文明的な食事とは実に素晴らしいものです。
たっぷりと使われた砂糖、新鮮な牛乳を使ったホイップクリーム、瑞々しいフルーツ。そして何より芳醇な香りとコクのある熱々のコーヒー。代用と名の付く泥水もどきではない本物のコーヒーをケチケチせずにお代わり自由。
食料が配給制になっていた帝国、その戦場において普段食べていた硬いパンや缶詰ばかりの食事と比べ、何の制限も無く贅沢に使われる素材の数々とそれを自由に注文できることができる平和のありがたさはどれほどのものでしょう。前線では最悪の場合腐ったジャガイモが配られて食中毒で除隊する羽目になるか、そもそも届かず敵の物資を必死に漁る盗賊まがいになることすらあったのですから。
雨の降る塹壕の中や隙間風の吹き込む廃屋の中で冷め切った食事をしていた頃と比べればこの点だけがこの世界に来て良かったことと言えるかもしれません。
──存在Xの所業は断じて許さないが。
ご機嫌よう、ターニャ・デグレチャフです。
現在お洒落なカフェでロールケーキとコーヒーによる至福の時間を過ごしている真っ最中。
しかもお会計はヘルメットの野盗有志諸君が謝罪の意を込めて所持金の半分を「快く」提供してくださったお陰で心配不要。
発展した文明と技術による幸福の味を堪能しつつ、先ほど助けた宅配便の運転手から色々とこの世界の常識を聞いて学んでいます。
……真っ白なフワフワとした体毛、丸く突き出した耳、まん丸のつぶらな目。白いシャツに紺色のパンツと緑色のエプロンを着けた人間大の喋るオコジョとコーヒーブレイクをすると昨日の自分に言えば果たして信じただろうか。
色々と現実感のない状況に今ひとつ集中できないのはどうすればいいのだろうか。
「……なるほど、一般的にはヴァルキューレ警察学校、もしくはSRT特殊学園の特殊部隊が対処に当たる。しかし学校の自治区内においてはその学校の治安機関が対処する、と」
「そうです。ただしブラックマーケットと呼ばれる地域は違法な武器や戸籍の売買、法外な金利の闇金融なども行われている正に何でもありの場所です。退学して寮も追い出され口座も凍結された不良生徒がたむろしていて治安は最低、不良品が暴発しての事故も多数あるとか」
「いよいよ崩壊後のソビエトやユーゴめいてきたな……。しかしここに行けば身分を手に入れるのは可能ということだな。ふむ、では続いてお聞きしたいのだが銃と無縁でいられる安定した職種や職場に心当たりはないでしょうか。できれば私のような年齢でも働ける児童福祉法に反しない合法的な所が望ましいのですが」
……動物の表情には詳しくないがひどく困惑していることは分かる。
まあ無理もない、記憶喪失で身分を証明できるものが存在せずどうしていいか分からない、銃で撃たれるのが怖いというのは明らかに胡散臭いと思うだろう。
先ほどから何故かチラチラと私の
「えっと、ターニャさんの年齢ならどこかの学園に入学するのが一番ではないでしょうか? 大体の学校には風紀委員会や正義実現委員会のような治安維持組織がありますし、恐らく各学園も復学や転校の方策は用意していると思うのですが」
「学園、学校生活か……。しかしそれはなぁ……」
悪くない。悪くはないのだ。
話を聞く限り在学中は学校から銀行口座と寮の部屋が与えられ各学校の治安維持組織により安全も確保、卒業さえしてしまえば堂々と起業して出世も可能だろう。
学校によって科学技術を追求するものや観光業を中心とするものなど校風も大きく異なり就職先の幅を広げるための投資としても正しい。
しかし。
「──存在Xの掌の上で踊らされている気がするのが癪だ……。くそっ、おのれ存在X!」
思わず頭を抱えて大声で叫びたいのを必死で我慢し、ギリギリと手を握り締める。
存在Xが私をこの世界に連れてくる時に同年代の活発な少女たちと交流があれば信仰に目覚めるだろうとろくでもない予言をしていたのが判断を盛大に迷わせる。
周辺地域の自治権を持つ学校というだけでも凄まじいが、それを統べる上位組織の連邦生徒会も当然のように女子高生たちで構成されているらしい。ならばそこを目指すことが当然の帰結であると言える、はずなのに。
取るべき選択としては最適解だと分かっているのにまったく気が進まない。まるでライン方面の敵司令部破壊のためにマッドサイエンティストの作ったロケットで撃ち出されると知らされた時のような気分。
どれもこれも行政や司法など近代国家として必要なシステムをすべて十代後半の女子高生たちが担っている歪な箱庭を作り上げた存在Xのせいだ。
「治安が崩壊している犯罪の温床で働くか、武装集団を襲って身ぐるみ剥がすパルチザンもどきになるか、存在Xの筋書きに乗るか……。選択の余地など一切無いではないか。悪質なマッチポンプにも程があるぞ?」
せっかくの甘味とコーヒーを重い気分のまま飲み込んでため息を一つ。
しかし逆に考えれば今後の行動指針が明確に定まったと前向きに捉えるべきでもある。
二〇三大隊の編成を命じられた時も共和国軍が南方大陸に逃げたと聞いた時も、そして戦闘団を実現して見せろと言われた時も運命を呪いながら常に自分のするべきことだけに注力してきた。
今回も同じだ。
「今回は非常に助かりました。右も左も分からなくなった身に色々と教えていただいたご協力に心より感謝します」
一応知りたいことも聞けた。欲を言えばまだ知りたいことはかなりあるがこれ以上引き止めるのも申し訳ない。
なのでそろそろお
しかしオコジョさんは何か悩んでいるかのように私の顔を見つめて動かない。
そして先ほどとは少し異なる、緊張感のある固い声で問いを投げてきた。
「……ターニャさんはこれからブラックマーケットへ?」
「その予定です。記憶喪失で自分がどこの誰か分からない以上、仮とはいえ身分証が無くては何もできませんので」
誤解の余地なく明瞭に答えたのだがオコジョさんの雰囲気は優れない。
危険地帯に私が向かうのが心配なのだろうか? しかしこちらとしても必要なことなので致し方ない。
もしかすると警察や病院で仮の身分証が発行できるかもしれないが、余計な親切心で監視カメラや出生歴を調べられても困るのだ。
「何か?」
「その、お気を悪くしないで聞いてほしいのですが……」
そこで一度言葉を切るオコジョさん。
何かを言うべきか言うまいか逡巡しているようだが一体何だ? 何かしらのアドバイスであればぜひ聞いておきたいが。
興味を持って身を乗り出し、どうぞ話してくださいとアピール。
そして──。
「ターニャさんは
それは間違いなく絶大な威力を持つ爆弾だった。
記憶喪失という嘘を見抜かれたのが一つ、そして存在Xの創った箱庭であるはずのこの世界の外があるという認識を住民が持っていることが一つ。
思わず表情が強張るのを自覚しつつ、オコジョさんに冷静を装って質問を返す。
「──何故そのように思ったのか伺っても?」
「まずヘイローが無いのが珍しくて。分かります? 頭の上なんですけれど……。ほら、あそこの生徒さんにあるような」
そこで店内の別の席を指し示すオコジョさん。
そちらを振り向けば、四人の女子高生たちが和気あいあいとパフェを堪能している姿があった。
髪色や背丈は当然違うが、オコジョさんが言った通り頭の上に光の輪が浮いているのは共通している。頭が動くのに合わせて位置や角度が細かく変わる光輪はホログラムには見えない。
「子供である証と言いますか、学園を卒業するような年齢まではヘイローがあるのが当たり前なんです。私たちにはありませんけれど」
それを聞いてすぐにチラリと店内に視線を走らせる。スイーツを食べている犬や猫、配膳や会計をしているロボット。いずれもヘイローは無い。
しかし人間の少女たちには確かに全員光る輪を持っているようだ。思えばヘルメット野盗団たちにもあったような気がしないでもないが……。
──神を自称する悪魔の次はまさかここの住民が天使だとでも言うのだろうか? 冗談だとしてもずいぶんと上手くない。
「それと銃をお持ちではないうえ銃と無縁の場所を探していると言われたでしょう? キヴォトスで銃は最低限の身だしなみというか、携帯しない人は裸で出歩く人よりも希少なんです。ヘイローの無い外から来た方は銃弾一発ですぐに生死に関わるとも聞いていまして、危機感が全然無いなぁと。それでもしかするとここの方ではない、のかな、と……」
次第に小さくなるオコジョさんの声。
それを聞きながら、私は衝撃的すぎる事実に呆然としていた。
断じて認めたくない、ルールと倫理を尊重しエリートとして日本でも帝国でも優秀たらんと勤勉に職務に努め社会的地位を得てきたこの私が──。
「今の私は全裸で徘徊する不審者以下だったと!?」
その日、とあるカフェでは見知らぬ幼女の激高と怯える客たちの悲鳴がしばらく聞こえていたという。
キヴォトスの外を一般市民が普通に知っているのかは知らない。