どうしてこうなった?
ターニャ・デグレチャフは帝国において実力のある魔導師であった。
それは慣れない異世界で普段使いしていた九七式宝珠が無くなっていても変わらない。
光学術式を発動してのヘイロー偽装こそできているが、かつてのように空を自在に飛び回り空間ごと爆破するという芸当はもはや不可能だろう。しかしそれは魔導師としての価値を完全に失ったのかと問われれば否。
演算宝珠が発動手順を解析、自動化したことによってこれまで個人の才覚頼みであり奇跡の産物だった魔法は誰でも確実に扱えるものへと変わった。斯くして宝珠無くして魔導戦は成立しないと言えるほど便利な物だったが、それが無くては決して魔法が使えないわけではない。
極論、暴論ではあるが才覚さえあれば独力で発動できなくはないのだ。
連射機構がなくとも手動で装填した一発を撃つことはできる、数十メートル先まで炎を撒くことはできなくともライターで火を起こすことはできるのと同じ。宝珠による最適化、自動化がされていなくとも必要量の魔力を正しい手順で動かせばそれは正しく作用する。
無くなった九七式とは別に、今もなお首から下がっている九五式を使うことが無いとしても彼女は依然として魔導師である。
──つまり。
「くそっ、入学前に傷病退役しかねんなど悪い冗談も程があるぞ!」
とあるビルの中、受付カウンターの裏で銃弾の嵐を受けガリガリと削れるコンクリートの破片を浴びながらターニャは苦々しく吐き捨てる。
このビルを襲撃してきている連中は今ヘイローのあるターニャのことをこの世界でのごく一般的な頑丈さと思っているのかもしれないが、下手に銃弾が一発当たっただけで死にかねないのが実際のところ。防御が間に合い
本来ならば至近距離で炸裂する榴弾すら耐え得る頑丈な防殻の代わりに張れたのが気休め程度の耐久性しか無い防御膜だけ。それでもこの場においては非常に有効でひとまずは命の心配をせずにいられるだけありがたい。
──魔導師の術式でも無い普通の攻撃にここまで本気で対処しなければならないとはひどく厄介だと泣きたい気分なのは今はどうでもいいのだが。
「どんな気分だぁ? しみったれたボロ店ごと撃たれるのはよ!?」
「いい度胸してんじゃねえか、今まで世話になった分まとめて返してやらぁ!」
「一班、牽制弾幕! 二班、手榴弾! あいつらを地獄に送り返せ!」
襲撃者と警備員との罵声の応酬と止まない銃声を聞きながら、ターニャは受付カウンターの裏でどうしてこうなったかと思いを馳せる。
学籍を手に入れたとはいえ実際に入学できるまでには数日かかり、それまで日払いのアルバイトでもしようとビルの警備員になったのが今日の朝。そして昼休憩となり食事にしようと席についたちょうどその時ライバル企業と思わしき集団の襲撃があったのが今。
歴とした企業ならばまだ平穏に過ごせるだろうと思っていた見通しがいかに甘かったかを悔やむがもう遅い。
「おいバイト、隠れていないでお前も出ろ! その銃は飾りか!」
「……とはいえ最低限給料分の働きはしなければならない、か」
嫌々戦場に出ることを正当化していた口実をここでも言うという皮肉に渋面を作りながら、同僚たちが投げた手榴弾に合わせターニャは前へと飛び出した。
敵が退避しようと怯んだ隙に新しい愛銃、ツァラトゥストラを続けざまに三点バースト。
二人が崩れ落ちるのを見届け、同時に爆発する手榴弾は防御膜で防ぐ。
立ち込める埃と煙で視界がほぼ遮られた中で敵も撃ってくるが、照準されていない闇雲な銃撃をターニャが恐れるはずもなく。
「いくら防御膜があるとはいえ好んで撃たれたくはないのだが」
不愉快そうに呟いて黒煙の向こうで動く影へ空になった弾倉を放り投げる。
はっきり見えない相手から何かが投げ込まれた音がすれば手榴弾の類を疑うだろうと想定し、案の定敵からの攻撃は来ていない。
このまま制圧しよう、そう考えて足を踏み出しかけた時だった。
ゆらりと視界の端で影が動く。しかも前方でも無く後方でもない中途半端な位置にいるそれをターニャは敵か味方かと思わず躊躇する。わずか数秒だがその数秒がどこまでももどかしい。
そしてゆっくり薄れていく煙の向こう、その姿を凝視すればさっきまで一緒にいた同僚たる警備員の制服では無く迷彩柄の服に身を包んだ姿。
「くそっ、これだから屋内での乱戦は嫌いだ!」
至近距離から短機関銃を連射しながら突っ込んできた敵の攻撃が防御膜を激しく叩く音、さらに体当たりしてきた敵の体重が一気にターニャへと襲い掛かる。
いくら優秀な魔導師といえどターニャは小柄、当然後ろへと押し倒され。
「いたいけな少女を押し倒す小児性愛者はお呼びでないのだが!」
咄嗟に相手の腹部を蹴り飛ばし、仰け反ったところへツァラトゥストラの銃剣を相手の腕へ叩き込む。
ロボットの腕は出血も切断もないが、銃を取り落としたので良し。そのまま頭部に三点バーストをして完全に沈黙したと判断したターニャの意識は即座に次の相手へ。
視線の先では完全に腰の引けている敵が拳銃を撃ってくるが防御膜に阻まれターニャに届くことはない。スライドが開いたままとなった銃を持って怯える相手にゆっくりと歩み寄ったターニャはせめて印象を良くしようと微笑みを浮かべて優しく言葉をかける。
「抵抗はお済みかな? ではごきげんよう」
引き金をそっと絞り銃弾をプレゼント。奇しくもプラスチック製の透明な弾倉はその一撃を最後に空になった。
そして流れるように交換した弾倉を床に落とした時、その音がやけに明瞭に響いて聞こえたことに気付く。いつの間にか銃声が止んでいる戦場にさっと視線を走らせれば玄関の向こうには大型のバンに乗り込み今まさに撤退しようとする敵の姿。
──どうやら今回の戦闘は終結したらしい。
「やっと片付いたか。まったく面倒な連中だ」
「今日の損害はラウンジだけで済んだようで良かったですね。前みたいに二階までグレネード投げ込まれてたら掃除が大変でしたよ」
「今回の傭兵はきっと安物だな、最後のあいつバイトの子に怯えてたぞ?」
戦闘を凌ぎ切った警備員たちは一気に張り詰めていた空気を和らげる。
室内がいまだ惨憺とした状態であるにもかかわらず朗らかに談笑を始める様子がこの戦闘がいかに日常的なものであるかを物語っており。
「この世界にまともな価値観を持った連中はいないのか……?」
思わず愚痴が零れるのを止めきれないターニャだった。
◆
日本での国民の三大義務とは教育、納税、そして勤労。
人間誰しも憲法で定められたそれには従わなければなりません。
もちろんまったく働かなくても大丈夫という御仁もいるでしょう。しかしほとんどの人は金銭を得るために日夜額に汗しながら労働に励んでいるはず。
きっとそれは時代や場所を越えて異世界であっても変わらずに在り続ける光景なのです。
──ブラック企業としか言いようのない環境の職場からごきげんよう、ターニャ・デグレチャフです。
ちょっとしたアルバイト、しかもブラックマーケットよりも比較的安全と思った地域でのお仕事に散々振り回された二日間。夕方に仕事終わりの居酒屋感覚、ひどい時には普通の来客の振りをしてからのいきなり散弾銃乱射というテロ行為をしに来る迷惑客の対応で擦り減った心の平穏がどこを探しても見つかりません。
最初からお互い殺す気でのお付き合いだった共和国軍の魔導師相手の方がまだ気楽だったのに。
「短期のアルバイトでこれだ、まさか学校に行っても大して変わらないのではあるまいな……」
たった三日間の予定、それなのに一日一回は銃撃戦に巻き込まれる。
ブラックマーケットが最も治安の悪い地区と聞いていたのにここの治安も崩壊しているのはどういう理屈だろうか?
そしてこの一般的な地区の治安がそのまま学校内でも当てはまるとすれば? 考えたくもないがそんな最悪すぎる予想が頭から離れない。
一応ゲヘナ学園の風紀委員会とやらの評判は聞こえてくるので最低限の治安維持はできていると思われるのだが。
「まあ今日でアルバイトも終わりというのがせめてもの救いだな。少なくとも公園で野宿から学校の寮生活になることは素直に喜ばなければ」
学校内での治安がどうであれ、今の私にとっては屋根の下で寝られるようになるメリットは非常に大きい。
塹壕や砂漠での野営に慣れていても弁当のゴミ、トイレ、風呂など今までどうにもできないことは多かった。そんな生活レベルを一気に向上できるチャンスは絶対に逃がしたくない。
だからこそ何としてでも今日を乗り切り、無事に明日を迎えなければ。
「たかが短期のアルバイトのはずなのに、どうしてこうなる……」
一体何の恨みがあるのか連日やって来ては攻撃してくるライバル企業。その対応が定期便扱いになっていることを考えれば、おそらく今日も来るのだろう。
営業妨害のために他社を襲撃して足を引っ張るなら自分たちで営業をかけるなりして業績向上を目指すべきではないだろうか? まったくもってこの世界の連中の考え方が理解できない。
トラブルがあるならば現場を巻き込まずに当事者同士で勝手に片づけてほしいものだとしみじみ思う。
いくら警備員として襲撃してきた連中を追い返すのが今の職務だとしても防御膜の展開に神経を使いながらの銃撃戦はそうそう経験したくないのだ。
そんなことを考えながら私はただ職務を続け、何事も無く時間は過ぎる。そして気付けば昼休憩で交代を命じられ。
──何も起きずに午前中が終わった。
「……これは喜ばしい、そのはずだ。平穏な一日こそ私が求めていたもののはず」
なのにどこか落ち着かない。見た目は綺麗だが裏で何かろくでもないことが待ち受けているような予感がする。
まるで共和国軍停戦の報を聞いた時のような違和感が刺さって消えない。
戦場という環境にいて感覚がおかしくなっているのか? まさか自分が戦場に慣れすぎて戦場で無ければ落ち着かないウォーモンガーに成り果てたとは信じたくない。
「……まあいくら気にしても詮無いことだ。とにかく今は昼食を──っ!?」
──ジリリリリ。
不意に天井のスピーカーからけたたましく非常ベルの音が鳴り響いた。
今まで無かった初めての事態に周囲の様子を探れば、その場にいた全員が一斉に殺気立ち銃を手に取って立ち上がる。
少なくとも愉快そうなことでは無いのは明らか。
「敵襲だ、全員戦闘配置に着け!」
「大規模襲撃だ! 擲弾と対物ライフルの弾ありったけ用意しろ!」
一気に怒声と慌ただしく動く物音で包まれる室内。
状況はよく分からないが聞こえてくる単語と雰囲気は最悪そのもの。横で聞いている分にはどうやら装甲車両複数を含む大兵力が接近中。
もはや弁当どころでは無く、私も慌ただしく装備を整え直して玄関へと全力疾走。
そして廊下の角を曲がった瞬間に視界に飛び込んできたのは。
「冗談じゃない、普通営業妨害のために戦車まで持ち出すか!?」
そこにあったのは紛れもなく戦車だった。見た目はロメール閣下と共に南方大陸で見慣れた三号戦車、そしてかの有名な六号戦車ティーガーそのもの。
確かにブラックマーケットで戦車も売られていたが。それをこんな些事に使うほどにくそったれな治安とはさすがに聞いていない!
「くそっ、傭兵を大量に突っ込ませて来やがった!」
「重戦車一、中戦車三! 二班は二階へ行って上から擲弾攻撃だ!」
「対物ライフル組は裏口か二階に回せ! 玄関は駄目だ!」
他の警備員たちが騒いでいるがいくら何でもティーガーと正面から殴り合うのは無理だ。今必要なのは小銃で撃てる擲弾ではなく対戦車砲か航空攻撃。牛乳が大好きな空飛ぶ魔王でもいなければ話にならない。
──敵前逃亡と言われようともここは逃げなければ。
そう思って後ろを向いたその刹那、背後で閃光が瞬くと同時にもはや音とすら認識できない強い衝撃波が襲い掛かり私は勢いよく来客用のソファへと吹き飛ばされた。
ベッドのマットレスのような、柔らかくもしっかりとした重さがある物体で思い切り全身を叩き付けたような空気の圧力。そして激しく続く耳鳴り。
周囲の音が何も聞こえず咄嗟には状況が判断できないが、コンクリートや鉄骨の欠片の散らかり具合から察するに戦車砲の炸裂を至近で浴びてしまったらしい。
せめてもの救いは敵戦車の狙った目標が私では無かったという点だろう。防殻ならまだしも防御膜で八十八ミリ砲の直撃を受ければ魔導師とて致命傷だ。
「助かった、か。とはいえこれは……そう長く耐えられんぞ」
少しずつ回復してきた聴覚には次第に銃声と警備員たちの悲痛な叫びが聞こえてくる。
ティーガーだけでなく三号戦車も三両、そしてヘルメット姿の傭兵たちが約五十人。現有戦力での戦車撃破は困難、それをする前に砲撃と傭兵たちに制圧されてしまうだろう。
そうなれば私は今日分のアルバイト代をもらえないどころか入学前に入院することにもなりかねない。まだ入院費に充てられるほどの資産は無いというのに。
入学する前にこんなところでライフプランを邪魔などされてたまるものか!
これは、これだけは決して使いたくなかったと呪いながら私は胸元に吊り下げられた
「……主よ、我
九五式宝珠に魔力を込めると同時に勝手に動く口。
それは悪態と罵声の代わりに存在Xを称えるという呪い、自分の信念を強制的に歪ませる最悪の奇跡。
しかし私の内心にかかわらず宝珠は滑らかに魔力を回路に伝達させていく。
「主の奇跡を称え、その
定められた式を魔力で刻み魔術は徐々に形を得る。
銃を構え照準を戦車に合わせる。高まった魔力が薬室と弾倉内の銃弾へと集中し、排莢部と銃口からうっすらと光が漏れ出していく。
「見よ、主は斯くも偉大なり!」
そして高揚感、充実感が胸の奥から湧き上がるのを覚えながら私はゆっくりと引き金を引く。
──どうしてこうなった。
戦車相手に貫通爆裂術式の使用、どう見ても戦争中の正規軍にする所業。それを当たり前のようにしなければならない状況と倫理観の連中に心からそう思う。
眩しく輝く光の柱が戦車の正面装甲を貫くのを見ながら、私は一気に暗雲の立ち込めてきた明日からの学校生活に思いを馳せるのだった。
実際どうやって拳銃やライフルでヘルメット団の重戦車を撃破しているのか?
ゲーム内描写だとさっぱり分からないのでアニメのヘルメット団戦とイオリ戦を見返しているけどやっぱり分からない。
宝珠が無くても術式を行使できるのは作者の考えた設定です。
ただかつては実際に魔力持ちが脅威だったからこそ宝珠が開発されたはずなので間違った考えではない、と思いたい……。