大樹の迷宮。
18階層に聳える大樹の内部に存在する、非常に入り組んだ巨大な迷路。
天井、床、壁が硬い木の皮に覆われて、そこに繁茂する苔がぼんやりと光る様子は、まるで森の奥の奥、人の手の及ばない秘境を思わせる。
通路の端に生える植生はどれも地上のそれとは大きく異なっていて、神秘的な花々が銀の雫を滴らせる様が、更に秘境としてのイメージを助けていた。
しかし、やはり迷宮は迷宮と言うべきか。
耳を澄ますまでもなくそこらから怪物達の咆哮が轟き、この場が死地であると言う事を、『
その中で一つ、何とも毛色の違う、まるで女性の悲鳴のような声が大樹の迷宮に木霊した。
発生源は、一匹の怪物。
蛇の下半身を持ち、背中に翼を生やしたそれは、上半身の形こそ人に酷似しているものの、しかしその肌の色は青黒く、所々に鱗が生えており、何より額に輝く赤い宝玉が、非人間である事をありありと示している。
その怪物の名は、
中層域でも上位の実力を持つその怪物は、しかし今となっては地を這いずり回る蛇と何ら変わり無い様相を呈していた。
人のそれに酷似した一対の腕が両方とも肩口から切り落とされ、その体も背中を深く貫く直剣によって、地面に縫い留められているのである。
「……違う、な」
どうすることも出来ず、じたばたともがく
「違う、の?」
「ああ、違う。あまりにも弱い」
この程度で軽く無力化されてしまうようであるのなら、Lv2の五人組であればそれこそ簡単に倒せるレベルだ。
経験の無さ故に
となれば、やはり『バケモン』はこの
「……まぁ、いい」
しかし、
「何を、するの?」
「コイツの額の宝石を取る」
「何で?」
「念の為だ」
その中でもこの額に埋まった紅玉は、それが綺麗な状態ならば、城でも建てられるような大金が動くとか言うとんでもない代物だ。
そのあまりの価値に目が眩んでしまうが故に、冒険者達の中には冒険業そっちのけで、この
……故に、それを差し出すことは、十分な『誠意』たり得ると言える。
【ロキ・ファミリア】は、仲間内での結束を重視する派閥だ。
主神の眷属を愛する心は勿論、眷属の主神を愛する心、眷属の仲間を想う心は、このオラリオの中でも有数の物だと言えるだろう。
故に、仲間に『何か』があれば、彼女らは烈火の如く怒る。
それが木端のような団員であってもそうなのだ。
『三首領』の寵児にして、主神最大のお気に入りがこのような目に遭っているとなれば、向こうがどのような反応をするか、想像するだけでも恐ろしい。
今回の件はアイズが望んだからこそ起こった事だとはいえ、向こうが『落とし前』を求めて来る可能性も考えておかねばならない。
それがどんな理不尽でも、立場的には向こうのほうが圧倒的に上なのだ。
故に、その時に見せる『誠意』として、これを用意しておきたい。そう言う話だ。
「ふッ……!」
「ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッ!?」
必死に暴れ、何とか脱出を試みる
抵抗虚しく、ブチッと音を立てて、額の紅玉は引きちぎられた。
「…………ァァアアアアアア────」
「よっと」
額の紅玉を失った
黒い灰になって散る
傷一つ無い、綺麗な状態だ。
「……帰る時に、砕けなければ良いが」
念の為に布に包んでから袋に入れるが、これから強化種と戦って、いつも通り冒険をするとなれば、砕けない保証は無い。
……まぁ、これも試練の一部として考えるか。
「さ、行くぞ」
「うん」
と、アイズを連れて再び大樹の迷宮を歩き出した俺たちであるが、しかしその歩みはまたすぐに止まることになった。
「…………でっかい」
「そうだなぁ、でっかいなぁ……」
21階層の正規ルート。
その中途にある
「グルルルルルルルル…………」
それは、形だけを見れば熊であった。
丸い耳を頭部に持ち、全身を覆うもさもさの毛で丸々としていて、両手両足に太く、それでいて鋭い爪が生え揃った、正しく森の守護者と言ったそれは、バグベアーと言う怪物であった。
しかし、そのバグベアーは、通常のそれとは明らかに違っていた。
後ろ脚で立ったその身長は、本来3
その体毛は赤く逆立つようで、真紅に染まった目は殺意に満ち満ちている。
「……………!」
そして何より、【
それは、本来適正レベルが2であるはずのこの階層に於いて、あり得ない事であった。
間違いない! コイツが『バケモン』だ!
俺の直感がそう叫ぶ。
湧き出して来るのは喜びの感情。それと、煮えたぎるような闘争心。
成程、これは確かにバケモンだ。見た目からして格が違う。
きっと、Lv2の五人組とやらはコイツがこうして道を塞ぐように立っているのを見て、逃げ出してきたのだろう。
成程、成程。これは良い。良いぞ。
「……アイズ。お前はここで待っていろ」
「え?」
「今から俺が『冒険』を見せてやる」
「…………うん」
「よし」
アイズを
一歩、一歩と。剣を構えながら。相手の一挙手一投足を見逃さないように。
「ッ!」
そして、俺が
一瞬で距離を詰めたバケモンの爪が俺へと振り下ろされた。
俺は咄嗟にそれを剣で弾く。
ビィン……と、そのあまりの威力の高さに手が痺れる感覚を覚える。
「ガアアアッ!!」
そこへ、バケモンの爪が容赦無く次々と振り下ろされる。
振り上げては振り下ろし、振り上げては振り下ろし、振り上げては振り下ろし────
それを両の腕で交互に繰り返し、一瞬の隙すら存在しない、爪撃の嵐を作り出した。
俺はそれに対して、ひたすらに爪を弾き続けることしかできない。
成程、これは凄まじい。
なったばかりとは言えLv4の俺にここまで手も足も出させないような連撃とは。
能力で言えばLv5中盤くらいあるのではなかろうか。
……しかし、俺相手に連撃は悪手であると言わざるを得ない。
「グオッ!?」
ビキリ、と。バケモンの爪が、唐突にヒビ割れた。
『
『爪を弾く』と言う俺の行動を『攻撃』である、と判断すれば、あの爪撃の分だけこの効果を重ねがけすることが出来る。
そうして上昇した【力】でもって、爪にヒビを入れたのだ。
「……ッ!? ッ!!!?」
しかし、そんな事をバケモンが理解できるはずもなし。
バケモンは、あまりにも唐突すぎる事態に狼狽えている。
「……さぁ、どうした? 来ないのか? なら……こちらから行かせてもらうぞッ!!」
「!」
ぞん、と。振り下ろされた直剣を、バケモンは巨体に見合わぬ動きで後ろに跳んで回避した。
空を切り、叩きつけられた剣が地面を裂き、揺らす。
「らぁッ!」
切先が埋まったまま前進し、切り上げる。
瞬間、再びその巨体に見合わぬ速度で、今度は俺の真横まで移動し、その爪で以て薙ぎ払った。
「グッ!?」
咄嗟に引き戻した剣で護り、直撃こそ避けたものの、しかしあまりの質量差に俺の体は軽々と吹き飛ばされ、木の壁へと強かに叩きつけられる。
「グオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッッ!!!」
「うおっ……おおおおおおおおおおおおおおおおおおお!?」
そこへ追撃と言わんばかりに繰り出される爪撃の嵐。
壁に背をつけたまま俺はその嵐に立ち向かうが、しかし肘が後ろへ引けない環境で十全に剣を動かすことは難しい。
段々と押されてゆく。
拾い損ねた爪撃が体に掠り始める。だらだらと、血が流れ始める。
「…………クハッ」
じわじわと、ゆっくりと、しかし、確実に。
「ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!」
その感覚に、俺は哄笑を抑える事ができなかった。
素晴らしい! 素晴らしい! 素晴らしい!
良い。良いぞ。良い冒険だ。良い経験値だ。
コイツは間違いなく俺にとって良い糧になってくれる。
「『燃え立つ、意志よ……ッ!』」
剣を振りながら、魔法を構築する。
「『湧き上がる、闘志よ……ッ!!』」
並行詠唱。
「『我が大願を今、ここに……ッッ!!!!』」
冒険の中で覚えた、『勝つための術』だ。
「【ブラウフラムダス・トゥーダス】ッッッッ!!!」
「ッッ!?」
俺を中心として、
超高温の炎が熊の毛皮を焼き、その皮を爛れさせるが……それだけだ。
「ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッ!!!」
「くッ!」
むしろ、死の迫ったバケモンの動きがより活発に、そしてより暴力的に変化する。
爪撃が守りを通り抜ける回数も増え、いよいよ俺の体を捉え始めた。
大丈夫だ、問題ない。勝てる。もう少しで勝てる。もう少しで────
「ッ!」
来たッッッ!!!
「オオッ、オオオオオオオオオオオオオオオオオッッ!!!」
「ッッ!!?」
ガキン、と。バケモンの爪を弾き飛ばす。
────『
戦闘時間が長引けば長引くほど、俺の全
そこへ更に一定時間が経過する事で発展アビリティ【連戦】と【再生】が発現。
俺の体が修復され始め、
更に、『
「『爆ぜよ』ォォォォォォォォオオオオオオッッ!!」
裂帛と共に、切り上げる。
瞬間、訪れる閃光が目を灼き、轟音が
「……──────」
ようやく視界が戻った頃、バケモンの巨躯、その上半分は、消し飛んでいた。
残った下半身がずずん、と地に沈み、黒い灰となって散る。
後に残るのは赤黒く変色したバグベアーの
魔石はどうやら砕け散ったらしい。
「…………ふぅ」
魔法を解除すると、手元でスキルの効果の切れた直剣がボキンと折れる。
「……とまぁ、これが冒険というものだ。わかったか?」
「……ッ! ……ッ!!」
「よし」
コクコクコク、と。激しく頷くアイズを尻目に、更に迷宮の奥へと進んでゆく。
今のは良い冒険だったが、この程度で満足は出来ない。
まだ体は動くし、ポーションの類も残っている。まだ潜れる。まだ強くなれる。
俺は、竜を殺すのだ。
Topic:カイは格上を相手にする時に気分が高揚する。
どこぞの女神がその時の姿を偶然目にした時、あまりの魂の輝きに魅かれ、再びその姿を
間近で見たいと我儘を言ったために、渋々猪が動いた、と言う噂があるが、真実かどうか 定かではない。