万魔殿の生徒を好意的に受け取る風紀委員はいない。
それは委員長たるヒナから末端の新人に至るまで風紀委員の総意とも言える事実であり、しかし客観的に見ればそれも当然と言える。
何しろ会計監査で校内新聞を掲示していなかった、ココアが常備されていなかったなどの些細な理由で予算を九割減らし、挙句の果てには廊下の荷物が片付いておらず万魔殿の生徒が転んだため来年度の予算をゼロにすると宣言した事実が紛れもなく存在するのだから。
幸いそれらはヒナが議事堂に乗り込み
マコトの命令もサボタージュすることが多々あったイロハすらそんな有様だったことを思えば、比較的風紀委員に対して理解があり協力的であるとはいえイロハ以上にマコトと密接につながっている素性の怪しい転入生が担当する監査など果たしてどうなることか。
そんな最大限の警戒と共に隣の席に座る小柄な姿を睨みつけていたイオリだったが、その眼差しは不意にバスの車内が明るくなったことで窓の外へと向けられた。
「……やっと終わったか」
直前まで日没時のように薄暗くなっていた窓の外は曇天と同じ程度には明るくなり、同時に窓や屋根から響いていたバシバシと小さく硬い物が当たる音も止んでいた。
それが意味するのは細かな砂粒が風に吹かれて巻き上がる自然現象、すなわち砂嵐が収まったということ。
まだ外は一面茶褐色の薄い幕に覆われているが、しばらくすれば砂嵐が来る前と同じように燦々と陽光が差し込んでくることだろう。
「しかし着いて早々バスに閉じ込められるとは思わなかったな。まったくついてない」
「いえ、何も無い平地で位置や方位を見失う、銃の機関部や通信機に砂が入り込む、食料や弾薬が埋もれるといった可能性を考えれば早期に安全な車内でやり過ごすことができたことは幸運だったと言えるかと」
そんな外の光景を見ながらポツリと呟いたイオリ。しかしそれに応えるようにむしろ幸運だったという声が隣の席から上がる。
怪訝に思いながらそちらへと視線を向ければ、そこには嫌なことを思い出したと言わんばかりにしかめ面でため息をつくターニャの姿があった。
「ずいぶん実感のこもった感想だな。もしかして砂嵐の中に入った経験でもあるのか?」
「はい、以前砂漠で半年ほど過ごしていた際に何度か。髪や服が砂まみれになっても入浴も洗濯もできず苦労したものです」
「そ、そうか……」
――砂漠に半年?
その言葉に首を傾げるが、しかしすぐにターニャの経歴を思い出して納得する。
何しろ今いるここは
砂嵐に遭遇したことがあるという話、ターニャの戦闘能力から考えればおそらくこの砂漠にあるカイザーPMCの基地にいたのだろう。つまりターニャにとっては古巣に帰って来たと言えるのかもしれないな――。
ぼんやりとそんなことを考えていたイオリ。しかし次の瞬間にふと何故そんな適任すぎる人材がちょうど都合よく今ここにいるということに疑問を覚える。
まさかマコトがターニャを送り込んできたのはその経歴があったからなのか?
……あり得そうな話だ。事態に対処できず混乱する風紀委員を見事に統率する万魔殿、如何にもマコトの好きそうなストーリーだし風紀委員の怠慢として予算削減の格好の口実にもなる。
今回は砂嵐の来たタイミングが降車する前だったから助かったが、もし前後にずれてターニャの助けを借りることになっていたら後々面倒なことになっていたに違いない。
その結論に至ったイオリはため息を飲み込みながら勢いよくバスを飛び降りた。
「チナツ、砂嵐も収まったしそろそろ動くぞ。早く片付けないと万魔殿がどんな難癖をつけてくるか分かったもんじゃない」
「……分かりました。こちらも偵察隊を出します、イオリは装備の確認と展開の準備を」
そして二号車の窓を連打し呼びかければチナツもイオリの懸念を正確に読み取って渋々といった様子ながらも迅速に動き出す。
監査と一口に言っても何が対象かは一切不明。戦闘中の部隊の動きを見るのか、便利屋と先生を確保する手際を見るのか。部隊を展開し行動に入るまでの時間を見る可能性もある。
だとすれば迅速な行動こそ重要であり、装備確認という出動の度に行っている基本動作は当然のように行われる――。
はずだった。
「ねえ弾帯の取り付け位置ってこうだっけ?」
「えっと待って……違う、規則だとこっちになってる」
「予備弾倉良し、グレネード良し、無線良し、簡易医療キット良し!」
「射撃に自信の無い生徒は後方だからね! 当たらない所なんて見せないでよ!」
しかし蓋を開けてみれば、広がっていたのは普段とはまるでかけ離れた混沌。
使い慣れているはずの装備をマニュアルと照らし合わせながら何度も確認し合い、実際の出動にもかかわらず発砲を控えるよう命令する声が飛び交う異常事態。
そんな様子にイオリもチナツも思わず困惑するが、当の生徒たちはといえば真剣そのもの。
「今まで何度も出動してるよな……? 今になってどういうことだ?」
「だって何を言われるか分からないじゃないですか。現場で動きやすいようにしているのが規則と違うって言われるかもしれませんし」
「下手に射撃が当たらないと訓練不足とか怠慢とか言われそうで……。」
これは一体どういうことか。そうイオリが問いかけてみれば返ってきたのはまさかの監査対策という言葉。
どんな些細な点だろうとわずかでもミスがあれば容赦なく指摘し、特にミスが無くとも無理やり何か言ってくるのが万魔殿。その認識を全員が共有していたからこそ監査で引っ掛かりそうな要素を少しでも減らそうと確認を徹底する流れが生じたのだろう。
その不安は十分に理解できる。何しろイオリ自身が前回の会計監査の現場でマコトの横暴を実際に目の当たりにしたのだから。
とはいえ本来なら迅速にすべき準備に手間取っているというのはさすがに想定外すぎる。
「まさか監査一つでここまでもたつくとは……。大丈夫でしょうか」
「いや全然大丈夫じゃないだろ。こんなに緊張しておいて本来の動きができるわけがない」
不安そうに呟いたチナツ、それを否定しながらイオリは盛大にため息をこぼす。
向こうのバスからは万魔殿の監査官がこちらを見ているというのに、まさか始まる前からこんな醜態を晒す羽目になるとは。
ヒナや自分であれば面倒と思いつつも適当に対処できるが、まさか一般の委員にそこまでやれと言うのも酷な話。
今後は万魔殿への対応についての座学を増やすべきだろうか。
そんな考えが頭をよぎるも今は悠長に万魔殿への接遇研修などする余裕などあるはずもなく、故にイオリは委員たちの緊張をほぐすべく声を張り上げた。
「心配するな、普段の訓練通りにやればいい。大きな失態を犯したりしなければこっちでフォローするしまた面倒なことになっても私たちがどうにかする!」
必要なのは不安を取り除くことであり、その不安とは失敗した際の責任に他ならない。
そして万魔殿の監査役が常に同行し自分の言動を見張ってくるという状況下でミスを完全に防ぐことは極めて困難。むしろ最初からその可能性は放棄した方が現実的ですらある。
ならばどうするべきか。
「いいか、ここはどこの自治区でもないし再開発予定の無人地帯だ、どれだけ派手に撃っても建物を壊しても問題無い! 発見次第迫撃砲をぶち込んでさっさと制圧するぞ!」
イオリが考えたのは交戦にかける時間を最小限にするというものだった。
如何に万魔殿でもミスを目撃できなければ文句は言えないはず。
幸い現場は無人地帯、そして建物を損壊させても気にする必要は無い。それなら便利屋の居場所を確認でき次第初手で最大火力を叩き込みミスをする前に作戦を終わらせるまでのこと。
そしてその方針は委員たちも納得できるものだったらしい。
張り詰めていた空気は一気に緩み、険しかった表情やぎこちなかった手つきも普段と同じようになっていくのがはっきりと見て取れる。
――よし、これなら大丈夫そうだ。
そんな安堵と共に確認を終えて待機すること一時間。
ついに状況が動く瞬間が訪れる。
「第五偵察小隊より報告、便利屋を発見! 四人で市街地の大通りを移動中!」
「情報だと今は傭兵を雇ってアビドスを襲撃しているってことだけど……。場所が違うし他に誰もいないならアジトに戻る途中か? よし、それならアジトに戻ったところを強襲する!」
情報を受けて即座に指示を出すイオリ。
それは便利屋がオフィスビルから倉庫、果ては公園の遊具と次々にアジトの場所を変更することを知っており、かつ面倒な相手だからこそ一箇所にいるところをまとめて叩くことが合理的という至極もっともな判断であることは間違いない。
だからこそイオリは万全の自信を持って、移動を開始した部隊を無表情で見つめているターニャを横目で眺めながら思うのだ。
絶対に万魔殿の思い通りにはさせないからなと――。
◆
どうも皆様ご機嫌よう、ターニャ・デグレチャフです。
唐突ですが皆様は監査という行為に対してどのような印象をお持ちでしょうか。
監査とは業務や成果物が遵守すべき法令や規則に則っているかどうかを審査するもの。
確かに厳しい目で見られることに抵抗はあるでしょうが、しかしそれは普段から規則通りに活動していれば何ら問題は無いと断言できます。
ましてや対象はかの名高い風紀委員会。
今回の目的が要人の捜索と保護という若干イレギュラーなものであったとしても基本的に問題を起こす可能性は低いと言えるでしょう。
仮に問題があったとしても取る対応は学校に戻ってから内容を書面にまとめて提出するだけ。
さらに付け加えるのであれば今回の私の任務はあくまで風紀委員の活動の様子を確認するものであって風紀委員と一緒に最前線へと飛び込む必要は無し。
つまり本来なら安全な後方で風紀委員の戦闘の様子を見学し何も問題ありませんでした、またはこんな問題がありましたと報告するだけの簡単で楽な仕事のはずだったのです。
それが、どうして。
「――どうしてこうなった!?」
混沌一色に染まった中で、私は心の底から全力でそう叫ぶ。
今がどのような状況なのかと聞かれれば最悪と言うより他にないのだから。
便利屋がアジトに入ったところへ迫撃砲を叩き込み混乱したところを一個中隊で包囲し確保するという作戦は私から見てもそれなりに妥当と思えるものだった。
しかし、しかしだ。
まさかよりによって迫撃砲で吹き飛ばしたその場所にシャーレの先生がいたなどとどうして予想できただろうか!
しかもその建物は立ち退き済みの廃墟ではなく営業中の店舗だったらしく、結果として民間人である店主も負傷させてしまうおまけ付き。せめてもの救いは先生、店主共に命に別条は無いという点だろう。
しかし先方にしてみれば自分たちの所を訪問中の重要人物と非戦闘員が唐突に襲撃を受けた以外の何物でもない。正当防衛も当然のものではあるのだが――。
だからといってまさか事態が風紀委員とアビドスの全面衝突にまで発展するとは。
「イオリ、攻撃を中止してください! この戦闘は行ってはいけません!」
「撃ち方やめ! 発砲中止だ! アビドスの方々もどうか落ち着いていただきたい!」
故に必死になってチナツ先輩と共に停戦を呼びかけるも事態が収束しそうな気配は皆無。むしろ風紀委員会、アビドスの双方共に攻撃の手は緩むどころか激しさを増す一方。
そして何より最悪なのがアビドスの生徒たちの奥に見える若い成人男性の存在だった。
年齢は二十代後半から三十代前半といったところか。黒いシャツに青いネクタイ、白いスーツという出で立ちは連邦生徒会の一員であることの証左。
教育実習生と言われても信じられるほど若いがあの人物こそシャーレの先生とやらで間違いないだろう。
つまり先生の発見、接触という第二目的は達成せしめたと言えなくもない。
――ただしその先生が遮蔽物の陰でタブレット端末を片手にアビドスの生徒たちの指揮を執っている、つまりゲヘナと完全に対立しているという致命的な状況を除けば。
「くそっ、被害を抑えるどころか拡大させ続けるとは連中正気か!? 何をしにここへ来たのかも忘れたか!」
このまま対立が続けば先生のゲヘナに対する印象が地に落ちるのは確実。最悪の場合はシャーレだけでなく連邦生徒会や他の学校からの信用も失い政治的、経済的に孤立という破滅への一本道が待っている。
関東軍の暴走を止められなかった結果世界から孤立し戦争へ突入する羽目になった日本の二の舞だけは絶対に、何としてでも防がなければ!
しかしいくら私がそう思っていても肝心の風紀委員が止まらないのではどうしようもなく、結果として情勢は悪化するばかり。
このままでは私まで監督不十分という名の責任を負わされてしまう。
休暇を取り消され仕事を押し付けられた挙句処分を受ける? 冗談ではない!
「……こうなっては仕方がないか」
これがライン戦線、南方大陸であれば友軍に任せることもできた。友軍がいなくとも頼れる部下がいれば指示一つで即座に意図を汲んで動いてくれた。
しかし現在この場所に何をするべきかをきちんと理解している者は私一人。
つまり私が無理やり戦闘を止めるしかない。
「主の栄光は天地に満ち、主の照らす御光に我身を委ねん」
私までアビドスを攻撃するのは論外だし当然身内である風紀委員を撃つわけにもいかない。かといって住民が退去済みのはずの地区に民間人がいたからには建物を撃つのも躊躇われる。
ならばどうするか。
甚だ不本意ではあるがこれ以外に選択肢が無いのだと強引に自分を納得させ苦渋の思いで魔力を胸元に下がる九五式へ。
そして湧き上がる多幸感と共に私の口は勝手に存在Xを称える呪いの言葉を紡ぎ出す。
「その御光は闇夜を照らす灯火、迷いし者に差し伸べられる導き」
そう高らかに謳い上げながら光学術式を起動。
本来ならデコイを複数出す程度の簡単な術式だが九五式を使い強引に魔力を注ぎ込むことで範囲を可能な限り拡張、前方二キロの空間座標へ点ではなく面での幻影を創り上げる。
……これが爆裂術式であれば気化爆弾と同じプロセスで広範囲を焼き払う凶悪極まりない代物になるのだがそれを光学術式程度に行うのは贅沢と笑うべきか、それともこんなことに面倒な手間をかけなければならないと嘆くべきか。
まったく、つくづく度し難い。
「主こそは我が光なれ、主の輝きよ永遠なれ!」
しかしそんな思いとは裏腹に魔力は順調に収束し、やがて術式は形となって顕現する。
戦場では数え切れないほど、大隊の人員募集でも何十回と光学術式を使ったがまさかこんな大物を作り出す日が来ようとは。
せめてもの救いは乱数回避をさせる必要も本物らしく立体的に見えるような作りも不要という点だろうか。ただ一面にぼんやりとした巨大な影を作るだけというのは大きさの割には比較的楽な方と言えなくもない。
――存在Xを讃える羽目になったのはまったくもって喜べないが。
そしてその光景に気付く生徒が増えるに連れて銃声は次第に聞こえなくなり代わりに聞こえ出すのは困惑と恐怖の囁き声。
「ちょっと、前見て! 前!」
「はぁ!? また!?」
「え、こっちに来る感じ? まずくない?」
「さっき通り過ぎたばかりなのに!」
いくつもの声が飛び交い、直前とは違った意味で一気に騒がしくなる現場。
それもそうだろう、そこには縦に一キロ、横に十キロの巨大な
「攻撃止め! 一時撤退、建物の中に入れ!」
「銃に防塵カバーをかけるのを忘れないで! 急いで!」
大規模な砂嵐が迫っている中で戦闘を継続しようとする人間はいない。視界がほぼ奪われるうえに風で舞い上がるほど細かい砂粒は銃の機関部へ容易に入り込み装弾や排莢に支障をきたす。それでなくともまっすぐ立つどころか普通に呼吸するだけでも大変だ。
ならば砂嵐が来ると思わせることができれば戦闘は一時中断するに違いない――。
そしてその読みは見事に的中しアビドス、風紀委員会の双方が銃を収めることに成功した。
ここからは銃さえ向けなければ穏便な対話ができるはず。
「失礼、今お話をすることはできますか? 先程は不幸な行き違いで衝突することになってしまいましたがこちらとしては本格的に事を構えるつもりはありません!」
「何言ってるの、そっちが先に撃って来たんでしょ! あと砂嵐が来ているから話はその後!」
「砂嵐ですか? こちらには来ないようですが」
「……えっ?」
そして話ができるなら相手を急かす必要も無い。呪いの言葉を吐く苦労をしてまで作った幻ではあるが不要になったからには迅速に消し去ってみせる。
しかし砂嵐がほんのわずかな間に消えたことに戸惑っているのか、ツインテールの髪型に猫耳を生やしたアビドスの生徒はポカンとした表情で固まったまま。
ふむ、これなら話しかけやすくて何よりだ。
「小官はゲヘナ学園、万魔殿のターニャ・デグレチャフと申します。今の状況について説明と謝罪をさせていただきたいのですがよろしいでしょうか?」
ゆっくりと銃を下ろし、敵意が無いことを示しながらそう呼び掛ける。
まずは頭を下げて説明したいと言えば大抵の人間は話を聞こうと思うもの。そして一度その流れを作ってしまえば必然的に戦闘は一時停止する。まして砂嵐で退避する流れになっているとなれば尚更だ。
これで最低限事態を鎮静化させ互いに和解できる状態にまで持って行けると良いのだが……。
そう考えながら口を開きかけたその時。
「――先ほどまでの愚行は私からも謝罪させていただきます」
不意に通信機からの声と共にホログラムで表示される一つの姿。
通信越しではあるものの頭を下げて見せたのはゲヘナ本校の風紀委員会本部で待機しているはずのアコ行政官だった。
なるほど、さすがは風紀委員会のナンバー二たる行政官を務めているだけはある。現場にいないにもかかわらず通信のみで状況を把握し即座に謝罪に動くとは驚異的な判断力と行動力だ。
しかも部下の行動を愚行と言ってのけることで今回の結果が風紀委員会の意図したものではない現場の独断だと言外に仄めかすことまでしてみせた。
「なっ、私は命令通りにやったんだけど!?」
そしてそれにイオリは噛み付くような勢いで反論するが……。
まったく、状況もまともに理解できないのか? ここで先生ごと攻撃したなど到底擁護できないに決まっているだろうに。
まして命令通りやりましたなど禁句中の禁句、風紀委員会が先生の謀殺を企んでいたと思われたらたまったものではない。
「命令にまずは無差別に発砲せよ、なんて言葉が含まれていましたか?」
「いや、必要な範囲で火力支援、その後に歩兵の投入……。戦術の基本通りにって」
「他の学園の自治区付近なのですからそこはきちんと注意するのが当然でしょう?」
まったくもってその通り。
民間人のいる市街地を事前通告もせず攻撃するなど戦時国際法にも批准していない連邦のような野蛮な連中のすることだ。
だからこそここはイオリを叱責してみせることで我々がそういった連中とは異なり理性的、文明的、話のできる相手であると示すことが重要となる。
そして事実上のトップが登場しそれをしたのならあとは全部任せて――。
「大変失礼しました、アビドスの皆さん。私たち風紀委員会はあくまで私たちの学園の校則に違反した方々の逮捕のために来ました」
……ん?
「あまり望ましくないこともありましたがまだ違法行為とは言い切れないでしょうし……。やむを得なかったということでご理解いただけますと――」
「異議あり!」
何故そうなる! 誤魔化しこそ絶対にしてはならない悪手だというのに!
確かに表向きは便利屋確保のために出動したため虚偽ではない、しかしその本当の目的は先生の確保。つまりこの後先生をゲヘナに連れて行かなければならないのだ。
しかし危害を加えておいてコラテラルダメージで済ませた挙句まともな説明もしないまま身柄を預かるなど論外、それこそゲヘナの評価を地に落とす自殺行為にしかならないではないか!
そう判断した私は咄嗟にアコ行政官の発言ヘと割り込み軌道修正を図る。
「失礼、今の発言は無かったことにしていただきたい。今回の責は明らかに我々にあり、また事前通告をせず戦闘に至った一連の行為は極めて重大な問題であると認識しております。校則違反者の確保と並び先生をゲヘナヘお招きしようとした結果このような事態となってしまったこと、万魔殿の一員として心から謝罪いたします」
「えっ、ちょっと!?」
アコ行政官が驚愕の表情で叫んでいるが泣きたいのはこちらの方だ。
現場を物理的に引っ搔き回した挙句ツィンメルマン並みの盛大な自爆未遂。この場は収められるとしてもその後に待っているのが破滅だとどうして分からない!?
救いがあるとすれば万魔殿が風紀委員会の上位組織であり、そして私が現在職務としての監査の最中だということか。
「では改めて、監査の結果今回の作戦においては看過できない重大な不手際があったと言わざるを得ません。よって現刻をもって即時戦闘の停止、及びアビドスからの退去を命じます」
監査である以上規則違反が悪質な場合には業務停止を命じられる権限がある。よってそれを即座に行使、強制的に風紀委員へ撤収を指示。
とはいえまだこちらが戦闘を停止するとの意思を示しただけ、アビドス側が納得できずに戦闘を継続しようとするのであれれば応戦するしかない。
頼むからこれ以上の面倒は起こさないでくれ――。
そう心から願いつつ先生の方へと視線を動かした時だった。
「……他の学園の自治区で委員会のメンバーを独断で運用しているから何事かと思えば、そういうことだったのね」
誰もが沈黙し静まり返った中で不意に響いた声。
聞き覚えのあるそれは紛れもなく――。
「い、委員長!? 一体いつから!?」
立ち並ぶ風紀委員をかき分けるようにして現れた一つの姿。
周囲と比べても小柄な背丈、ボリュームのある白髪、その背にある背丈と同程度の機関銃。それはどう見てもかつて対砲兵陣地戦を共にした風紀委員長、空崎ヒナその人だった。
その突然の登場にイオリ先輩が驚愕の叫び声を上げ、アコ行政官も通信機越しでも分かるほどにはっきりと表情を強張らせる。
そして当然ながら私も突然の登場に困惑を隠せない。
何故この場に彼女がいる? 確か出張中で不在だと聞いていたのだが。まさか出張先はアビドスだったのか?
「話は聞かせてもらった。要するに万魔殿のタヌキに押し付けられた政治的な活動の一環といったところね。……でも私たちは風紀委員であって生徒会じゃないのだけれど」
当然ながら私を含め周囲の疑問や困惑に反応することなくヒナ委員長はジロリとこちらを責めるような鋭い視線を向けてくる。
確かに風紀委員会の本来の職務と関係ない案件だと言われれば否定はしきれないが……。
とはいえ私も休暇中に突然呼び出され作戦に放り込まれた被害者、私に言われても反応に困るというのが正直なところ。
文句なら風紀委員と私の派遣を決定したマコト議長本人に言ってほしいものだ。
「……そのご意見は戻り次第担当者に申し伝えます」
しかしそのようなことを公言できるはずもなくビジネスメールの定型文のような返事で誤魔化すのが精一杯。
そしてそんな私を尻目にヒナ委員長はアビドス側へ向き直ると深々と頭を下げた。
「事前通達無しでの無断兵力運用、そして他校の自治区で騒ぎを起こしたこと。このことについては私、空崎ヒナよりゲヘナ風紀委員会の委員長として公式に謝罪する。今後ゲヘナの風紀委員会がここに無断で侵入することは無いと約束する。どうか許してほしい」
――やっと、か。
そのヒナ委員長の謝罪を聞こえたことで私はようやく肩の力を抜く。
風紀委員長としての公式な謝罪と再発防止の約束、それは確実に重要な説明を怠ったまま強引に事を勧めようとしたり監査で指摘されてから渋々謝罪したりといった見苦しい真似と比べて圧倒的に良い印象を与えられる。
これならシャーレとアビドスにも一応の納得はしてもらえるはずだ。完全な納得には至らないとしてもこちらが非を認めた以上さらに話がこじれる可能性は低い。
面倒を通り越して最悪に片足を突っ込みかけた時には肝を冷やしたがどうにか穏便に処理できたと判断していいだろう。
「うへ~、おじさんが昼寝していた間に一体何があったのさ~」
「昼寝ぇ!? ホシノ先輩、こんな時に何してるのよ!」
「ホシノ……? アビドスのホシノって、もしかして小鳥遊ホシノ?」
そしてこのタイミングでアビドス側に誰かが加わりそれにヒナ委員長が反応する。顔見知りでもいたのだろうか?
少しばかり気にはなったが個人の交友関係に外部の人間が首を突っ込むものでもあるまい。今は撤収のことだけに専念しよう。
そう判断して私はアビドスの生徒たちや先生と話し込んでいるヒナ委員長から撤収作業を行っている風紀委員へと視線を移す。
「……やれやれ、とんだ一日だったな」
改めて自覚する精神的、肉体的な疲労感からつい零れてしまう独り言。
まさか当初の楽観的な予想とは裏腹に九五式の行使に加えてこれほど神経を使う交渉をする羽目になるとは。しかもこれで一件落着というわけもなく帰ったら報告書の作成と風紀委員への指導、シャーレとアビドスへの謝罪回りもしなければならない。おまけに状況が分かるのが私一人だけのせいで残業も確定。
ああそうだ、今日無くなった分の休暇の取り直しができるかの確認もしなければ。
――まったく、私が心からゆっくりできる日が早く訪れてほしいものだ。
◆
「“――とりあえずこれで終わり、でいいのかな”」
風紀委員が立ち去り静けさを取り戻した市街地。瓦礫の散乱する光景を一瞥した「先生」は体中を襲う鈍い痛みに顔をしかめながら近くにあった瓦礫へと腰掛けた。
キヴォトスに住む人々と違って外から来た先生にとって破片の当たった位置や大きさが少しでも違っていれば重傷、最悪は死亡すらあり得た。それを思えば迫撃砲による爆破に巻き込まれながら店主共々軽い打撲程度で済んだのはほとんど奇跡と呼べる。
しかしそんな目に遭ったとしても先生の胸中はとても穏やかなものだった。
「“あれがゲヘナの風紀委員……。まるで嵐みたいだったなぁ”」
先ほどまでの光景を思い返す先生の顔に浮かんでいるのは柔らかい微笑み。
アビドスの生徒を指揮したことがあるからこそ分かる統率力と判断力。ゲヘナ以外でもその名が知れ渡っているだけあってその実力は確かなものだった。
そしてその実力だけでなくその後の謝罪も目の当たりにしたからこそあれが故意ではなく生徒が自分たちの職務を忠実に果たそうとした結果起きた不幸な事故だったと断言できる。
先生にとっては生徒たちの自主性と意思の尊重こそが最も優先されるべきもの、故に生徒たちが真剣にやったことを責めることなど到底できない。
だからこそ。
「“気にしすぎないよう後であのゲヘナの子に言っておかないと”」
チナツと一緒に万魔殿の生徒が事態を収拾しようと懸命に動いていたのは指揮をしている最中もはっきりと見えていた。そしてその生徒は戦闘が落ち着くや否や血相を変えて謝り、今回何故風紀委員が動いたのかという本来なら隠しているであろう内情まで明かしてみせた。
その時の慌てぶりからしてこの一件では間違いなく相当の責任を感じているはず。
だとすればこちらからフォローしてあげるのが必要だ。
そう決めた先生は表情を引き締めるとスーツの内ポケットから慣れた動作で煙草とマッチ、携帯灰皿を取り出して火を点す。
そして無言のままゆっくりと空に向けて紫煙を吐き出すこと数分。
「“……やっぱりシャーレに来てもらうのが一番かな?”」
悩んでいる生徒をどのようにフォローするか。
先生が思いついたのは彼女を正式にシャーレの部員に迎えるというものだった。
自分から責任を被って風紀委員の生徒たちを守ろうとする優しさと真面目さを持った子なら先生を傷付けてしまったことをかなり重荷に感じているはず、しかし負傷させられた本人が直接招いて大丈夫と伝えればきっと安心してもらえるだろう。
それに風紀委員の行政官のようにシャーレをよく知らない生徒たちに対しても友好的な組織だと思ってもらうこともできるかもしれない。
「“よし、シャーレに戻ったら訊いてみよう”」
「ん、周囲の安全は確認した。今なら問題無く帰れる」
そして揉み消した煙草を片付けた携帯灰皿を内ポケットに戻したところでタイミング良く周囲の確認に出ていた生徒が戻ってくる。
付近に脅威は無し、その報告を聞いた先生は改めて笑顔を浮かべて立ち上がった。
「“ありがとう、じゃあ行こうか”」
――でも今はここでの仕事を終わらせることが最優先だ。借金だけでなく風紀委員長からの情報提供があった件についての調査などやるべきことはまだまだ残っている。
さあ、頑張ろう。
◆
「……クックックッ!」
照明の点いていない薄暗い部屋で
「実に興味深い! 暁のホルスと同等かそれ以上、あれほどの神秘を持った生徒がまだ他にもいたとは! まさか今まで気付かなかったとは、これは怠慢と言われても致し方ありませんね」
今の膨大な神秘は何を為したことによるものなのか、それを為したのがどこの誰なのか。
何も分からない、しかし分からないこそ知りたいという欲求はその強さを増し続ける。
「タイミング的にもやはりシャーレの先生と何か関係があるのでしょうか……? これは話をするのが楽しみになりました。いつかお会いできるのを楽しみにしておりますよ、先生、そして我々の知らなかった新たなる神秘の持ち主――」
ターニャ視点だと絶対に風紀委員の言動に悲鳴上げてる。
ターニャにとって上位組織は絶対的なもの、対してゲヘナ含めほとんどの学園にとって連邦生徒会への信頼がほぼゼロなことによる差がひどい……。