『実験体《アーヤ・サイード》に関する研究手記』
今日新たに実験を行ったその子供、アーヤ・サイードに関して奇妙な結果が報告された。
《プレロマ草》を原料とし、人間の枷を外すために我ら教団が開発した真なる叡智──《グノーシス》が、アーヤ・サイードに対しては効力を発揮せずに体外へと排出されてしまったのだ。
この《グノーシス》は未だ未完成品とはいえ、幾つも成果を上げている教団の秘薬。その秘薬を服用したのにも関わらず、超人的な力や知覚、新たな能力に覚醒したような様子もない。アーヤ・サイードはしばらくトイレに籠もった後、僅かに疲れが垣間見える表情を見せたがその後は平常通りの活動を行っていた。
まるで本当にただ腹を下しただけのように。食中毒にでも当たった時のように何も問題はない。
その結果はあまりにも奇妙である。ゆえにその原因を調べるべくその日の夜にはアーヤ・サイードを眠らせた上で彼女の身体を調べることにした。
そうして調べた結果──何も分からなかった。
アーヤ・サイードの身体は通常の人間の子供そのもの。特筆すべきものは何も存在せず、何の異常も見られなかった。
なぜ《グノーシス》が効果を発揮しないのか。その理由が分からない。
翌日に再度、《グノーシス》を服用させてみたが結果は同じ。またしても彼女はトイレに駆け込んだ。
まさかとは思うが排出されてしまった可能性を鑑みて、気は進まないものの検便や検尿などで検査を行ったところ、その成分にはプレロマ草由来の成分が検出された。
《グノーシス》は確かに彼女の身体の中で消化され、その成分を取り込んでいる。
しかし、その効果だけが発揮されない。念の為通常よりも多く服用させたり、整腸剤などの腹を下すのを止める薬などと一緒に服用させてみたがそれでも結果は同じだった。
ならばと他の薬を試してみることにし、人格移植や他の実験も試してみたもののそれも同様に結果は無為に終わった。
──なぜ《グノーシス》が機能しないのか?
──なぜあらゆる実験が失敗に終わるのか?
アーヤ・サイードに関する不可解な事象を幾つも観測した後、我々は更に踏み込んで彼女の身体を調べることに決めた。
彼女はこの《楽園》において多くのお得意様を抱える人気のキャストである。もし彼女が壊れ、使い物にならなくなれば少なからず客足は遠のくだろう。
だが優先順位を履き違えてはならない。我々の目的はあくまでも女神の否定であり、真の神を降臨させることにある。
その進展が見込めるかもしれない不可解な実験体があるのだ。あらゆる手段を持ってそれを調べるのは我ら教団の義務ですらある。
ゆえに彼女を失う可能性を鑑みても、それを実行することに何の躊躇もありはしなかった。
────私、アーヤ・サイードが《楽園》にやってきて1年と数ヶ月。
「アーヤちゃん。これ、直せる?」
「はい、直せますよ──ちょいちょいちょいっと。はいどうぞ」
「わぁ、ありがとうアーヤちゃん」
「アーヤちゃんってすごい手先が器用だよね」
「私もお裁縫出来ればなぁ。そしたらアーヤちゃんみたいにお洋服いっぱい作って指名も沢山貰えるのに」
「あはは、それほどでもないですよー」
今日も今日とて私は同部屋の子供達との交流を深めていました。ほつれたぬいぐるみを糸と針を使ってちょちょいと直してあげると同部屋の女の子は喜び、他の子供達もやいのやいのと私のことを褒め称えてくれる。年齢は私より上も下もいるが、職歴で言うなら圧倒的に私の方が先輩であるためみんな私のことを頼りにしていたし、そうやって慕われるのは悪い気分ではない。
……でもどうせ半年と持たないんだろうなぁ……。
はぁ、と私は軽く息を吐く。諦観というかなんというか。正直同じ境遇の子供達に慕われたところであまり意味はないのだ。先輩として上に立つことでの悪くない感じ。言うなればバイトリーダーのような気分は味わえるけどそれだけ。一時的には気持ちよくなれるが、ふとした時に無意味さを覚える。──どうせ1ヶ月もすればだんだんと笑顔がなくなって3ヶ月もすれば辞めるんでしょ? まったく、これだから最近の若者は……と。仕事のブラックさを棚に上げて歳のせいにする中間管理職のような諦観した気持ちを感じているのだ。
つまるところ幾ら慕われようと育てようといなくなるのだから徒労なのだ。なんならさすがに亡くなったことに対するマイナスの感情を私も覚えるので気分は良くない。仲良くなった後でその人物が死ぬことで、精神的に負担をかけることになる。
かといって不親切にすることもまた良心の呵責があるので出来ない。そんな中途半端かつままならない気持ちを抱えながらも、結局はいつも通りに過ごすのだ。
──だが、最近は仕事の方も少し憂鬱になってきていた。その理由が……。
「ご苦労さま、アーヤ」
「お疲れ様です支配人!」
「今日も大勢のお客様を楽しませてくれたみたいだね」
「それほどでもないです! では、失礼しま──」
「待ちたまえ。今日のお薬がまだだよ」
「……ええっと、またお薬ですか? それはちょっと……出来れば遠慮したいかなーって……」
「安心しなさい。今日の薬は経口投与ではないからね」
「……つまり?」
「注射で行う。つまり、この薬で腹を下すことはないということだ」
「な、なるほど。それなら安心ですね!」
「ああ。だから安心してこっちに来て腕を出しなさい」
「──はい、よろこんでー!」
「ああ、でも一応普段の薬も飲んでほしい。今回は問題なく機能する可能性もあるからね。念の為だ。接種したら今日は休んで構わないよ」
「……はい、よろこんでー……」
──と、こういう次第だ。
簡潔に言えば最近の私は薬漬けにされてる。完全にここでの出世コースどころか死亡コースに乗っており、あの世行きは時間の問題。今まで埋葬してきた子供達の後を追う羽目になるのだ。
そう思っていたのだけど、どういうわけか私に薬は効果がなかった。
薬の詳細は私には分からないが教団お手製なのだからどうせろくでもない代物だろう。心身に異常をきたすような物であることは明らかだ。
だが、私はいたって健康だ。問題と言えば薬を飲んだ直後にお腹を下すことくらい。
なので最近の私は神に祈ることが増えた。人はいつ神に祈るのかと問われたら私はそう答える──お腹を壊し、お腹がめちゃくちゃ痛い時だと。
そして今日もまた薬の接種を終えると案の定、波が来たので私はトイレの住人になった。その最中、神への祈りと共に私はここのアホアホ変態研究員達への悪態を内心でつくのだ。あいつらはマジで終わってる。一体何がしたいんだ。いたいけな美少女を毎日クソ塗れにするド変態クソ野郎か。効果がないってわかったならいい加減諦めろと。
……もしくは本当にそういう趣味の奴がいてそのためにわざと経口投与を行っているのか。だとしたら最悪すぎる。マジで変態の巣窟じゃないか。実際この間は検便や検尿までさせられたしその可能性は否定出来ない。
私はトイレの中で頭を抱えた。なんてこった。ロリコンスカ◯ロ野郎が研究員をしているロッジなんて……本当に最悪すぎる。これだから《D∴G教団》ってやつは……。
自分の置かれた環境に絶望し、再度神に祈るもそれは無駄だと知る。神は助けてはくれないのだ。結局は自分で頑張るしかない。
──そして私は数時間、再び自らの苦しみと戦い……苦戦しながらも勝利するとようやく個室から出た。
正直売春なんかよりこっちの方が精神的に疲れる……思えば普段の私は、それこそ赤ん坊の頃から健康優良児であったため身体の不調を起こすことは一切なかったし、お客様から乱暴を受けても割とすぐに傷も治るためこうまで苦しむことはなかった。
はぁ……憂鬱だ……と私は念入りに手洗いをして自分の部屋へと繋がる廊下を歩く。本当に精神的に参っている。営業スマイルを浮かべることも難しいくらいに──
「──そこの君、ちょっといいかい?」
「……はい?」
──なので急に背後から声を掛けられた時、私は普通に振り返って返事をしてしまった。お客様でも教団員でも接する時は笑顔で元気よくと決めているのに。
しかもその声を掛けてきた相手はこれまで見たことない研究員だった。灰色髪で眼鏡の青年だ。ふむ……新入りの教団員か、あるいは普段は研究室にいてまだ会ったことのない研究員か。
そう思った私は今出来る精一杯の対応を心がける。
「何でしょうか?」
「君がアーヤ・サイード……で、合ってるかな? ここのキャストの」
「はい、そうですが……もしかして接客をご希望ですか? で、ありましたら少々お待ちを。シャワーを浴びさせてください。何分、身体が汚れてしまっていて」
教団員が私達を利用することも実はないこともない。なのでそういう用向きにも応じることは問題ないが、さすがに今の状態では不衛生なのでシャワーを浴びたいと願い出た。研究員で私の名前を知っているということは私がどういう状態なのかは知っているだろうしきっと許してくれるだろう。ド変態でもなければ。
「いや、そのままで構わないよ」
──ド変態だった。最悪だ……もしかしてこいつが私に頑なに経口投与を行わせている研究員なのか……?
「──わかりました。ではお部屋へ……」
「ああ、誤解させてしまったのなら申し訳ないけどそういう用向きじゃないからね」
「! あ、そうなんですね。それはそれは……では一体どのような用事で?」
「僕は君が飲んだ薬を作った……いわば薬学研究の責任者なんだ」
──変態じゃないと思ったらやっぱり変態だった。あの下剤作ったのお前か。しかも研究の責任者って……それじゃやっぱり経口投与を続けさせてるのってやっぱりお前じゃん。このド変態め……。
「そうなんですね」
「ああ。でも安心していいよ。今日はただの視察なんだ。これからまた君に薬を飲ませるなんてことはしないからちょっとだけ話に付き合ってくれるかい?」
眼鏡のド変態研究員は優しくそう言った。変態なのに物腰は柔らかいし優しそうではある。とはいえそういう奴ほど信用出来ないのだが、まあどの道断ることは出来ないし、話をするだけなら……。
「私で良ければ、はい、よろこんで」
「ありがとう。なら質問だけど……君は、神を信じるかい?」
何かと思えばそんなことを尋ねてくるド変態眼鏡。なぜそんなことを聞きたがるのかは分からないが、答えは決まっている。私はまだ少し痛む腹を右手で擦りながらふっと笑って答えた。
「神なんて……この世にはいませんよ」
「! ……ほう? なぜそう思ったんだい?」
「困った時に助けてはくれませんから。神がいるなら助けてくれるはずです」
ここ数ヶ月、何度トイレの中で神に祈ったことか……それで助けてもらえたことは一度もない。
──が、それはあくまでも私の主観。そして神の気まぐれかもしれないし、私が助けて貰えなかったからといって神がいないと言い切ることは出来ないだろう。神も腹痛程度で出張れるほど暇じゃないだろうし。
「ああ、でも人によって答えはそれぞれですので……あくまで私がそう思っているだけです。《翼の女神》は私を助けてはくれませんでしたけど、それ以外の神についてはよく知りませんし、実在するんじゃないかなーと……」
「……ふむ、なるほどね」
言ってから教団員の前で神について講釈垂れるのは失礼かと思い、最後に媚びを挿入しておく。《空の女神》は否定しつつ教団の信仰する神はそれとなく肯定しておくのだ。まだちょっと残っている腹痛のせいで思考がかき乱されるが、怒っている様子もないしどうやらうまく答えられたようだ。
「……質問に答えてくれてありがとう」
「恐縮です」
ド変態眼鏡はやはり優しい笑みで私に礼を言う。私も礼儀正しく一礼して彼が去るのを待った。あるいはまた別のことを聞いてくるのかとその場で待機していると──。
「──そうだ。君、ここを出たくはないかい?」
「──え!? それはもちろん!! …………あ、いや、それは……あはは、どうでしょうかねー……」
やばっ、思わず即答してしまった。少しの間を置いてそれに気付き、私は苦笑いをしながら取り繕う。
だが変態眼鏡はとくに怒ることもなく続けた。
「隠さなくても本心で喋ってくれて構わないよ。君は他の子供と比べてかなり聡いようだから取り繕っているんだろうけど、普通の子供ならここで大人の相手をするのを嫌がるのは普通のことだ」
「そ、それはまあ……そうかもしれませんけど……」
「僕は親切で言っているんだ。どうだい? 君が望むならこの《楽園》から君を出してあげられるが……」
眼鏡に諭すようにそう尋ねられれば、私の心も揺らぐ。まさか本当に……? 変態じゃなくて親切な良い人なのか……?
いや、そうでなくともこの島から出られるなら悪いことじゃない。仮にこの眼鏡がとんでもない悪人で私をまたどこかに売り飛ばそうとしたり実験しようとか企んでいたとしても島にいるよりはマシだろう。この島から出ることはそれほどに難しい。
虎穴に入らずんば虎子を得ずとも言う。他に聞いている人はいないようだし、ここは……。
「──出たいです! はい! ここから出してください!」
「うん、いい返事だ。それなら付いて来てくれ。島を出るなら早い方が良い。君を管理している大人と口論するのは避けたいからね」
「はい! お世話になります!」
私は元気よく明るく返事をして眼鏡の彼について行くことにした。これでおっさんの相手や腹痛と戦う日々とはおさらばだ! ひゃっほーい!
「──ではアーヤ・サイード。君はこの積み荷に隠れていてくれ」
「はい! えーと──あ、そういえばまだ名前を伺っていませんでした! よろしければ名前を教えてはくれませんか?」
そうして彼が乗ってきた船の積み荷に身体を潜ませながら私は私を逃がしてくれる親切なお兄さんの名前を聞く。さっきまでド変態ロリコンスカ◯ロ眼鏡とか内心で罵ってごめんね! これからはちゃんと名前で呼んで媚びまくって心象良くして油断してくれるようにするから名前を教えてほしい、と。
「ああ、僕の名前かい? ──僕はヨアヒム。ヨアヒム・ギュンターだ。これからよろしく頼むよ」
「はい! よろしくお願いします! ヨアヒム、さ……ん……?」
…………え? ヨアヒムって……なんか聞き覚えが……。
それを思い返し「あっ」と声を出す直前、積み荷の箱が閉められ、外からカチャリと鍵をかける音を聞く。
視界が真っ暗になり、箱の中に閉じ込められた私はしばらく放心し、十分な間を置いてから自分の陥った状況を理解するとそこでようやくはっきりと声に出す。
「あ、あのー……ヨアヒムさん? 私、やっぱりその……こ、ここにいたいかなーって……あのヨアヒムさん? 聞こえてますかー? ヨアヒムさーん! 私やっぱりここに残ります! なので出してくださると助かるのですがー!?」
最初は語りかけるように。そして徐々に声を大きくして箱を叩きながら出してくれるよう頼むも返事はない。
そこで私は箱内で膝を突き、頭を抱えた。そして、今度は内心のみで絶叫する。
──ヨアヒム・ギュンターって……《グノーシス》を開発した張本人の変態釣りキチクソ眼鏡幹部司祭じゃん!! あああああああああああっ!! やらかしたー!! うわああああああああああん!!
──そうして私は《楽園》から
今回はこんなところで。この作品のアーヤちゃんは愛されキャラです。色んな人に愛されるのでお楽しみに。
次回は変態眼鏡との日常。そして多分ブラック企業の長が出てきます。
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