学校のトップである直属の上司が今まさに自身が主導して結ぼうとしている平和条約への情熱を持たず、むしろ順守する気が無いとしか思えない言動をしている。
それはターニャにとって由々しき事態である。
別に条約が破談となり戦争になるだけならまだいい、そんなものは協商連合や共和国、大公国に連邦とそれ以外の生き方を知らないと言えてしまえるほどに経験してしまっている。今さら戦争が嫌だと泣き言を言うつもりなど毛頭無い。
しかし開戦までのプロセスにターニャ自身がろくでもない形で巻き込まれているというのなら話は大きく変わってくる。
基本的に軍人は上からの命令に絶対忠実であることが求められる。たとえ制空、制海権を喪失し補給も絶え全滅が必至の状態であろうと命令があれば実行するものだ。それはアメリカとの国力差を知り開戦に反対の声を上げつつ最後は自身が開戦の引き金を引くこととなった連合艦隊司令長官からも分かること。
そしてそれはこのキヴォトスの学校においても同じ。生徒会に属している身であれば上司である生徒会長の命令に従うのが常、社会人としては何もおかしくない。
──ただしその命令の内容が正当なものであるならば、の話だが。
「──くそっ、平和条約、平和条約だぞ!? 気に食わないのなら関与しないなりプロパガンダを打つなり選択肢はあるだろうによりによって条約を破棄!? 何故そうなる!?」
トリニティ自治区内にあるホテルの一室でターニャは苛立ちも露わに吼えていた。もしその剣幕と表情の険しさを見る者がいれば何も言わず即座に退散すると思えるほど。
しかしそれも現在ターニャが置かれている状況を見ればやむを得ないだろう。
もし条約調印が仮初のものでマコトが条約を破っての侵攻を企んでいるという予想が正しければゲヘナは侵略戦争を仕掛けた側というレッテルを貼られることになる。そしてニュルンベルク裁判で平和に対する罪と称してドイツの外務大臣が戦犯にされたことを考えれば今回の交渉を担当したターニャにも責任が及ぶ可能性は否定できない。
しかもこの条約はゲヘナとトリニティの上位に位置する連邦生徒会が間に入って進めてきたものでもある。この仲介役の顔へ泥を塗れば経済封鎖、最悪はプラハの春のごとく武力で制裁を加えてくることも考えられなくはない。
再び戦争に巻き込まれるだけでも十分面倒だというのに、さらにトップの行動の責任まで一緒に負うなどどうして付き合う義理があるだろうか。成功しても失敗しても歴史にターニャの名が残り保障された地位、平穏で安定した生活という目的が大きく揺らぐのは確実。
存在Xの言っていた責任を取るべき大人のいない混沌とした世界とやらがまさかここまで顕著なものだったとは!
「マコト議長は民主的な選挙で選ばれた、つまりゲヘナの一部にそういった考えの層があり開戦を煽っている? いや、ナギサ会長がゲヘナと会っていただけでも糾弾されかねんとイチカが言っていたことから見ても純粋に互いを嫌っていると見るのが妥当か……。本当に独ソ不可侵条約と同じ展開を辿るのではあるまいな」
たとえ頭では分かっていても感情がそれに素直に従うとは限らないのが人間、そして怒りや復讐心に取り憑かれた人間はそれこそ目的のために手段を選ばない。それは祖国が降伏してなお抵抗を諦めず南方大陸に逃げ延びたド・ルーゴ、そしてターニャ自身の過去が証明している。
つまりマコトが開戦を決定する可能性は現実的と見ていいだろう。
ただそうなった場合アレーヌ市の時のようにいかなる法律にも違反していないと証明できることが必要不可欠。存在Xの思惑に屈すること無く最後まで自身の意思を貫徹することを最大の目標とするターニャにとって責任問題は生じないかは何よりも重要な問題だ。
帝国軍にいた頃なら法務任せで考える必要が無かった問題だけに、どこからどう手を付けるべきかのノウハウも無いことが余計にターニャの頭を悩ませる。
スナック菓子のような手軽さで日々銃撃戦や爆破テロが起きる世界でやっとまともに平和を追求する理想の上司に出会えたと思えたのに蓋を開けてみれば問題の数々、まったくもって信頼できる大人はどこだと声を大にして嘆きたい。
「……とはいえ自分一人では何もできんな。今度時間がある時に図書館へ行くか」
参謀に求められるのは実行可能な最善の方策を示すこと。そのためにもまずは法律書なり国際法の解釈を記した論文なり判断する材料を手に入れなければ。
そう今後の方針を決めて時計を見れば折しも夕食にはちょうどいい時間、業務時間外まで仕事についてばかり考えることも無いだろうとターニャは気持ちを切り替える。
そして部屋を出てレストランへと向かって歩いている時だった。
「ん? あれは……」
食堂の入り口に佇む見覚えのある後ろ姿があった。小柄な体格にボリュームのある白髪、背には身の丈ほどある機関銃。特徴的なその姿は間違いなく風紀委員長の空崎ヒナ。
何故彼女がここにいるのかと一瞬首を傾げるが、現在このホテルは一棟丸々ゲヘナが借り上げてゲヘナ生専用にしているのを思い出す。トリニティに用があったならここに泊まるのは何ら不思議ではない。
まあせっかくだから挨拶でもしておこう、そう軽く考えてターニャはそちらへと足を向けた。
「お疲れ様です、ヒナ委員長」
「ターニャ・デグレチャフ? どうしてここに?」
ヒナからしても予想外だったのだろう。驚いたように見開かれた視線を向けられ、そしてそれにターニャは何と言ったものか少しだけ悩む。
会談の内容そのものは当然としてティーパーティーのトップと直接会談したという事実もまた最重要機密。ターニャですら今回交渉を任せられたのは予想外、転入したばかりの一年生がする仕事ではないと信じて疑っていない。それをヒナにそのまま言ったところでやはり信じられるものではないだろう。
そう結論に達したターニャは軽く誤魔化しながら逆にヒナへと質問を投げ返す。
「エデン条約の件でマコト議長から使い走りをさせられておりまして。ヒナ委員長こそトリニティで会うとは思いませんでした」
「……エデン条約が成立すれば風紀委員の仕事も
その言葉にはターニャもすぐ納得する。両校間の仲がトップであれだけ悪いなら一般の生徒たちは相当数のトラブルを起こしているのは想像に難くない。
そして今後を見据えて自分の仕事に責任を持ち協力関係の構築に努める、そんな姿勢はターニャから見ても社会人として百点満点。実に結構なことだと思わず頬を緩めかけ──。
「ところで代理人でなくヒナ委員長が自ら動かれていたことには何か事情が? 条約はまだ調整中で具体的な事項は何も決定していないはずですが」
「そもそもゲヘナ側でエデン条約を推進したのが私だったから。ETOが成立して治安が良くなればトリニティ側との分担になるし負担が減るでしょう? 風紀委員として積極的に推し進めない理由が無いわ」
次いでヒナが発したその言葉に思わず真顔になった。
てっきり学園の行政を担っている万魔殿かティーパーティーが言い出したものと思っていたが、まさか言い出したのがヒナだったとは。
そしてそれは色々と面倒な現状に差し込んだ一筋の光明でもある。
風紀委員長としてテロリストが跋扈するゲヘナ学園で日々治安維持活動に取り組むヒナ。そんな彼女が直接携わった条約ならば一定の信用があるのではないか。
取り仕切るのが万魔殿に移ったとしてもヒナが条約に影響力を持っているのは確かだろうし、仮にマコトが条約を破棄しようとしても彼女が治安の悪化を許容するとは到底思えない。
そしてヒナが今トリニティに来ている理由も条約が発効した後を見据えたもの。明らかに条約を順守し、それが正常に機能することを前提としている。
つまりこのままうまく行けば最悪を回避するのも決して不可能ではないはずだ。
一瞬でそう判断したターニャは今後の行動方針をどう改めるべきかを考え直す。
「なるほど、確かに小官としてもヒナ委員長の、いえ風紀委員の負担軽減と治安改善という目標は十分に理解できます。是非とも条約成立に向け互いに協力し合っていきましょう」
ヒナと自分の目指すところは同じ、治安維持機関の負担が軽減され、より平穏に過ごせるようになる。そしてマコトの暴走を抑えるブレーキとして信用できる。
実に結構なことではないか! これなら安心して条約の成立に向けて取り組めるというもの。
そんな未来への展望を思い描いたターニャは上機嫌でヒナに一礼しその場を離れる。心配の種を無事に取り除けたという安堵に顔をほころばせ──。
背後からのヒナの理解できないものを見つめるような戸惑いの視線に気付くことなく。
◆
軍隊とは国家の暴力装置。
戦時において軍人は破壊と殺戮が務めであり、平時もそのための勉強と訓練に明け暮れます。
では軍人とは皆殺し合いが大好きな人種なのかと聞かれればそれは否。
徴兵制のある帝国では否応なく軍人になることが決められていました。そしてその軍で一兵卒として前線でこき使われるよりも、せめて将校として後方から指示を出す安全な側でありたい。そう判断し軍に入ったのはただ合理的かどうかの話。
あくまで私は平和主義者。出世のためなら努力はしますし方針として正式に決まったのなら戦場に向かいはしますがわざわざ平穏で安定した生活を投げ捨てたいわけではありません。
平和こそ最も尊ぶべきものであり、そのためなら多少の苦労など許容できるもの。
トリニティ総合学園の一角、条約のため設置されている連絡事務所からこんにちは、ターニャ・デグレチャフです。
現在私は通功の古聖堂の修繕に関して頼む業者の選定、修繕にかかる費用の見積もり、修繕後の外見と内装の予想図など各データの報告をしに来ています。
会場指定の交換条件として修繕費用を全てゲヘナが受け持つことをナギサ会長に提示した以上、それをきちんと履行するのは社会人として当然のこと。
少なくともこれが通れば面倒な条約絡みの仕事も一段落つくと言えるのですから多少はやる気も出るというものでしょう。
「──というわけで修繕はカイザーコンストラクションに依頼する予定です。ただ宗教施設となると先方も不慣れとのことで装飾の選定と取り付けにトリニティの監修を求めているのですがこちらは可能でしょうか?」
「大丈夫っす、シスターフッドなら丁寧に説明と指導をするのは間違いないっすよ。デザイン案はシスターフッドが監修したものをティーパーティーにも確認してもらうので少し待ってほしいっすけど、たぶんこれでそのまま通ると思うっす」
「了解いたしました。ではひとまずこのプランでよろしくお願いいたします」
資料を確認しながらイチカと穏やかに言葉を交わす。
意見の相違による時間の浪費も無茶な注文も圧力も無い、実に素晴らしい対応。会談や協議とはこうあるべきだと心から思う。
微笑みを絶やさず冷静に仕事に取り組む姿こそマコト議長とナギサ会長に見習ってほしいもの。相手より優位に立つことを意識し過ぎて場の空気が最悪になった二人と比べ、目的を共有し相手の選択を尊重するイチカとはどれだけスムーズに話の進むことか。
ゲヘナとトリニティの仲が悪いといっても理性的に行動できる個人は大歓迎。まして現状が気に食わないからと銃撃や爆破などの暴挙に出ることも無い落ち着いた人物ならなおさら。
おかげで特段問題も無く修繕に関する合意は取り付けられ、業務時間内に私は連絡事務所を退去することに成功。後は修繕に関する合意ができたことをマコト議長へ報告すれば今日の分の仕事は終わり。
イチカの予想を信じるなら大きな修正も無くこのまま発注へ進めるはず。つまりトリニティで私がこれ以上駆り出されることもなくなったと思っていいはずだ。
工事は業者に依頼するだけ。ETOの本部、装備、人事はトリニティに一任。
運用にあたって規則を制定するかもしれないがその程度は気にすることでもない。
「古聖堂修繕の調整はほぼ終了、シスターフッドとティーパーティーによる内装案の確認が終わり次第すぐに修繕工事に取り掛かれる見込みです、と……」
仕事が順調であることを実感できるのは実に気分が良い。そんな労働の対価として今日の夕食を少し奮発しトリニティ自治区で評判の店へ行く程度は当然の権利として許されるだろう。
どの店にしようか、そんな軽い期待を抱きながらメッセージアプリでマコト議長へ今日の結果を報告し、次いで検索機能を立ち上げかけ──。
次の瞬間に鳴り響く着信音に眉を顰める。まさかと思いつつ画面を見れば、表示されている名前は案の定たった今メッセージを送った先。
送ったのは今の今だというのに前回といい反応が早すぎるのは何なんだ?
「お疲れ様です、マコト議長。本日の結果は先ほどお送りしましたが何か?」
「キキキッ、大した用ではない。見事に交渉をまとめた貴様の手腕を褒めてやろうという寛大な心の表れだ」
いかにも上機嫌な声が聞こえてくるが、私にとって一仕事を終えたばかりのタイミングでやって来る上司というものは否が応でも警戒せざるを得ない。
オースフィヨルドへの空挺作戦を終えればアレーヌ市の蜂起鎮圧に駆り出され、それが終わればマッドサイエンティストの人間ロケットで飛ばされ、南方大陸での任務を終えればそのまま連邦へ放り込まれ、連邦軍の物量戦術に対抗するため諸兵科を組み合わせるべきとレポートにまとめれば自分がその理論を実践しろと命じられ。
ここまで面倒事ばかり経験すればいい加減パブロフの犬でなくとも学習する。
マコト議長の要求から始まった会談や手続きは今しがたやっと終わりが見えてきたところ。そこへ上機嫌な上司からの電話などどうして楽観視することができるだろうか! ゼートゥーア閣下やルーデルドルフ閣下がこういう場合に言ってくることは軒並み面倒そのものだった──。
そう考えたところではたと自分にとって一番嫌な展開とは何かに思い当たる。
つい昨日まであれだけ心配し恐れていたことは何だったか、それに対するブレーキ役がいるからと慢心してはいなかったか。
杞憂であってほしいと願う前に自分が何もしないでいることは怠慢。それに気付いたならばここは自分の意思でしっかりと伝えるのが責務のはずだ。
故に私はこの場合、経験に基づく最適解を取るべきだと確信する。
──すなわち先手を打って新たな火種を避けようと。
「ありがとうございます。ですがまだ条約関連のことが全て片付いたわけではありません」
お前の仕事は終わったから次の仕事だ、そう言われないためにまずは自分の仕事が完全にはまだ終わっていないことをアピール。
次いで具体的にこれから何をするかを説明することでマコト議長からの押し付けを防ぐ。
「率直に伺いますがマコト議長は条約についてどう考えておいででしょうか。小官はトリニティの態度や校風を個人的に極めて不愉快と感じていますが、なればこそ今は条約締結に注力しゲヘナに対する嫌悪感、警戒心を少しでも緩和させることが重要かと」
人間は頭ごなしに否定されれば不快感を覚えるもの。故にまずは私自身トリニティという学校の空気が好きではないという本音、マコト議長の主張への賛同を示す。
条約のために自校の生徒を秘密裏に処理し、他派閥を気にして満足に動けないような姿は組織のトップとしてとても見習いたいとは思えない。そんな感情をそのままトリニティ嫌いのマコト議長に突き付けることで私の言葉を聞こうという気にさせることができるはずだ。
相手の意見と真っ向から対立するプレゼンを成功させるためのつかみが成功していることを願いつつ、重ねて私は開戦派の人間がいるならばの話へと移る。
「もし仮にトリニティとの間に戦端を開きたいという勢力がいればその心情は十分に理解できますが、回避できる損害を無駄に大きくするべきではありません。経済や情報の分野で宣伝に努め融和ムードを構築、ゲヘナの優位を確立する実利も模索していくべきと進言いたします」
マコト議長が条約を守らないかもしれないというのはあくまで私の知る前世の歴史に基づいての予想に過ぎない。
もし実際には違っていたり誰かに聞かれていたりした場合に備え、仮定として開戦派がいればとある程度ぼかすことも必要だ。そうすれば本当に戦争を計画している場合に釘を刺せ、そうでない場合もただの雑談で済む。
加えてマコト議長得意のビジネスなりメディアによる印象操作なりといった工作の提案もすれば臆病者や怠慢などのマイナスイメージの回避も可能。
後はマコト議長の暴走を抑えるブレーキ役を放り込めば──。
「先日トリニティへ打ち合わせに来ていたヒナ委員長ともお会いしましたが、条約の成立と履行を前提として積極的に行動されているようです。ここで事を荒立ててはヒナ委員長の邪魔になり介入という余計な手間が生じる恐れもあるかと」
「……」
マコト議長とヒナ委員長の仲が悪いのは承知の上、そしてヒナ委員長は責任感の塊。何かあれば首を突っ込んでくると予想できる。
それは避けたいはずと予想すれば案の定マコト議長は口を噤み電話の向こうは静まり返る。
これはうまく狙い通りに行ったと思って良いだろうか。
少なくとも私が開戦の思惑を察知しておりそれに反対であるというメッセージは明白に伝わったと信じたい。
そして息の詰まるような短い沈黙の後、再び私の耳に聞こえてきたのは少し驚き、かつ困惑している気配のする声だった。
「……それは、貴様がそう言うにはそれなりの魂胆があるのだろうな? 私としてはきちんと契約の履行を求めているのだが。これではアリウスにやる気が無いと思って──。ああ、いや待てそういうことか?」
自分で話している最中に何やら気付いて勝手に納得したらしいマコト議長。
反応から察するに本当にトリニティとの戦争を考えていたと思われる。それを私が察知していたことに怯んだか、理性的な対応を呼びかけたことでとりあえずは納得してもらえたか。
一瞬何かを言いかけていたが、何かを考えている途中にこちらが問いかけることで機嫌を損ねることの恐ろしさはゼートゥーア閣下の元で経験済み。
そのまま冷静な結論が出てくれることを期待しながら静かに次の言葉を待てば。
「トリニティの連中が素直になってくれる方がそちらとしてもやりやすいというわけだな? 委細承知した、今はトラブルを避ける方向で進めよう」
──これこそまさに完璧な勝利!
何はともあれ言葉だけで事を構えずに済んだのはまさに私の求める文明的決着方法、マコト議長もきちんと話せば分かってくれる上司たり得るようで実に良かった。
そう安堵して通話を切り、小さくため息を一つ。これでいつも以上に気分良く夕食を楽しめるというものだ。今夜は少し奮発してもいいかもしれない。
この調子で平穏な生活のために引き続き努力して行こう。
◆
万魔殿議長、羽沼マコトはその時まで計画が順調に進んでいることを心から楽しんでいた。
トリニティに自分の要求を呑ませることに成功し、そのための修繕工事の手筈も整ったと
それはトリニティの連中がこちらの思惑に気付かず見事に釣り餌を飲み込んだ証。後はこのまま調印式典の場で一撃のもとに釣り上げて調理すればいい。
そう皮算用を立てていたからこそ素直にターニャ・デグレチャフへと称賛の言葉をかけるつもりで電話をかけ、そして少しばかり困惑することになる。
「今は条約締結に注力しゲヘナに対する嫌悪感、警戒心を少しでも緩和させることが重要かと」
はて、こいつは何を言っているのだろうか。
それがターニャの提言を聞いた瞬間の正直な感想。
トリニティの態度や校風が極めて不愉快、それが気に食わないなら実力で排除しようとするのがゲヘナの流儀。自分のやりたいこと、好きなことを貫く自由と混沌こそが校風。
率直にマコト議長は条約についてどう考えているかなど聞かれても嫌いな相手と手を取り合って共存していくことをそう易々と認められるものか。
嫌いな相手を叩き潰せる最後の機会だからこそこの話に乗ったのだ、条約など律儀に守っても何の得もならないうえにゲヘナ内部でのフラストレーションを溜めるだけではないか。
それを理解しているだろうに何故そのようなことを言ってくるのかまるで理解できない。
綿密な計画を持って今回の話を持ち掛けてきたのも貴様らではないか、そんな困惑を内に抱えたままマコトは納得できる説明を求めてターニャの次の言葉を待つ。
「もし仮にトリニティとの間に戦端を開きたいという勢力がいればその心情は十分に理解できますが、回避できる損害を無駄に大きくするべきではありません。経済や情報の分野で宣伝に努め融和ムードを構築、ゲヘナの優位を確立する実利も模索していくべきと進言いたします」
今までに集めた情報に加えトリニティ嫌いであるという告白、誰にも明かしていない開戦計画の話を知っている時点で協力者であることは間違いない。
だが何故もし仮に、という言葉で語るのか。
成立した契約を履行する様は貴様に直接確認させたというのにここで梯子を外すのか。
いや、それはありえない。連中の意思は、そのために行動するという準備は本物だった。
ならばそこには何か別の意図があると考えるのが自然。
いっそゲヘナに呼び戻し直接問い質すか──。そう考えた瞬間マコトは今ターニャがどこにいるのかを思い出す。
トリニティとの会議が終わった直後律儀に報告を入れてきて、それにマコトが電話をかけたのがたった今。つまりまだトリニティの校内にいるではないか。
それなら周囲に悟られないよう曖昧な言い方になるのも致し方ないこと。
つまり今の彼女の話は反対の意味に受け取るべきなのだろうと、ごく自然にそう捉える。
「先日トリニティへ打ち合わせに来ていたヒナ委員長ともお会いしましたが、条約の成立と履行を前提として積極的に行動されているようです。ここで事を荒立ててはヒナ委員長の邪魔になり介入という余計な手間が生じる恐れもあるかと」
しかし次にもたらされた、ヒナがいたという報告にはマコトも黙るしかなかった。
それが治安を乱すと判断すれば圧倒的な力で有無を言わさず鎮圧してくるスタンスに何度苦汁を舐めさせられたことか。確かにあれに悟られ計画が露呈するリスクを考えればターニャが慎重論を唱える気持ちも分からなくはない。
だがあれもまた排除を頼んだ対象、しかも最重要目標の一つとして念押しした。そのために入念な準備をしているのではないか。
まさか、それでもヒナには対処が難しいとでもいうのだろうか。
「……それは、貴様がそう言うにはそれなりの魂胆があるのだろうな? 私としてはきちんと契約の履行を求めているのだが。これではアリウスにやる気が無いと思って──」
やる気が無い、その言葉を口にした瞬間の違和感。
積もりに積もった憎しみは生半可なことで消えはしない、ならば何故そう思わせるような行動をする? あの憎しみを、殺意をここで隠すことにどんな意味がある?
しかしその瞬間、マコトの思考は自身の納得できる答えを導き出す。
「ああ、いや待てそういうことか?」
単純なことだ、極力露呈しないよう慎重に進めろという以外の何だというのか。
ヒナに察知されればトリニティ側に警戒心を抱かせ警備が厚くなるのは必然、せっかく引っ張り出せそうなティーパーティーも再び籠もってしまうのは目に見えている。
そのための警戒心を抱かせない印象操作をしろと言っているならこの上なく合理的。
彼女のような視点を持つ人間を派遣してくれた采配に感謝しなければと静かに笑いながらマコトはターニャの提言を受け入れる。
「トリニティの連中が素直になってくれる方がそちらとしてもやりやすいというわけだな? 委細承知した、今はトラブルを避ける方向で進めよう」
──全てはトリニティを叩き潰すために。
ヒナ(得体の知れない人間が条約にまで関わってきた、警戒しないと)
ターニャ(ヒナ委員長がいれば大丈夫なはず、もっと関係を強化するか)
マコト(ヒナを騙して叩く算段まで立てるとはさすがだな、キキキッ)