幻想偽典 ~Dies irae Rosenkavalier Kaziklu Bey~ 作:時杜 境
波の音がさざめいている。
浜辺を照らす黄昏の陽光を浴びながら、私は言葉を紡ぎ出す。
──そこには何も無かった。私さえも存在しなかった。
「──Da war nichts. Selbst ich existierte nicht.」
原点は虚空。
虚無、虚ろな夢。そういうモノを存在起点に、私は生まれた。
いったい誰なのだろう。 私は何者なのだろう。 あなたはどこにいるのだろう。
「Wer ist da? Wer bin ich? Wo bist du?」
わからない…
「Weiß ich nicht…」
迷い、惑い、彷徨った。
外界を遮断して、内界に引きこもっていた。
そこに、ヘンな奴が現れた。
黄昏よ、輝きを。
「Dämmerung, Glanz.」
──忌々しい黄金の光よ。
いつまでも輝いていろ。あまねく全てを照らしだせ。
永遠よ、祝福を。
「Ewig, Segnungen seien.」
──憎々しい水銀の蛇よ。
これで最後にしておくれ。せいぜい良き結末を祈ってやる。
薔薇よ、夜にどうか私を導いてくれ。
「Rose, bitte führe mich in die Nacht.」
──愛しいあなた。
美しい夜をありがとう。願わくば、どうかこれからも──
誓いを捧ぐ。
「Gelübde widmen.」
夢を貴方に。
「Träume für Sie.」
貴方に全てを。
「Alles für Sie.」
私はもうなにもいらないから。
「Ich bin zufrieden.」
長い旅路。
その果てに、光を見た。
欲しかったものは、もうここにある。だから──
幻想よ、虚空となれ。
「Dies irae, Sei die Leere.」
夢の終わりだ。
黄金の夢は覚め、鳥は
偽典を燃やせ。
「Verbrennt die Apokryphen.」
力はいらない。
後悔はない。
未練はない。
もう、振り返ることはない。
私は永遠になれない刹那である。
「Ich bin vergänglich, nicht ewig.」
時間に流れ、消えゆく刹那。
永遠は、どこにもない。
それでいい。
──流出否定
「──
この身は神格にあらず。
どこにでもいる、ちっぽけな、どこまでも行ける──一人の人間だ。
宣言する。
両腕を広げて、永劫回帰の世界に、神座が支配する世界に別れを告げる。
世界秩序からの脱却、神様の加護の返還。
……それで本当に。
魔道の力も、聖遺物の力も、なにもかも、完全に失った。
「……あーあ、なんにもなくなっちゃった」
「晴れて一人立ちか。おめでとうと言っておくよ。特にこれといった感慨はないがね」
「……、」
私の横には、体育座りで黄昏ている残念な養父が一人。
ザザーン……と波が押しては返す、この黄昏の浜辺──新世界の土台、まだ真っ白な地平線たる特異点に、魂だけで私たちはいた。
いやなんでだよ。
「いや!! なんでだよ!!」
思いっきり海の方に叫び散らす。
オイどういう事だ説明をくれ! 私、完全完璧にゴールインしたよね!? しましたよね!? なのになんだこの幕間は! エンディング間際のスキマ時間は! なに!!
「拗ねているのだよ、私は」
「……まぁ……生き残っているところを察するに、あんまし上等な結末ではなかったようですが……」
つまりこの水銀父、女神にフラれたのだ。
彼女の腕に抱きしめられて死にたい──それが奴の渇望だ。
だが生きている以上、死ねなかったのである、この神。
「いや、彼女の決断に異を唱える気はないとも。そも私はマルグリット全肯定派だ。彼女の織りなすこと全てを愛している。だから異を唱えたいのはこの過程だ」
「過程……?」
え、蓮とラインハルトが決戦した感じじゃないの? その横でフラれたんじゃないの、こいつ?
「戦ったよ、三人で」
「えっ!?」
「実に心躍る戦であったよ? 私も本気を出したものだ。だがなぁしかし、ハイドリヒも我が愚息も、こちらにトドメを刺しにはこなかった。終盤になる頃には、私を無視して二人で戦っていた」
「……えぇ?」
なにそのオモシロ状況。
どないなっとんねん。どういう事なの?
「────娘のいる父親を殺すのは忍びない、だとか」
「…………ちょ、」
「あぁ、私も誠に遺憾である」
「そんな理由で私をここに呼びつけたのかてめぇはぁぁ────ッ!!」
そんなとはなんだ、とまた水銀は頬を膨らませるなどする。やめろおまえ、どういうベクトルにキャラ性走らせてるんだよ! 拗ねるにしても程があるだろ……!!
「元はといえば元凶はおまえだろう。さ、責任者として父を慰めろ。もう完全に傍から親子と認識されてしまっている以上、私もそのように振舞う他にない」
「『パパと呼んでくれて構わないよ』、って最初に言ったのはてめえだろうがぁ! なんでウェディング直前の娘に声掛けして慰めてもらおうとしてんだよ! 子離れするべきはどっちだぁ!!」
こいつ、まさか案外私との時間が楽しかった、とでも言うつもりなのか! やめろやめろよ、マルグリット以外は塵芥と断ずる上位存在系譜の変質者性を取り戻せよ! なにを父親面で拗ねまくってるんだよこいつはよォ────ッ!!
「心外な。むしろ光栄に思うべきだろう? さ────慰めろ」
「……お前さぁ。そういうのは私じゃなくて、友達に頼むべきだと思うんだけど……」
「嫌だ。恥ずかしいもん」
「もんじゃねえ。頼むからもう少しキャラを保てよ」
……今ごろ、宇宙のどっかで水銀捜索網が展開されていたりするんだろうか。
誰か早く来てくれないかな。この養父、娘への期待が割と重いんよ。
「慰めろっつったって……」
言葉で立ち直るような精神はしてねえだろ、こいつ。
マルグリットでもあるまいし、なにか特別なことをして元気になる器でもあるまい。
となれば────
「……っ?」
その物寂しそうな、頭を撫でた。
何をされてるんだか分からない、といった表情で、水銀は目を丸くする。
どうやら正解だったらしい。
「お疲れさま」
クランクアップ、おめでとう。
私という異分子を混ぜた一度限りの例外歌劇、実に素晴らしい出来だったと褒めておく。
……何千年も、何万年も。
これまでも、これから先も、気が遠くなるほどのその旅路に、
「……レイシア。この気持ちは、なんなのだろうな」
「知らんよ」
神様の気持ちなど人間に聞かれても分からない。
でも神様のくせに人間らしいのがこいつだ。たぶんそれは、きっと
「──じゃ、娘としての責任はこれで果たしたというわけで。んじゃあな水銀。次の世界で縁が残っていたらまた会おう」
頭から手を離し、その場を後にしようとする。
やーれやれ。とんだ最後のおまけコーナーであった。どっかにヴィルヘルムもたぶんいる……だろうし、さっさと合流してしまおう。
「ん?」
その時、足首を掴まれる感覚。
見れば水銀の片手が、こっちを引き留めている。
「おい……なんだその手は……」
「いや別に」
「別にじゃないだろ! 子離れしろって!」
そのまま振り切って再び歩き出そうとすると、右足にしがみついてくる。
ずりずりずり。砂浜に引きずる形で進もうとするが、いかんせん重い。幼女にしがみつく成人男性!? おい、こいつ変質者だぞ!!
「────レェイシァアアアア!! てめえ、こんなところ、に────」
あ! 待ちわびた救いの使者がここに!
浜辺の地平線から走ってきたヴィルヘルムの姿に安堵の息を漏らす。ていうか、この場所にこの人がいるって物凄い光景だな……!
なんて思ってる場合ではない。その深紅の眼は今、私の足元に引っ付いている影を凝視しており──
「たすけてー」
「ッ……!!」
両腕を伸ばすと、完全に状況を理解したらしい。一瞬でこちらに接近し、引き上げようとしてくれる──が、水銀が足を放さない。幼女が綱引き状態になる。
「てぇめぇぇ!! 放しやがれ銀河級変質者がァ! 人の嫁にしがみついてんじゃねェよッ!!」
「何を言う。元はといえば私の娘だ。おまえこそ離すといい」
「はァアアアん!?」
「千切れるー千切れるぅう──」
黄昏の浜辺でギャンギャン騒ぎ。
そんな声を聞きつけてくれたのか、ヴィルヘルムがやってきた方角から、新たな人がやってくる気配がする。
「そこにいたか、カール。探した、ぞ────……」
「おまえな、一体どこまで手をわずらわ、せ────……」
こんにちは、ゲシュタポ元長官様と元死刑執行人家系の末裔さん。
あ、と後ろの方で変質者の終わりの声がしたが知ったこっちゃない。詰みである。
「いやハイドリヒこれは──痛いっ!?」
「──友が失礼した。さてカール、少し向こうで話そうか」
神速でラインハルトが水銀にしゅぱーんっ、と手刀を入れ、その拍子に手が離れるとヴィルヘルムが私を奪い取る。そのまま水銀は破壊の君に首根っこを掴まれ、あー、と言いながら浜辺の
「ったく、油断も隙もねぇ野郎だな……!」
「あ、あー……大丈夫ですか、先輩……その、色々と……」
「ヘーキ。好感度を上げすぎるのも一長一短だねぇ」
おかげで助かった部分はあるにしても。
親が子の幸せを邪魔するなんてもっての外であろう。
「と──そうだ、ベイ」
その時、不意に足を止めたラインハルト──ハイドリヒ卿から、声がかかる。名を呼ばれた彼は、弾かれたように振り向いた。
「奮戦、見事である。卿のような臣下を持てて誇りに思うよ、
「──ハイドリヒ卿」
「己が選んだ道を往くといい。言ったろう、忠義ある限り、その身は我が永遠の爪牙。夜の勝利者、ヴィルヘルム・エーレンブルグよ。──至高の天で再び見える時を楽しみにしているぞ」
……それは彼にとってどれだけの重みだったのか。
けれども表面上には何も出さない。嗚咽など、感極まったような無様は一切なし。赤眼は黄金を真っすぐ見つめたまま、黄金もまた白貌を見据えたまま──同時に、口を開いた。
「「──ジークハイル・ヴィクトーリア」」
かくして黄金の姿は、黄昏の地平線へと消えていく。
別れの言葉はない。またいつか、再会できることを確信していたから。
「それで、ええと……」
砂浜を波打つ音と気配だけが残った後、蓮が切り出した。
「実は向こうで打ち上げ、あるんすけど……香純と司狼が、あんたも呼んでこいってうるさくて……」
「あら、そんなこともあったねえ」
「いやふざけんな。ロリが好きすぎかおまえら」
「おまえにだけは言われたくないんだけど……まあ、俺たちだけじゃないし、二人一緒に来いよ。マリィが整えてくれた最後の会だ」
「「?」」
一体何が待っているんだ、と二人そろって首を傾げつつ。
蓮が導く先、この世界のエンディングに、私たちもついていく事にした。