

 そうだろうよ。

 どうせそんなこったろうよ。どうせな。

 ああ、ったく、ビビらせやがって。

 

「でも私がそれだけ奮闘できるなら、中尉も当然できますよね?」

 

 ……………………。

 …………………………それは……、

 

「……てめえとは違え。俺はあの人の爪牙だ。ンな大それたこと考えたこたァねえよ」

 

「でも、命令とかで『やれ』って言われたらやるでしょう?」

 

 命令か。

 まぁ、命令ならそうかもな。

 

「ベイ中尉、お強いですからね。きっと勝てますよ!」

 

「ぉ……まえ、あんま調子づいたこと言ってんじゃねえ……叛意と見なすぞ……」

 

「なにゆえ。解せぬー」

 

 どうもこいつの小さいオツムでは理解が及ばないらしい。

 残念なヤツめ。馬鹿が。あの人に勝てる人間がいるかってんだ……

 

「で、なんの話でしたっけ? そうそう、勝利への渇望! ズバリ、中尉に足りないのはそれですねっ!」

 

 こいつホントにブッ殺されたいのだろうか?

 少し前の俺なら問答無用で殴り飛ばしていた場面だぞ、今。

 

「……言ってくれるじゃねえの。散々持ち上げといて、なんなんだその言い草は。矛盾しまくりだろうが」

 

「してませんよー。ベイ中尉はもったいないんですよっ! 強いのに自信が足りてないっていうか。ハイドリヒ卿の名前を出した途端に畏れ多さを出してきて。らしくない、実にらしくないですよ中尉ッ。一番自分が強いんだって自負してくるクセして、なんで自分を信じきれてないんです?」

 

「──、」

 

 ……そりゃハイドリヒ卿が特例すぎるからだ、この大馬鹿。

 あの人に関しちゃ、自負だの信じるだの、ンな精神問題で解決できることじゃねえだろう。

 

「なんとしてでも勝つ──何をしてでも勝ってみせる。人間、無意味かもしれないけど、やらなきゃいけない場面ってはあるもんです。私もいつか、そういう状況になるかもですし」

 

「無意味でも、挑むと? そりゃ身の程を弁えねえ馬鹿の理屈だろ。弱者ですらねえ」

 

「違いますよ」

 

 あっさりと、否定してみせる。

 否定しながらも、自信と矜持と勇気に満ちた、真っすぐな顔で。

 

「──そういう所で踏ん張れる人が、俗に、『英雄』と呼ばれる人種なのです」

 

 

     ※

 

 

 そう言った奴は、成し遂げてみせた。

 

 神格まで、高みまで登り詰めながら。

 

 自らそれを捨てながら戦うという無謀を晒しながら。

 

 敗北ではなく、勝利を掴んでみせたのだ。

 

「……英雄、ね」

 

 夜を歩きながら、背にしたものに振り返らないまま、呟く。

 言ってしまえば、レイシアという奴の本質はそれだった。馬鹿で、チョロくて、人間くさくて、奇想天外で、意味のない死闘に挑みながら、確かな勝利をもぎ取った。

 

 手段を選ばず。

 勝利に貪欲なまま。

 己の全てを使い果たして、成し遂げてみせたのだ。

 

「どんな幼女だ。あれが従僕だと? メルクリウスの野郎、目玉腐ってんのか」

 

 いや──それは自分たちも同一か。

 今の今まで、目の当たりにするまで、あの娘を真に分かっていなかった。

 本物のエインフェリア。

 人間のまま魔人を打倒する、人間の極致の完成系。

 

 強くなりながら武器を捨てていくなど、愚挙愚行でしかないとは思うが。

 あいつのソレは、そうとは言い切れないほどの、「何か」があった。

 

 上から爆風に飛ばされて墜落していたのに、どう見ても勝者というより敗者だったというのに、そうはまったく見えなかった。

 

 あの軽い体重に、何があるというのか。

 あの矮小な魂に、何を宿していたのか。

 まったくもって、分からない。分からないが──美しかった。

 

 そうだ。より燦然と輝き咲き誇る、白薔薇になっていた。

 

 異能どころか渇望まで捨て去ったというのに。

 ……それでも、眩いくらいに美しかったのだ。

 

「ワケ解んねぇ野郎め……」

 

 本当に、分からない。

 昔からそうだったが、あの存在は、より意味不明を極めまくっている。

 

 ──だからこそ、欲しい。熱望する。

 もはや黒円卓の鎖から解放された少女は、ここでけりをつけなければ取り逃がしかねない。

 切望したものこそ手に入らない。

 そんなふざけた宿業を、今夜、断ち切らねばならないのだ。

 

「っつーわけだ……よぉシュライバー」

 

 足を運んだタワーの上には、白い長髪を夜風に吹かせる少年の姿。

 ウォルフガング・シュライバー。

 大隊長にして「白騎士(アルベド)」の称号を己から横取りしていった、因縁の相手である。

 

「……? お兄さん、どうして僕のこと知ってるの?」

 

 小首を傾げる少女(少年)に、正気(りせい)はない。

 今この一時さえも彼にとっては幻か現かの境界もないのだ。記憶は過去へ逆行し、精神を現在に戻すため再構築中。主人の命を遂行するという単一機能を取り戻すための必要過程。

 

 ──そう、これはベルリンのあの夜の再演だ。

 

 黒円卓の黎明。その鐘声を鳴らしたのは、他ならぬ自分たち二人なのだから。

 

「よーく思い出してみろ、おまえは俺に名乗ったはずだ」

 

「ん……そうだっけ? あれ? 僕ってこんなに物忘れ激しかったかな……ちょっと自信ないなぁ。どうだったかなぁ……」

 

 再演の夜は静けさに満ちている。

 記憶を拾い上げる白亜の少年を前に、耐え難い感動が胸にずっと渦巻いている。

 

 郷愁にも似た憎悪。既知感とそれに対する情念が絶大な質量の感慨となって、猛スピードで蠢いている。巻き戻された光景、蘇ってきた原初の時。それが目の前にあり、過去にトんでいる少年と同じく、己もまた「あの時」のベルリンにいる。

 

 違うのは互いの服装と、周りにあった死体の有無か。

 ……ああ、それから。

 

「────────、」

 

 この、光景を。

 まるで絵画でも見るかのように、遠くで、頭の冷えたもう一人の自分が眺めている。

 

 感動は嘘じゃない。間違いなくこの機会に歓喜を覚え、次の展開をもたらす台詞(トリガー)も、もう喉まで出かかっている。

 

 同じ言葉をなぞるだけで、少年は夜の続きを始めるだろう。

 それはこちらも同じ気持ちで、事ここに至るまで、そうしようと考えていたのだが。

 

「────そのまんまじゃあ、いけねえのか」

 

 いつまで経っても台詞が出てこない理由に、納得する。

 ()()()()()()()()()()()()

 凶獣同士で相争う。不倶戴天の敵同士。もちろんその配役で()ってもいいのだが、そも、そのつもりでしかなかったのだが、

 

「多少、付加(アレンジ)してやる」

 

 ()()()()()()()()()()()()

 なぜなら。

 言うまでもなく。

 ここにいる己は、あの時立っている己とは、違う存在(モノ)と化しているのだから。

 

 ……吸い尽くさなくなった吸血鬼。

 ……総てではなく、唯一にこそ焦がれる夜の眷属。

 それはもはや過去の己とは別人だ。愛を知らぬ獣ではなくなった。

 万象全てに殺意(アイ)を返すだけの、目の前の畜生と同族では断じてない。

 

 なくなってしまった。

 狂わされてしまった。

 変容させられてしまったのだ。

 

 太陽のように()を焦がす、狂気の月光を浴び続けた。

 

 ならば。故に。

 放つ言葉は既知(かこ)ではなく、未知(みらい)を描く絵筆に他ならない。

 

「──邪魔なんだよ、てめえ。俺と似たような髪色しやがってパチモン野郎」

 

 変ずる、細部(ディテール)

 だが多少の差異など目の前の獣には関係がない。再現、続きなどという概念、向こうは意識にすら入っていない。

 

「へえ……」

 

 だから殺意の匂いさえ嗅ぎ分かれば、簡単にスイッチが入る。

 戦闘機構、殺戮兵器としての己を取り戻す。

 壊れた人形は、壊れたまま稼働を始める。

 

「そうなんだそうなんだ、お兄さん、僕のファンだったんだねえ。僕が欲しくてたまらなかったんだ。だから僕の名前を知っていたんだねえ……ふふ、うふふふ、いいよお兄さん。ノれる感じだ。名前が知りたいな。今夜の興奮をたまに思い出して悦に浸りたいからさぁ……いいでしょ名前。ねえねぇ、教えてよ────」

 

「──ああ、いいぜ。教えてやるよ」

 

 喉から紡がれる声は、低く、硬く、まるで魂から吐き出したかのような芯がある。

 哄笑を響かせるのは内心だけ。その興奮、狂熱、全てを内に閉じ込め、殺意の燃料とし、こちらも準備が完了する。

 

 我は我。

 月下の花を咲かせる至高庭園(ヴァルハラ)を守護する薔薇騎士なれば。

 

「聖槍十三騎士団黒円卓第四位──ヴィルヘルム・エーレンブルグ=カズィクル・ベイ」

 

「聖槍十三騎士団黒円卓第十二位、大隊長ウォルフガング・シュライバー=フローズヴィトニル」

 

 さぁ、真紅の夜を始めよう。

 獣を狩るは騎士の役目。その秩序が、揺らぐことなどないのだから。

 

 

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