幻想偽典 ~Dies irae Rosenkavalier Kaziklu Bey~   作:時杜 境

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08  ※付き合ってません

 ──寝る、とは言いつつも、そもそもの話、夜にこそ起きたヴィルヘルムはまったく眠気というものが感じられなかった。

 

「……チッ」

 

 どうせ特別、することもない。

 ちょうど暇を潰せる相手──従僕が帰ってきたばかりだ。適当に話し相手を命じてやるか、という思考で彼は自分の寝床を後にする。

 

「おいレイシア。クソ従者、てめえどこにいやがる」

 

 適当に屋敷内に呼びかけるが返事はない。

 仕方がないので己の足で空き部屋を当たると、案の定、そこに探していた影はいた。

 

「あれ、ベイ中尉?」

 

 ノックもなしに開けると、まだ起きていた少女が意外そうな顔をさらす。

 その身は机に向かっており、そこには報告書らしきものがあった。律儀にも、今回の出張に関して書類をまとめていたようだ。

 

 が、そんな事は知ったことじゃあない。

 だがしかし、「眠れないから付き合え」と言うのも、なんか、こう。

 

「──おまえのねぐらはこっちだ。来い」

 

 口からでまかせ。

 それにレイシアは軽く小首を傾げる。

 

「? 空き部屋、ここぐらいしかないのでは? それとも、まさかアレ、あの物置部屋!?」

 

「俺をなんだと思ってやがんだよ」

 

 怒気を飛ばすが、白い少女は布を片手に「わーいやったー」と自分の巣の存在を喜んで、ぴょこぴょこついてくる。

 

 馬鹿だ。紛れもない阿呆である。

 そう、レイシアはこんな奴だった。離れたのはたった半年ばかりだったが、従僕という割には随分と馴れ馴れしく、肝が据わっている。

 

 それでも此方が手を下さなかったのは、一重にその従僕精神を生真面目に崩さなかったからだろう。本当にヤバイ領域には踏み込まないし、踏み込みかけても尊重と敬意を示して危機をかわす。

 要は、悪人と狂人だらけの黒円卓相手にも、まったく悪意や皮肉を含まず、ただひたすら純粋な気持ちを返すのだ。

 

 これが水銀の使い魔とか、少々どころじゃなく、激烈に納得がいかない。

 精神的な狂気は認めるところだが、それが嘘なんじゃないかと思うほど、一周回って()()()に見える。……それも一種の狂人性だと理解が及び始めたのは、ごく最近のことだ。

 

「ここだ」

 

 そうこうしている内に部屋に着く。ヴィルヘルムとしては、ただ戻ってきただけだった。

 

 すなわち、己の部屋に。

 

「ほう? 立派な一室ですね。まさに家主向けのような。屋敷(ここ)、そんなに部屋余ってたんですか?」

 

「阿呆か。唯一の空き部屋はさっきおまえがいたとこだけだ」

 

「……えーと」

 

 ここが誰の部屋なのかは察したらしいレイシアは、次に視線を足元に向けた。

 

「では床に……」

 

「違ぇわ、アホ」

 

 軽く突き飛ばす。ギャッ、と可愛げのない声を上げて、少女の軽い身体はベッドに転がった。それに続いてさっさとヴィルヘルムも横になる。

 

「ちょっ、まっ、はッ!?」

 

「おい、もっとそっち詰めろ」

 

「まああああああ!?」

 

「うるせぇ!」

 

 一喝すると面白いくらいピタリと声が止む。

 恐怖からか混乱からか、カタカタカタと小さな体躯は震えていた。そう、それでいい。

 

「……あ、あ、あの。すいません、ちょ、あの、私遺言状を書き忘れていて……」

 

「知らねぇよ。つか布ジャマ」

 

 後生大事に抱えていた持ち物を没収して捨てる。拠り所がなくなった少女は、今度こそ絶望に震えるしかない。退路も完全に断つために、その白い形を両腕で締め上げる。

 

「──ッ」

 

 恐怖を越えたか、少女の震えが止まる。

 文字通り、命を握られた。彼女からすれば、ここから少しでもヴィルヘルムが力を込めれば死体になるとでも思いこんでいるのだろう。──だが、それだけ殺す気で力を込めようと、少女の骨は軋み一つ上げなかった。

 

「チッ」

 

 忌々しさに舌打ちする。

 過酷な旅から帰って来て早々、多少は弱っていないかと期待したが無駄だった。今日もまた外れのようだ。

 

 かくいう少女はというと、ヴィルヘルムの首筋辺りに顔が埋まったまま、死んだように固まっている。抵抗する気は早々に失せたらしい。死を覚悟してのことだろうが、面白くはない。

 

「おい──」

 

 万が一、殺せていないかと淡く期待しつつ腕から力を抜いて少し身体を離す。見えていなかった少女の顔は、

 

「……、…………、………………」

 

 ──完全に茹で上がっていた。

 

「……ハア?」

 

 思わず怪訝な声が漏れる。

 予想外というか、想像の埒外にあった。なぜそうも生娘のような反応をしているのか。まさか普通に生きてきた一般人じゃあるまいし、大体こいつは「あの」水銀の使い魔である。成り立ちから異常の塊。それがなぜ、いっぱしの乙女な表情で、かつ居たたまれない微妙な、堪えるような顔で固まっているのか。

 

「どうしたおまえ……」

 

「嘘だろ自分の造形をこれっぽっちも自覚してねえイケメン属性まであんのかよどこまで落ちるんだよ」

 

「呪文を言ってんじゃねぇよ。は? そのナリで男慣れしてねえとでも言うのかおまえ」

 

「黒円卓の皆さんは紳士ですからねー誇ればいいんじゃないっすかねこの人生で女の子を抱きしめられた豪運に」

 

 矢継ぎ早に一呼吸もなく言葉を紡ぐ様は、少女の動揺を示している。

 台詞も不敬なものがあったが、ことこの状況、この反応を前に、むしろヴィルヘルムの機嫌は向上していた。それはずっと持っていた玩具の面白い機能を見つけた童心に近い。

 

「──処女か。濡れたか?」

 

「きゃー。ヴィルヘルム様かっこいー」

 

「平坦にキショいこと言ってんじゃねぇ。おちょくってんのか。犯すぞ」

 

「じょっ、冗談じゃねえ! ハイドリヒ卿に訴えるぞ!」

 

 なんでそこであの人の名前が出てくるんだよ。

 多少苛ついたが、それで興は削がれた。──理由は知らない。

 

「……なんなのー。なにー……私はどうすればいいんですかー……」

 

 幼女、なす術なし。

 おとなしくなったが、縮こまったまま固まっている。

 というか、ヴィルヘルムとて何も考えずにこうしているので、理由など説明できはしない。この従僕は単に暇を潰しに連れてきただけである。ただ──

 

「……、“戻ってきた”のはおまえが初めてだな……」

 

 そう、思う。

 これまでヴィルヘルムの手から離れたものは、以降、必ず戻ってくることはなかった。求めても奪われ、横取りされ、取り逃がす。そういう業にあるのだと水銀は呪いをかけた。しかし今、この手にある少女は、初めて自ら帰ってきたのだ。

 

 それが何か、筆舌に尽くしがたい感情を、ヴィルヘルムに抱かせる。

 

「……そりゃあ、私は皆さんからは離れられませんし、どこにも行けませんよ? おかしなことを言いますね、中尉」

 

 ……声に出ていたか、と歯噛みする。

 反して少女は、先ほどまで焦っていたくせに、その顔は落ち着いてきていた。もう慣れてきたのか。少し、つまらない。

 

 さり、とそこで妙な感覚があった。伸ばされた少女の細指が、ヴィルヘルムの髪の一部を梳いている。折しも抱き留めている姿勢だったので、まるで子をあやす親のようだ。

 

「……なんだオイ」

 

「サラサラ、髪質、妬ましい。男のくせに……」

 

「なににキレてんだ……」

 

 少女から紡がれるのは愛おしさを含んだものではなく、呪詛らしき声色。乙女としては失格だが、そちらの方が()()()ので苛立つ気も起きはしない。不快ではないものの、名状しがたき熱さが男に中にくすぶる。なんだこの感情は。

 

「……中尉」

 

「あぁ……?」

 

「なんか、カワイイですね」

 

 へにゃ、と聞き捨てならない戯言をほざいた従僕の顔が緩む。

 ……改めて、この少女の胆力は一線を画している。天下の黒円卓が一人、戦場を歩く吸血鬼(ブラッドサッカー)に対して、なんという物言いか。命などいらないと受け取られても当然の一言を、よりにもよってこんな至近距離で放つとは。

 

「────、」

 

 当然、それを白面外道が許すはずもない。

 これはいけない。好きにさせすぎだ。調子に乗らせすぎた。なんとしてでも黙らせなければいけない。上下関係というものを思い出させなければならない。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 だから、なんとしてでもここは。

 男の意地として、使命として、この馬鹿幼女を堕とすには──

 

「──レイシア」

 

「はぃ……んっ!?」

 

 呼吸を奪った。唇が重なった。小せぇな、と当然のことを思う。

 恋情などない、嫌がらせでしかない口づけ。だが相手は初心だ。この程度で容易く自分の立場を理解する。

 

「──ッ!?」

 

 遅れて、従者(おんな)から動揺の気がする。今更ながら現状の把握に脳が追いついたらしい。やはり処女か。可愛らしいところもあるものだ、と感心の念すら覚えながら口を離す。

 

「……な、ぉ、……が……」

 

「ハッ、イイ面構えになったじゃねぇかよ。ファーストキスの味はどうだ?」

 

「──、──ッ」

 

 少女からは言葉もない。ぱくぱくと口を開け、何が起きたのか必死に咀嚼しているようだ。

 顔は爆発するかと思われるくらい赤く、頬に触れれば熱い。まさに放心状態である。

 

「ぁ……ぅ……」

 

「おい、どうした。味の感想を聞いてるんだぞこっちはよ」

 

 にやにやと男の口角がつり上がる。

 完全に上に立ったという優越感に満たされる。しばらく返事がなくとも、今なら向こう一年は待てる気がした。

 

「……わ、かんないです……」

 

「ほーお? そりゃまたどうして」

 

 もう言葉を紡ぐことにさえ苦労している憐れな獲物。

 その羞恥心を煽るためだけに、悪人は慈悲のない追撃をかます。

 

「…………だ、って、きもちよかったから、わかんない……」

 

 ────そして見事に、完璧なまでのカウンターを食らった。

 

 潤んだ両の瞳。体温の上昇で赤くなった肌は、真白い髪色を引き立たせる。幼くも無垢な美貌は作り物めいているが乱れた呼気から確かに生きているものだと認識させ──否。思考も認識が続いたのは、そこまでだった。

 

 意識の空隙に叩き落とされた男は、再びその柔い唇に噛みついた。びくりと幼女の痩躯が震え、今度は押し返すように捕食者の胸板に抗うが、その背を鎖となった両腕が締め上げたので、逃げ場もない。

 

「ん──!!」

 

 本能的な、酷く乱暴かつ濃厚なものとなったセカンドキスは、少女の許容(キャパ)を軽く超過(オーバー)

 我に返ったヴィルヘルムが離れた時には、かっくりと目を回し、気絶していた。

 

「ふ、ふにゃぁ……」

 

 やりすぎた。

 しかもこっちの負けだ。最悪である。

 幼女おそろしい。

 

「……結局味が分かってねえじゃねぇか、クソ」

 

 思わず意味のない悪態が漏れる。

 この少女なら、血の味だったとでも言ったのかもしれない。だが気絶している。返事もない。

 

 腹いせに小さい身体を腕の中に仕舞い込む。女として抱く気は起きないが、こうしているのが一番しっくりきた。

 

 お気に入りの愛玩動物。それ以上も、それ以下もなかった。

 

 

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