気長にのんびり付き合っていただけるとありがたいです。
──タタン、タタン。
優しくリズミカルな音と振動に揺られながら目を開ければそこに広がるのはかつて見慣れた吊り革に片持ち式座席という列車内の光景と大きな窓から差し込んでくる茜色の曙光。
そして目の前の座席にポツンと置かれた、焦点の合わない目でヨダレを垂らしながら羽ばたいているポーズをした気持ちの悪い見た目のぬいぐるみ。
「……は?」
「私」は咄嗟に周囲を確認、そして最後の記憶を振り返る。
つい先日、ティゲンホーフ市攻防戦をくぐり抜けてやっと後方で穏やかな日常を送れると喜んでいたら親愛なる我が上司のゼートゥーア閣下から新たに
宛がわれた旧式戦車を最新型に交換させたり抗命するような無能な士官連中と戦争を待ち望んでいたウォーモンガーを交代させたりと目まぐるしく行動してようやくベッドに倒れ込んだのが午前一時を過ぎた頃だったはず。
それでようやく明日にはこのターニャ・フォン・デグレチャフ中佐の率いるサラマンダー戦闘団の結成式が行われるはず、だった。
それが、どうして。
「また……、またしても貴様か! 存在X!」
一瞬で状況を理解し、ありったけの怨嗟を込めて目の前にあるぬいぐるみを睨みつける。
神を自称するこのろくでもない存在が私にしてきたことと言えば身勝手な理由で戦火の中に放り込み、勝手に神を讃えるという呪いをかけるなどと望んでもないことばかり。
それが今度は何をするつもりだ!?
「いつまで経とうと貴様が改心しないのが元凶であると知れ」
そして案の定、目の前に鎮座するぬいぐるみは聞きたくもなかった声で返事をしてくる。
相手のことなど一切考慮せず一方的に通告してくるのはいい加減にしてもらいたい。
「膨大な憎しみと苦しみに晒されれば多少は神を理解するかと思ったが、貴様は隣人を愛することもせず己の我を貫くのみ。故に今一度別の世界へ送って様子を見ることにした」
「ほう、あの血と硝煙にまみれた世界から逃げ出す手伝いをしてくださると? それが本当なら実に結構ですな。それならば戦争を一日で終わらせてみせればすぐにでも人々から神を讃える歓呼の声が上がるでしょうにわざわざご苦労なことで」
これ以上に戦争をしなくていいというのは悪くない。
ただしそれは手塩にかけて育てた部下たちと連日必死になって編成に追われた戦闘団を、今まで文字通り死ぬ気で努力してきた功績を切り捨てて一切気後れしない図太さがあるのならだ。
努力が評価されての栄転なら盛大に歓迎もしよう、しかしこれは違う。
そんなにあっさりとくそったれな戦場からリタイアできるのなら共和国軍が南方大陸へと逃げるのを阻止できなかったあの瞬間も、南方大陸で共和国軍と戦ってそのまま連邦に送り込まれて開戦の狼煙が上がるのを見た瞬間も絶望などしなかった。
戦争という狂気に包まれた世界の中で人が絶望し苦労し、やっと正気を持ったまま生きていこうとしている中でいきなり「はいここが平和な世界です」と動物をケージから移し替えるかのような所業。
今までの私の苦労を一瞬で水泡に帰してくれる親切心は余計の一言に尽きる。
まあ残念ながらこの神を自称する悪魔はそんなことは一切考慮してくれないのだが。
「すでに救いを求める声、神の加護を祈る声は世界に満ちている。故に我は貴様の改心にこそ注力するべきと判断した。主を讃える聖遺物を与え、加護によって武勲と名声を上げてなお変わらない貴様にはこれ以上の対処が必要だ」
それを聞いた瞬間、私は勢いよく立ち上がり忌々しいぬいぐるみを窓へと叩き付けた。
目の前のストーカーもどきにありったけの銃弾を叩き込んでやりたいが悲しいことに手元に使い慣れた銃も銃剣も無く、そして握り締めた手の中で潰れかけているぬいぐるみの話す言葉を止めることは叶わない。
「貴様は合理主義が過ぎた。故に人の心を、愛を理解できずにいた。それは周囲に確固たる規律が存在し各々が責任を全うする大人ばかりであったからだ。ならば責任を取るべき大人のいない混沌とした世界に送れば良い」
「……は?」
理解が追い付かない。
これまで必死に勉強し戦場で活躍してキャリアを積んできたというのに。
その結果が責任者不在の状態で大混乱が必至のくそったれな現場へ配置換え?
「ふざけないでいただきたい、そんな条件で本当に私が信仰に目覚めるとお思いですか? 責任者がいないのなら二〇三大隊のように自分が率いれば良い。経験者が存在しない新編部署であっても常識を教育することはできると容易に理解できるでしょうに。営業先が望まない行動を取ったから取り潰すというのはビジネスへの理解が足りていないのでは?」
「ならば貴様でさえも統制が難しいほどの混沌であれば良い。それならば己の至らなさを認め神に祈りを捧げることにもなるだろう。それすら無駄なら無駄で再び別の手段を取るだけのこと」
──冗談ではない!
そう叫ぼうとしたが、口からは何の音も出なかった。
ふと気が付けば走行している列車の端から次第に白く霞がかってぼやけていくのが分かる。
存在Xめ、一方的に通告だけして連れ去るつもりか!?
「貴様がこれから訪れる世界は大人のいない、無垢な少女たちで形作られた箱庭。年頃の少女らの持つ溌剌さと混沌に触れれば貴様とて心境に何かしらの変化を起こせるやもしれぬ。神秘に加えて貴様の改心があれば主に届く祈りの力はより大きなものとなろう──」
窓から差し込んでいた曙光も座席も、自身の腕すらもすべてが消えていく中で聞こえたその声に向けて、私は内心で盛大に吐き捨てる。
──存在Xに呪いあれ、と。
たぶんターニャは合理的すぎて借金のある生徒数五人しかいない学校は廃校にしろと主張するし、世界を滅ぼす可能性のある存在を許さないと思うので致命的に先生と相性が悪い。