ターニャのキヴォトス奮闘記   作:ハルコンネン

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二十、混乱

 二週間。正確には十三日。

 その期間別の場所へ赴くことを長いと見るか短いと見るかは人によって変わる。

 サラリーマンの地方出張なら長めの部類、子会社への出向なら極めて短い。学生なら年末年始の冬季休業と同程度と考えれば適切と言えるだろうか。

 ではそれが一都市に相当する規模の巨大な学園同士が結ぶ条約の調整期間としてなら。

 しかもそれだけでなく教練や講評という業務が加わり、さらに締結相手内部でのクーデター騒動という予想外の事態にまで巻き込まれたなら?

 常識的に考えれば短いどころの話ではない。

 しかし悲しいかな、ターニャはそういった無茶には慣れてしまっていた。

 何しろ南方大陸から帰還した途端休暇も無しにそのまま爆発寸前の連邦との国境へ放り込むのがターニャの職場であり、三週間後には戦線に投入するから五日で戦闘団を編成しろと真顔で告げる人物が直属の上司だったのだから。

 参謀本部直属として散々こき使われた経験から言えば時間が無いからできませんというのは無能であることの証明でしかない。やるか、それとも死ぬかのブラック極まりない二択しか存在しないどんなに劣悪な労働環境だろうともそれが必要なら行動するしかないことをターニャは身をもってよく知っている。

 そして人材の確保から始める新規プロジェクト、抗命する部下の更迭に備品の更新もセルフでというブラック企業も真っ青な案件に比べればすでに決まっている方針に沿った内容へ計画案を修正するだけの方が圧倒的に楽であり安心、安全なのは明白。

 拒否する理由も、また気を抜く理由も無いからこそターニャは積極的に任務に励み、結果として自身の責務を無事に短期間で果たせたことを心から歓迎するのだ。

 

「では皆様、お世話になりました」

「……ああ、こちらも色々と世話になった」

 

 ――まったく、本当に色々とあったものだ。

 平時のはずなのにまるで戦時のような忙しさだった二週間を振り返りつつ、ターニャは握手と共にサオリと最後の挨拶を交わす。

 ターニャがマコトから命じられたトリニティへの工作活動の修正計画は無事に完成。後はゲヘナに戻ってマコトへ提出すればこの面倒極まる案件も全て終了。

 そして何よりターニャにとって()()()であり、マコトの示した方針にもきちんと沿えているのが素晴らしい。

 勝手に自分で弱体化するトリニティに合わせてスクープと今後の方針を発表し人員を送るだけのお手軽計画。しかも条約に従っての治安維持代行という大義名分まである。

 ゲヘナ側の労力が最小限で確実にリターンが得られるとなればこれをまとめたターニャの手腕も高評価されるに違いない。そうなれば待っているのは出世街道への復帰。こき使われるのではなく暖かい部屋で椅子に座っていられる社会的地位、安定した待遇!

 そんな明るい未来予想図が描けるなら表情も自然と笑顔にもなるというもの。

 

「お待たせしてすみません。ではよろしくお願いします」

「分かりました。じゃあリーダー、行ってきます!」

 

 そして挨拶し終えたターニャが合図をすれば、ここへ来た時と同じく案内を担当しているヒヨリが元気よく出発を宣言。それと共に再びターニャはカタコンベへと足を踏み入れる。

 勝手の分からない迷路で二人きり。往路の時にはこの状況に少なからず緊張と不安を抱いていたが、今の気分は実に晴れやか。

 最初のファーストコンタクトからして連絡無しで電撃訪問、案内させてしまった不手際から娯楽が削減され訓練を増やされるという最悪なものだった。しかし演習を通して互いを知り、また食事を共にしたことでまさしく同じ釜の飯を食った仲間と言えるだけの関係は築けた。むしろターニャの分のスイーツを譲ったことで懐かれたと言ってもいい。

 その信用があるからこそ往路と同じく、いやそれ以上に和やかな会話を交わしながら二人は陰鬱な暗闇の中を軽やかに歩いていく。

 

「それにしてもアリウスの皆様には色々とご迷惑をお掛けしました。ここだけの話、小官のことは食料や宿舎を要求し勝手な真似をする部外者として不快に思われていたのでは?」

「えへへ、本当のところを言うとゲヘナのエリートはアリウスに馴染めず苦しむだろうな、逃げるだろうなって思ってました。なのにいつの間にか自然に馴染んでいて、しかも私たち以上に戦闘に慣れていて……。ターニャさんはすごいですねぇ」

「お褒めにあずかり恐縮ですがそれはあくまで小官が特殊だと思ってください。同じゲヘナの生徒でも他の方が御校で過ごすのは非常に厳しいかと」

「そうなんですか? ……なるほど、ターニャさん以外の警戒は低めで大丈夫そうと

 

 ヒヨリとサオリには高評価されているようだが、だからといって必要以上に仲良くなりたいかと聞かれれば答えは否。

 暴力行為は日常茶飯事、食事は味気ない保存食中心、部屋と寝具は埃とカビまみれ。いくら前線で似たような境遇を体験してきたといってもターニャはまっとうな文明人。そこから脱出する機会がやって来たのに留まりたいと思うわけが無い。

 業務が終わったのならさっさと食事を選ぶ自由を行使でき清潔が保たれているゲヘナへ戻りたいに決まっているではないか。

 

「それとこの業務が全て片付きましたら菓子折りをお渡ししたいのですが都合のいい時間と場所は分かりますでしょうか。さすがに小官一人で訪問するわけには――」

「いいんですか!? ゲヘナで有名な店……、そういえばルワゾー・ブッレという店のモンブランが美味しいと聞いて一度食べてみたかったんです! どうせ買えないから諦めていたんですけど、せっかくだからそれをお願いします!」

「……確約はできかねますが前向きに検討させていただきます。それで時間と場所は――」

「えへへ、一度も食べられないまま死ぬ虚しい人生だと諦めてましたけど生きていれば良いこともあるんですねぇ!」

「いえ、小官はあくまで前向きに検討をと……。くそっ、全然話を聞いていない」

 

 ――しまった、効き過ぎた。

 ヒヨリが予想以上の好反応を示したことにターニャは内心で渋面を作る。

 知らない名前だがヒヨリの反応からしておそらくティーパーティーが差し入れたものと同じような高級スイーツだろう。一般的な礼儀として菓子折りを送るのは元から予定していたしアリウスの環境を考えれば貴重な甘味に貪欲になるのは理解できるが、だからといって先方自らそんな代物をリクエストしてくるとは予想外。

 カリキュラムが戦闘や工作に偏り社会のマナーを知らないアリウス生だからこその図々しさなのだろうが、それを遠慮なく言ってくるのが実にヒヨリらしい。

 曲がりなりにも学校なのだから社会に出た後に使うマナーくらい教えておいてもらいたいものだと内心でため息をつきながらターニャは冷静にどう対応するかを考える。

 無味乾燥な生活だからこそ嗜好品は非常に重要、その品質や量は極めて分かりやすい信用の指標となる。些細なことかと思うかもしれないがそんな些細なことこそが重要なのだ。

 つまり送ったのが安物だったりそもそも送らなかったりした場合トリニティは良かったがゲヘナは微妙との印象を与えかねない。それもアリウス生全員にだ。

 つまり今後の関係を考えればヒヨリの希望をそのまま叶えることが最善なのだが――。

 ここへ来て新たな問題が発生してしまったことにターニャは思わず天を仰ぐ。

 どう考えても当初の予算内では収まりそうにない。帰ったら菓子折り用の予算を増額できないかマコトに相談しなければ。

 そんなことを悩みながら二人はしばらくカタコンベを歩き続け。

 そして。

 

「――案内していただきありがとうございました、ここまで来ればもう大丈夫です」

 

 角を曲がった瞬間に目に飛び込んできたのは小さいながらも眩しく輝く白い光。それが外の光だと認識したターニャは足を止めてヒヨリへと向き直った。

 一定期間ごとにルートが変わるこのカタコンベの性質を考えればあの出口は来た時と違う場所に繋がっているはず。とはいえトリニティ自治区内なのは確実、ここまで来ればさすがに案内は不要だろう。

 そう判断して感謝の言葉と共にここで別れると頭を下げる。

 

「えっと、この先も辛くて苦しいことがいっぱいあると思いますけど頑張ってください……!」

「……そう、ですな。では失礼いたします」

 

 しかし返されたのはなんともヒヨリらしい反応に困るもの。

 それにどうコメントしたものか悩むが結局は曖昧な笑みを浮かべるに留めておく。これはヒヨリ特有の言い回しであり本心はきっと純粋に応援してくれている……と思いたい。

 とはいえゲヘナに辿り着きマコトに計画書を渡すまでが自分の責任。一段落ついたとはいえまだ仕事は終わっていないのだから気を引き締めなければ。

 その決意を胸にターニャはヒヨリに背を向けて外へと足を踏み出し――。

 しかしその直後、順調な時こそ物事は全てがそう上手く運ぶものではないということをターニャは再びその身で味わうことになる。

 

「……何だ、これは?」

 

 咄嗟には目の眼前に広がる状況が理解できない。まず暗闇に順応していた目が急な眩しさで幻覚を見ているのではないかと疑い、そして何度瞬きをしても変化が無いことでそれが現実であることを悟り困惑する。

 何がどうなっている。何なのだこれは――。

 立ち昇る幾筋もの黒煙、聞こえてくる銃声を前にターニャは呆然と立ち尽くすのだった。

 

 

 

 

 

 

 トリニティ総合学園に対してどのような印象を持っているか。それを人々に尋ねればお淑やか、優雅、美しい、上品などの意見が多く返されることでしょう。

 確かにそれは私も十分に理解しています。

 図書館、美術館、音楽堂などの文化的な施設。見事に整えられた庭園や緑の芝生。生徒もゲヘナのように無秩序ということはなく規律に従っているとなれば不信や警戒を覚えることも無いに違いありません。

 ですがだからこそ、今のこの状況は私にとって非常に理解し難いもの。

 何故その安全で文化的なはずのトリニティで建物の爆破、襲撃に強盗といった非文明的な行為が複数行われているのでしょうか。

 荒れ果てたトリニティの市街地からご機嫌よう、ターニャ・デグレチャフです。

 つい先日まで前線のような暮らしを送り、そこから文明的な社会へ戻るという希望を心の支えにしていました。しかし蓋を開けてみればほぼ変わらないどころかそれ以上に治安が悪化していたというのは予想外もいいところ。

 まさか弾が飛んでこない分アリウスの方がまだ良かったと思えてしまうとは、あまりにも悲しい現実にまったくもって涙を禁じ得ません。

 命令で前線やパルチザンに占拠された都市に向かうならともかく安全なはずの後方が突如として市街戦の舞台になるとは!

 

「一体何がどうなっている……?」

 

 アリウス自治区を出てから二時間。

 ようやく戻れた文明的だったはずのトリニティ自治区を偵察してみるがそこは目を覆いたくなるほどに変わり果てていた。

 まず挙げられるのは一帯の停電。どの建物も内部は真っ暗で道路の信号機も消えている。ポンプでの揚水が電力によるものであれば断水も起きている可能性が高い。そして基地局の非常用発電機が燃料切れになったのか携帯電話とインターネットも不通。

 そして最も大きな異変が治安の急激な悪化。商店には必ずと言っていいほど破壊と略奪の痕跡があり他にも至る所に銃痕が残っている。先ほど見た複数の煙といい現在進行形であちこちが物騒な事態になっているのは間違いない。

 それらを見るにこの状況は昨日今日始まったものではなく二、三日以上は続いていると見るべきだろう。

 しかしこういった場合どう行動するべきだろうか。

 マコト議長に計画書を渡すという任務を考えればさっさとゲヘナに帰るのが正解だ。飛行術式で飛んでしまえば交通が麻痺していても帰るのは不可能ではない。しかし明らかに異常なこの状況を放置して行くのも後味が悪い。

 せめて何が原因なのか、いつ解決するのか程度は聞いてからにするべきか?

 そう考えながら建物の角を曲がって大きな通りに出た時だった。

 

「あら? あなたは……確かターニャさん、でしたか?」

 

 不意に横からかけられた声。それにツァラトゥストラを構えながら振り向けば、そこにいたのは大きなスリットの入った修道服に身を包んだ生徒だった。

 服装からしてシスターフッドの人間なのは間違いないが……誰だ?

 シスターフッドの人間で話した覚えがあるのは大聖堂に行った際に受付、案内をしてくれた生徒とサクラコ程度。見覚えが無いが知られているということはその時にいた誰かだろうか。

 とはいえ話した覚えが無いということは自己紹介もしていないということ。ならば何をするべきかは明白。

 

「確かに小官はターニャ・デグレチャフであります。シスターフッドの方とお見受けいたしますがお名前を伺っても?」

「あっ、すみません。若葉ヒナタと申します……。よろしくお願いします」

 

 私の自己紹介と問いかけに対して丁寧に名乗りながら頭を下げるヒナタ。

 とりあえずファーストコンタクトは成功だ。二週間ぶりに訪れたら唐突に市街戦が勃発していた場所で理性的な会話ができる相手、それだけでも十分にありがたい。

 しかも彼女はシスターフッドの人間。悩み相談や奉仕活動などで多くの生徒と接する彼女ならば今日突然巻き込まれた私よりも詳細な情報を把握しているはず。せめて何が起きているのかくらいは教えてもらえるだろう。

 そう考えて私は口を開きかけ――。

 

「その、ターニャさんはここで何を……?」

 

 不思議そうに首を傾げながらヒナタがそう呟いたことで思わず固まった。

 それは抱かれて当然の疑問。今の私は条約担当調整官の身分を解かれた身、それがトリニティにいては辻褄が合わない。しかしまさかアリウスに行って御校のクーデター計画策定の手伝いをしていましたなどと言えるはずも無し。

 くそっ、こんなことなら下手に情報収集などせずさっさと飛んで帰るべきだった! 状況が不明な中での偵察などそれこそ開戦寸前の連邦領へ秘密裡に潜入した時のような警戒心を持たなければならなかったというのに!

 そう心の底から盛大に悔やむがすでに手遅れなのは明らか。とにかく今は私がここにいる理由とそれを正当化する方策を考えなければ。

 考えろ、ゲヘナの人間が今ここにいる理由として考えられるものは何だ?

 インフラが寸断され暴動が起きているような状況でわざわざ来るなど余程の理由が必要だ、下手な言い訳では信用されないはず。そもそもがトリニティと険悪な仲であるゲヘナの人間である以上ナギサ会長と交渉した経歴があるとしても果たしてどこまで信用があるか――。

 そこで私は何かに引っ掛かる。

 何か重要なピースを掠めたような感覚。何だ、私は何に引っ掛かった?

 そんな焦燥と共に今何を考えていたかを思い返してみれば。

 

「……ターニャさん?」

「――このような事態での御校の対応の確認、及び協力をしに来ております。エデン条約の目的は両校間でのトラブルの調定、平和の実現。その理念を実現するためにはゲヘナのみでなく御校でもこれ以上の拡大を防ぎ平穏を回復することが急務であると判断いたしましたので」

 

 あった。

 この状況でも堂々と使える口実が。

 最初にトリニティに来た理由はナギサ会長との交渉、そしてその際には調印式典の会場を古聖堂にするためなら何をしても良いという全権を与えられていた。

 つまりトリニティからすれば私は大幅な譲歩も許容できる柔軟な積極的推進派に見えているのはほぼ確実。ならばこの不安定な状況こそが私を正当化する最大の要因たり得る。

 ポイントはこれが()()主導した条約であること。その実現のため自主的にトリニティに協調姿勢を示し暴動鎮静に協力するというポーズは決して不自然ではない。それどころか上手くいけば先日トリニティ自治区で戦闘をしてしまい市街地を破損させたマイナスイメージの払拭、信用の回復も可能かもしれない。

 ならばそれを活用しない手は無いだろう。

 そんな打算と共に私はヒナタの顔をまっすぐに見つめながら堂々と今思いついたばかりの口実を謳い上げ、そして。

 

「ありがとうございます、ターニャさん!」

 

 私の言葉を疑う様子もなく素直に喜色を浮かべるヒナタを見てほっと肩の力が抜ける。

 どうにか第一関門は突破できたようだが、だからといって気を抜くにはまだ早い。口実とはいえトリニティとの協調を言ってしまった以上はそれを実行することが必要不可欠。

 そのためにも改めて情報収集から始めなければ。

 

「ところでヒナタ殿は今回の異変について何か情報をお持ちでしょうか? 恥ずかしながら小官が得た情報は信憑性が不明でして、トリニティ側の情報もいただけるとありがたいのですが」

「すみません、連邦生徒会がキヴォトス全域の制御権を失った、連邦生徒会長が行方不明になったなどの噂は耳にしたのですが、私もそれがどこまで正確なのかは分からなくて……」

 

 ……連邦生徒会の制御権喪失? 連邦生徒会長が行方不明?

 混沌としている状況だけに最初から正確な情報が手に入るとは期待していなかった。軽い雑談のつもりで振った問いかけだった。

 しかしその答えがこれは予想外すぎる。暴動が発生する前ですら日常的に銃撃やテロが横行していたキヴォトス、それをまとめていたトップがいなくなったという話が本当ならばチトー亡き後のユーゴスラビアの再現になりかねない。

 いや、停電に断水とすでに社会基盤は崩壊しかけている。この話が誤報であったとしても事実だとの認識で動かなければ。

 そのためには何から行動するべきか、それを考え始めた時だった。

 

「ところでターニャさんは今お一人ですか? 一部ではこれがゲヘナによる攻撃ではないかという噂も出回っているみたいですから一人で出歩くのは危ないですよ。他のゲヘナの方と一緒にホテルにいた方が良いのではと思うのですが……」

「――そ、そうですか」

 

 いたって平然とした様子で、純粋にこちらを気遣うようにそう言ったヒナタ。しかし私としては今彼女が追加してきた内容に衝撃を隠せない。

 この停電がゲヘナによる攻撃ではないかとの噂が出回っている? 冗談ではない、暴発寸前ではないか!

 誤報であろうと一度信じてしまえばそれは当人の中で真実となる。そして今のような異常事態が起きている時にそれが起きれば止めることはもはや不可能。関東大震災の直後にデマがきっかけで朝鮮人の虐殺が起きた歴史がそのいい例だ。

 しかしそれがここで起きれば、その先には確実に戦争が待っている。

 条約締結とクーデターのために奮闘した結果が徒労と化し、またしても戦争に放り込まれ、出世と平穏な生活という希望すら消えるであろう戦争が。

 治安が最低とはいえまだ平時、娯楽を楽しむ余裕がある日常を得られたというのにこんな存在X並みの勝手な都合でまたしても戦争に巻き込まれるなどたまったものではない。

 何としてでも、絶対に鎮静化に協力しなければ!

 

「……気遣っていただきありがたいのですが、小官としてはこれ以上のトラブルを避けるためにも今ヒナタ殿が仰った噂、誤解を解くことを目的に行動させていただきたい。例えばですが御校の方と共に支援などに当たることは可能でしょうか?」

 

 最初は式典会場に直接攻撃を行う過激なものから穏当な案へと変更する簡単な内容のものだったはずなのに。それが気付けば次に待っていたのはトリニティ内のクーデター、揚げ句は大規模災害並みの混乱とその鎮圧へ協力する羽目になっている。

 ヒナタに出会った時は飛んで帰らなかったことが失敗だったと思った。しかし今となってはこの話を聞き、対処するという選択肢を得られたことを幸運だと思うべきなのだろう。

 ……ただしそこに時間外労働と責任の二文字が生じなければ、の話ではあるのだが。

 まったくどうして、どうしてこうなるのだ?

 

 

 

 

 

 

「追加のニョッキ茹で上がりました!」

「はい押さないで、全員分あるから慌てないで!」

「ねえ、またこれなの? 飽きたんだけど」

「失礼ですがあなた二回目ですわよね? 一人一皿なので退いていだだける?」

 

 トリニティ自治区、街並みの一角にある小さな公園。普段なら生徒たちが散歩や談笑など穏やかな時間を過ごす場所だが今は大勢の生徒が集まり様々な声が響く。

 その光景は一見他の場所でも行われている炊き出しと何ら変わらない。しかしここには他の現場とは明らかに違っている点があった。

 シスターフッドの黒い修道服に混ざって一緒に調理と提供を手伝う小柄な影。黒いスーツに赤のネクタイ、ゲヘナの校章入りの帽子といった出で立ちは紛れもなく彼女がゲヘナの人間であることを物語るもの。

 それをやや遠くから見つめながら、シスターフッドの長である歌住サクラコはしみじみと奇跡のような幸運に感謝していた。

 一昨日ヒナタと会った際に聞かされた報告。あのターニャ・デグレチャフが今トリニティに来ており、しかもこの騒動を鎮めるために全力で支援するとの意思を表明してくれたというにわかには信じられない内容だったそれ。

 しかしこうして実際に確認しに来てみればその報告は紛れもなく現実だった。

 

「ターニャさん……。どうかその行いに祝福があらんことを」

 

 朝食は乾パンと水。昼食はパスタとニンジン、タマネギのピクルス。夕食は昼間に焼いておいたパンとジャガイモのスープ。美食にこだわりがあると悪名高いゲヘナの人間であるにもかかわらずそんな粗末な食事に不満一つ言わず、しかもより多くのトリニティ生にその姿を見てほしいと毎回積極的に調理や片付けを手伝いゲヘナのイメージを向上させようと努力している。

 それはまさしくエデン条約の平和精神を体現する存在そのもの。

 ゲヘナも相当に混乱しているだろうに私たちのことを心配してくれる優しさ、責任者から外れてなお条約の行く末を見守ろうとする責任感。

 このような苦境にあってもそれらを保ち奮闘する姿の何と眩しく映ることか。

 もしシスターフッドに所属していれば間違いなく重要な役職を任せただろうに、そうサクラコが思ってしまえるほどこの場でのターニャは完璧な存在だった。

 ――まさかゲヘナの生徒に慈愛と勤労の精神を示され改めてシスターフッドとしての矜持を思い出すことになるとは。

 ゲヘナの生徒である彼女がこうして一人で努力しているのだ、ならば私も頑張らずしてどうするというのかとサクラコは改めて気を引き締める。

 

「ねえ、あれってゲヘナだよね?」

「なんでゲヘナが炊き出しなんか? まさか今度は毒でも入れてるとか……?」

「きっと一緒にいるシスターフッドも騙されてるんだよ、追い出そうよ!」

 

 しかしトリニティ生たちにとってゲヘナの人間が炊き出しを手伝っているという光景は刺激的に映るもの。ターニャの心情を知らずただゲヘナの人間だからという理由だけで敵視し排除しようとする生徒は当然少なからず存在する。

 ましてこの停電による混乱がゲヘナによるものではないかとの噂が出回っている状況ともなればターニャに対する警戒心と恐怖もかなりのもの。シスターフッドを率いる長としてサクラコも幾度となくその火消しに追われていた。

 だからこそサクラコは自分と同じように公園の入り口から様子を伺っていたらしきトリニティ生に気付くと、そっと近寄って声をかける。

 

「なかなか興味深いことをお考えのようですね?」

「――サクラコ様!?」

 

 唐突に公園脇の木陰から出てきたサクラコに驚愕した様子の生徒。それに苦笑しながらサクラコは静かにターニャのことを指し示す。

 そこにあったのは大量のポリタンクや袋を開けて調理の準備をするヒナタとターニャの姿。言葉を交わしながら手際よく作業できているのは互いを信用できているからだろう。

 それに満足感を覚えながら、サクラコは心からの笑顔を浮かべて穏やかに口を開く。

 

「ここは救いを求める方を分け隔てなく支援するための場所。それは手を差し伸べるのがゲヘナの方であっても変わりませんし、それに彼女が優しさと責任感を持つ敬虔な方であることはこの私が保証いたします」

 

 トリニティにおける一大派閥、シスターフッド。その長であるサクラコがはっきりと言い切ったことで生徒たちは分かりやすく動揺した。

 それを見る限り今の話は明確な害意や計画性があってのものではない、ならば言葉を尽くし説得すればきっと分かってもらえるはず。

 そう信じるからこそサクラコは自身の気持ちを込めて、心から真剣に頼み込む。

 

「皆様もどうか偏見に囚われることなく冷静に行動してください。もちろんこのような状況で様々な不安があることでしょう。ですがあの方は私が明日からシスターフッドの長の座を譲るとしても後悔しない、そう思えるほどの方なのです。どうか彼女が私以上に大きく、皆様を導くような存在となるよう見守っていただけないでしょうか」

 

 平和を愛し、隣人を慈しむ慈愛の心を持ち、勤勉。まさにエデン条約とシスターフッドの理念を併せ持ったかのような存在。彼女ならシスターフッドでなくとも、ゲヘナの生徒であろうとも必ずや私以上に多くの生徒を導く存在となれるはず。だから私は彼女を全力で支えよう――。

 その決意と共にサクラコはそっと微笑んでみせるのだった。




プロローグでミレニアムの発電所がシャットダウンしたと言及、サンクトゥムタワーの制御権復旧の場面でD.U.の停電が復旧する描写があったので大規模停電が起きていたのは確実なはず。
というか武器の不法流通が2000%増加とかこれくらい混乱してないと無理でしょう。
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