鼻に感じるのは確かな芳香、舌に感じるのは適度な渋みと心地よい温かさ。お気に入りの銘柄であるその茶葉は本来なら疲れ切ったナギサの心を癒してくれるはずのもの。
先日の停電と断水が起きてからは紅茶を淹れる余裕など無くなって久しく、それだけにこうして再び飲める日が来たことは素直に喜ばしい。
しかし今、一人静かに紅茶を飲んでいるナギサの表情は浮かないものだった。
「……一体どこまでがゲヘナの掌の上なのでしょうか」
空になったティーカップをそっと受け皿に置きながらナギサは真剣に考え込む。
停電が復旧して三日、トリニティは急速に日常へ戻りつつある。
しかし物資集積所で会ったゲヘナ生、ターニャ・デグレチャフのことが復旧した当日からずっとナギサの心に刺さり続けていた。
条約の調印式典を行う会場についてにわかには信じ難い交換条件を提示してきたことで強く印象に残っていた彼女。印刷業やリゾート施設の運営など様々な事業を展開しているマコトの部下だけあって確かに物資の仕分け、整理に関する指示は的確なものばかり。まさに有能という言葉を形にしたような人間だったというのは嘘偽り無い正直な評価。
しかし彼女がトリニティの生徒を指揮し、それにトリニティの生徒が従い、しかもトリニティ側から指示を仰いでいたというのはさすがに看過できない。
あくまで友好的な対応だったから助かったが、下手をすればサボタージュなどをされ混乱が加速していた可能性もあった。
──いくらサクラコの口利きがあったとはいえ何故外部の、しかもゲヘナの生徒の指示をあの場にいた誰もが聞いていたのか。
「今後のトリニティの在り方に関わる問題ですね……」
そう呟いた一言ににじむのは強い危機感。
何しろ自分たちの自治区で不倶戴天の敵であるゲヘナの勝手を許したどころか諸手を挙げて歓迎していたのだ、極端に言えばナギサよりゲヘナの方が信用できると言われたも同然。
エデン条約を控えた今トリニティが自主的にゲヘナと接近しようとする動きは喜ばしい。しかしティーパーティーに対して批判を突きつけられれば歓迎よりも恐怖、焦りが圧倒的に勝る。
それだけでも厄介なのにゲヘナの動きも今まで以上に警戒しなければならない。
今回の件でゲヘナはトリニティが非常時にどう対応するかを知ってしまった。しかもトリニティの生徒たちの思考を操作し動かすということまでやり遂げている。もし戦争にでもなればゲヘナがその弱点を突いてくるのは想像に難くない。
そして何よりターニャが取った態度こそが最大の懸念事項。
トリニティの生徒を好きにできる状況でありながら何もせず報酬も一切求めない、それどころかこちらの縄張りで勝手なことをして申し訳ないと丁寧に頭を下げてくる始末。
条約成立のために一方的に不利になる交換条件を出してきたことといい今回の慈善活動といい、ナギサにしてみればゲヘナ側の動きは不気味を通り越して恐怖ですらある。
だからこそどのような対策を講じるかを考えるのは当然の流れと言えた。
「……ここまで条約にこだわる以上強引に破棄するのは却って危険ですね。成立させることは確定として必要なのはトリニティ内の統制の強化とゲヘナの動きを制限すること、でしょうか」
普通に考えれば今回の功績と引き換えに更なる条件を提示してくるはず。
支援をしてもらった側としてはゲヘナが次に何か要求をしてきた際に断ることは難しい。そしてその要求がトリニティに不利益をもたらすものであった場合、ゲヘナと同じ程度にはトリニティ内の反ゲヘナ派を警戒する必要が生じる。
極論、
ならば必要なのは可能な限り合法的に、ナギサにとって不審な生徒を排除できる仕組み──。
その結論に至った時、ナギサが抱いたのは以前ターニャに依頼した裏切者の処分を何としてでも実行してもらわなければという強迫観念にも似た強い使命感だった。
裏切者を排除し不穏分子の暴発を防ぐ、それは元々ナギサにとって最重要事項。しかしこのままではゲヘナの思惑通りになるだけ。それをどうにかトリニティ内のバランスも保ちながらこちらが操るにはどうすればいいか。
それを考えた時使えそうと思えたのはゲヘナを利用しトリニティの裏切者を排除するという当初から考えていたプラン。
あくまでゲヘナの反応を見るついでにゲヘナがトリニティ生を害するという展開を交渉のカードにできれば程度の思い付きだったそれは、いつの間にかゲヘナに対抗できる切り札としてこれ以上有効な手は無いとの結論へと至っていた。
「……問題はどうやってターニャさんに気付かれないように仕込むか、ですね」
とはいえその決意とこの思い付きが実現可能なのかは別問題。
トリニティの生徒たちを短期間で掌握してみせサクラコからの信用も厚い。判断や指示も明確で一年生でありながらマコトから交渉の全権を預かるほどの実力がある。生半可な策では気付かれてしまうだろう。
後で検証し限界まで綿密なプランを策定しなければ──。
そう思いつつ二杯目の紅茶を注ごうとティーポットに手を伸ばしたその時だった。
「ナギサ様、失礼いたします。目標の乗った列車は定刻通りに自治区を出たと報告が」
「……分かりました、ありがとうございます」
ノックと共に執務室へ入ってきた行政官。彼女の報告にナギサは宙で手を止め、そしてそっと肩の力を抜いてソファの背もたれに体を預けた。
どうやらターニャ・デグレチャフは無事にトリニティを離れたらしい。
それはつまりゲヘナにトリニティでこれ以上好き勝手される、無茶な注文をされるといった心配から解放されるということ。言動の一つ一つを警戒していた緊張感から自由になることがどれだけありがたいか!
もっとも彼女が帰ってもマコトが無茶を吹っ掛けてくるかもしれないが……。
しかし不安材料が減ったのは事実、とりあえずは素直に喜ぼう。
そう胸を撫で下ろしたナギサは改めてティーポットへと手を伸ばし──。
「ナギちゃん、私買えたよ!」
行政官と入れ替わるように勢いよく一人の少女が飛び込んできたことでその手はまたしても宙で止まる。
その声と賑やかな話し方で顔を見ずとも誰が来たのかはすぐに分かる。大方興奮で目を輝かせているのだろうと察しつつゆっくりと視線を部屋の入り口へと向ければ、案の定そこにいたのは予想通りの生徒。
桃色の髪にアクセサリーで彩られた白い翼。ティーパーティーの一員にしてパテル分派の首長、そしてナギサの親友でもある聖園ミカがそこにいた。
「あれナギちゃん、どうかしたの?」
「ミカさん、せめてもう少し節度を持った振る舞いをしてください。それと報告があるのでしたらもっと具体的に分かりやすくお願いします」
「ごめんごめん、停電が復旧して物流も回復してきたでしょ? 卵とか生クリームも入荷するようになってスイーツショップも営業再開してたの! ほら見て、ミラクル5000!」
しかし自慢げに両手に提げた袋を掲げるミカを見て覚えるのは威厳ではなく呆れだった。
──私がゲヘナとトリニティ内の動きに神経をすり減らしている時にスイーツ巡り?
その口を黙らせたいという衝動が湧き上がるのを覚えつつ、あくまで冷静に振る舞わなければと自分に言い聞かせて静かに耐える。
ナギサは執務室に半分軟禁状態で書類仕事に追われていたがミカは書類仕事が苦手ということで主にトラブルの仲裁や現場の応援など現場を走り回っていたはず。その際に偶然見かけて買ったというのは十分あり得ることだ。
それをわざわざ持って来たということはナギサを気遣ってくれたということでもある。ならば今は怒るのではなく一緒に食べるべきだろう。
そう結論付けたナギサはソファへ座るように合図。さらに手元の鈴を鳴らして行政官を呼び追加の紅茶と新しいカップ、ソーサーにフォークを持ってくるよう伝えれば。
「さすがナギちゃん、そうこなくっちゃ!」
「一応まだ私の仕事は終わっていませんのであまり長くは休めませんよ? それにしてもよくこの短期間で再開していると知っていましたね」
「……えっと、あの停電で何も言えないまま急に会えなくなっちゃって怒ってるだろうなぁって子たちがいてね? お詫びに持って行く菓子が欲しい、できれば早めにって予約してたの。でもナギちゃんもお茶とケーキを我慢して頑張ってるの知ってたからまずは最初に渡そうと思って……」
いたずらがバレた子供のように気まずげな様子で頬を掻くミカ。それを見てナギサは呆れを隠すことなく盛大にため息をついた。
──それは公私混同ではないだろうか? ティーパーティーの生徒から謝罪に持って行く菓子が欲しいと言われれば誰だって最優先で用意するに決まっているだろうに。
そんな感想を抱くも確かに謝罪回りへ行くのに菓子折りは必須、しかも自分を気遣ってくれたとなれば責められるわけがない。
だからこそナギサは言葉を飲み込み、今は目の前の貴重な高級スイーツに集中しようと気持ちを切り替える。そしてそれを口にした多幸感に包まれながら思うのだ。
せめてこの穏やかな時間がずっと続けばいいのに、と。
◆
ターニャ・デグレチャフがトリニティで何やら活躍した、それにシスターフッドが深く感謝しているらしい。
その報告は混乱から回復しつつあったゲヘナ学園の風紀委員会を再びの混乱に陥れた。
あの停電の間様々な流言飛語が飛び交ったのは事実。交通と通信が遮断されたことで本物の通報から誤報、略奪目的の虚報の全てが複雑に入り乱れていた。
だからこそこの情報もまた最初のうちは内容の突飛さから勘違い、またはいたずらだろうと一蹴されていた。
しかし表示された番号は紛れもなくETO関連の調整のため連絡先を登録していた正義実現委員会のもの。電話を受けたイオリが嘘じゃないと半分泣きそうになりながら必死に主張したこともありアコが半信半疑ながら確認の電話をかければ、当然ながらその結果は紛れもない事実。
ゲヘナの生徒がトリニティで勝手に取った行動に対し抗議どころか通常では考えられない賞賛や感謝の言葉が直接、一切の誤解の余地無く告げられる。
それを聞いた瞬間のアコが覚えたのは困惑、そしてターニャに対する圧倒的な恐怖。
──あれは一体何をやらかした!?
シスターサクラコがよろしくお伝えくださいとのことでした、などと真心のこもった丁寧な伝言を聞かされるなど初めての経験。それだけの評価と信用をどうやって得たのかという好奇心もそうだが、それ以上にどこまで考えて動いているのか分からないことが恐ろしい。
確かにエデン条約の目的はゲヘナとトリニティ両校間の協調と中立。距離感を縮めるのが重要であることも当然分かる。しかしそれをあの混乱の中、連絡も取れない中で成し遂げた?
一体どのような計画を立てていればそんなことが可能なのか、どこまであの
そんな警戒感からアコがターニャに接触しようとしたのも当然のことだった。
「というわけで、上手くあのタヌキたちの思惑を聞き出しましょう」
「いやどういうわけだよアコちゃん」
時刻は間もなく十八時。学業や勤務も終わり人々が帰り始める時間帯、かつ交通も復旧して間もないだけあって駅の改札前は大勢の人々でごった返していた。
ちらりと構内の時計に目をやれば列車が到着するまで残りわずか。便数から考えて目標は確実にこの列車に乗っているはず。
それが確認できれば改札から出てきたところで偶然を装い接触する。身柄さえ確保してしまえば後はゆっくり尋問するだけだ。
さあどこから責めてやろうか、やはりまずはトリニティで何をしていたのかだろうか。ブラックマーケットの武器店から荷物が届いていることも追及したい。レッドウィンターヘ行く直前に立ち入り禁止の場所に行ってわざわざコンビニでも売っている銃弾を買う? しかも携行するでもなく不在の寮に届けさせる?
一年生の唐突な起用、活動を黙認するどころか感謝するトリニティ、目的が分からない買い物。どう見ても怪しいとしか言いようがない。
アコの予想ではレッドウィンターヘ行っていたという話自体が嘘。加えて意図的にそれを隠している。ならば今日こそあのタヌキが何を企んでいるのか暴いてみせる──。
そんな思惑の元、アコは半ば呆れ顔のイオリと共に改札の奥の階段を睨み付け。
そして。
「あら奇遇ですねターニャさん」
イオリからしてみれば如何にもわざとらしい笑顔でにこやかに、改札から出てきた小柄な人影へあいさつをするアコ。
そしてそれに対しターニャは動じる素振りを一切見せることなく見事に整った敬礼を返す。
「イオリ先輩、それと……アコ行政官でしたか。お久しぶりです」
「おう、久しぶりだな」
軽く片手を上げてあいさつをしながらイオリは内心で首を傾げていた。
風紀委員の切り込み隊長として後ろめたいことをしでかした生徒の反応というものは幾度となく見てきた。しかし風紀委員と予想外の遭遇をした割にはターニャの態度や表情から見慣れた焦りや緊張は一切感じられない。
淡々とアコとやり取りをしているターニャは一見無表情に見えるが、よく観察すればその顔には一仕事を終えてやっと見知った人物に会えたという安堵が浮かんでいるようにも思える。
それと似たような姿を見たことがあるなと少しばかり考え込み、やがてイオリが思い出したのは忘れようも無い圧倒的な姿。
表情も変えず当然のことのように淡々と不良たちの鎮圧をし、後からイオリたちが合流した時のヒナと似ているのだ。
そしてそれに気付くのと同時に一抹の不安がよぎる。
──万魔殿の奴が委員長並みに仕事熱心? 悪い冗談にも程があるぞ?
そんなことを考え渋い顔になっているイオリを尻目に、アコは笑みを崩さないまま雑談を装って勝負を仕掛けていた。
「そうそう、一つお聞きしたいのですが──クーデターの方はいかがでしたか?」
アコの予想が正しければレッドウィンターヘは行っていない。ならば唐突にクーデターに関する質問をすればボロが出るはず。
まったくの的外れな回答や言葉に詰まるようなことがあれば虚偽と判断して取り調べ。そのままレッドウィンターヘの出向などという虚偽の辞令を出したマコトを追及してやる。
そんな思惑を含んでの不意打ちに対し。
「……お言葉ですがその質問は含意が広すぎます」
返ってきたのはアコを警戒するような、明確な反応だった。元々無表情ではあったが一気にその顔は険しくなり声も固くなる。
──これは当たりだ。
そう確信しつつもアコはターニャが今言った言葉にそれもそうかと納得し、答えやすいようもう少し詳しい説明を付け加える。
「ご存じかと思いますが先日の停電騒ぎでゲヘナでも大規模な暴動が発生しまして。小規模な戦闘は慣れていたのですがあのように同時多発的かつ大規模な混乱に対するノウハウは不足していると実感したのです。それで委員長とも話し合いターニャさんに意見を聞いてみようかと。クーデターに関わった経験した感想やどう行動したかなどを聞かせていただけると助かるのですが」
クーデターの基本は同時に複数ある要所を抑え体制側が行動を起こせなくすること。その原則を今回の暴動に当てはめ今後同じような事態が生じた際にどう対応するか参考にする。
咄嗟に思いついた言い訳ではあるが内容としてはおかしくないはず。
何しろ実際に風紀委員の対応力がパンク状態になっていたというのは事実。週に一回、多い時で三回クーデターが起きるレッドウィンターはどう対応しているんだという疑問は風紀委員内部でも持ち上がっていたのだ。
それを踏まえてのこの説明と要求、果たしてこれにどう答えるか──。
「……ヒナ委員長がこの件について話を聞きたいと?」
「その通りです。ゲヘナの風紀を守ることに関しては決して譲らない方ですから」
結果は不発。ただしわずかに効果ありといったところか。
ヒナの名前に明らかな反応を示したからにはやはり風紀委員を警戒しているということ。つまり風紀委員に出てこられては困る何かがあるということに他ならない。
言い逃れをする隙を潰せたらしい、そう判断したアコは狙い通りと口元を緩ませる。
「そうですね……」
何と答えるか明らかに悩んでいる、それを見たアコは内心で喝采を上げた。
ヒナ委員長自身が望んでいると言ったことでプレッシャーを与え下手な言い逃れを封じることができた。退路を断った以上この後ターニャにできることは矛盾だらけの的外れな回答をするか沈黙を貫き不興を買うだけ。そうなれば後は何を企んでいたのかを実力で聞き出して叩きのめすといういつもの流れをすればいい。
そんな妄想に浸りつつ改めてヒナ委員長という威光の素晴らしさを実感していたアコ。
しかし次の瞬間。
「小官は今回クーデターを企図する側で参加いたしましたが治安維持部隊に対し事前に待機命令を発令し拘束しておく点が厄介と感じました。同時多発的な行動に加えて誤報や虚報を意図的に流すことは想定していましたが、正規の手段でその対処すら妨害された場合クーデターを阻止するのは非常に困難になるかと。また攻撃目標という点でも新体制側に付かないと目される人員を優先的に排除しスムーズに権力を掌握するという考え方は興味深いものがありました」
「──えっ」
あっさりと、流れるように感想が語られる。
それを聞いた時アコとイオリは同様に困惑し、そして自然と互いに顔を見合わせていた。
予想ではクーデターについて詳しいことは何も言えず、それを根拠に別室へ誘導して尋問をする流れとなるはずだった。
しかしこのコメントは何だ。具体的な課題、目標の選定、実際に行っていなくともここまで詳細なものを即興で作り上げることなど可能なのか。
「待ってください、本当にクーデターに参加を!?」
そしてその困惑は思わず口を衝いて出てしまった。
確実に嘘だと思っていた前提が突然ひっくり返されたのだ、さすがにその驚愕を態度に出さないでいるというのは難しい。
しかしそんな醜態を目にしながらもターニャが嗤うことはなく、むしろ一体何を驚いているのかと言わんばかりの真顔。
「はい、先方から具体的な計画案を明かされた後小官の意見を求められまして、どう行動するのが効率的かということは指導いたしました。既にほとんどの計画はできており小官らはクーデターが終わってから関わるとのことでしたので内政干渉には当たらないと認識しております」
平然と、ごく当たり前のことのようにそう言ってのける姿にアコは思わず息を吞む。
堂々と一切の躊躇なく問題ないと言い切ってのけるその態度はアコの気にしている問題をいくら追及されようと構わないと確信していなければできないもの。
つまりターニャはレッドウィンターにいてクーデターに関わり、そして純粋にエデン条約の破談を防ぐためにトリニティへ単身向かったという話は正しかったのか?
「で、ではブラックマーケットの武器店を利用したことについては!?」
「……先方が武器を購入するのに利用していたのと、警備の都合上その店舗で直接会う以外に接触するルートがありませんでしたので」
ならばせめて違う攻め口で、そんな思いで必死に繰り出した切り札だったがこちらもあっさりとあしらわれる。
確かにクーデターを企図するなら戦車やミサイルなど強力な兵器を求めてブラックマーケットを訪れるというのは十分あり得る。そして警備を掻い潜りそのような大物を内密に持ち込もうとするなら接触できる場所が限られるのも納得できる話。
一応話の筋は通っている。突けるような矛盾点も見当たらない。
アコは完全に攻め手を失っていた。
「詳細な報告書はこの後マコト議長に提出いたします。立ち話で済ませるのも申し訳ありませんし後でそちらをご覧ください。では小官はこれで」
そしてアコが黙ったことでこれ以上ここに留まる必要は無いと判断したのかターニャは一礼するとそのまま背を向けて足早に歩き去る。
悔しいが駅構内での立ち話という形で追及するには限界であり、規則違反者でもないターニャを呼び止める権限も無い。
人混みの中に消えていく小さな背中を見送りながらイオリはやるせない顔つきで、静かに震えているアコへと問いかける。
「……どうする? たぶんこれ以上やっても尻尾は出さないと思うけど」
「最初に質問した時の反応からして後ろめたいことを企んでいるのは間違いないんです! 絶対に諦めませんからね!」
顔を真っ赤にして吼えているアコの背中を見つめながらイオリは小さくため息をこぼす。
強引に付き合わされたと思えば結果がこれだ。こちらを指差しながら心底楽しそうに笑うマコトの顔が目に浮かぶ……。いや、知ったら絶対にこっちを馬鹿にしてくるな。
しかしアコの様子からしてこれからも干渉を続ける気なのは間違いない。まったく、それに何度も付き合わされる方の身にもなってほしいものだ──。
「……え、あの一年がいる間ずっとこれが続くの?」
◆
組織のお偉方から直々に託された機密案件というのは常に受け手の胃を痛めるもの。しかも中身が平和条約の破棄から始まりクーデターへの協力と絶対に表へは出せない真っ黒極まりないものとなればプレッシャーもひとしおです。
それに加え追加で訓練を設けることになったかと思えばさらに大規模災害並みの混乱の処理まで手伝う羽目になると誰が予想し得たでしょうか。
状況的にやむを得なかったとはいえオーバーワークもいいところ。
幸運な点があるとすれば多少なりとも不測の事態というものに慣れがあったことでしょう。
不期遭遇戦から迎撃、パルチザンに占拠された都市の奪還に至るまで軍隊という職場においては即興での判断、行動は頻繁に求められるもの。
そんな将校課程を卒業した士官、大隊長としての経験を生かして目的を果たせた点は面目躍如と言っていいかもしれません。
そして最終的にそれら全てを片付けて堂々と凱旋できる喜びの何と大きいことでしょう!
ゲヘナ学園中央区に向かう列車の中からご機嫌よう、ターニャ・デグレチャフです。
現在私は列車の中で久し振りにのんびりした時間を過ごしています。
計画案の策定は無事達成、トリニティの混乱も落ち着き交通も復旧。後は計画案をマコト議長に手渡せばこの面倒で長かった日々もようやく終わり。
そしてその先に待っているのは清潔な環境、文明的な食事、ゆっくりと休める余裕!
「第一校舎前、第一校舎前。降り口は右側です」
目的地が間近に迫ったことを知らせるただの車内放送も何と優雅に聞こえることか。
これが終わったら超過勤務の分しっかりと休みたい。トリニティの物流が改善していたなら同様にゲヘナの物流も改善しているはず。きちんとした温かい食事も楽しめるだろう。
休みが取れたらまずはどこに行こうか──。
そんなことを考えながら改札を通り抜けた時だった。
「あら奇遇ですねターニャさん」
不意にかけられた聞き覚えのある声。そしてそちらへ視線を向けた私が見たのは褐色の肌に銀髪のツインテールの風紀委員。そして首元に真鍮色のカウベル、左手首に枷、前身頃の切れ込みから胸部の素肌を見せるという衝撃的な出で立ちの行政官の姿だった。
──その衣装で公共の場に出てくる!? 誰も反応していないがこれは普通なのか!?
そんな驚愕と困惑で思わず私も微妙に硬直してしまう。初めて会った時も衝撃的だったがこれは何か指摘しておいた方がいいのだろうか……?
いや、周囲が何も言わないのなら私があれこれ言うのは止めておこう。迷惑防止条例に違反していると決まったわけではないのだから。
「……アコ行政官、でしたか。それにイオリ先輩もお久しぶりです」
「おう、久しぶりだな」
とりあえず見知った人物に会ったのならばまずするべきはあいさつ。ピシリと敬礼を返しながら私は彼女たちが何故ここにいるのかを考える。
少なくともヒナ委員長の秘書的なことを行っていて、かつ行政官という役職の人間が取り締まりや警備に駆り出されたということはないだろう。忙しそうな様子も無いことからして誰かを待っていると考えるのが自然だろうか。
ならば邪魔にならないうちにさっさと退散しよう、そう判断した時だった。
「そうそう、一つお聞きしたいのですが──クーデターの方はいかがでしたか?」
唐突に投げかけられた質問によって動く寸前だった私の足はピタリと止まる。
──アコ行政官は今何と言った? クーデター?
しかしあれはマコト議長とトリニティが内密に話し合って決めた機密案件。外部の人間が知っていていい話ではない。なのに何故風紀委員がそれを知っているのか。
そしてその瞬間に悟る。アコ行政官とイオリ先輩の目的はクーデターに関わったこの私だと。
しかしこれにどう返せばいいだろうか。
これで他校の政権転覆を狙った外患として扱われでもしたら出世どころではない。日本の法律を参考にするなら外患誘致の量刑は死刑一択、キヴォトスの法律については詳しくないがそれと同じでない保証も無い。
しかし計画ではクーデターが成功した後のトリニティの治安維持はETO、つまり現在の風紀委員が担う予定となっている。つまり風紀委員も自分たちが関わる計画がどうなったのかを知りたいと思っていることも十分考えられる。
マコト議長とトリニティが内通していたのだ、あのヒナ委員長ならそれすら見通して私への迅速な接触を命じていてもおかしくないだろう。
とはいえ漠然と尋ねられても何をどう返せばいいのか判別できない。まずは何を求めているのかを探らなければ。
「……お言葉ですがその質問は含意が広すぎます」
そうして慎重かつ素直に何を聞きたいのですかと逆に問いかける。
これで私を容疑者として取り調べようとしてくるなら非常事態。場合によっては隠し持っている計画書を破棄する必要まで出てくる。やっとここまで帰って来たというのにここで任務失敗からの投獄、処刑などまったくもって冗談ではない。
アコ行政官の返答次第で私の将来はまさに百八十度変わってしまう。
一体どう出てくる……?
「ご存じかと思いますが先日の停電騒ぎでゲヘナでも大規模な暴動が発生しまして。小規模な戦闘は慣れていたのですがあのように同時多発的かつ大規模な混乱に対するノウハウは不足していると実感したのです。それで委員長とも話し合いターニャさんに意見を聞いてみようかと。クーデターに関わった経験した感想やどう行動したかなどを聞かせていただけると助かるのですが」
それを聞いた私はほっと肩の力を抜いていた。
悪くない、むしろ穏当な要求で助かったと言っていい。
なるほど、クーデターといえば警察署や軍の基地、放送局に中央官庁など複数の重要地点を同時に制圧するもの。同時多発的に複数の事案が発生するという観点で見れば確かに停電を契機に発生した暴動と似通った部分もあると言える。
そしてこの要求からは二つのことが読み取れる。
一つは私がクーデターに関わったことを知りながらも風紀委員がそれを取り締まるつもりは無いらしいということ。
そしてもう一つは。
「……ヒナ委員長がこの件について話を聞きたいと?」
「その通りです。ゲヘナの風紀を守ることに関しては決して譲らない方ですから」
ヒナ委員長もまたこの件に関して承知しているらしい。それどころかアコ行政官を通して詳細を知りたいとまで伝えてきた。
つまりただ傍観で済ませるつもりは無く、私の報告から何かしらのフィードバックを得るつもりでいるのは間違いないだろう。つまり今後トリニティで起こる再度の混乱を見越して効率的に治安維持業務を遂行するための改善に向けて積極的に行動していると見るべきか。
だとすれば素直に今回得た知見を共有するのが一番のはず。
「そうですね……」
やはり部隊の運用とその問題点、目標設定の考え方についてだろうか。いや、治安維持が目的であるからには対処法を伝えるべきだろう。つまりどのように行動されれば厄介と感じるか、効率的な行動の妨げとなり得る要素は何かという点だ。
しかし人の嫌がることは率先してやりましょう、という戦場でのマナーを反面教師にしたいとはさすが勤勉さで広く知られている風紀委員だけのことはある。
「小官は今回クーデターを企図する側で参加いたしましたが治安維持部隊に対し事前に待機命令を発令し拘束しておく点が厄介と感じました。同時多発的な行動に加えて誤報や虚報を意図的に流すことは想定していましたが、正規の手段でその対処すら妨害された場合クーデターを阻止するのは非常に困難になるかと。また攻撃目標という点でも新体制側に付かないと目される人員を優先的に排除しスムーズに権力を掌握するという考え方は興味深いものがありました」
「──えっ」
しかし私が説明を始めた途端、何故かアコ行政官とイオリ先輩は呆気に取られた様子で互いの顔を見合わせる。
何やら戸惑っているようだが……さすがにメモを取る用意もできていない状況で一気に話すのは良くなかったかもしれない。ゼートゥーア閣下やルーデルドルフ閣下、レルゲン大佐のような上司ばかりだと話の要点を正確にまとめられる人間が希少だということをつい失念してしまう。
「待ってください、本当にクーデターに参加を!?」
そしてそこでアコ行政官が慌てたように口を挟む。一瞬その意図が分からずに困惑するが、その発言からして何に引っ掛かったのかは察せるもの。
参加した、という部分が気になったのだろう。
確かに計画策定を手伝うだけならまだしも直接それに参加して手助けしてしまえばゲヘナが加担したと証拠が残ってしまう。あくまでトリニティの内紛という形で丸く収めるには私が表に出ないに越したことはないはず。
しかしその点についても問題は無い。
「はい、先方から具体的な計画案を明かされた後小官の意見を求められまして、どう行動するのが効率的かということは指導いたしました。既にほとんどの計画はできており小官らはクーデターが終わってから関わるとのことでしたので内政干渉には当たらないと認識しております」
そう、ゲヘナが関わるのはクーデター側がナギサ会長を襲撃し政権を奪取した後。しかもナギサ体制下での腐敗を告発するというメディア戦略を中心としたもの。どこからどう見てもクーデターに直接関わるということはありえないのだ。
「で、ではブラックマーケットの武器店を利用したことについては!?」
「……先方が武器を購入するのに利用していたのと、警備の都合上その店舗で直接会う以外に接触するルートがありませんでしたので」
……これに関しては責められても言い訳ができないか。
今の私の見た目はイブキという少女やヒナ委員長とほとんど変わらない。彼女たちはマコト議長の庇護下、風紀委員長という明確な地位で知られているが一方の私はほぼ無名。この身なりで単身ブラックマーケットに乗り込めば風紀委員も心配するだろう。
帝国軍にいた頃は階級と参謀本部直属の立ち位置、銀翼突撃章の威光のおかげでそういった目で見られることは無かったのだが……。今後は心配をかけないよう意識して行動しなければ。
「詳細な報告書はこの後マコト議長に提出いたします。立ち話で済ませるのも申し訳ありませんし後でそちらをご覧ください。では小官はこれで」
そして気付けば駅のコンコースには十八時ちょうどになったことを知らせるチャイムが大音量で響き渡る。立ち話をしているうちに思ったより時間を使ってしまっていたらしい。
関係者から計画について尋ねられたとはいえマコト議長へ計画書を届ける任務中だということを忘れて談笑に夢中になるとは何たる失態。風紀委員が計画を承知していて積極的に関わろうとしているならばするべきは往来での立ち話ではなく書面でのきちんとした報告と根回しに決まっているというのに!
そして私は慌ただしく一礼をしてから急いで駅舎の外へ。目指すは万魔殿議事堂、議長室。
さあ、まずは仕事を終わらせなければ。
クーデターを通したこのすれ違いがやりたくてレッドウィンター送り扱いにしてました。