風紀委員にとってこの二日間はまさに最悪と言っていい状況だった。
第一に一個大隊という規模を動員したにもかかわらず便利屋の確保に失敗した点。
それだけの人員を動かしながら目標には逃げられた、その醜聞が広まれば風紀委員は大したことないと思われ今まで以上に事件が起きることは十分考えられる。
第二にシャーレの先生と接触するという目的が成功どころか攻撃に巻き込んで負傷させるという想定とは正反対、最悪の結果となってしまった点。
相手は正式な連邦生徒会の組織、しかもあの連邦生徒会長が直々に招聘した人物。チナツが言うには温厚な性格だというが、それでも自身が命の危機に晒されたとあっては報復措置をしてきたとしてもおかしくない。
そして第三に万魔殿が介入してくる格好の口実を作ってしまった点。
万魔殿の生徒が同行中、しかも監査をしている最中に大失態を犯したとなれば嬉々としてマコトが嫌がらせをしてくるであろうことは目に見えている。
それらに対する不安からか行政官であるアコも不機嫌なままで風紀委員会本部ビル内の雰囲気は重く張り詰めたものになっていた。
「……まったく、面倒なことになったなぁ」
そしてそんな険悪な雰囲気から逃げるように倉庫で銃弾と手榴弾の補給をしながら、銀鏡イオリはため息と共に独り言を零していた。
万魔殿から政治的な案件が押し付けられたと聞いた時に嫌な予感はしていたがまさかこんな事態になるとは想定外もいいところ。
監査だけでも十分面倒だったというのに状況は落ち着くどころか悪化の一途を辿るばかり。これがどれだけ余計な仕事を作り本来の業務を圧迫するか考えただけでも頭が痛い。
何しろイオリはつい一時間前に直接万魔殿からの面倒事を受け取ったばかりなのだから。
「万魔殿としては今回の事態を非常に重く受け止めており、今後万魔殿の命令による業務の際には万魔殿の人間が随行、監督することを決定いたしました。詳しくは後日書面にて通知いたしますが担当者の指示に従ったうえでの行動を徹底していただくようお願いいたします。それとアコ行政官ですが適切な報告の必要性についてと責任者としての自覚についてのコンプライアンス研修を行う事になりましたので必ずお伝えください」
脳裏に浮かぶのは淡々とそう告げてきたターニャの姿。
通告の内容には正当性があるためどちらにせよ呑むしかなかったのだが、こちらがそれを呑むと信じて疑わない傲慢とすら言える態度はまさにカイザーグループの社員の振る舞いそのもの。
そんな姿を目の当たりにしたこともありイオリの中でターニャはカイザーPMC内で相当高い地位にいたのだろうという予想は確信へと変わりつつあった。
しかし。
「問題は万魔殿がカイザーと手を組んで何を企んでいるかなんだけど……」
それだけ優秀な人材だからこそ、それがゲヘナで何をしているのかが分からない。
何か関係があるとすればアビドス周辺の土地の所有者がカイザーになっていたことだろうか?
出動した際は何も疑問に思わなかったが思い返してみればおかしな話だ。普通に考えれば学園が自身の持つ自治権を放棄するなどありえないのだから。
「まさか冗談じゃなく本気でキヴォトス征服に動き出した……? いや、でも土地自体は三年以上前から売買があったし……。雷帝だっけ? そいつがいた頃から進んでいたのか?」
ゲヘナ単独では不可能でもキヴォトス全域に絶大な影響力を持つ巨大企業と手を組めば可能かもしれない。基本的に何も考えず勢いで行動しているマコトのことだ、そんな思い付きで行動するということは十分考えられる。
しかしそれだとどう考えてもマコトやヒナが入学するより前から動き出していなければ時系列が合わない。
もっとも今進められているエデン条約も二年以上前から進められていた計画である以上、万魔殿が同じように時間をかけて動いていたとしても不自然ではないのだが……。今度委員長にあった時に確認しておいた方がいいかもしれない。
そう考えていた時だった。
「──えっ、もうこんな時間か!?」
ふと聞こえてきたメロディ。それが自身の携帯電話の着信音だと気付き慌てて鞄の中からそれを取り出せば、画面に表示された時刻は思っていたよりもかなり進んでいた。
これだけ経っていたなら心配されるのも当然、急いで準備を終わらせないと──。
ごく自然にそう判断したイオリは深く考えることなく電話に出る。
そして一切身構えていなかったからこそ、イオリは電話口の向こう側から告げられた内容をすぐに理解することができなかった。
「……は? シャーレの先生が?」
「はい、風紀委員の協力を得たいということでヒナ委員長への面会を求めています。ただ先日あのような事件があったばかりなので通していいかが分からず………。どうしますか? 今はロビーでお待ちいただいていますが」
それを聞いて真っ先に覚えたのは面倒くさいという感想。
あんなことがあってからまだそれほど日も経っていないのにゲヘナに姿を見せ、しかも風紀委員に協力を仰いでくる。
明らかに何か面倒な事が起きているとしか思えない。
可能であれば断固として断りたい、しかし会ったとしてどうするべきか。謝罪したとはいえ負傷させた相手と顔を合わるのはさすがに気まずいというレベルではない。ヒナにしてもそう会いたい相手ではないはずだ。
それにヒナが多忙であることは周知の事実。ヒナ以外では対処が難しい不良生徒の鎮圧案件ならまだしも用件も分からない面会で呼び出すのは恐れ多い。
どうにか穏便に諦めて帰ってもらえればありがたいのだが。
「……向こうの機嫌を損ねない程度に無茶振りでもしてみるか?」
そして熟考の末にイオリが思いついたのは無理難題を吹っ掛けるというものだった。
拒否するようなら追い返し、諦めずに別の選択肢を求めて交渉してくるようなら話を聞いてヒナに繋げるかを判断する。
これなら先生がどれだけ本気なのかもはっきり分かってまさに完璧。
そんな自身の判断と閃きに対する優越感を抱きつつイオリはロビーへと足を踏み入れ、深呼吸をしてからソファに腰かけている人影へと向かい合う。
「久しぶり……というには少し早いな。先生、体調は大丈夫か?」
「“軽い打撲程度で何も問題無いよ。心配してくれてありがとう”」
そう穏やかに微笑む表情からは確かに苦痛は読み取れない。軽い打撲程で済んだというのは事実らしいということにほっと安堵する。
しかし今重要なのは先生が何を求めに来たか、そして先生は信用できるのかだ。
故にイオリは早々に話題を本題へと切り替え──。
「ところで委員長に会いたいって話だったけど何の用なんだ?」
「“……実はアビドスにあるカイザーPMCの基地を攻撃するのを手伝ってもらいたいんだ”」
告げられた内容に絶句した。
カイザーPMCの基地を攻撃? あまりに突拍子が無さすぎる、何がどうなったらそんな非常識なことを思いつく?
ましてPMCが相手となればそれこそ戦車や戦闘ヘリまで出てくるはず、そんな所へ突っ込むなど一体何を考えているのか。
「……自分で何を言ってるか分かってるのか!? カイザーグループの施設を襲うなんで正気でも普通考えないし、そもそも私たちは風紀を守る側の組織だぞ? そんな用件でゲヘナの風紀委員長にそんな簡単に会えると本気で思ってるのか?」
「“……やっぱり難しい?”」
その問いかけは依頼の内容についてか、それともヒナに会えるかというものか。
しかしどちらにせよメリットも提示せずそんな非常識なことを依頼してくるような相手にヒナを会わせるなど論外。
即座にそう判断したイオリは躊躇すること無く先生を追い返そうと決心し。
「そりゃ毎日深夜まで仕事が終わらないくらいには忙しいからな。それを仕事中に呼んで、しかも無茶なお願いを聞いてほしいっていうならどれくらい本気なのか態度で示してもらわないと。そうだな、例えば土下座して私の足でも舐めたなら──」
勢いよくソファへ腰を下ろし、敢えて煽るように条件を提示する。
ドアインザフェイス。最初に相手が断るような大きな要求を提示し、それが拒否された後に本命である小さな要求を受け入れてもらいやすくする心理テクニック。
イオリが使ったのはそれに準ずるもの。普通に考えれば決してしないであろう行為。これに激昂するか、それとも諦めないか。どちらを選択するかによってその本気度を把握し、それに合わせて対応する。
──はずだった。
「“……分かった”」
「え?」
これは一体どうなっているのか。
ゆっくりと、目の前に跪いた先生が今まで履いていたブーツと靴下を丁寧に脱がす。
外気に晒され感じる冷たさ、しかし土踏まずから踵にかけて感じるのはしっかりとした体温。
そして理解できないまま見つめる先でそのつま先は控えめに開いた先生の口腔へと吸い込まれ、代わって感じるのは生温かく、かつ湿り気のあるものが動き回る感触──。
「ひゃんっ!?」
思わずそんな声を漏らしてしまったのも致し方ないだろう。
それほどその感触はおぞましく気持ち悪いものだった。
「ちょっ、何して!? 大人としてのプライドとか人としての迷いとか無いのか!?」
「“そんなものは無い!”」
──まさか最初の要求をそのまま素直に呑むやつがあるか!?
内心でそうパニックになるイオリ。しかし必死の抗議を先生は力強く拒否し、曇りの無い純粋な眼差しでつま先を咥えたまま。
確かに煽ったのは自分だ、しかしだからといってまさかそれを本気でやるとどうして想像できただろうか。こんなところをもし他の誰かに見られでもしたら社会的にもアウトすぎる、誰か来る前にどうにか止めないと!
しかし最悪とは最も起きてほしくない時に起きるもの。
「おかしい! へンタイ! 歪んでる!」
「──なんだか楽しそうね」
不意に背後から聞こえてきた聞き覚えのある声。それを認識した瞬間、ピタリとイオリは全身の動きを止める。
恐る恐るぎこちない動作で振り返れば、そこにいたのは予想通り風紀委員の中でも特に小柄かつ最も恐れられている委員長、空崎ヒナその人。
ちょうどタイミング良く仕事が片付いたのだろうが、今一番来てほしくなかった相手だった。
「委員長!?」
「自分の望みのために膝を突く姿ならこれまで何度も見てきた。でも生徒のために跪く先生を見たのは初めて。顔を上げてちょうだい、先生。言ってみて、私に何をしてほしいの?」
イオリの背後という死角にいるせいでヒナからは何が行われているか見えないのだろう。だからこそ一般常識に従って跪いているだけだと思っている。
その勘違いは普段なら微笑ましいと言えるかもしれない。
しかし今のイオリにとっては切実に助けを求める以外の選択肢は存在しなかった。
「いや、その、委員長。これは跪いてるんじゃなくて、その、足を舐め……」
「“
「え? 何を言って……、え、あ、えぇ……!?」
そして遅ればせながら実際は何が起きているのかヒナが気付いたことで周囲には重苦しい沈黙と気まずい雰囲気が漂い出す。
そしてその沈黙に耐え切れず真っ先に動いたのはイオリだった。
「いいからさっさと放せ! 大体カイザーに用があるなら私たちよりも適任のやつがいるんだからそっちに話を持っていけよ!」
一体いつまで咥えているのか、いい加減気持ち悪いから止めてほしい──。そんな生理的な嫌悪感は率直な感想として口から飛び出る。
そういうことは今回の元凶にやってくれ、という責任転嫁と共に。
「“適任?”」
「そうだよ! 砂漠に慣れてるカイザー出身のやつがいるんだよ、万魔殿に!」
◆
上に立つ立場の人物に目を付けてもらえるというのは光栄なことです。
その理由が不祥事によるものであれば論外ですが、そうでないなら活躍が正当に評価され印象に残ったことを示すものなのですから。
そしてその手腕を買われ活躍を要請されたのならまさに完璧。成功と出世を約束されたエリートコースの入り口に立ったと言えるでしょう。
どうも皆様ご機嫌よう、ターニャ・デグレチャフです。
現在私はその上の立場にいる人物に手腕を買われスカウトを受けている真っ最中。本来であれば実に喜ぶべき展開と言えます。
──ただしその内容と、それを持って来た人物が問題なのですが。
「……失礼ですが先生、今何と?」
「“カイザーPMCの基地を攻撃するのを手伝ってもらいたいんだけれど、どうかな?”」
穏やかに微笑みながら、何事もなかったかのように先ほどと同じことを繰り返す先生。
そしてそれを聞いた私は勘違いではなかったことに絶望して天を仰ぐ。
かつてゼートゥーア閣下に魔導大隊構想を提案した時は自分には関係無いだろうという安心感があった。結果的に叶わなかったとしてもあの瞬間は希望があった。
しかし今回はどうだ。
いきなり初手から民間軍事会社の基地を攻撃する、それを喜んで了承などできるはずが無い。何が悲しくて砂漠にある機甲、航空戦力を抱えた敵基地を攻撃するなどという南方大陸で散々やった真似を再びしなければならないのか。
道理で案内してきたイオリ先輩も先生にゴミを見るような険しい視線を向けていたわけだ。これを聞かされれば誰だって正気を疑って当然だろう。
「そもそもですが何故小官に? そういった案件は風紀委員の方が適任だと思うのですが」
「“最初はそっちに行ったんだけど君の方にも話をしておくべきと言われてね。砂漠に慣れていることと、それとカイザーと縁があるからと”」
はて? 砂漠はまだいいにしてもここでカイザーと私がつながる意味がよく分からない。万魔殿としては多少取引があるかもしれないがそれなら呼ぶべきは会計担当者だろう。
確か編入する際の履歴書にはカイザーの訓練校出身と書いた覚えもあるが、しかし記録上の出身がそうだからといって縁があると言うには弱いはず。
本当に何故呼ばれたのだ?
そんな困惑による沈黙に説明が足りないと感じたのか先生は鞄の中から取り出したタブレットに一枚の写真を表示しテーブルの上へ。それを覗き込めば、写っていたのは黒いスーツに身を包んだ大柄なオートマタ。
「“彼のことは知っているかな? カイザーPMC、
そこで言葉を切ってまっすぐにこちらを見つめてくる先生。そして今の発言を聞いた私は確かに私の所へ話が来るわけだと納得し、先生に対する内心の評価を改めた。
何しろトリニティでエデン条約の調印式会場である通功の古聖堂の修復工事をしている業者こそカイザーコンストラクション。その理事に何かあって工事に影響が出たならばトリニティとの外交問題に発展しかねない。
私がエデン条約の交渉を担当していたと知ったうえでトリニティに連絡できるよう示唆しに来たのだとすれば、先生が役職や交友関係を把握しての適切な根回しができる優秀な人物であることは間違いないと言える。
しかしそれだけに今回の依頼内容は不可解すぎる。先生は一体何を考えている?
「……はい、いいえ。小官が話したことがあるのはせいぜい現場担当者までですので直接の関わりはありません。ですが世話になっているかと聞かれればその通りであります。今の話から察するにこの理事がグループ全体に影響が出る規模の何かを起こした、あるいは起こそうとしているということでしょうか」
民間軍事会社の基地を攻撃するというリスクを承知で動こうとしている、つまりそれだけ緊急性の高い重大な案件が起きているのだろう。
カイザーPMC、カイザーコンストラクション、カイザーローン三社の理事と紹介してきたことは他のグループ企業にも飛び火しかねないことを示唆しているのかもしれない。
まずはそれを確認しなければ。
そしてその問いかけに対し先生は何故か私の顔をじっと見つめ、深く息を吐いてから気まずげな様子で口を開いた。
「“少し込み入った話になるんだけれどアビドスの借金はカイザーが土地とアビドスの生徒を手に入れるため仕掛けた罠だった。その一環で金利も三千パーセントに引き上げられてね。学園と後輩を守るためにアビドスの生徒がカイザーへ身柄を売るという事態になった”」
三千パーセント!? 完全に利息が元本を逆転しているではないか!?
そう絶句する私。そして先生はそんな私へ向ける眼差しと口調に一転して強い感情をにじませ、私だけでなく自身にも言い聞かせるようにゆっくりと言葉を続ける。
「“学園や後輩を守ろうとするのは間違いじゃない。でもその努力が一方的に踏みにじられるのは絶対に間違っているし生徒の進む道は生徒自身が決めるべきだと思っている。だから私は何としてでもホシノを、生徒を救いたい……。これが理由なんだけど納得はしてもらえたかな?”」
──なるほど、納得はできないものの理解はできる。
確かにアビドスが衰退した原因が悪質な地上げによるもので生徒の人身売買もどきまで行われているなど各学校を統括する連邦生徒会にとっては到底無視できない大スキャンダル。騙された側の自業自得とはいえ対処したという一定のパフォーマンスは必要だろう。
そのために社会的地位、PMCという物理的戦力を盾にした違法な高利貸しを排除するために治安維持業務の一環として風紀委員を動かすのも自然ではある。
しかしだからといって私が一緒に前線へ行きたいかと聞かれれば断固として否。そういったことは風紀委員に任せて後方にいる方が良いに決まっている。
だからこそ私はどうにか断れないかと考え込んでいたのだが。
「“もちろんこれは強制ではないよ。君にも君の立場があるだろうし断っても全然構わない。ただ私としては手伝ってもらえると助かるのだけれど”」
黙っているのを迷っていると思ったのか、先生は私に向けて優し気に語りかけてくる。
それに私は曖昧な笑みを浮かべてみせながら内心で盛大に悪態をついていた。
──断っていいと言われたからといってそれを馬鹿正直に断れるわけがないだろう!
各学校の生徒を自由にスカウトできる人事権を持ちながらの選択肢など提案という形を取ってはいても実質的には強制以外の何物でもない。
かつて士官学校卒業後に希望する進路を尋ねられた時も選択肢は建前、人事権を握っている参謀本部以外に選択肢は無かった。今回もそれと同様に断れば心象が著しく悪化し出世に響くことすら考えられる。
とはいえ諦めるのはまだ早い。
あくまでシャーレと万魔殿は軍隊という縦につながりがある一元的な組織ではなくまったく別の組織。私を連れて行くことが不利益になると示せれば先生の方から考え直してくれる可能性は十分残っている!
「では一つ確認を。アビドスの方はともかく風紀委員であれば治安維持の一環として仲裁する役割は持てるでしょう。しかし万魔殿に所属する小官が動いた場合カイザーとの衝突がゲヘナの総意と受け取られかねないと思うのですが」
「“そこは一時的にシャーレの部員として動いてもらうことになるかな。責任は私が持つから心配はいらないよ”」
くそっ、これは駄目か!
強力な人事権を合法的に行われては断りようが無い。先生にしてみれば善意で庇っているつもりなのだろうが、それならそもそも前線に引っ張り出そうとしないでほしい。
ならば次の手だ。たとえ前線に行っても役に立たないと思わせることができれば諦めてくれるのではないか!?
「では小官には何を期待されておいででしょうか。戦闘なら風紀委員の方が慣れているでしょうし交渉にしても小官の見知った方がいる確証は低く、いたとしても交渉のテーブルに出てくることはほぼ無いと思われますが」
「“残念だけど交渉したところで聞いてくれる相手ではないのは確認済みだよ。それとイオリからは十分信頼できる腕だと聞いているよ? 私が呼んだのは砂漠での戦いに慣れていてアドバイスができるだろうというのと、生徒会として事実の確認と証言もしてもらいたいからなんだ”」
くそっ、退路が無い!
戦闘力が他者によって保障され万魔殿の生徒としての立場そのものを求められたのでは私がどれほどメリットが無いかを力説したところで無意味。どう足搔いても前線に行かされる以外の未来が見えない。
ああくそったれ、せめて私の負担を軽くすることだけでもできないだろうか?
そう、例えば必要なのが信用のおける立場の人間だけなら連邦生徒会なり他の学校の生徒会なりから連れてくればさっさと解決──。
ん?
「依頼の内容は理解いたしました。しかしアビドスは少人数と聞いております。実質的にゲヘナが主体で動くことになるでしょう。そして話を聞く限りこの件は明らかにゲヘナが単独で動くには荷が重すぎるかと。よって小官はトリニティとも連携しての行動を進言いたします」
「“え? トリニティ?”」
気付いてしまえば簡単な話だ。
そもそも先生が来たのはカイザーコンストラクション理事の逮捕により古聖堂の修復工事に影響が出る可能性を考慮しトリニティと調整を図るよう伝えに来たから。
つまり最初からゲヘナ同様トリニティの生徒会も動かすことは想定されている! 現時点でまだ言及されていないのは単にゲヘナを先に訪れたからかティーパーティーへの連絡手段をまだ有していないのだろう。
そう推察しトリニティへの連絡代行を提案してみれば、先生はどこか困惑した様子ながらもその首をしっかりと縦に振る。
よし、先生の許可は取れた。ならば行動あるのみだ。
「突然のお電話失礼いたします、ターニャ・デグレチャフです」
「──あれ、珍しいっすね。何の用っすか?」
そして私は即座に行動を開始する。電話をかけた相手はかつて共に連絡事務所で業務に当たったトリニティ生、仲正イチカ。
穏健派にしてナギサ会長との会談をセッティングしていた彼女ならば確実に情報をつなげられるはずだ。
ただ問題があるとすればナギサ会長の元へ情報を届けられるかどうかだが……。そこは言い回しと勢いを活用しよう。
「エデン条約に関する事で至急ナギサ会長の判断を仰ぐ必要のある事態が生じました。最悪の場合調印式典の日程に遅れが生じる可能性があるものです。唐突な話で申し訳ありませんがナギサ会長に取り次いでいただけますか?」
「は? いやいや、いきなりそんなことを言われても困るっすよ。せめて何が起きたのかくらいは教えてもらわないと」
「申し訳ありませんが今ここでお伝えできるのはこれがシャーレの先生直々の依頼であり緊急性の高い案件だということだけです。どうか取り次ぎをお願いいたします」
「あー、シャーレの……? えーと、ちょっと待ってほしいっす、折り返しまた電話するんで一旦切らせてもらうっすね!」
そしてその困ったような一言を最後に通話は切られツーツーという音だけが響く。
シャーレ絡みの重大かつ緊急案件であることは伝えた。この情報だけで動いてもらえるかは些か怪しいが、それでもシャーレの名前があればある程度の信用は得られるはず。
あとはイチカとナギサ会長が合理的な判断をしてくれることを祈るしかない。
頼む、取り次いでくれ──。
そのまま電話を待ち続けること数分。先生からの視線に耐えながらの沈黙に耐えるのがそろそろ厳しくなってきた頃、ようやく携帯電話から着信音が流れ出す。
それを素早く通話状態にすれば、聞こえてきたのは穏やかながらも威厳のある声。
「お待たせしました、桐藤ナギサです。急な連絡ですが何があったのですか?」
──よし、乗ってきた!
一般的なリーダーでもそうだが、ましてティーパーティーのトップであるナギサ会長ともなれば学校の利益を最大化するため身柄を売られた生徒の救出という人道的任務、しかもシャーレに貢献するという絶好の機会を見逃すことはしないはず。
つまりナギサ会長に代わってもらった時点で実質私の狙いは達成されたも同然。
「単刀直入にお伝えします。カイザーグループ複数社の理事を務めている人物が他の学校へ違法に貸し与えた借金の抵当として生徒の人身売買をしていることが確認されました。このためシャーレからの緊急要請によりゲヘナは明朝、アビドス砂漠にあるカイザーPMCの基地を攻撃。該当生徒の救出作戦を実施する予定となっています」
「──はい?」
とはいえ油断は禁物。ナギサ会長がその気になっても他の派閥が反対して動けないということも想定される。
故にトリニティを確実に動かすためにもシャーレとゲヘナが動くことの正当性と緊急性、そして出動が決定事項なのだと猛アピール。トリニティが動く理由となりそうなことを全力で積み上げていく。
「目標が目標ですので敵兵力は機甲、航空戦力を含む大規模なものと推定されます。ゲヘナ単独での攻略は困難を極めるでしょう。以上の点を踏まえて小官は御校にも作戦への協力を要請するべきと判断し、こうしてお電話させていただきました。唐突な話で申し訳ありませんがどうか検討していただけると幸いです」
ついでにトリニティの協力が無いと困るんですと持ち上げておくことも忘れない。これでゲヘナと対立している派閥の心理的障壁も取り除きやすくなるだろう。
ここまで舞台を整えれば動くはず──。そう確信し私はじっとナギサ会長の返事を待つ。
そして十数秒の沈黙の果てにナギサ会長は自身もまた覚悟を決めたような口調できっぱりと、私が期待した通りの回答を導き出した。
「分かりました。私としてもカイザーPMCという企業の存在が我が校に悪影響を及ぼすのではないかとの危機感を覚えていたところです。シャーレがそうすると決心されたのであればそれを手伝うことはやぶさかではありません」
──これこそまさに完璧な勝利!
ティーパーティーが動くなら私が無理に前線に出る必要は無い。大兵力と正面からぶつかり合う風紀委員とは別に、安全な後方から戦闘を指揮するだけで済むはずだ。
しかもそれに加えて先生の眼前で迅速に交渉を成功させて見せたとなれば先生からの私の評価が急上昇したであろうことは確実。将来連邦生徒会入りを果たした暁には重要な役職へ就く後押しも期待できるかもしれない。
そんな安堵と期待に包まれながら、私は意気揚々とトリニティの協力が得られたことを報告してみせるのだった。
◆
「“今日はどうもありがとう。おかげで何とかなりそうだ”」
「お役に立てたのなら光栄であります。こちらこそ本日はありがとうございました。お気を付けてお帰りください」
そう丁寧にあいさつをした小柄な姿が門の中へ消えていく様子を見つめながら、先生はターニャが見せた姿が何を意味しているのかについて思考を巡らせる。
風紀委員のイオリからカイザー出身の生徒がいると聞いた時点でどんな生徒だろうと思っていたが、実際に会ってみればまさかのアビドスで戦闘を収めようと奮闘し懸命に謝罪をしてきて真面目という印象が強く残っていた生徒。
正直に言えば今でもあの生徒がカイザーの出身だとは信じ難い。
しかしイオリの言う通り、彼女が見せた合法的に動くための細かい条件の確認やトリニティとの連携を打ち出し即座に行動する判断力などはあの理事を彷彿とさせるものがあるのは確か。
何より理事の写真を見た際に直接会ったことは無いものの世話にはなっていると明言した。
一体彼女は何を考えて、何のためにあそこにいるのだろうか。
「“……いや、何も知らないのに疑うわけにはいかないな。今はあの子を信じてあげないと”」
そうかぶりを振って先生はターニャに対する疑問を振り払う。
ターニャはアビドスの境遇に同情し、ホシノの置かれた状況を共に怒ってくれた。
生徒会という立場にある生徒が動くことが足枷にはならないかを確認してくれ、しかも仲が悪いはずのトリニティとの協力まで取り付けてくれた。
弱者をいたぶるようなあの理事のやり方を許さない人間であることは明らかだ。
その積極性と視野の広さ、優しさは紛れも無く現実。こちらを心配しての好意を無碍にするなどあってはならない。
今はターニャを信じよう。そして何としてでもホシノを救い出してみせる。
「──待っていて。絶対に迎えに行くから」
あの理事はPMCのイメージが強いですけど、それ以外にコンストラクションにも所属してるんですよね。
巨大グループ企業だからこそのつながりを把握しておくと意外と面白いです。
ちなみにもし足舐めをターニャが知ったら絆ランクがマイナス100固定でバッドエンドです。
イオリとヒナはずっと秘密にしておいて……。