幻想偽典 ~Dies irae Rosenkavalier Kaziklu Bey~ 作:時杜 境
おのれ水銀。滅べや水銀。
なんて呪詛も、奴にとっては雛鳥の囀りにしか聞こえていないのだろう。とまぁ、平常運転で水銀に突っかかった私だが、ベアトリスには心配され、ベイ中尉からはやや引かれていた。普段おとなしい幼女が豹変するのを見るのは初めてだろうか? まぁ座ってほしい。
頼まれたおつかい先はバミューダトライアングル。フロリダ半島近くにある、三角形の魔の海域だ。なんでもそこに沈んでいるとかいう秘宝というか、遺物を取ってこいという奴だった。黄金錬成とかに使う材料なのかもしれない。失敗はすなわち原作崩壊に繋がる。使い魔としての有能性を示す機会、というわけだ。
この手の使いは昔からあった。
エベレストに登ったりしたのも始めはそういう感じで、奴は既知感を打破するために、あらゆる選択肢を選ぶのを惜しまない。黄昏の女神に出会ってからはそっちを優先するチャートに切り替えたようだが、それでも義娘として拾われた私は巻き込まれっぱなしである。
「ベイ中尉ー、ただいま戻りましたー」
で、結局私が帰還できたのは、出発して
1944年、秋。二か月前にベイ中尉はワルシャワ蜂起戦で暴れまくって公的には粛清された、と水銀から近況を聞き、ついでにパーダーボルンにあるという新たな住処を教えてもらっての帰宅となった。
──そろそろ
時期的に、ベイ中尉が主人公の外伝シナリオが始まる頃である。
その名も、「Interview with Kaziklu Bey」。
ざっくりとした流れしか覚えていないが、まずはベイ中尉のヒロインちゃんがもういるはずだ。
よって、これにて従僕生活は脇役生活となり、私はどーにかこーにかバカップルにかかる火の粉を払う役となるであろう……
──そう覚悟しつつ屋敷に踏み入ると、リビングでは複数の人影が食事中だった。
パンを手にしたまま、目を丸くしているベアトリス。変わりなし。
空の皿をおかわりよろしく出しているルサルカ。変化あり。小っちゃい少女体になっている。
フォーク片手に、私を夢でも見るように凝視するベイ中尉。こちらは変化なし。
そして──
「……んん?」
三人だけ──である。
何度見ても。瞬きしても。
人数は、変わらない。
……ありゃ?
「「「レイシアッ!?」」」
がたんッ!! と黒円卓の三人様が同時に席を立つ。
な、なんだね、揃って死人でも見たような顔は。もしやホントに処分されたとでも思っていたのだろうか。心外な。
「……カズィクル・ベイの災難事件簿、~こんなの俺の望んだ吸血鬼ハーレムじゃない~……なるほど、アリだな」
一瞬、咄嗟に放った言葉の意味を理解しかねて呆気に取られる魔人三名。
ぷっ、と誰よりも早く笑ったのはルサルカだった。
「あっはははははは! ちょっ、レイシアってば的確すぎて酷すぎ! アンタ、性悪なトコもあるのねぇ」
なぜか同類でも見つけたかのように嬉しそうに笑う魔女様。いやあ、流石にアンタには負けますって。
「……な、なん──……ハッ!! レイシア、これは違います! 違うんです、いや、もう言い逃れ不可能な状況ですが、別に私たちは浮気相手ではありません!!」
「てめえは何の弁解を勝手にカマしてんだァッ!!」
テンパッて謎の弁明をするベアトリス、それに吼えるベイ中尉。ツッコミが輝いている。
しかし、だ。
別に二人がいるのはいいんだが……あれれ? この場面、致命的な誰かが欠けていないだろうか……??
「……お二人だけ、ですか。ええと、他にお客様は……」
「いねえよッ!! 変な勘ぐりしてんじゃねぇ、勝手にこいつらが来ただけだクソボケ!!」
「やだもうベイ、完全に浮気男の言い訳にしか聞こえないって」
「だから浮気相手では……レイシアがいなくなってからこっち、この男、なんか元気がなかったので様子見に来たんですよ。でもまぁ、心配無用だったみたいですけどね」
元気がないって……いやまぁ、ベアトリスの戯言はいいか。この人はなんか勘違いしているし。
ここで私が気にするべき問題は、やはり三人しかいない、という事態だろう。これは一体どういうことだ……?
「……ふーむ。じゃあちょっと、屋敷内を見て回ってきますね。新居ですし、構造を確認したいので。誰か隠れているかもしれませんし」
「な、何故」
「うわちゃ~~、完全に信用失ってるじゃないベイ。普段どんだけ女連れ込んでたのよ」
「してねぇよ!!」
活きの良いベイ中尉のツッコミを聞きつつ、私はリビングを離れて屋敷内をざっと見回っていく。
しかし空き部屋はがらんどうだし、物置部屋は埃っぽいし、他の部屋にも人が隠れられそうな場所、気配は微塵もなかった。
……おっかしいなこれ。
アレ? 私がなんか間違ってんのか……?
収穫なし。
仕方ないのでリビングに出戻りする。
「おかしい……誰もいなかった……」
「久々に顔見せたと思ったら不敬カマし続けてんじゃねぇよッ。頭んネジ全部抜いてきたのかてめえは!」
「……ベイ中尉。本当になにかありませんでしたか? 戦場で……こう、可愛い女の子を拾ったりとか……」
ややあって、ルサルカが噴き出した。
「ぶはっ」
「……レイシア……遂に目が覚めたんですね。この男がどれだけ駄目な男なのかを……!」
いや、大真面目に訊いてるんですけどねこっちは。
「だっから知らねぇよ……大体、んな場所で口説ける女がいるか。馬鹿か。阿呆か。おまえん中で俺のイメージはどうなってんだよ……」
苦虫を噛み潰しまくったような顔のベイ中尉である。
どうやら本当に心当たりがないようだ。ええ~? 嘘でしょ……?
「う~~ん、釈然としませんが、そうですか。ベイ中尉、女運ないんですね」
「なんだ今度はどういうベクトルからの喧嘩の売り方だァ……?」
「ご、ご飯食べましょうレイシアちゃん! ねっ、あなた疲れているんですよ!」
「あはははははははっ。ベイってほんと信用な~い。かっわいそ~~」
「てめえは黙ってろやァ!!」
げらげら笑うルサルカ、焦るベアトリス、ひたすらキレまくりのベイ中尉。
……うーん、どうあっても私が空回ってるだけらしい。これ以上探っても仕方ないので、違和感と疑念に関しては、ここらで切り上げることとする。
※
「はいレイシアちゃん。いっぱい食べてくださいねー」
「も、もぐもぐ……」
「ほらほらもっと! 遠慮なくっ! 私の分のパンもあげますからー!」
「もがっ、がぐっ……んぐんぐんぐぅぅ……」
──ほとんどベアトリスから一方的に飯を押し付けられている憐れな幼女を、ヴィルヘルムとルサルカは黙って見ていた。若干、憐れみをその瞳に帯びながら。
「……ねえベイ。なんかハムスターを連想するんだけど、あたし」
「奇遇だな。大体同じイメージだよ」
ハムスターというより、色合い的には小兎だが。
ベアトリスはというと、やや青い顔になり気味になっているレイシアの様子に気付いていないのか、ひたすら可愛がっている。精神の癒し、安寧として構いまくりたい病が発揮されているようだ。女のこういうトコがよく分かんねえよな、とヴィルヘルムは思う。
「つかてめえら、さっさと帰れよ。人ん家で勝手に飯タカっといて、いつまでいる気だコラ」
「なんですかその言い草は。私、まだあなたとレイシアちゃんの関係は認めていませんからね。あなたのような女性の扱いがなってない男に、こんな可愛い子を預けるなんて言語道断です」
「そりゃハイドリヒ卿の意思に逆らうって話か? 大体なぁ、主人に先に名乗り出たのも、その後の投票で勝ったのも俺だ。ぐちぐちといつまでも抜かしてんじゃねえよ」
「それは……」
ヴィルヘルムが口にしているのは、従僕……“レイシアを誰が引き取るか”、という議題の際にあった出来事だ。
初めは誰も手を挙げる者はいなかった。この幼女は水銀の使い魔。傍に置きたいと思う方がまずいない。──だがヴィルヘルムが、そしてベアトリスだけが挙手した。その後、他のメンバーの多数決票で、ヴィルヘルムが飼うことが決定したのである。
「ま~~、どっちに預けた方が面白そうかっていうと、断然ベイよねえ。あたしとしては、さっさと始末されちゃうもんかなぁ、と思っていたけど、存外続いてるわよね。意外だわ~」
「……レイシアちゃん。何か、なにか酷いコトはされていませんかっ。殴られたり、蹴られたり、とかっ!」
「ん~~ご主人様のプライベートを守るのも従僕の義務というか~……」
──まあ、幾度か殺し合いじみた手合わせを演じたことはある。
だが普段の生活において、そうなる展開は少ない、どころかゼロだ。というか見境のない狂犬は他にもういるのだ。ヴィルヘルムにしたって、口は悪いが筋の通らないことで手を挙げる趣味はない。
「ふぅーん。それじゃあ、あんたたちどこまでいったの?」
からかう気満々のルサルカの言葉に、テーブルを拳が叩いた。半笑い、キレ笑いのヴィルヘルムが魔女を睨む。
「俺は、幼女趣味は、ねえ」
「ええいっ、どの口で! どの口で──!」
「そーよそーよー! 状況証拠はあがってるんだからねー!」
「やっかましいわボケェッ!! ぶっ殺すぞァてめえら!!」
主人を問い詰めても、進歩のない罵倒が飛ぶだけ──そう認識したルサルカは、次に狙いを逆らえない従僕に向ける。
「んじゃあレイシアちゃ~ん? ベイのことはどう思ってるワケぇ?」
「かっこいー」
満面の笑み。
馬鹿丸出しである。
「……いや、そういうんじゃなくて……恋よ、恋ッ! ガールズトークガールズトーク! いや、待ってまさか、そういう機微が……ないッ!?」
「ああ、なんて無垢な子……どうかそのままであってください……!」
「おまえらな……」
「やー、イケメンだという認識自体はありますよ? でも恋、恋かー。畏れ多いナー。ていうか、した所で叶えてくれるんですかねえ」
どこか呆れたような、諦観混じりの従僕の所感に、ああ……と女性陣たちも視線が優しいものになる。空気は言っている──“やっぱこの男じゃムリか”、と。
「……、」
かくいうヴィルヘルムもまた、この従僕をどこかで持て余しているのは事実だった。
上質な魂。いつか必ず喰らう魂。では、あるのだが。
命令一つで命を捧げさせることは容易だろう。しかし、それでは芸がない。というか、その流れこそメルクリウスからの賜物を享受するだけのようで、純粋に気に入らない。
ならばやはり、レイシア自身から捧げさせることが肝要になる。
最高に輝かせ、餌として充分に潤ったその瞬間を作るには──如何にするべきか。
「でも、できたらきっと楽しいんでしょうね。私はまあ、知識ばかりで、皆さんのように『生きている』とは言えませんから」
「……? 生きて、いない……?」
訊き返すベアトリスに、白い少女は肩をすくめる。
「夢見心地というか。この世界を現実だと思って、生きて、
自嘲の笑みは酷く薄い。
──ああ、そうか。なるほどそういう事か、とヴィルヘルムは得心した。
この時、ようやく彼女を引き取った動機に納得がいったのだ。そうだ、
(…………なるほどな)
一人、餓狼は牙を鳴らす。
餌のようなもの、だった少女を、明確に餌と認識する。
この場にいる誰もが、彼の変化を知る由はない。
夜の主従の物語が本当の意味で始まったのは、たった今からだということを。
※
──ルサルカとベアトリスを送り出した後、私は一人、余りのザウアークラフトを黙々と食す。
対面席では、肘をついたまま、ぼーっとベイ中尉がこっちを見つめてきている。なんなんだね、この人は。ご飯を食べる動物の観察動画でも見ているつもりかね?
「……やっぱ違ぇな」
「?」
「何でもねえ。ところでおまえ、なんか言うべきことがあるんじゃねえのか」
「??」
また突拍子もないことを言う。
言うべきこと? 報告だろうか? 別に面白みはないと思うが……、
「
「……あ」
そこで私も合点がいった。
ごくん、と飲み込んでから言う。
「……ただいま、戻りました」
「遅っせえんだよ。チッ、どこで油売ってきやがった……」
もー相変わらずガラが悪い。
久々の感覚にこっちは苦笑いしてしまう。これでこそベイ中尉、って感じもするのだ。
「中尉こそ大丈夫でしたか? 文明利器でQOL上げちゃいましたからねえ、耐えられました?」
「軍人ナメんな。多少の食いモンの良し悪しなんざ知ったこっちゃねえんだよ。てめえこそ、あのクサレ水銀の野郎に尻尾振ってたんじゃねえだろうな」
「そりゃないっすねえ。アレには恩義こそあれ、忠誠やら敬意だのは軒並みドブに捨ててますから。歩くサンドバッグですよあんなの。ウザイし」
「あぁ、そりゃ同感だわ。アレが養父とかてめえも運がねえな」
「まぁ……悪運みたいなもんですね。どうしようもない人ですけど、恩人だからなあ。その一点だけは、どう取りつくろったって事実ですから」
「……」
すると、なんかちょっと不機嫌な気配を察知する。
私もベイ中尉について少しは分かってきたようだ。なにが気に障ったかは知らないが、こういう時は大抵、次の言葉はなんかよくわからない罵倒で──
「寝る」
「え」
席を立って、そのままベイ中尉は出て行こうとする。
……ありゃ? なんか予想と違ったな。まぁ、いいか?
「って、あ! 中尉、歯磨きしなきゃダメですよー!」
「やっかましい! てめえは俺の母親かァ!!」
「はあぁ!? なに恐ろしいこと言ってんスか! やめてくださいよ冗談じゃねえ!!」
マジで冗談じゃねーッ! ベイ中尉はともかく、ベイ中尉に潜む
「ッ……ああクソ、てめえがいると苛ついて仕方ねえ……」
「そーですかそーですかー。ご愁傷様です。それを、可愛いは正義! と言うのです」
「意味不明だわ」
ボヤきつつ、中尉は洗面所の方へ歩いていった。
……いやまぁ。
偶に、手のかかる息子みてーな感じがしないかといえば、嘘になるんですけどね。
本作の構成時系列は、イカベイ(ベイ中尉の外伝)→Dies本編をなぞっていきます。
目標は変更したあらすじの通り、目指せ白騎士! です。
つまり完全体ヴィルヘルムIF。
……なお、正ヒロインはいると幼女の出番が食われるので降板。ごめんなさいね。
次回、ロリコン回。