幻想偽典 ~Dies irae Rosenkavalier Kaziklu Bey~ 作:時杜 境
「あ゛―……死にそう…………」
ようやく緊張の糸が切れたところでそう呟くと、ぎょっとヴィルヘルムが顔を上げた。
その貌にはもう殺意はない。奥で飢えを堪えるような、獲物を狙う鋭さはもう存在しない。
────ヴィルヘルム・エーレンブルグ、更生完了である。
長かった……長い戦いだった…………ほんとうに…………
人の人格というものは早々に変えられるもんじゃあない。
獣殿然り、蓮然り、水銀然り。どれだけ人生にぶったまげる転換期があろうと、元から持ち得ていた特性は、あっさり消えるようなもんじゃない。
ヴィルヘルムの場合、特筆すべきはその愛し方。
愛情がそのまま殺意へ転換するタイプであり、愛されれば愛されるほど殺される確率は跳ね上がる。
私が虚無として消えかけた時が、更生の第一歩目。あそこで私を見捨てなかったという事実が初めの楔となった。
それから半世紀! 半世紀──時間をかけてかけてかけにかけまくって、「真っ当な」愛し方を教授していった。ヴィルヘルムからすれば私を最後の最後で騙くらかす手段の一環として付き合っていただけに過ぎないだろうが、ふはははは、罠にかかったのはうぬの方よ────!
まあ、ここを乗り切れなかったら私の負けだったんだが。
結構、ギリッギリな綱渡りでしたけどねえ!
「あー、もう悔いとかないです。未練もない。死んでいいかも」
「ッオイ!! トボけたこと抜かしてんじゃねえぞボケェ! ここまで人を
……そんな泣きそうな顔で怒らなくても。
真人間になったなぁ、ベイ中尉。とても嬉しい……
「ふふふ、そうだね。じゃあ、ずっと一緒にいてくれる?」
「っ……ぅ、お、おお……」
目を逸らしやがる。
顔も赤いし。
忙しいひとだなー、ほんと。
「ぃ……一緒にいてやらァ! 感謝して咽び泣けよクソロリ、てめえは俺がいなきゃ一人で死んじまうんだからなぁ!!」
「あっはははははは」
「笑ってんじゃねえ……!」
いやいや、笑わずしてどうする。
いやー、勝った勝った。やはり幼女は強いもの。この体も少しだけ誇らしい。
「はー……それを聞けただけで、ここまでやってきた甲斐がありました。……とりあえず止血、手伝ってくれません? これでショボ死とか嫌だし」
「あぁ……ったく、世話のかかる……」
そこで少し遠くに転がっていた救急キット……去る前に蓮が置いていってくれたものだ……を持ってきて包帯を出すと、応急処置を手伝ってくれる。
血を流す痛み、まあまあ新鮮な心地ではある。このまま続けば人は死ぬのか。前世ならともかく、今世ではまるで実感がわかない。知らない内に死ねそうだ、私。いや死にたくないが。
「……
「えぇ、割と。後輩もマルグリットも優しかったので」
「……、」
あ、またムスッと顔になっておられる。
なんとなく心情は察せられるが……どうせなら聞いてみるか。
「なんです、その顔は」
「……俺以外の奴がおまえを血濡れにしたことが気に食わねえ。が……今は、それだけじゃない気がする……」
「具体的にはー」
「……、愉快じゃねえ」
腕に包帯を巻いてくれながら、彼は言う。
心底、自分でも納得いかないが、とあからさまに表情に出しながら。
「おまえが傷ついてる様は……面白くねえ」
それが真っ当な人間のキモチ。
などと言うまでもなく、彼自身も分かっているんだろう。だからこそ、そんなことを思う自分がまだ信じられないのか。
「そう。私もヴィルヘルムが傷ついてるのは、嫌だな」
返答はない。
沈黙が下りる。
だけど気まずさはなく、血盟抜きで、お互いの気持ちが完全に一致している満足感に満ちていた。
「真っ当、か」
「はい?」
「いや……これから真っ当に生きるっつっても、ほとんど不可能だろ。俺もおまえも散々殺してきた。そんな人間が、真っ当に、普通に、平穏に暮らせるもんなのかね」
あまりにも奪いすぎてきた。
あまりにも殺しすぎてきた。
そんな私たちが、
それは、まあ。
「いいんじゃないですかねえ。享受できる限りは享受した方がお得だろうし。なるべく贖罪しながら生きていくのが精一杯でしょう。殺したものは返らない。罪なんて清算されない。背負っていかなきゃ、それこそ嘘だ」
悪人が幸せを望んではいけないなんてことはない。……と言うと、自己正当化してるような気分になるので、口幅ったいが。
……奪ったのなら。反省したいのなら。贖罪したいのなら。
やはり、生きていく他に道はないと思うのだ。
「口だけではどうとでも言えるな」
「はい。ですから、目指してみようじゃありませんか。真っ当な人生を」
幸い、人生は仕切り直しがきく。
夢はいつから手を伸ばしても遅くはない。
届くかどうかはともかく、目指すだけ目指してみる。できるのは、それくらいだ。
「はぁ……」
と、何やらヴィルヘルムが溜め息吐きつつ、そこで応急処置が大体完了する。
ひょい、っと体を持ち上げられ、いつものように膝上に乗せられたところで。
「──おっと?」
その時、大気の揺らぎに顔を上げた。
方角としては学校がある方面だ。そこで、黄金の光と、死者の軍勢と、それに立ち向かう超越の物語の、最終決戦が始まった気配がする。
「……始まったか」
「ワールドエンド! いやー、どうなるんでしょうかねえ」
「ハイドリヒ卿が勝つに決まってんだろ」
「……それはどうかな」
「んだとてめえ」
唸るヴィルヘルム。そこでちらっと、その首から掛けているストラを見た。
……少し体を離し、全体を見る。うおーう、様になってるぅ~……
「……
「そうかよ。誰かのおかげで参戦できなくなったんだがな」
「ごめんって! ごめんよ! でも主人公と戦えたんだからいいじゃないか!」
「何が主人公だ。あのガキが? ハン、どうせハイドリヒ卿にやられて終わりに決まってんだろ」
それがそうでもないのだ──なんて反論は野暮なのでやめておく。
しかし私は思うのだよ。ヴィルヘルムと蓮、案外この世界においては良き好敵手だったのではないか? と。
最初の強敵にして最後の障害。
熱い。熱すぎる。主人公側から見ればヴィルヘルム、敵でありながら師匠ポジションになってたりしないだろうかッ!?
「また変なこと考えてんだろおまえ。言っとくが、俺ぁあのガキに対しちゃ思い入れねえぞ。せいぜい金髪のガキに次ぐ小賢しいガキってだけだ」
「いや~……時と立場が違っていればなあ……なんかこう、面白い関係性になりそうだけどな~……」
「ね、え、よ」
あうー、頬に指を喰い込ませないで。
いいじゃないかよ、ロマンロマン! もっと! 存在しない因縁を語っていこうぜ!!
「……ま、見所あるガキってのは認めてやらんでもねえがよ」
ヴィルヘルムが顔を向けた先の上空では、流れ星のようにぶつかり合っている二つの光。その衝突の余波は、大気を通じてこちらにまで伝わってくる。
流出位階へと至った彼らは、やがてこの世界に「穴」を穿つ。そして宇宙の中心地──神座へと突き進んでいく。
「佳境ですねー。さぁてラスボス決戦かな、それとも三つ巴かな」
「……薄々思ってたんだがよぉ。メルクリウスの野郎ってまさか……」
「あぁ、現スレ立て人、兼管理者っすね」
「他にもっと例えようはなかったのか……?」
雰囲気台無しだわ、と辟易される。だってこれが一番分かりやすい例えなんだもん!
「最後の出勤、あるかもですよー」
「いや、ねえだろ。こっちが
「そっか。でしたね」
お互い、もう人間。
振るえる力はないし、参加したとて大した戦力にはならないだろう。
神さまのルールには、もう縛られない。
「……あの、」
「謝んな、ボケ」
先手を打たれて続く言葉を封じられる。うぐっ、と呻くことしかできない。
「異能が消えた程度で俺は変わんねえよ。むしろクソ水銀とは縁が切れてサッパリしたぐらいだ。俺は俺のためにハイドリヒ卿に仕えるし、おまえと一緒にいる。求めたモン全部手に入れた吸血鬼だ。なんかそこに文句あるってのかよ」
……ありません。
もうそこまできっぱり言い切られたら、余人の意見なんてその自負を汚すだけのものだろう。
「あくまでも吸血鬼、なんですね」
「ったり前だ。腹が満ちたら、もう喰う必要もねえだろう。こいつはそれだけの話だ」
満腹になった吸血鬼。あはは、それは確かに新解釈。
「見事、
「主にてめえのせいで、だが」
「なんですかその言い草はー。私に負けたんだから、もう素直になってくれてもいいでしょーに」
折角の世界の終わりだ。
こう、熱烈な言葉とかどんどんぶつけてほしい。
闘いに明け暮れている連中の横でイチャつく……あれ? なんかここ最近の動向と大して変わらない気がするな……
「……一度しか言わねえぞ」
お。
なにやら顔を近づけてくれて、耳の近くに声を寄せてくれる。
「ちょっ」
待って不意打ち。
デレは母国語芸でいくの、アナタッ!?
「うおおおおお……!?」
「ベイ中尉の本気キタ──!?」
「え、エーレンブルグ……! エーレンブルグの血を感じるぞぉ……!!」
そこで抱き締められる。
強く──強く、こちらに負荷がかかり過ぎないような、優しい力加減で。
「……ひゃい」
「雑魚すぎるだろ」
「アンタのデレ期の火力が凄まじいだけだよ!!」
ロリの乙女回路はショート寸前。
すごい、すごいぞ。なんてことだ! ツンデレの本気キター!
「じゃ、次おまえ」
うっ。
そりゃそうくる流れに決まっているのである。
私も渾身のデレを! ……といっても、常にデレデレなんだから、大して面白みはないと思うが──
そんなことを考えながらも、口を、開いた。
◆
──膝の腕でアタフタと騒いでいた娘は、急におとなしくなる。
覚悟を決めているのか。言葉を用意しているのか。
どちらにせよ、早くしてほしいものだ。
戦の決着がつけば、俺たちもどうなるか分からないのだから。
最後の時まで、一秒でも長く、こいつの声を、意志を、温もりを、感じていたいのだから。
「……レーイシア」
さらりと白い髪を撫でて、あちこち毛先が揃ってないことに気付く。……まったく、本当に無茶をやり通す馬鹿娘だ。とはいえそれに完敗したのは己なので、一周回って誇らしさすら感じるが。
──そうして、不意に。
「月って、あんなに遠いんですね」
愛の告白は、そんな切り出しから始まった。
天蓋を仰いで、少女は言う。世界最後の愛を謳う。
「私の世界に、月はなかった。薔薇なんて、花なんて、一輪も生えていなかった」
懐かしそうに。
寂しそうに。
遠く遠くに浮かぶ月を、見ながら。
「鋼色の大地と閉じた闇夜。そんなつまらない世界が、私の
虚無の夢。
残滓の夢。
虚空に成り損ねた、残骸の幻想。
それが、レイシアという存在だった。
「あなたが、私の
月をくれた。
薔薇をくれた。
永遠に続く夜の夢をくれたと、彼女は云う。
「あなたがいたから私は
ここにいる自分が、何よりも誇らしいと。
此方を振り向き、笑顔を咲かせて、花嫁は精一杯の想いを紡ぐ。
「ヴィルヘルム」
名を呼ばれる。
どうにも、いつも感じる響きと、違うものが今の声には篭っていた。
呼ばれるだけで光に照らされるような。愛と夢と浪漫を目一杯、詰め込んだような、甘い声音。
「私、あなたを愛しています」
言葉は、出ない。
自分が、どういう顔をしているかも分からない。
ただ、目の前の花に、ただただ見惚れていた。
「どこまでも、どこへでも、一緒に行きたい。……いい?」
小首を、傾げる。
まるで断ったら、幻のように消えてしまうような儚さ。
それを奪いたいと。吸い尽くしたいと。壊して血濡れにしたいという衝動は、一切湧き上がってこなかった。
────美しい。
永遠に在ってほしいと焦がれる
「……ああ」
応答の声には力がない。
この月に眩んだまま、一向にまともな思考が帰ってこない。
だからもう、
滑らかな頬の輪郭に触れて、唇を重ねていた。
「──────」
……永遠の時間があるとすれば、この時以上のものはない。
満たされる、潤う、とは違った、充足した感覚。
それを何と呼べばいいのか、なんと呼ぶのが正解かは俺には分からないが、名前なんて付ける方が冒涜的だと思うほどの時間がこの世にあることを、初めて知った。
「……愛してる」
思わず零れた声も、先ほど散々語ったものとはまた違う。
こんな心境で愛を口にしたことはない。こんな心地で告白するなど知り得なかった。
表面的なものでも、虚飾でも虚勢でも、誤魔化すためでも、騙すためでもない。
生まれて初めて本心を言葉にできたような感動を覚えながら、この最愛を抱きしめていた。
────やがて
三柱の神はぶつかりあい、彼らごと、黄昏の女神の愛が世界を包みこむ。
その果てに。
新世界の到来を告げながら────────────