戌亥羊はコミュ障だ。
男性的でこそないが、その神秘的なまでの容姿で学年が変わる頃には何人も話しかける者はいた。
しかしひと月もすればみんな離れていく。
彼は普通の子供だった。何も珍しくはない極めて一般的な精神性。
小学校の自由時間では「入れて」が言えなくてボールを持って立ち尽くした。
鏡の前でぎこちなくて下手くそな笑顔を練習した。
自分の何がいけないのか分析して、相手に気に入られようと思考してしまうが故のドモりを直そうともした。
全ての努力が無駄に終わり、小学校6年生の冬。転機が訪れた。
全員参加のマラソン大会でいつものように適当に流して走っていると、妙に張り合ってくる男の子がいた。
一位争いというわけでもなく、おそらく、一つでも順位を上げるために羊だけでも追い抜いておこうという程度のものだったのだろう。
マラソン大会を終えて、やはりその男の子とも会話を交わすことなく帰宅した羊は、そうか、と理解した。
「一緒に遊ぼう」が言えなくても本気で競っている人たちの中に入り込めば、一緒に遊べる。
中学校には部活動というものがあることを担任から聞いていた。勝ち上がれば全国大会まで続くそうだからたくさん遊べるし、そこまで上がってくる子なら本気で遊んでくれるはず。
少しずれた考えではあるが、致命的なものではなかった。普通ならば。
入部した先で友達が出来たかもしれない。
あるいは熱心に打ち込んだことで気持ちが前向きになり、会話が得意になったかもしれない。
しかし、この行動で元々ずれていた歯車が取り返しがつかないほどに狂った。
不幸なことに、戌亥羊は天才だった。
◇
「それで、Aクラスを目指すと言っても何か案はあるのか」
5月、学校のシステムが明かされ茶柱先生に堀北が直談判した帰り道。協力を求められ、断ったが押し切られてしまった後。ひとまず彼女の考えを聞いてみる。
「現段階のDクラスでは案も何もないわ。まずは地盤を固めないと。目下の課題は中間テストを退学者無しで乗り切ること。勉強会を開くわ」
まあ、当然か。退学者のデメリットがまだ分からない以上、下手にクラスメイトを減らして良いことは何もない。
あの簡単な小テストですら赤点をとる三馬鹿をなんとかしないことには始まらない。
「平田くんの方でも勉強会を開くようだからひとまずは須藤くん、池くん、山内くんの3人に勉強を教えるわ。綾小路くん、誘っておいてちょうだい」
「無理だ、3人の性格的に断られるだろ。それに顔合わせの意味も含めて堀北が声をかけるべきだ」
「それをどうにかするのがあなたの仕事よ。私は私でやることがあるの」
「やること?」
「戌亥くんに協力を取りつけるわ。あわよくばこれからのクラス間闘争に関しても」
「戌亥か…」
戌亥羊。
ホワイトルームにいた俺ですらも知っている、天才。外の世界の情報が手に入らないのになぜ知っているのかといえば、目指すべき目標として、資料として見せられたからだ。
中学一年生から剣道、弓道、100メートル走、卓球、絵画、全国模試、あらゆる分野で日本で一位になり、メディアにも取り上げられていた。
曰く、レオナルド・ダ・ヴィンチに続く第二の万能人。
日程的に不可能なものとチームプレイが必要なものを除き、日本にある代表的な部活動は大体彼に制覇されている。部活動に真剣に取り組んでいるものたちからすれば、彼は目の上のたんこぶだったことだろう。
「自己紹介の時もいつのまにか居なくなっていたな。話したことは?」
「ないわ。それでも彼だってDクラス。協力を取りつけるのは難しくないでしょう」
曖昧な返事を返しておく。
堀北はそう言うがおそらく彼女が考えているほど簡単ではないだろう。
Dクラスなのだ、戌亥は。万能人とまで渾名されされる能力を持っていながら。
それはつまり、高円寺や堀北のように学力や身体能力ではないところに欠陥を抱えているか、これはこの段階ではあくまで予想だが、櫛田や平田のようにDクラスに配属されるほどの過去があると言うこと。
一筋縄ではいかないだろう。
◇
翌日。
綾小路に三馬鹿の勧誘を任せた堀北は戌亥に声をかけるべく食堂へ向かっていた。
朝、休み時間など何度も声をかけようとしたが、折悪く教師に話しかけられたり、肝心の戌亥がいなかったりとこの時間までずれ込んでしまった。
戌亥が弁当や購買ではなく食堂で昼食を取ることは平田に聞いた。
食堂は大勢の生徒が同時に会話する以上とても騒がしいし、誰かが近づけばすぐにわかる。密談とまではいかないが、他クラスの生徒に盗み聞きされる可能性は低いのでちょうど良い。
食堂の入り口から見渡すと、戌亥はすぐに見つかった。原因はその整った容姿もそうだが、両脇のスペースを陣取る大量の器だ。漫画かアニメの大食いキャラのように、冗談のように食器が積み上げられている。
堀北は微妙な気持ちになった。
目立たないことがメリットだったはずなのに人目を引いている。作り物のような顔の生徒が無表情で大食いしている光景に慣れるには、1ヶ月では足りなかったらしい。
自分の分の定食を注文し、トレーを持って戌亥の隣の席に腰掛けた。もちろん器を退けて。
「相席いいかしら」
「……どうぞ」
「クラスメートの堀北鈴音よ。お願いがあってきたの、戌亥くん」
どうやら彼が食べているのは無料の山菜定食のようだ。考えてみればそれもそうだ。これだけの量を毎日食べるならいくらポイントがあっても足りない。無料の定食があるのは彼にとって福音だったろう。
「戌亥くん。あなたの経歴は知っているわ。つまりそう、とても高い能力を持っていると言うことを。私たちがAクラスに上がるのに力を貸して欲しいの。ひいては今回の中間テストのための勉強会に」
単刀直入な言葉に、返事は返ってこなかった。
さらに言うなら一度も視線すら合わない。
「ちょっと、聞いているのかしら。Dクラスのポイントはゼロになった。真面目に授業を受けていたあなたからすれば虫のいい話に聞こえるかもしれない。でも彼らに協力することがポイントを稼ぐことに、Aクラスに上がるために必要なことなの。あなたにもメリットはあるはずよ」
「………すみません」
数秒の沈黙の後、唐突に、戌亥はそれだけぽつりと言い残し、手早く食器をまとめて去ってしまった。とりつく島のなさに堀北も不意を突かれ、引き止めることもできなかった。
◇
街灯が等間隔に並ぶ小道のベンチ。
俺は人を待っていた。5月に入り、初夏と呼ばれる季節になっても深夜ならばまだすこし肌寒い。
4月、この学校のシステムにおおよその当たりをつけていた俺は、すでに目的への道筋を考えていた。そしてその道筋を辿るのに必要な人間も。
一人は堀北鈴音。彼女をメインに据え、より高みへと導く。
だがそれだけでは足りない。団体戦の様相を呈するこの学校のやり方では、いかに堀北が成長したとて未来は暗い。
ゆえに協力者を作る必要があったが、探すまでもなく適当な人物が入学式の時点で見つかった。
「来てくれたか。無視されるのも想定していたが、よかった」
「……何の用でしょうか」
夜の澄んだ空気と月明かりに照らされたその容貌はもはや神秘的ですらある。
光に照らされても茶色が混ざらない稀有な黒髪はポニーテールに結ばれている。普段のおろした長髪よりもこちらの方が俺は見慣れている。
資料で見た表彰台の彼は、いつもこの髪型だったから。
海外では現代に蘇ったサムライなんて呼ばれているらしい。
もっとも、世界レベルのスポーツ選手はだいたいニンジャやらサムライやらの異名がつくが。
「まず前提として言っておくが、俺に対して気を使う必要は一切ない。俺はお前を嫌わない」
「…………」
「俺は戌亥、お前に頼みたいことがあってな。悪いが入学当初からずっと観察、分析していた。その結果だが、お前はコミュニケーションが苦手なだけで人を嫌っているわけではないな?」
そう、日常生活はおろかメディアを相手にしてすら言葉数が少ない戌亥は、人があまり好きではないと思われているがそれは違う。
根拠は幾つかある。
人に話しかけられた時の震え、何かを言いかけてやめるかの様な唇の動き、発汗。
それぞれはごく微細なものである上に単体では他の解釈ができてしまう。
しかしたとえば、入学初日の自己紹介のとき。
拒否した連中が出て行った時、既に戌亥はいなかった。
だが、俺の席から偶然見えた戌亥の机の中には、まだ筆記用具などの荷物は残っていた。疑問に思った俺が廊下の方を見ると、戌亥は何故か入り口から教室の様子を伺っていた。アレは偶然トイレか何かに行っていて、自己紹介に混ざるタイミングを逸したのだろう。
あるいは、クラスメートから何かを話しかけられた時。彼は口数は少ないが、会話自体は成立する。それを盗み聞くかぎり、戌亥はかなりの確率で「すいません」と発言する。なぜか癖で謝る人間もいるが、それは反射だ。しかしそれとは違い彼は沈黙を挟んだのち、発言している。何と彼の「すいません」率は驚きの4割。発言の半分近くが謝罪だ。
このように、一つ一つは小さいことが他にもいくつも積み重なり、俺は悟った。
俗な言い方をすれば、こいつはただのコミュ障だ。
ならば、交渉の余地がある。
俺は、先の発言の根拠を語った。
「す………」
「す………?」
「す、すごいです!わ、わた私ずっと友達が欲しくて、でも、あ、ど、どうすれば仲良くなれるのか…わからなくて!それで、だ、だから、嬉しくて!」
「うおっ!?お、落ち着け……慌てなくていいから」
ずい、と顔を近づけ、どもりながらまくし立てる戌亥を落ち着かせる。オリハルコンの如き鉄面皮もくずれ、目を輝かせている。
それから、どもったり早口になったりする戌亥に、丁寧に自分に気を使うために思考しなくていいと伝えながら内心を聞き出した。
努力しても友達ができなかったこと。
変なことを発言するよりも黙った方が良いと思い、口数が減ったこと。
練習した笑顔が気持ち悪いと言われてから表情を変えないよう努めていること。
誠実で丁寧な印象を与えるために一人称を変えたこと。
友達ができないならと皆が本気で一緒に『遊んで』くれる大会などに出ていたこと。
「戌亥、俺が友達の作り方を教えてやる。それはな、自分が一緒にいて利益になる人間であると証明するという方法だ。友人関係というのは全てが綺麗な要素でできてるわけじゃないんだ。一緒にいて楽しいという要素にプラスして、この子は私より可愛くないから引き立て役になる、こいつは俺より頭がいいからいざというとき助けてもらえる、そんな打算が無意識で必ず働く。だからそういう利益の視点から一緒に行動して、会話して、友情を育めばいい」
「な、なるほど!ということはAクラスに上がるために協力すれば友達が出来る…?」
感銘を受けたという顔をする戌亥。堀北のために行動しているならばこの結論を与えた時点で任務完了だ。だが違う。俺は今、俺の目的のために動いている。
「確かにそれもいいと思う。だが、お前はあまりに優秀だ。そのまま協力してしまうと、友情よりも尊敬や嫉妬が先に来て、対等な関係になれないだろう。そこで、だ。これが俺のお前への頼みなんだが、Dクラス全体を率いるわけじゃなく、一人ずつ能力を上げていって欲しいんだ。切磋琢磨…とはまた違うが、全体ではなく個人を相手にともに能力の向上を目指す。友情が芽生えると思わないか?」
「一人ずつ……放課後……達成感……ハイタッチ……親友……ぇへ」
綺麗な顔をだらしなく緩ませ妄想の世界に入り込む戌亥。……さすがにチョロすぎるんじゃないか?誘導がスムーズに行きすぎて俺が騙されているんじゃないか、演技なんじゃないかと心配になってくるレベルだ。
「わかりました、任せてください!それが綾小路くんのためにもなるんですよね?」
「ああ、勿論だ。もともとそれをお願いするために戌亥を呼び出したんだしな」
それから数分会話をしたあと、別れて帰路につく。かなり上手くいった。戌亥が教育に関しても才能を持っているかはわからないが、プラスになることがあってもマイナスにはならないだろう。
俺の最終目標は【俺の打倒】。
ホワイトルームの最高傑作である俺を、堀北率いる現Dクラスが優越し、ホワイトルームの教育理念を壊すこと。そのためには今のDクラスでは不足がすぎる。観察するに、Dは特化型の人材が集められたクラス、上手く成長させればどのクラスよりも強くなる。
戌亥、すまないな。はっきり言ってお前に語った友人の作り方はデタラメもデタラメだ。なんなら俺も駒の作り方は知っていても友人の作り方なんて知らない。
これからもお前を誘導し続ける。
持てる力を全て使って最終的には俺が勝つ。
俺は過程で堀北に負けるが関係ない。
最後に目標を達成するのは。
最後に勝っているのは、俺だ。
◇
「戌亥、まず初めにお前が友情を育むのは、山内春樹だ」
「あの【嘘の才能】を、お前の手で開花させて欲しい」
原作うろ覚えだし、何なら最新3巻分くらい読んでないので捏造入るかもしれません。良ければ指摘してください。