幻想偽典 ~Dies irae Rosenkavalier Kaziklu Bey~ 作:時杜 境
そこには屋上に降り立った、己の影だけがあった。
「は──は、はは、ハハハハハハハハ…………!」
笑う。
笑う。
笑う。
文句の一つもない完全勝利。
その事実、この結末に、自然、喉から歓喜の念が笑いとなって溢れていく。
「ハハハッ、ハハ、ハハハハハ──────」
……勝った。勝った勝った勝った勝った。
あの忌々しい宿敵を打ち倒した。厳然たる事実、事象。
今こそまさに人生の絶頂期。天地に己一人だと、そう、全能感に浸りたいはず──なのに。
「────ハ」
──両膝をついた。
始まりの獲物を、宿敵を討ち果たした感慨は、
勝った。紛れもなく勝利したというのに、まるで満たされない。
なにもない。
なにもない。
なにも──無い。
「……レイ、シア」
声はない。
返答はない。
なぜなら──ああだってなぜなら、その魂はもう、此度の勝利となって、使い果たしたのだから。
使った。
使った。
使った。
その事実。
その事実一つだけが──幾億もの刃となって、打ちのめす。
宿願を叶えた。
己が業を突破した。
だというのに、ここにきて、愚かにも。
「……レイシァアァァァァ……ッッ!!」
地面に拳を叩きつける。噛み砕かんばかりに歯を食い締める。
喉から漏れるのは悔恨──悔恨の念だけだ。
嬉しくない。
まったくもって嬉しくない。
これが勝利? 勝利の味だと? なにが勝利だ下らない。今やその概念に唾棄したい気分だった。
────自分の女を使って得た勝利など。
────畜生よりも劣る愚行である。
「…………戦わなければよかった」
呆然と呟く。
初めてだ。
初めて闘争に、そんな思いを抱く。
今までそれが自分の全てだと思っていた。暴虐を尽くして勝ち続ける。それだけが己が人生に課せられた使命だと思い込んでいた。
馬鹿らしい。
阿呆の思想だ。
劣等とすら呼べぬ愚行
……ああ、そうだ、ようやく分かった。やっとわかった。
俺が欲していたものは────
「──レイシア」
あいつ一人だけだった。
名誉だの勝利だの称号だの、それに比べれば些末なものに思えるほどに焦がれていた。
それがこのザマだ。知らずに本命を使い潰して、仮初めの欲望のために取り逃がした。
……奪うものとは奪われるもの。かつて、メルクリウスに言われた言葉が脳裏をよぎる。
ああまったくその通りだよ。ここまで来て、ここまでの偉業をなして、ようやく真に理解する。
欲しているものこそ手に入らない。
なにもかもを──手にしていたものすら打ち捨てて、勝利の欲に眩んだ結果が、コレだ。
認めざるをえない。
俺は、そういうものなのだと。
「──まるで敗者の面だな。
「──、」
ザミエルか、と返答する気力すら、ない。
顔を上げることすらできず、勝利を祝いにきた戦友を放置する。
「見事な死闘だったぞ? 我が君も満足していたようだ。実に見ごたえある戦であったと褒めていたよ。嬉しくはないのか、ベイ」
「……うるせぇよ」
今そんな気分じゃねえんだよ。
勝利の気分なんぞ、あいつを喪った瞬間にかき消えたよ。胸にマキナの拳でもぶちこまれた気分だ。かつてない大空洞だ。殺気も、怒りも、闘争に猛っていた己に向けられている。過去に戻れるというのなら殴り倒したいほどに。
「“──奮戦、天晴れである。ゆえ、その証を受け取るがいい”」
瞬間、ザミエルの方から何かが投げられる音がした。
咄嗟に掴み取ると、それは白い
だが今はそれも、ただの布切れのようにしか思えない。こんなもののためにあいつを使った事実に吐き気すらしてくる。
「“新たなる
「──……!」
「とまぁ、我が主の言だ。確かに伝えたぞ。──そら、何処へなりとも行くがいい。おまえはまだ、何も失ってなどいないのだから」
その言葉に活が入る。
虚脱していた手足に力が入る。
……そうだ。嘆くのは早すぎる。あいつは言っていた。“待っている”と言ったのだ。なればこそ────
「ヤヴォール……
瞬間、タワーを飛び出していく。
夜の闇へと、身を躍らせていく。
忠誠を誓った主に、今再び深い深い感謝と忠義を抱きながら。
勝利を手に。栄光を手に。──最愛の薔薇を、手に入れるために。
「……やれやれ」
神風のように駆けていった白い後ろ姿を見届けながら、ザミエルは煙草の煙を吐いた。
結局残ったのは私だけか、と。
どいつもこいつも、まるでなっておらんな、と呆れた顔になりながら。
「……行け行け。行ってしまえよ悪童が。全てを手に入れてこい。──いつか共に戴く
揺らめく煙は月夜に溶けていく。
夜は長く、夜明けは遠く。
紅蓮の騎士は一人、散った戦友たちを想いながら、己のあるべき場所へと戻っていった。
◆
──────無人の街は轟音に包まれていた。
タワーより離れた住宅街。高層ビルの現代の街並みが今、ドミノ倒しよろしく崩れ去っていく。だが次の瞬間、それらの瓦礫の渦は一瞬だけ停止し、再び時間が元に戻ると、無尽無限の剣戟抜閃が一斉に発生し、更に街を、都市を、文明の景色を切り刻んでいく。
「め、滅尽滅相……!?」
「否!
なお、特に意味は変わらない模様。
などとテンションガン上げで叫んでいると、血盟の繋がりが完全に消える気配がした。
あ! 勝ったかなベイ中尉! 勝ったよね! 流石にな! 流石に勝っていてくれよなぁぁ──!?
ていうか勝ってくれていないと私が死ぬ。
ジ・エンド。
なぜなら主人公と戦うことはッ! シナリオ補正という名の抑止力に立ち向かうことと同義故に──!!
「こ、これが人間の本気とか信じたくねえ……! どうなってんだよ一体ッ!? 時間停止しろっつってるだろ! 停まれよ停まれッ! なんで動いてんだあんたっ、おかしいだろがァ──!!」
「幼女には時間干渉耐性がデフォでついてるンだよッ! 即死耐性もな! オラァァア! 死にたくなきゃァ乗り越えろォッ! これが正真正銘! 最後の! チュートリアル、だぁあ──!!」
「今までの本編ですらなかったのかよッ!? ふざけんなよ!! こっちは司狼も櫻井も先輩もその他大勢、結構失ってんだぞ!! どうしてくれんだよ!?」
「香純ちゃんがいるじゃん」
「そうだけどッ!! そこは感謝してるけど──ッ!!」
まぁまぁ蓮のメンタルが持ってるのは彼女が無事であるのが大きかったらしい。まあ、日常の象徴だしね。玲愛ルートにマリィルートをコリジョンさせて融合合体させた特殊例外世界線だ、甘くも厳しいっ! そんな難易度調整を目指してみました──! 結果論!!
「っぐ……! なんでこっちの軌道が読まれ……ッ」
「そりゃあ、
『レン、あの子ズルしてると思う』
「俺もそう思うよマリィ……!!」
好き勝手言ってくれるが、ここまでやっと五分の勝負やっているのである。
流出の階はとうに掴んでいるだろうが、それを蓮は使わない──使うつもりがない。たかが幼女相手に使ってなるものかという意志表示だろう。そこはマリィも同様らしく、「創造」以上の力を出されることはない。それはいいんだが、
「────、──」
……吸血鬼としての幻想との繋がりが消えた以上、本当に辛くなってくる。
膂力にいわせた攻撃がここから先は使えなくなり、本来の技術特化のステータスで殴らざるを得なくなってくる。
そして使い切った後は自分の魂を使うことになる。それはヤバイ。
……というか。
この
(──それは、まあ)
できないだろう、と思う。
なぜなら戦いの放棄とは、黒円卓に連なる者にとって有りえないことであり。
それを良しとするということは、彼を裏切ることに繋がるからで────
「──どうした。技の冴えが落ちてきてるぞロリっ
「……言ってくれるじゃねーかよぉ」
大道路に、向かい合うように降り立った。
蓮は二十メートルと少し向こう。その眼の戦意は一切衰えることなく、戦う気概に満ちている。
……彼の黒い刃、ギロチン越しには、マルグリットの姿。自責の念なんか超克しろ、などと偉そうに言ったが、また随分な無茶振りをかましたものだ。彼女は感情を獲得してまだ数週間も経っていない。その気持ちを掴むのも一苦労だし、自覚することさえ星に手を伸ばすようなもの。
なにせ、未来の自分が生み出したモノと対峙しろなどと。
そりゃあ女神だろうと無茶極まる。数百年単位の未来ではないのだ、軽く数万年先の未来だ。
自滅因子。自死衝動。
生まれたばかりに等しい彼女がソレを自覚することは難しい。それは彼女が神として、何千年も経験を積んだ末に、ようやく生み出されるもの。目を覚ました赤子にペンを持って数式を解けと迫っているようなもんである。
────だから、やっぱり。
本当にこの矛盾と向き合うべきは、私の方にあるわけで────
「……もう、戦いたくないんだろう、あんた」
──それを後押しするのが、それに助力するのが、彼の役割。
この困った姉妹の橋渡しは、やはり藤井蓮にしか務まらない。
「覇気ってのがねえよ、さっきから。幻想を捨てたせいかと思っていたけど……根本的に、もう以前のあんたとは別人だ。別人格ってレベルで違ってる。戦いを望んでもいなければ、戦いを愉しんですらいない。────
……耳が痛い。
……逆ギレしたいけど、やり方が分からないから、余計に刺さる。
「業の脱却とか……もうあんた一人で出来るだろ!? なのになんで戦うんだよ! あいつらに忠誠を誓っているからか!? 違うだろ、あんたはただ──!!」
その言葉の先を、止める権利を私は持たない。
聞きたくはない。
だけど、絶対に聞かなくてはならないと、人間の矜持が云っていた。
「──見捨てられたくないだけだ。失望されることを、あんたは恐れてる……ただの、どこにでもいる凡人だ……」
憐憫に満ちた呟きは、どこか、救いのようにすら感じた。
……きっと。誰よりも平穏を、暖かい日だまりを愛している彼が言ってくれたからこそ、すんなりその言葉も受け止められたんだろう。
「……じゃあ、どうすればいいと思う?」
故に零れた言葉も、どうしようもない程に素直なものだった。
「『ごめんなさい、もう戦いたくありません』──って言って、お別れした方がいいかな」
「それは……っ」
「別にさ、いいんだよ。それで失望されようが殺されようが。元から『何をしてもいい』、っていう従僕奴隷として彼らと関わったし、私もそれに合意した。後悔なんてないよ、欠片も」
『じゃあ──』
「どうして、って?」
簡単なことさマルグリット。
単純な答えしかないよ女神さま。
乙女心は複雑なんてよく聞くけど、根幹的なものは大体同じさ。
「……好きな人と少しでも長くいたいっていうのは、そんなに変な感情かなあ」
ぼんやりと。
そう、呟く。
見上げた月は遠すぎて。
望んだ夜は美しく。
──遥かに、手が、届かない。
「どうも水銀に言わせれば、私は呪いなんてかけるまでもなく『終わって』いるらしい」
手の施しようがないよ、と匙を投げられた。
おまえはもう、とっくに────
「終わっている──終わりきっている。一人で勝手に自滅して消えていく。今まで色んな戦いに参加してきたけど、一人で勝てたことはない。いいとこ、引き分けがせいぜいで。英雄らしい勝ちってのが、あんまりよく、分からない」
ジークハイル・ヴィクトーリア。
その文言も、実はそんなに信じていないし。
「いつも他人の力を貸してもらってさ。それでようやく、って感じ。でも、それって悪いことじゃないだろう? 一人で勝てないことを、責められる謂れはないじゃないか」
「……だけど。勝つために誰かを犠牲にすることは、間違ってる」
「……そうかな?」
「そうだろッ」
なんでそこがズレてんだ! と──
頼れる後輩は。
我らが頼れる主人公は。
そう、言ってくれる。
「犠牲の伴う勝ちなんて、そんなの意味がないんだよ。守れるのなら全部守ってこそだろう。犠牲ゼロ、被害ゼロ、利益百倍。それが真の完全勝利ってやつだ。犠牲を前提に考える戦いなんて、あっちゃいけないんだよ」
「……おいおい、そりゃ戦争の全否定だな」
「
「──まぁ、それもスワスチカを開くのは前提条件にあるけどね? あのな蓮、その持論には大いに賛同したいところだが、私にもできないことだよそれは」
肩をすくめてみせると、蓮は握り拳を作り、それを見つめた。
「……分かってるさ。俺だってそうだ。これまで、たくさん──取りこぼしてきた」
「いいや、君と私の場合はまったく違うだろう。君はなんにも知らなかった側。私は初めから知っていながら看過した側。善は其方で悪は此方だ。この構図は天地が引っくり返ろうと変わらない」
「だから、殺し合えと? マリィにそう言うのか、おまえは」
「そういう方法しか知らないし、分からないのさ。『止めたい』と思っても止められるものじゃない。常識としてもう骨身に沁みついてる。時代の膿とはよく言ったものだ、私は確かに、百年以上前に消えるべき人間だった。この時代に生まれていれば……まぁ、多少なりとも、君たちを援護した側に回っていたかもしれないね」
もしも平和な時代に生まれていたら。
もしも第五神座の『わたし』のように、そこそこ善い人生と巡り合いで過ごせていたら。
「「でもそうはならなかった」」
声が、一致する。
お互いに、これ以上はないと言うほどに、意志は確認し終えている。
真紅の剣を、肩にかつぐ。
「一度くらい勝たせてくれよ、
「お断りだ。勝手に負けてろ、
まったく、随分とたくましくなりやがってからに。
どれだけ言葉を重ねても水掛け論だ。終わりがない。ならやっぱり、愚かな私たちは、その方法を取るしかない。
「
「
互いに刃を振り抜き、構える。
戦場は静寂となし、
静寂は衝突を生む礎となる。
瞬間、再び戦の轟音が炸裂した。
「
「
音速、光速、神速、雷速、超高速。
時間停止の理が敷かれる中、
技量差と経験差と修練差でどうにか追いすがるが、クッソ、既に抜かれ始めてる……!
「ほらやっぱりな──鈍ってきてるぞ、先輩ッ!」
「ッ……!」
戦いは速い者が有利になる。後の先を取るばかりの此方は、向こうの速度に追いつけなくなった瞬間に詰みだ。応じた刃が、停止の刃に阻まれて弾かれる。
それでも拮抗してみせているのは、蓮が用いるギロチン──マリィと私の魂の位階が、同格にあるという事実あってこそだろう。私が彼女の自滅衝動である以上、
──そこから脱却したいと足掻く此方は、もはや地力だけで戦う他にない。
「おおォォオオオオ────!!」
「ッ──ぐ、ぅううううう────ッ!」
肉体が擦り切れる。ぎちぎちと時間停止の氷が肌を焼く。それに抗って、もはや意地と意思力を燃料にぶち込みながら処刑の刃を打ち弾いて返して逸らし、──読まれた。
「こんなに何度もぶつかればパターンも読める──!」
──本当に、忌々しいほどに輝かしい。
女神を守る守護者。愛のためにどこまでも戦える主人公。
「守る」ために戦う藤井蓮に、敵はいない。那由他の年月だろうと、そこに女神を害する因子がいるならば、それこそ永遠に戦える。
「ッ、がは……!!」
打ち砕かれる。
薔薇剣をとうとう叩き飛ばされて、その衝撃に吹き飛ばされた。
背にぶつかるのは金属の硬さだった。……自販機にでもぶつかったらしい。剣の方を見ると、ああこれはもう、拾いに行くのは無理そうだ。遠すぎる。
「はぁ────はあ、」
だがトドメになる追撃は来ない。
勝者たる処刑人の少年は息を切らしている。
逃げることならできそうだが、しかしまあ、
「……お見事」
真っ向から戦って負けた。
その事実に、もはや戦意はない。
私のマルグリット打倒計画は、やっぱり、前世から想定していた通り、失敗に終わる。
「……ああでも、挑んだのはこれが初めてか」
どうせ勝てないから、と初めから見切りをつけて諦観していたレティシア。
そのただ一度でも戦いに行っていれば、何か違う未来でもあったのだろうか? ──否。
……そんなのは、“元のわたしじゃない”と、突っぱねるだけか。やはり彼女の運命は変わらない。
「──一応、訊いておくけど。あんた、遺言とかあるのかよ」
もう息を整えた蓮が目の前までやってくる。
その腕には処刑台の断頭剣。死は間違いなく、免れない。
「遺言か。そうだな」
次の世界によろしくね?
やっぱり勝てなかったなぁ。
良い世界にしなさいよ。もう生み出さないでね?
色々と逡巡するが、ぴったり来る言葉は見当たらない。
そうだな、ともう一度、月を仰いで──
「……死にたくなかったなぁ」
「──ッ」
蓮が、息を呑む。そんなの卑怯だろ、と少年の眼が揺らぐ。
……ああそうだよ。卑怯だろ、こんなの。だから戦わなかったんだよ。ずっとずっとずっと。
終わってんだよ始めから。
誰もが賞賛する世界を滅ぼす敵に生まれた時点で、詰みまくってるんだよこっちは。
優しい神様がいると分かってて、それを守護する強い強い連中がいるって知った時の絶望、分かるかよ。
もう絶対にこっちに正義がないじゃんかよ。邪神になれってかよ。無茶言うなよ……
でもって、そんな中途半端な覚悟で挑んだ先に、「死にたくなかった」? 後味悪いにも程があるだろ。私だって嫌だよそんな敵。最悪だろ。頑張って戦ったんだから、すっきり勝ちたいじゃないか。
「……もう、休んでろ。おまえ」
憐憫が滲む声。それは処刑宣告と同義。
自滅に進む魂は、やっぱり勝つことなんて出来なかった。
──断頭台の刃が落ちてくる。
──永遠の眠りに目を閉じる。
夢の終わりは、死と共に訪れる。