これを機に泥沼の戦場から平和()な学園都市に来ていただけませんか中佐殿!?
銃が身近で神秘に満ちた少女はキヴォトスでも十分にやっていけると思うんですよ!
「ターニャ・デグレチャフ、入室いたします」
「入れ」
控えめなノックの音と共に聞こえた声。それに許可を出せば静かに扉が開きそこから小柄な姿が現れる。
緊張しているのか珍しくその表情は少しばかり強張っているように見えなくもない。
そしてその姿を見た瞬間に万魔殿議長、羽沼マコトが覚えたのは怒りや失望ではなく一抹の安堵だった。
──なんだ、こいつもこのような顔をすることがあるのか。
しかしそんなターニャでも失敗するのだという事実が彼女も決して理解できない怪物ではないということを改めて思い至らせる。
理解し難いとしても自分と同じ普通の生徒の一人であることに変わりない、それがどれほど安心できる材料となることか!
とはいえ命じた任務を達成できなかったことは事実。故にマコトは気持ちを切り替えて緩みそうになる表情を引き締めて敬礼をしているターニャへからかい半分の言葉をかけた。
「ご苦労、休んでいいぞ。しかし失敗するとは貴様にしては珍しいこともあったものだな?」
約三時間前、ターニャから電話を受けて真っ先にマコトの脳裏をよぎったのはトリニティに先を越されたという可能性だった。
政治的手腕に長けているナギサのことだ、マコトと同様にシャーレの先生を利用してトリニティの影響力拡大や権力強化を図ろうとするのは十分考えられる。
そもそもマコトがシャーレの先生と接触、確保しようと考えたのはティーパーティーがシャーレに関する報告書を手にしたという情報を得たから。つまりトリニティがゲヘナより先に動くことは十分にあり得る話。
だからこそ衝突する可能性を考慮し風紀委員を送り込んだ。言い換えれば先生の確保に失敗する可能性は最初から考慮済み。
何より初日のうちに作戦中止の判断をしたというのは先生の身柄が確保できる見込みが無いからと考えるのが自然というもの。
「申し訳ありません、小官は議長閣下より命じられました任務に失敗いたしました。小官が付いていながらこのような結果となってしまい──」
「気にするな、トリニティに先を越されたのは痛いと言えば痛いが致命的というわけでもない」
ターニャの謝罪を適当にあしらいつつマコトは椅子の背もたれに体を預けて目を閉じる。
さて、この後はどうするか。
身柄がトリニティにあるのなら接触は難しいだろう。せめて先生の考え方や行動パターンを観察したかったが……。まあそれはティーパーティー内の内通者からも入手可能、ここは焦らず静観に徹するしかあるまい。
それに先生をどう
──そう考えていたのだが。
「はい、いいえ議長閣下。お言葉ですが状況は想定よりも最悪です。至急方針の修正を──」
「元より失敗は織り込み済みだと言っただろう、この程度のこと大した失敗ではない」
「はい、いいえ議長閣下。ですが現状は想定の範疇を逸脱しており極めて危険な──」
「くどいぞ」
制止を無視し繰り返されるターニャの発言。それにマコトは次第に苛立ちを覚え始めていた。
──やはり失敗を過度に恐れる癖は抜けないか?
これまでが成功の連続だったから失念していたがアリウスでは失敗に対して暴力や絶食など体罰が頻繁に行われていたのは知っている。それはずっと続いた習慣のようなものであり、いくら気にするなと言ったところでその恐怖が簡単に抜けるはずも無し。
とはいえいい加減うるさいしこれは強制的に追い出した方がいいかもしれん。
ぼんやりとそんなことを考えていたマコト。
しかしその次の瞬間。
「違うのです、閣下! 小官は、いえ、ゲヘナはシャーレと武力衝突いたしました!」
「──何?」
ターニャから告げられた予想外の言葉。それにマコトは耳を疑う。
シャーレと武力衝突? 丁重にゲヘナに招き協力を仰ぐのが目的だったというのにどうしてそうなった?
そして同時に理解する。
確かにこれは想定の範疇を逸脱した、至急方針の修正が必要な事態だと。
しかし方針を修正するにも情報が圧倒的に不足している。故にマコトは姿勢を正すとターニャに改めて続きを促した。
「第一目標であった便利屋を発見、攻撃を行ったところ当該地点に先生も同席しており不可避的に戦闘へ巻き込む形となりました。結果としてシャーレと全面的に衝突、先方に大きな損害を与えることなく停戦には至りましたが協力を得るのは実質的に不可能でしょう。最悪の場合連邦生徒会との衝突も想定しなければなりません」
「ふむ……、それでその先生はどうなった?」
──なかなか面倒なことになったな。
ターニャの報告を聞いて思い切り舌打ちをしながらマコトは考え込む。
先生はキヴォトスの外から来た。つまりその肉体は脆弱でありごく普通の銃弾一発で容易に重体になりかねない。そしてもしそうならなくともトリニティのことだ、嬉々としてこちらを非難する材料にしてくるのが目に見えている。
できる限り弱みは作りたくない、せめて先生が軽傷であればいいのだが。
「はっ、停戦後はこちらの謝罪を受け入れてアビドスの方と一緒に退去されました。その際の動きや会話も明瞭であり負傷されたとしても軽傷で済んでいるかと」
「謝罪を受け入れた、か……。なら大丈夫だろう」
そして幸いにもその願いは通じたらしい。
おそらく軽傷で済んでいる、そして謝罪を受け入れたという点から推察するにこの後問題を蒸し返して騒ぐことは考えにくい。
だとすればこちらの交渉次第でどうにかできる公算があるはず。
「確かにこの件でゲヘナに良い感情は抱かれないかもしれないが所詮
そう告げるマコトの内心は一転して喜色で占められていた。
絶大な権限を持つ組織と衝突し協力が得られないというのは確かに痛い。しかし逆に言えばその程度でしかない。
連邦生徒会長が行方不明の現状ではそもそもの連邦生徒会の影響力も低下している。多少の印象悪化程度なら無視できる範疇だ。
それでも何かで責任を取る必要があるならそれこそ今言った通りの処分をすればいい。
──
「失礼ですが閣下、今何と?」
「役職の辞任も含めあらゆる処分も視野に入れておく。ターニャ・デグレチャフ、貴様は何も心配する必要は無い。安心しろ。今は……そうだな、風紀委員の連中に作戦中の適切な行動とは何かの指導でもしてやるといい」
「はっ、了解いたしました! 全力で取り組ませていただきます!」
笑いが止まらないとはこのことだ。
まさか風紀委員側から勝手に弱みを作ってくれるとは! しかも万魔殿側は全く痛くない。
命じたのはあくまで監査、風紀委員の行動を指揮するどころか口出しすることも無い立場であり失態を犯したことへの指導という口実で堂々と介入することもできる。
治療費や慰謝料は当然風紀委員の予算から出してやろう。文句を言ってきたなら責任の所在を盾にしてヒナやアコを解任することも実現可能。
まったく、考えるだけでも実に愉快ではないか!
そして素晴らしいことにターニャはそれを後押ししてくれる気らしくさらに一つの要求を出してきた。
「それと閣下、お許しいただけるのであれば小官はこの後改めて謝罪をしに先生の所へ赴きたいと考えているのですが」
その提案を聞いたマコトは小さく口元を歪めて嗤う。
一度許されたのなら同じ生徒が再び現れたとてそこまで強い拒否はされないだろう。そこで誠心誠意謝罪し責任者に罰を下したことを伝えれば改めてシャーレとの関係を構築することも不可能ではあるまい。
──ふむ、悪くない。
「よし、許可する。改めてゲヘナとの良い関係を築けるよう最大限に取り計らえ」
見ているがいい、最後に立っているのはこのゲヘナ、万魔殿だ。
◆
失敗を報告するというのは憂鬱なものです。
もちろん組織としては同じミスの予防や経験を踏まえての改善などPDCAサイクルを回すために報告連絡相談の徹底が必要不可欠であることは承知しています。
失敗の原因と今後の対策を報告する、その手間自体が一つの責任を取るという行為であり、それでも釣り合いが取れない場合には減俸や停職、辞職など状況に応じて責任の取り方も重くなることは周知の事実。
そして今回の件は単なる連絡ミスや手順違いといった軽いものではなく決まっていた方針を根底からひっくり返しかねない、学校全体に影響が及ぶ極めて重大なもの。当然その規模に見合うだけの責任もセットで付いてきます。
──それがたとえ私個人に直接の責任が無いとしても。
どうも皆様、万魔殿の議事堂からご機嫌よう。ターニャ・デグレチャフです。
現在私は議長室の扉の前で深呼吸をしている真っ最中。
シャーレとの交渉の失敗、その詳細な状況の説明と今後の方針の修正などをするためにこうして帰還草々されたくもない叱責を受けに上司の元を訪ねております。
「ターニャ・デグレチャフ、入室いたします」
「入れ」
しかしいくら嫌でもこのままこうして外に居続けるわけにもいかず。
故に仕方なく覚悟を決めて入室すれば、目に入ったのは意外にものんびりした様子で何やら書類を眺めているマコト議長の姿。
そしてマコト議長はそのまま視線を上げてこちらを見ると何故か口元に笑みを浮かべ。
「ご苦労、休んでいいぞ。しかし失敗するとは貴様にしては珍しいこともあったものだな?」
どこか面白そうにそう問いかけてきた。
その姿からは怒りや失望といったマイナス的な感情は読み取れない。しかしだからといって気を抜くのは早すぎる。
いくら原因が確認不足という単純極まりないヒューマンエラーだろうと実行者の所属が違う組織だろうと、私が風紀委員の行動を見張る立場にあり行動を制限する権限を持っていた以上どうしても監督責任というものは生じるもの。
マコト議長本人に責めるつもりが無いとしても処分が言い渡される可能性は十分にあるどころかほぼ確実と言えるだろう。
そして責任を下に押し付けて上の立場の人間が逃げるなど悪手中の悪手。そう確信しているからこそ私は不満を飲み込み責任の一端が自分にあると頭を下げる。
「申し訳ありません、小官は議長閣下より命じられました任務に失敗いたしました。小官が付いていながらこのような結果となってしまい──」
「気にするな、トリニティに先を越されたのは痛いと言えば痛いが致命的というわけでもない」
しかしマコト議長が放ったのはこちらが予想もしていなかった言葉だった。
トリニティ? 確かに事前のブリーフィングでは衝突する可能性があり風紀委員を動かしたのもそれを念頭に置いたものとは聞かされていた。しかし今回は何ら関係無いはずだが……。
そう考えたところで私はマコト議長が一つ勘違いをしているであろうことに気付く。
私が電話で報告したのは失敗したため帰還するとの結果のみ。トリニティを最大のリスクとして想定していたなら失敗の要因がそれだと早合点するのは決しておかしなことではない。
とはいえ実際の状況はトリニティに先を越されたどころの話ではなくよりにもよってシャーレ、つまり連邦生徒会との全面衝突。
当初の許容可能な範囲など完全に超えておりこのままでは取り返しのつかない事態が待っているのは目に見えている。
だからこそ私はマコト議長の勘違いを解こうと慌てて口を開く。
「はい、いいえ議長閣下。お言葉ですが状況は想定よりも最悪です。至急方針の修正を──」
「元より失敗は織り込み済みだと言っただろう、この程度のこと大した失敗ではない」
「はい、いいえ議長閣下。ですが現状は想定の範疇を逸脱しており極めて危険な──」
「くどいぞ」
しかし状況は私が説明をしようと試みる度に悪くなる一方だった。
下手な言い訳をすると思われたのか言葉は遮られ、それどころか私の発言が疎ましくなってきたのかマコト議長の表情と声色は次第に険しさを増していく。
そしてそれを見て脳裏に蘇るのは共和国軍残党が逃げようとしていることを知った時の苦々しい記憶。
あの時は必死に現状を訴え解決策を提示しても理解を得られるどころか狂人扱いされ終戦という誰もが待ち望んだ結末が崩れ去る瞬間をただ見ていることしかできなかった。
現状の誤認、甘い見通し、対応の遅れ、誤った対応。それらがもたらす結果、その最悪の事例を知っている身にしてみれば目の前の光景はまさに悪夢の再来に他ならない。
あれと同じ過ちだけは何としてでも防がなければ!
「違うのです、閣下!」
あの時もただ危機を煽るだけでは駄目だった。
結局参謀本部を振り向かせたのは戦争が終わらないという現実であり、言い換えれば思い込みに嵌まり込んだ人間の目を覚まさせるには現実を突き付けるしかない。
「小官は、いえ、ゲヘナはシャーレと武力衝突いたしました!」
「──何?」
だからこそ私は一切躊躇することなく最悪極まりない現実を叩き付ける。
内容は簡潔に、誤解の余地無く、与える衝撃は最大限に。
せっかく得た安定した生活を失い泥沼の戦乱の日々に戻るなど繰り返してなるものか。何としてでもマコト議長には現状を正しく認識し適切な手を打ってもらわなければ。
そしてそんな私の願いは無事に通じたらしい。
「どういうことだ、説明しろ」
「第一目標であった便利屋を発見、攻撃を行ったところ当該地点に先生も同席しており不可避的に戦闘へ巻き込む形となりました。結果としてシャーレと全面的に衝突、先方に大きな損害を与えることなく停戦には至りましたが協力を得るのは実質的に不可能でしょう。最悪の場合連邦生徒会との衝突も想定しなければなりません」
「ふむ……、それでその先生はどうなった?」
勢いよく体を起こすとこちらを睨み付け矢継ぎ早に問いただしてくるマコト議長。
その姿には先ほどまでの慢心や耳を傾けようとしない姿勢はもう感じられず、そしてそれを見て覚えるのは心からの安堵。
──良かった、今回はきちんと聞いてもらえそうだ。
端から何も問題無いと思い込みまともに取り合ってもらえなかったあの時と比べれば私の言葉に反応してくれるだけでなんとありがたいことか!
「停戦後はこちらの謝罪を受け入れてアビドスの方と一緒に退去されました。その際の動きや会話も明瞭であり負傷されたとしても軽傷で済んでいるかと」
「謝罪を受け入れた、か……。なら大丈夫だろう」
しかしたった今抱いたはずの安堵と信頼はマコト議長が続けて発した言葉によってあっという間に不安へと変わっていく。
大丈夫とはどういう意味だろうか? まさか一度謝ったならもうそれで終わりとでも言うつもりなのか?
……いや、万魔殿のトップに立つ人間に限ってそんなことは無いはずだ。
そんな不安と共にじっと次の言葉を待つこと十数秒。
再び椅子の背もたれへと寄りかかったマコト議長は視線を天井に向け、ため息と共にゆっくりと口を開いた。
「確かにこの件でゲヘナに良い感情は抱かれないかもしれないが所詮
「──失礼ですが閣下、今何と?」
減俸、停職、辞職?
確かに重い処分が下されるだろうとは思っていたしそれを命じられればおとなしく従うつもりでいた、しかし免職はさすがに想定外すぎる!
いや、外局とはいえ政府機関のトップを誤って襲撃したともなれば実行者だけでなくそれを監督する人間にも責任が波及するのは当然といえば当然ではあるのだが……。だからといってまさか私がそれを言い渡される立場になるとどうして予想できただろうか。
平穏な生活、安全で安定した仕事のためにこれまで困難な交渉をまとめるなど散々苦労し功績を稼いできたというのに!
こういう時ばかりは連帯責任という言葉が憎らしく思えてくる。
ああくそったれ、せめて懲戒免職ではなく退職勧告だといいのだが……。
そう絶望しつつ思わずため息をこぼしかけた瞬間だった。
「役職の辞任も含めあらゆる処分も視野に入れておく。ターニャ・デグレチャフ、貴様は何も心配する必要は無い。安心しろ」
不意に耳へ飛び込んできた一言はまさに福音だった。
状況を正しく理解したうえで改めて私は何も心配する必要は無いとの言質を得る、それに今まで抱いていた不安や絶望などのマイナス感情が一気に和らぐのがひしひしと感じられる。
しかし同時に思ったのはならば一体誰がその責を負うのか、という点。
責任があるとすれば指揮を取っていたアコ行政官と現場で攻撃命令を下したイオリ先輩、攻撃を実行した委員たちだろうか?
そしてその推察は続いて発せられたマコト議長の言葉によって確信へと変わる。
「今は……そうだな、風紀委員の連中に作戦中の適切な行動とは何かの指導でもしてやるといい」
風紀委員への行政指導、これはもはや疑いようが無い。
治安維持のため日々奮闘する様は有名だっただけに信頼できる組織だと思っていたが……。それがこのような結果になるとは、偶然とは恐ろしいものだ。
しかしそれをただ不運やただのミスと甘く見ることが危険極まりないことは明白。
一度失いかけたシャーレからの信頼を取り戻すためにもここは二度と同じミスを犯さないように鍛えていかなければ。
そう内心で固く誓い、私はマコト議長へ心からの答礼を返す。
「はっ、了解いたしました! 全力で取り組ませていただきます!」
とはいえこれで問題が全て片付いたわけではない。
訓練と教育を施してより完璧に近づけることは十分に可能だろう、しかしそれを成し遂げるには最低でも数週間はかかると予想できる。
二〇三大隊の人員選抜時のようになりふり構わずあらゆる手段を用いることができれば短く抑えられるかもしれないが、それでも一連の指導が終わるまで肝心のシャーレを放置するのはさすがに失礼すぎる。
責任を取って担当者には処分を行いました、残りの人員には再教育を行いますと知らせなければ今後の改善に向かう意欲があると分かってはもらえまい。
つまり。
「それと閣下、お許しいただけるのであれば小官はこの後改めて謝罪をしに先生の所へ赴きたいと考えているのですが」
先生と接触するため、それと攻撃してしまったアビドスや爆破してしまった店舗の方へ謝罪するためにも再びアビドス自治区へ向かうことは確定事項。
そのためにも菓子折りの購入や慰謝料の捻出のためにも会計との交渉は早めに済ませたい。
そう考えて口添えをいただけませんか、との期待を込めて問いかけてみれば──。
「よし、許可する。改めてゲヘナとの良い関係を築けるよう最大限に取り計らえ」
返ってきたのは実に満足そうなマコト議長の笑顔。
うむ、先の条件に加えて迅速な意思疎通ができるとはまさに素晴らしい上司に恵まれたものだ。
さあ、ゲヘナと私の未来のためにも頑張らねば!