俺が地上で活動を開始してから、既に1週間が経過した。
中々に忙しく、そして充実した、学びの多い1週間であったと言えよう。
女神フレイヤ脱走事件の少し後、近くにいたガネーシャ・ファミリアの構成員……シャクティ団長の妹だか何だかに質問して、巡回ルートを教えてもらったのだが、そのルートに従うとそれはもう凄かった。
1時間に一回くらいのペースで犯罪が起きていたのだ。
ただ、犯罪と言っても殺人や暴行のような類のものではなく、万引きやスリが殆どで……更に、その下手人の殆どが年端もいかない子供たちだった。
驚くべきことは、そしてその子供達は、皆一様に目も当てられないほど痩せ細っていた事だ。
話を聞いてみると、親が居なくなって何とか自力で生きねばならなくなった者も居れば、親が無気力になってしまい、金と食糧を持っていって何とか元気になって貰おうとした者、中には、親に命令された者も居た。
彼ら彼女らの話を聞き、俺はテスカトリポカがこの時代に対して『気力が無い』と評価していた意味が、ようやく分かったような気がした。
きっと皆、絶望してしまっているのだ。
オラリオの全盛を知っている者達であるからこそ、今のオラリオがいかに落ちぶれたか、いかに荒廃したか、分かってしまう。
故にオラリオの末期を悟り、絶望した。
そうして、多くの者達が時代を乗り切るだけの気概を無くし、現実から逃避した。
その手段こそが自害であり、心を閉ざす事であり、酔い潰れる事であり、狂う事だった。
子供達は、そんな親達の被害者だったのだ。
現状を、早急に何とかしなければならない。
この問題は、俺にそんな決意を抱かせるにはあまりに十分だった。
────とまぁ、正直、これだけでも俺が地上での活動をした意味はあったと言えるのだが、有難い事に女神フレイヤが猫を数時間おきに送ってくれたおかげで、冒険者的にも実に充実した日々だった。
ちなみに、今のところ猫との戦いは全て俺の勝ちということになっている。
レベル差的に考えれば逆の結果になるべきだったのだろうが、今回は戦闘条件が向こうに厳しすぎた。
俺には【
向こうとしてはだいぶ納得のいかない結果だろうし────というか実際に戦闘を重ねるたびに怒り方がえげつないことになっていたが────俺にとっても本気の猫と戦えなかったことは残念な事この上ないが、まぁ、仕方がないというものだ。
さて、そんなこんなで猫から死ぬほど恨みを買った俺であるが、今日は普段の
何やらフィン曰く、魔石製品の工場に対する襲撃がここ数日で連続しているらしく、俺にも魔石製品の工場の近くを張っていて欲しいとの事だった。
で、近辺を巡回していたら本当に襲撃が発生し、たった今鎮圧が完了した所である。
少ししくじって工場と幾つかの倉庫は燃えてしまったし、真っ先に逃げ出した数人のいくらかは取り逃がしてしまったが、人的被害はおそらく最低限に抑えられたし、何か持ち出そうとしていた連中は全員叩いて何もさせなかったからまぁ、許容範囲というものだろう。
「ぐ、ぉお……畜生……私たちは、使命を、使命を果たさねば……!」
「黙れ」
俺の足蹴にされてなお諦め悪く這う男の首を剣の鞘で叩き、気絶させる。
……本当に、どいつもコイツも五月蝿い奴ばかりで疲れてしまった。
正義が何だ愛する人が何だと喚き散らしていたが、魔剣だの火炎石だのと、そんなえげつないものを一般人へ向けて使おうとしていた連中が正義を掲げるなんて烏滸がましいにも程があるし、虐殺がその愛する人とやらに送られるものだとして、俺が送られる側ならドン引きである。絶縁すら視野に入れてしまうレベルだ。
何なんだ本当に。
……いや、この場合は因果が逆だな。頭がおかしいから
「え、えっと……その……」
「……何だ」
「ヒッ……」
沈めた
返事をすると、作業員はビクリとその体を震わせる。
……自分から声をかけておいてなんだコイツ……と、思わないでもないが、【テスカトリポカ・ファミリア】の……と言うより俺の悪名がかなり広まっている事は俺も自覚があるところである。
そしてそれも俺の行動の結果であるので、甘んじて受け入れるしかあるまい。
「……えおと、その、あ、ありがとう、ござい、ました……?」
しかし、作業員はどうやら俺が思ったよりも精神面が強かったらしい。
遠巻きに別の作業員達が見守る中、何故か疑問系で感謝を述べてきた。
「……気にするな。感謝はフィンにでもしておけ」
「フィ、フィン……? フィンって、【ロキ・ファミリア】の────」
と、その瞬間の事である。
「─────そこまでよ!」
大きくなった火の手がごうごうと立てる音を掻き消すが如く、玲瓏な声が轟いた。
それは実に聞き覚えのある声だった。
ちょっとの頭痛と大きな呆れを覚えつつ、俺はその声に反応しようとするが、しかしその前に飛来するは
幾つもの刃が取り付けられ、明確な殺意を感じられるそれが、俺の首元を目掛けて弧を描くように襲い来る。
「っと」
しかし、そこまで速くはなく、強くもない。タイミングを見極め、迫るそれを掴み取った。
そして誤解であることを知らせるために、すぐに声を上げようとするも、今度はいつの間にか迫って来ていた黒髪のヒューマンにそれを阻まれることとなった。
極東の着物を纏った彼女は、裾を靡かせながら流れるような動作で俺の懐に潜り込むと、何の躊躇いも無く鎧の隙間へと刀を突き立てようとする。
実に正確に狙い澄まされた、これまた殺意の籠った一撃だ。
「む」
が、狙いが明確な分、防ぎ易くもある。軽く体をずらし、鎧で以て俺は剣撃を防いだ。
刀と鎧がぶつかり合い、金属音が鳴り、火花が散って……彼女の紅色の瞳と視線が交錯した。
「……なッ─────」
「はぁぁああっ!!」
彼女の目が驚きに見開かれる中、間髪入れずに覆面のエルフが俺に向けて木刀を振り下ろす。
木刀の発する淡い光は、その木刀に込められた強い魔力の証左。
高く跳躍し、裂帛の雄叫びと共に全力で振り下ろされるそれは、確実に俺を仕留めるための『本命の一撃』であった。
「待っ────」
着物の女性が制止の声をかけようとするも、もう遅い。
必殺の一撃は美しい弧の軌道を描いて俺の頭部へと迫り、今まさに俺の頭蓋を粉砕せんとする。
まともに受ければ、逃れようのない死が俺を襲うだろう。
何かしらの手段で以て、この絶体絶命を切り抜けなければならない。
そんな状況に対して、俺が選択した行動は、『迎撃』だった。
「────らぁッ!」
「ッ!!?」
咄嗟に俺の放った横方向への頭突き。完璧なタイミングで木刀に加えられた横方向の大きな力は木刀の軌道を横方向へと大きくずらし、そして堅く守られた肩の鎧によって弾かれた。
衝撃で木刀が手から離れ、カランカランと音を立てる。
「中々やるようね! でも皆、安心して! 私達が……………あら、あらら?」
そして、満を持して現れた馬鹿と目が合った。
何やら剣をこちらに向けてやる気になっていたようであるが、相手が俺とわかるとその剣先はゆっくりと下に落ち、彼女の額には冷や汗が浮かぶ。
後から続いて来た見たことのある構成員達も、『あっ』と何かを察したようで、滅茶苦茶気まずそうな顔を俺に晒していた。
「……ひ、久しぶ「いいからさっさと鎮火してくれ」アッハイ! 皆、鎮火開始ー!」
「「「「お、おー!」」」」
馬鹿、もといアリーゼの号令を受け、皆が一斉に動き出す。
俺の横を通る時に「ごめんねー!」とか「わざとじゃないから許して!」とか言いながら、氷結の魔剣や魔法で火を消してゆく。
「……いやその、正直、本当に申し訳ない」
「………………はぁぁぁぁああああああ………………」
最後に近くに立っていた着物の女性────ゴジョウノ・輝夜の謝罪を聞いて、俺は盛大にため息を吐いた。
■
「──────で?
「本っっ当に申し訳ありませんでしたーッ!!」
蒼衣の麗人──【ガネーシャ・ファミリア】団長、シャクティ・ヴァルマは、声を震わせながら、土下座の姿勢を崩さないアリーゼに確認を取る。
皺を寄せた眉間を押さえ、目を瞑る様は、彼女が怒りを抑えると同時に頭痛に苛まれている事を如実に示しているようだったが、あえて指摘する事でもなかったのでスルー安定だ。
「はぁぁぁ……全く……相手がコイツだったから良かったものの、お前は……はぁ……よく見るまでも無くコイツだとわかっただろう。いくら夜だったとはいえ、炎で明るいまであっただろうが」
「いやその、燃え盛る工場をバックに倒れ伏す人々の中に立っている様が明らかに悪者っぽくて……」
「それにその、何だ。遠目から見ると、割と逆光で影になってて、顔が見えなくてな……」
アリーゼの苦しい言い訳に、これまた苦しいフォローを入れるのは、桃色の髪の
ちなみに一番最初の殺意マシマシ
「……まぁ、いい。結果的には【
「構わん。状況的に見れば怪しい人物だったのも確かだ」
作業員連中も俺のこと滅茶苦茶怖がってたしな。
「では、そういう事にする。……しかしそれにしても、よもやお前がこのような丁度いい場所にいたとはな、【
「いや、フィンの指示だ」
「【
「え、マジで!?」
「今は黙っていろライラ!」
土下座の姿勢から勢いよく頭を上げたライラの頭を輝夜が掴み、再び地面に額を擦り付けさせた。ゴチンと鳴った音が実に痛そうである。
……しかしずっと土下座されていると何というか、うん、気分が悪い。
「……いい加減、普通に立てばどうだ?」
「それはダメよ! これは私達の誠意なんだから! そうよねリオン!」
「…………うぅ……くっ……」
「ホラ!」
何がホラなのかは知らんが、とにかく頭を上げるつもりはないというのはわかった。
……こんな状況で会話をするのは割と本気で精神をやられるので、いい加減頭を上げて欲しいのだが。
ちなみに現在土下座をしているのはアリーゼと、あの時俺に攻撃を仕掛けて来たライラ、輝夜、そしてリオン──木刀を持っていた金髪の覆面エルフ───だ。
残りのメンバーは工場の従業員達を家まで送り届けに行っている。
「……まぁ、いい。結果にだけ目を向けるのならば互いに大戦果だ。工場も倉庫も、今までは全焼だったのに対し、今回は半分以上焼け残っている。更には敵の真の狙いまで発覚したからな」
「真の狙いだと?」
「ああ。これで四度目となる、魔石製品工場の襲撃。今までは魔石製品貿易の妨害だと考えられていたが、どうやらそれは見せかけのものだったらしい。お前が言っていた、連中が工場から持ち出そうとしていたものだが……魔石製品の撃鉄装置だった」
……撃鉄装置? 撃鉄装置だと?
「それは……アレか。点ける時にカチャカチャするヤツ」
「それだ」
「……何故、それだけを?」
「わからん。が、絶対に意味はあるはずだ」
そりゃあそうに決まっているだろう。聞くまでもない。
俺は撃鉄装置だけで何をどう活用すると言うのかを聞いているのだ。
いやまぁ撃鉄装置なのだから何かの別の魔石装置を起動するためなのだろうが……何に使うと?
「駄目だな。何も考えつかん」
「だろうな、我々もだ。取り敢えずこの件は各所に報告させてもらう。他に何か分かったことがあれば順次連絡する。今日のところは帰れ」
「ああ、そうしよう」
俺がそう言えば、シャクティは一つ頷いて現場に戻って行った。
「……そう言うわけだ。さっさと頭を上げろ」
「むぅ……仕方ないわねぇ……」
俺の言葉に、本当に渋々と言った具合に頭を上げるアリーゼ。
「ってわけで! 久しぶりね、カイ!!」
そして立ち上がった瞬間、先程までの態度が嘘だったかのような調子で俺に抱きついて来た。
身長差のせいでアリーゼの胸の辺りが顔に来るが、アリーゼが金属製の胸当てを着けていたので普通に痛い。
って言うかハグとか絶対に互いに鎧を着た状態でやることではない。そう、絶対に。
「アリーゼ!? 何をしているのですか!?」
しかもまたリオンの発作が始まった。
エルフはこれだから本当に面倒臭い。本当に。
「はぁ……もう……えぇまぁ、本当にお久しゅうございます。調子は……聞くまでもございませんでしたねぇ」
流石である。輝夜はまともだった。実に良かった。
「なぁカイ! お前【
そしてコイツに関してはどうしたんだ。
お前そんな奴じゃなかっただろう。もっとまともな奴だっただろう。
「さぁカイ! あなたには色々聞かなきゃいけないことがあるの! 話してもらうわよ!」
と、俺のことを抱きしめているアリーゼがそんな事を告げる。
……ふむ。Lv3が複数、か…………逃げられないなコレ。
「……分かった、話す。話すからせめて、落ち着いて話せる場所にしてくれ」
「じゃあ私達の
……あれおかしいな。俺、落ち着いて話せる場所を注文したつもりなんだが、落ち着きとは程遠い場所に案内されそうだぞ。
何だ。膝の上に乗せられて全身撫でくりまわされながら落ち着けとでも言うつもりか。
その上、帰ったら滅茶苦茶匂いがついてるとか言って、テスカトリポカが物凄く不機嫌になるんだぞ。上書きだか何だか、俺の負担が尋常じゃないことになるんだぞ。
やめろ、おい。引っ張るんじゃない。別にその辺の酒場とかでいいだろうが。
……何? アストレア様も話したがっている? 知るか。おい、放せ、おい……おい!
Topic: ガネーシャはカイの母親について知っているが、誰にも話していない。