──七曜歴1191年。1月。
ヨアヒム・ギュンターは《D∴G教団》の幹部司祭であり、教団の研究部門を統括する責任者であった。
研究の責任者であるがゆえに教団の管理する全てのロッジの研究を把握しており、何か興味深い事柄があればその足で視察するほどの勤勉な教団の信奉者である。
そのためその少女──アーヤ・サイードのことを嗅ぎつけたのもまた必然であった。
かねてより《楽園》は教団のロッジの中でも表の世界に対するパイプ作り、資金源の確保としては重要度の高いロッジではあったものの、その研究内容は極めて的外れかつ愚かなものだと僕──ヨアヒムは断じ、それゆえあまり興味を抱いてはいなかった。
アーヤ・サイードという《楽園》で働いている少女が、僕の開発した《グノーシス》を服用しても何の効果も見られない──という結果を偶然耳に入れなければ僕はこの島に訪れることはなかっただろう。
(さて……件の少女は……あれか)
僕は《楽園》を管理している幹部司祭に、目的はあくまでただの視察だと告げた上で島の中を自由に闊歩し、その中にある娼館──未成年の子供に売春を行わせている教団の管理施設を見つけるとその中に入り、従業員用の部屋がある一角でその少女を見つける。
中東人特有の褐色の肌に長くて白い髪を後ろで一纏めにした明るい顔の少女──アーヤ・サイード。
報告によれば《楽園》にいる子供の中でも極めて強い精神力と頭脳の持ち主であり、多くの子供を壊したこの場所で2年以上も心身共に健康を保ち働き続けているのだと言う。
そんな特異性を持つ子供に何と声をかけるか一瞬悩んだが、すぐに優しい顔を作って普通に声を掛けることにした。子供には優しすぎるくらいでちょうどいいだろう。
「──そこの君、ちょっといいかい?」
「……はい?」
声を掛ければその報告と相違ない、可愛らしい顔立ちと大きな明るい黄金色の瞳がこちらを捉えた。多少表情が沈み気味なのは気になったが……。
「何でしょうか?」
「君がアーヤ・サイード……で、合ってるかな? ここのキャストの」
「はい、そうですが……もしかして接客をご希望ですか? で、ありましたら少々お待ちを。シャワーを浴びさせてください。何分、身体が汚れてしまっていて」
「いや、そのままで構わないよ」
「──わかりました。ではお部屋へ……」
そして声を掛ければ彼女は僕を客だと勘違いしたらしい。ここに通い詰める愚かな変態と一緒にされるのは御免であるため、僕はすぐに訂正した。
「ああ、誤解させてしまったのなら申し訳ないけどそういう用向きじゃないからね」
「! あ、そうなんですね。それはそれは……では一体どのような用事で?」
「僕は君が飲んだ薬を作った……いわば薬学研究の責任者なんだ」
素直にそう口にする。《グノーシス》の詳細を知っているはずもないためそう口にしても問題はないだろう。そう思ったが。
「そうなんですね」
(少し警戒しているかな?)
だが意外にも彼女はこちらを少し警戒している様子だった。その反応は少し興味深い。ここの子供達は教団の研究内容やその活動などは知らないはずだが……もしかして察しているのかな?
なら安心させてあげようと僕は話題を変える。元々彼女をこの場で研究、実験しようなどとは考えていない。あくまで今日は視察なのだ。まずは彼女の観察に努めようと僕は更に努めて柔らかく告げた。
「ああ。でも安心していいよ。今日はただの視察なんだ。これからまた君に薬を飲ませるなんてことはしないからちょっとだけ話に付き合ってくれるかい?」
「私で良ければ、はい、よろこんで」
大人に何を言われてもそう言うように仕込まれているのだろう。哀れなことだがそんなことはどうでもいい。
重要なのは《グノーシス》が効果を発揮しないその理由の解明だ。幾ら未完成とはいえ効果を及ぼさないというのは不可解である。そのため、まずは軽く会話による問診が必要だろう。さて、ならまずは──。
「ありがとう。なら質問だけど……君は、神を信じるかい?」
まずは軽い世間話のような形で尋ねることにした。
──神を信じるか。その質問は一般的に、《
まかり間違っても教団の信ずる《真なる神》について尋ねているわけではないし、そこらの人に聞いてもそう解釈するものは皆無だろう。それほどに《
そのことについて教団の信者の1人として思うところがないわけではないが、それ以上に興味深い存在でもある。何しろ、この世界の人々はその《
ゆえにこの質問は相手が正常で問題のない人間であるかどうかを試すジャブのようなもので、それに対する答えは残念ながら分かりきっていた。
「神なんて……この世にはいませんよ」
──そう。そう思っていたからこそ、彼女の答えに僕は驚いた。
神がこの世にいない? そんな答えは、明らかに普通ではない。
それなのに彼女はその質問をした時、少し下を向き、ふっと鼻で笑ってみせた。その表情には哀愁か嘲笑か。あるいは諦観のようなものが垣間見える。
僕は彼女がなぜそう答えたのか。なぜそんな表情を見せるのかが知りたくて更に質問を重ねる。
「! ……ほう? なぜそう思ったんだい?」
「困った時に助けてはくれませんから。神がいるなら助けてくれるはずです」
神がいれば、不幸な自分を助けてくれるはず……ということか。
その論理自体はさほど破綻していないが、
その枷を外すために開発した薬こそが《グノーシス》なのだが……彼女はその効果を受けていないはず。
これは……どういうことだ?
「ああ、でも人によって答えはそれぞれですので……あくまで私がそう思っているだけです。《翼の女神》は私を助けてはくれませんでしたけど、それ以外の神についてはよく知りませんし、実在するんじゃないかなーと……」
「……ふむ、なるほどね」
その後の取り繕うような言葉も聞き入れつつも僕の脳はその問題について思考している。
実は《グノーシス》の効力を発揮しているのか? ──だとしたら身体に何らかの異常や特筆すべき特異能力。超常的な知覚を有していないのはおかしい。
あるいは《女神の枷》のみを外し、副作用的に現れるその他の効力については出ていない? ──だとしたら身体に全くの影響がない理由はなんだ? 性格や髪色についても変化は見られていない。
──あるいは……彼女の方にこそ異常があるがゆえに、そうなっているのか?
「……質問に答えてくれてありがとう」
「恐縮です」
思考を行いながらも僕は不自然な間を埋めるために礼を告げる。彼女は礼儀正しくお辞儀をしていた。
一度興味を向ければその子供らしからぬ所作も気になってくる。この《楽園》で1年以上働いて心身ともに無傷だったという結果も、彼女が普通の子供とは──いや、人間とは違うからなのではないか?
非常に興味深い。出来ることなら今すぐにでも調べたいが……さすがにここでは無理だ。教団はロッジ同士の横の結びつきは弱く、特にその研究に関してはロッジそれぞれが独自の路線を取っている。研究を統括している僕でさえ、各ロッジの研究がどこまで進んでいるかまでは知らないし確認もしていない。もちろん、興味深い内容であれば関わるし理解に務めるのだが、あいにくとこの《楽園》に関しては関与していない。
つまり、このアーヤ・サイードという少女を研究しようとすればこのロッジに所属する教団員と揉め事を起こすことになるだろう。今ならまだ彼女の特異性をそこまで重要視していない可能性もあるし、交渉次第では手に入れることも叶うかもしれないが……それもまた少し面倒ではあった。なら……。
「──そうだ。君、ここを出たくはないかい?」
僕は思いついたようにそう持ちかけた。この島から出たくないか、と。
そしてその問いに彼女はすぐに乗ってきた。
「──え!? それはもちろん!! …………あ、いや、それは……あはは、どうでしょうかねー……」
やはり《楽園》の環境は少女にとって辛いものがあるのだろう。隠してはいても反射的に頷いているのがその証拠だ。
「隠さなくても本心で喋ってくれて構わないよ。君は他の子供と比べてかなり聡いようだから取り繕っているんだろうけど、普通の子供ならここで大人の相手をするのを嫌がるのは普通のことだ」
「そ、それはまあ……そうかもしれませんけど……」
「僕は親切で言っているんだ。どうだい? 君が望むならこの《楽園》から君を出してあげられるが……」
親切心を全面的に押し出して言う。僕自身の欲求のために。
そして彼女は逡巡する。どんな計算があったのか、僕には分からないが、どんな計算だろうと問題はない。
「──出たいです! はい! ここから出してください!」
──アーヤ・サイードが僕の物になるのであれば。
「うん、いい返事だ。それなら付いて来てくれ。島を出るなら早い方が良い。君を管理している大人と口論するのは避けたいからね」
「はい! お世話になります!」
僕の望む答えを聞き入れ、すぐに僕は道を引き返す。そして他の教団員から隠れるように彼女を積み荷の中に入るように指示をした。
「──ではアーヤ・サイード。君はこの積み荷に隠れていてくれ」
「はい! えーと──あ、そういえばまだ名前を伺っていませんでした! よろしければ名前を教えてはくれませんか?」
何かと思えばそんなことかい。僕は特に隠すこともなく彼女に自身の名を告げる。
「ああ、僕の名前かい? ──僕はヨアヒム。ヨアヒム・ギュンターだ。これからよろしく頼むよ」
──何しろ、これから長い付き合いになるんだ。互いに名前を知っておくことは合理的だからね。
そうして笑顔の彼女を箱の中に詰めてしっかりと鍵を掛けると僕は背を向けて部下に積み荷を運ぶように指示を出し、久方ぶりに感じる強い興味に口端が吊り上がってしまうのを自覚した。
──七曜歴1191年。2月。
早速、先日から《アーヤ・サイード》に関する研究とそれに伴う実験を開始した。
《楽園》から彼女がいなくなったことに関して疑念を持った問いかけが来たが知らぬ存ぜぬで通した。
僕の管理するロッジに来た当初、彼女は苦笑いをしていた。かなり良い部屋を用意してあげたのだが、ここに来て不安になってきた様子。なので安心させるため、彼女の待遇について説明した後に軽い身体検査から行った。
身長は125リジュで平均よりやや高い程度。体重も同じく平均的。中東人らしい褐色の肌と白い髪。そして珍しい黄金色の瞳が特徴的だが、これ自体は彼女の血縁者である家族にも同じ特徴が見られたことから先天性のものであると確認が取れた。
視力は2.0以上。かなり目が良い。耳も悪くない。身体も至って健康で病気もなく、怪我の後遺症なども見られず、傷ついた箇所は綺麗に傷跡もなく完治している。各種検査を行っても異常は見られない。
これだけ見れば普通の人間の子供にしか見えないが、彼女には必ず何かある。今日のところは身体検査による結果を分析するのみで終わるが、明日からは色々と試してみようと思う。
──ちなみに女性器についても損傷は見られなかった。
──七曜歴1191年。3月。
《アーヤ・サイード》の研究を始めて1ヶ月と少し。彼女に関する興味深いことが幾つか分かった。
それは彼女の身体が極めて強い、抵抗力と免疫力、そして回復力を持っているということ。
無論、それだけなら驚くべきことではない。外敵から身を守る機能。一度感染した外敵に対してより迅速に処理を行おうとする機能。怪我を負った際に傷を塞ごうとする機能。
それらの機能は当然人間の身体に備わっているものだ。
病気にかかりにくい者や傷の治りが早い者も、それだけなら異常とは言えない。大陸東部の医療には気を活性化させて傷を治すような術もある。そういった術を使う武術家には傷の治りが早い者も多く見られるものだ。
だがしかし……アーヤ・サイードの場合は異常と言えるだろう。
《グノーシス》を投与してもそれを排出。あるいは血液に直接投与してもそれを駆逐してしまうほどに彼女の抵抗力は強い。
なんならつい先日から食事に試作品である赤の《グノーシス》を混ぜ始めたが腹を下すことはなかった。
驚くべきことに彼女の身体は《グノーシス》を栄養として消化し、不要な成分も通常通り体外に排出することが出来てしまっている。
《グノーシス》の効果が発揮されないのは彼女が持つ身体の強さが関係しているのだろうが、これほどの劇薬ですら免疫を獲得してしまうというのは人間として異常と言わざるを得ない。この分だと他の劇薬や毒などについても彼女には通じないだろうが、試してみる価値はある。引き続き実験を続けることにしよう。
──ちなみに毎日の食事が麻婆豆腐やエビチリ、担々麺などの赤いものばかりになったことに最初は不満を口にしていたが、どうも最近は辛いものが好きになってきたようでむしろ所望してくるようになった。これで問題なく《グノーシス》を継続して服用させることが出来るだろう。
──七曜歴1191年。4月。
《アーヤ・サイード》の研究を始めて約2ヶ月。
引き続き、各種薬物の投与による実験と経過観察を続けているが、今のところ大きな変化はない。
彼女はどうやら精神的にもかなり強いようだ。どれだけの劇薬を投与しようと軟禁状態が続こうと身体を調べられようと不平不満を零したり喚いたり、精神的に参った様子はない。
……いや、正確に言うならば喚いてたはいた。初めて人体を調べようとした時は「うひゃああああああ!! 痛い痛い痛い痛い痛い!!」と身体をじたばたさせながら悲鳴を上げていたし、《グノーシス》とは違うが別のロッジから持ってきた異能を植え付ける薬や人格を増やす薬なども試した時は「あばばばば……!」とか「うへへへへ」とかおかしな声や笑いをしてこちらを期待させてくれた。
だがその結果は全て失敗に終わった。数時間もすれば彼女は少し疲れた様子を見せながらも日常に戻り、暇つぶしのためにと所望していたため与えた布と糸、そして針を使ってポーチや巾着袋。あるいは服を作ったり、部屋にある観葉植物に水を上げたり、貸し与えた本で勉強などをして過ごしている。
そこに精神的な消耗や絶望は見られない。《楽園》からも聞いた話だが、どれだけ売春をして身体を汚されようと壊れない丈夫さというのはどうやら本当だったようだ。
次からは精神的な部分にも注目して実験を続けるとしよう。
──そういえばどうでもいいことだが、どうも最近は裁縫や植物弄りだけでなく医学にも興味を持ち出した。貸し出した本に医学書が混じっていた影響だろう。特に問題はないため放置することにする。
──七耀暦1191年。5月。
《アーヤ・サイード》の研究を初めて3ヶ月頃。
彼女の血液を原材料に、薬を作り出すことに着手した。
僕がなぜそれに着手しようと思ったのか。それは先日行った《
他のロッジが行っている《
薬や毒は効かずとも女神の奇蹟たる《
そう考え、教団が保有していた《
初めて《
──そして秒で返り討ちにされて傷を負った。戦闘を得意としない僕でも動きは悪くないように見えたが、足を滑らせたところを魔物に噛みつかれていた。その情けない有り様にはさすがの僕も僅かに思考を止められたが、ここで彼女が死んでしまっても困ると魔物を睡眠ガスで眠らせて助けることにした。
そしてその際に、アーヤ・サイードから流れ出した血液を魔物が口に含んだことで──魔物は眠りながらもオーラのようなものを発現させた。
僕はそれに目を見開かせた。その現象は戦闘を得意とする者達が様々な手段で行う身体強化や気の発露に酷似している。
つまり彼女の血が、魔物を強化したのだ。その事実に僕は口端が緩むのを抑えきれなかった。
それから彼女を部屋に戻し、傷が早くも治りかけているのを見て僕は研究室に籠もる。アーヤ・サイードに対する研究は未だ完全ではないものの、その血液を使った薬を開発することもまた教団の利益となるだろう。僕は薬作りと並行して更に研究を進めることにした。
──それと先日の《
──七曜歴1191年。7月。
《アーヤ・サイード》の研究を始めて半年。
ようやく彼女の血液を原料にした薬が完成した。その効果は傷の治療にあらゆる状態異常の回復。そして身体機能の向上。
七曜教会などで調合されるティア・オルの薬や市販のどの薬よりも強い効果の薬である。
だがこれでもまだアーヤ・サイードの身に秘める力の半分のポテンシャルも引き出せていない。
アーヤ・サイードは《グノーシス》を含めたあらゆる劇薬、毒物、病魔に耐性を作りそれを防ぐことが出来るが、この薬を飲ませたところで《グノーシス》を服用した実験体を正常に戻すことは出来なかった。おそらく薬がまだ完璧ではないのだろう。
だがこの薬は便利だ。更に調整を行えば他の実験も捗ることだろう。
──この薬をアーヤ・サイードの頭文字から取って《AS薬》と名付けることにした。
──七曜歴1192年。1月。
《アーヤ・サイード》の研究を始めて1年。
1年という期間で彼女に対する研究はそれなりの進展を見せた。
アーヤ・サイードは外傷を負ってもすぐに回復する。
薬や毒に関しても一度身体に取り込めばすぐに免疫を獲得してしばらくすれば身体に何の不調ももたらすことはない。
精神的にも消耗することはなく、どれほどの仕打ちを行っても酷く堪えた様子はない。
彼女の血は生物に対する活性の効果があり、それを薬とすることで不完全ながらも強い治癒と強化を与えることが出来る。
彼女は《女神の枷》から外れており、《
アーヤ・サイードは普通の人間ではない──そう断言出来るほどに彼女の身体は神秘に満ちていた。
だがその神秘を解明するのに、現状の手段では不足だ。そして、時間もまだまだ足りない。
やはりもっと踏み込んだ研究をする必要があるかもしれない。これまでは貴重な実験体である彼女を失うことを恐れて生命活動を停止しかねない実験は控えていたが、アーヤ・サイードがそう簡単に死なないことが分かった今、より踏み込んだ研究を行うことにしよう。
最初は別のロッジでも研究されていた《悪魔》の核を埋め込む実験など良いかもしれない。僕の趣味ではないが、彼女の神秘を解明するためには役立つだろう。フフ……今からその時が楽しみだ。
──七耀暦1192年。4月。
《アーヤ・サイード》は脱走した。
今回はここまで。日記形式のような感じで終わってしまった。次こそ外道や鬼畜達の出番です。
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