──そいつはとにかく恐ろしかった。
「ごめんくださーい」
外から呑気な女の声が聞こえる。
こんこんと扉をノックする音と共に。それだけならばただ隣人が何かしらの用事でもあって家を訪ねてきたと思うだろう。
それが我が《ルバーチェ商会》の本部である屋敷であり、そこが隠し階段の奥にある会長室──ワシの私室でなければ。
「マルコーニさーん? いるんでしょー? いるのわかってるんだから開けてよー」
こんこん、と再びノックと共にこちらへの声掛け。その声はやはり、ただの訪問販売にやってきた一般人かのように気安い。
だがその女の目的はわかっている。先ほど外でやられたウチの組員のように──ワシを殺すつもりなのだ。
「い、いいな! お前達! 何としてもワシの身を守れ! 奴が部屋に入ってきたらすぐに始末するんだ! 例の薬を使っても何をしても構わん!」
「りょ、了解」
ワシは早まる鼓動を必死に抑えようとしながら部屋にいる数名の部下共に命じる。今屋敷にいる部下はたったこれだけしかいない。
それ以外は皆出払っている。若頭のガルシアが意識を失って
まだまだ組員は大勢いるというのに、肝心な時にそれが近くにいない。ガルシアや側近がいればこんな事態にはなっていないはずだった。それなのに残っている組員のなんと無能なことかと憤慨すら覚える。
「早く出てきなよー。人形も倒しちゃったよー。それに導力通信も繋がらないから助けも呼べないよー」
「っ……」
だがそれよりも、扉の先にいる女への恐ろしさが勝っている。
女の言うように警備用に配置していた人形兵器は既に破壊され、先ほどから何度も繋げようとしている導力通信は何らかの妨害でも行われているのか一向に繋がらない。かなり用意周到な襲撃だった。
つまり助けは期待できなかった。
「はぁ……しょうがないなぁ……本当はあんまり物とか壊したくないんだけど──よいしょっと」
「ひっ……!?」
焦れた様子の女が扉に何か刃のようなものを突きたて、それが飛び出してくる。その金色の刃は巨大な鋏のような形をしていて、扉をゆっくりと切り開いていった。
まるで紙でも挟み切るかのように。扉を丁寧に切っていき──
「あ、やっぱいた」
──その開かれていく扉の隙間から、女の目が覗き込み、こちらと目が合った。
その黄金の瞳を見て心臓が鷲掴みにされるような恐ろしさを感じたワシは机に忍ばせた銃を手に持ちながら部下たちに檄を飛ばす。
「な、何をしている!? さっさと始末しろ!!」
「オオオオッ!」
「こんばんはー。……ってうわっ。やっぱり皆《グノーシス》使ってる……嫌だなー。それじゃさよならね」
「ぁ──」
とある筋から手に入れたその薬物によって強化され、少しばかり凶暴になった組員たちが女に襲いかかるも、女はそれに嫌そうな顔を浮かべ──襲いかかった組員をまたしてもその鋏で両断してしまう。
それはワシには見えなかった。数人の部下の血が辺り一面に広がり、ワシは一気にパニックになった。
「ひ、ひぃぃぃ!!?」
「こんばんはー。それじゃごめんけど殺すねー」
「ま、待て! わ……ワシを誰だと思ってる!? ルバーチェの会長だぞ!? ワシを殺したら外に出ているガルシアを含む大勢の構成員による報復を受けると分かっているのか!?」
「いや、バレないから別に」
「そ、それだけじゃない! ワシの後ろにはこのクロスベルの議員が……! あのハルトマン議長も控えているのだぞ!?」
「仲良しなのは知ってるから大丈夫だよ。
「っ……そ、そうだ……! それほどの腕前ならワシの元で働かないか……!? 欲しいものならなんでもくれてやる! 金でも何でもだ! お前がいればあの《黒月》も始末してこのクロスベルの裏社会を、真に牛耳ることが──」
「──あ、ごめん。もういいかな? そろそろお店の予約時間が迫ってるんだよね」
──その女は話が通じなかった。
このクロスベルの裏社会に君臨する《ルバーチェ商会》の名を全く恐れていない。警察や警備隊ですら手を出すことのできないはずのこのワシの聖域に容赦なく踏み込んでくる。
本当に何気なく、自然体でそう切り出した女はごく普通にワシの元へと歩いてくる。その表情には特に何の敵意も殺意もない。ワシはそれを見て余計に恐ろしくなった。曲がりなりにも裏社会にいたからわかる。こいつは殺しを楽しむでも厭うでもない。それを日常としていて、そのことに特別な感情を抱いていないのだ。
だからわかった。ワシはこのままじゃ殺されてしまうと。それを理解した瞬間、ワシは銃を撃ちながらその場からなりふり構わず逃げようとし──
「えいっ」
「っっっ────」
──ワシは何が起こったのかも分からないまま、切り裂かれて床に倒れる。
そして意識が薄れゆく中で、ワシは女の声を聞いた。女は手元から懐中時計を取り出してワシを──
「あー!? 時間過ぎてる!? やらかしたー! このままじゃお店に間に合わない! せっかく良いお店に行こうと思ったのに! またいつものラーメン屋に行くことになっちゃう!」
──見下ろすこともなく、既に興味をなくした様子だった。
ワシはそのことに絶望し、恐怖しながら意識を手放した。
──どうもー《切り裂き魔》アーヤ・サイードです。最近はパンに嵌ってます。ベーカリー『モルジュ』のパンが美味しくてね。朝食にぴったりなんだよねー。たまに朝帰りした時なんかは焼き立てを買って帰ってデュバリィちゃんと美味しく頂くのが最近の日課かな。
ということであの《黒の競売会》から1月近く経ちました。いやーオークションは大変だったね……まさかガルシアが蜂蜜大好きな熊さんになるなんて……おかげで何事かと思われたけどロイドくんたちは無事に逃げてキーアちゃんを保護することができた。
ちなみにキーアちゃんは《幻の至宝》を再現したホムンクルスで《零の至宝》ね。これネタバレ。なのでまあこの子がロイドくんたちの元にいることは結構危ないというか、これをきっかけに彼らは色々と巻き込まれることになるというか。結社とクロイス家の計画にも関係してくるからかなりの厄ネタなのだ。
ただそれはそれとして純粋な良い子なので私は普通に好き。なんというか親近感を感じるんだよね。教団の被害者っちゃ被害者だし。なので色々と親切にしてあげたいなとキーアちゃんがエリィちゃんにティオちゃんを伴ってお店に来た時に服でも見立ててあげようと申し出たんだけど……なぜかそこで苦手と言われまして……私はかなりのショックを受けた。
いやなんで? 嫌われる要素あった? 私なにかしちゃいました? なんもしてないと思うんだけどなぁ……わかんないのでどういう部分が苦手に思ったのかを直接キーアちゃんに聞いてみたけどキーアちゃんもよくわかってないみたいだったし、なんならその後はやっぱり好きって言ってくれたから何かの間違いだったのかもしれない。なので気にしないことにして私もキーアちゃんと友達になった。
でまあそれ以外だと……ああ、そうそう。最近マルコーニを殺したんだけどね。それがオークションから結構日を跨ぐことになったというか、つい昨日まで何もできなかった理由も話そう。
というのも理由は簡単。他の仕事が入っちゃったんだよね。主に帝国方面で。貴族連合からちょっとした諜報活動を頼まれたのでそれを了承しつつ、ついでにカイエン公から
でまあクロワールはその兄の子供という厄介なミュゼちゃんを帝都に送って家に関わらせないようにしていたみたいなんだけど、それはそれとして親切な叔父としての顔も見せてそこそこに良好な関係を築いておく感じにはしたいらしい。まあ政略結婚とかにも使えるし、無いことにも出来ないもんね。なので若い子にも貴族にも人気なファッションデザイナーである私から服を仕立ててもらうことで友好をアピールしたいと。親戚同士なのにそんな下心しかない貴族らしいやり取りをしないといけないとか大変だねーって私は思った。思ったけどそれはそれ。頼まれた仕事は受けるし、個人的にもミュゼちゃんに会ってみたかったので会ってみた。そしてその結果は──特に何もありませんでした! 挨拶をして親切にして服の希望を聞きながら数日程一緒にいて仲良くお喋りはしたけどそれだけです! いかがでしたか? 良かったらサイード社の服を買ってね。
……とまあそういうことで特筆すべきイベントは特に起きなかった。なんかちょっと質問されたりもしたけど大したことなかったし、よくわからないことも言われたけどなんでもないっぽかったので私は親切なお姉さんとして普通に接した。ミュゼちゃんも普通の中等部の女の子っぽかったし、普通の女の子として素敵なドレスを仕立ててあげたよ。
まあミュゼちゃんについてはまた会う約束もしてるので今度また詳しく語ろう。帝国にはまた少ししたら長く滞在する予定もあるしね。続きは『閃の軌跡』で! 今はまだ『零の軌跡』なんです! まあもう閃も時期的に始まってるんですけどね!
なので私としても結構大変というか忙しいのでそろそろ終わらせようと思ってるんだよね。クロスベルでの私事。主にヨアヒムやら教団と繋がりのある人間のお掃除。スポンサーのクロイス家的にもそろそろ必要のない存在らしいし、今週辺りに始末しようかなぁと思って調整してる。表の仕事もやりつつだから本当に忙しいんだよね。私って。
ちなみにデュバリィちゃんは今はいない。私が仕事で一旦帝国に行く時にデュバリィちゃんも一旦リアンヌママや鉄機隊の元に行った。そして戻って来るのは明日らしいので今日まではデュバリィちゃんがいないし、今のうちに1人の時間を楽しむことにしようと。そう思ったところで──
「──やあアーヤ姉さん。こんばんは♡」
「──久しいな。《
「……あっ、うん。こんばんは、久し振りー」
──メルキオルとエンペラーが来た。私はげんなりとしながらそれを出迎える。いや、なんで来た? 前も来てたけど訪ねて来なかったからもう帰ったと思ってたんだけど? というかメルキオルは百歩譲って理解できるけどエンペラー何しに来たの?
なので適当な建物の屋上で会合することにした。自分の家に上げたくないからね。久し振りの《庭園》会議。全然嬉しくない。せめてオランピアちゃんがいてほしかったし、この2人に比べたらアリオッチの方がまだマシなんだよなぁ……。
「フフ、どうやらこの魔都はその名に相応しい混沌の様相を呈しているようだな」
「帝国と共和国の二大国に挟まれた緩衝地帯なだけはあるよねぇ。おかげで怪しい人間も入り放題だしさ」
「まあ……可哀想な国ではあるよね。いや、国ですらないんだけどさ。だから苦労してるわけで」
「アハハ、アーヤ姉さんは優しいなぁ。見知らぬ土地のことも心配するなんて。やっぱり、あんまり騒がしいのは苦手?」
「え? いやそんなことないけど……でもほら、あんまり夜中にうるさくするのはここに住んでる人に申し訳ないからさっさと終わらせようよ」
エンペラーとメルキオルの言葉に私は普通に答える。こんな黒幕会議みたいなことはしたくないんだよね。ここだけ切り取ったら私めっちゃ悪い人みたいじゃん。……まあ悪い組織の人ではあるんだけどね。自覚すると気分が下がるなぁ……別にいいけどさ。というか最近夜中に行動しまくってるからさすがにちょっと眠いなぁ……。
「フッ、道理であろうな。我としてはこの地に潜む一族や古巣の生き残りの方も気にはなるが……まずは組織として
「そうだね。それじゃ3人で
「ふわぁ……え、何? 着替えるって……ああ、もしかして正体バレないように気を使ってくれてる?」
「まあね。アーヤ姉さんのことは組織の中じゃトップシークレットなわけだし。それにアーヤ姉さんに何かあっても大変だ。──まあ万が一誰かに目撃されるようなことがあればその人を消すだけなんだけどさ」
「あ、じゃあ着替えてくるねー。ちょっと待ってて」
なんかメルキオルがめちゃくちゃ怖いことを言ったので仕方なく私は少し陰に隠れて早着替え。今回は《切り裂き魔》衣装じゃなくて《庭園の主》衣装にしようかな。こっちは中東風の《切り裂き魔》衣装とちょっと違った共和国風衣装だ。ワインレッドと黒の煌都風ドレスにも似た身体のラインが出るそれは下を短い丈のスカートにした共和国の西方風と東方風を混ぜ合わせたかのような感じに仕上がっている。ただ紋様は少し中東風なので、まさに共和国風と言った凝った傑作デザイン。ちなみにウエスト部分に小さくハートマーク型の穴を。横腹部分にも肌が少し見えるようにと布地をなくしているのでそういう部分でも可愛さが演出される。褐色の肌が少し見えるのが良い。
そこにアウターとして昔お気に入りの黒とピンクのフード付きコート。それをボタンを止めずに開いたままの状態で着れば、私服として着ても問題なし。フードに仮面でも付ければ仕事で着ても問題なし。どんな時でも使えるオシャレ服が完成だ! ──え? 私服でも着たら意味がない? 髪も肌も見えるから正体もバレる? なんて思った貴方。今回の衣装その問題点もカバーしています!
なんとこの衣装は……衣装自体に認識を阻害する術が練り込まれているのです! この間帝国に行った時にヴィータ姉さんに協力してもらってね。そこに特殊な布を使ったり、技術的に色々と試行錯誤した結果、こういうものが出来ちゃいました! これで最低限顔さえ隠しとけば気づかれる可能性はかなり減るだろうとのことなのでこれで身バレも安心だ! 前々から防具にもなるように衣装は仕立ててるけどこれは使えるね! 色んな効果を混ぜ込むのは防具として優秀かもしれない。アクセサリーいらずだ! ふふん。すごいでしょ。もはや十三工房に参画できるほどの代物──は言い過ぎだけど、私の服はデザインも機能性も着心地も最高だからね! これで夜中に悪い人会議をしてても問題ない!
「お待たせー」
「また新しい服出来たんだ。その服もよく姉さんに似合ってるよ♡」
「それは普通にありがとね。……で、着替えてきたはいいけど……まだ話すことあるの?」
「いや、話は既に終わった。後は狩りに向かうとしよう」
「そうだね。なら行こうか──僕たちに手を出したマフィアへの報復にね」
「オッケー。それじゃついていくねー。……………………あれ?」
屋根の上を跳躍したエンペラーとメルキオルに私もついていく形で跳躍するが──そこで私は何か勘違いしていることに気付く。なんかどんどん別の場所に……具体的には湾港区の方に向かって行ってるんですけど……というか、ま、マフィアって……。
私は屋根の上を共に行きながら恐る恐る尋ねることにした。
「…………あの、メルキオル?」
「なんだい? 姉さん」
「ちょっと眠くてぼんやりしてたから一応確認しとくけど……これからどこに行って何をするの?」
「やだなぁ、姉さん。忘れちゃったの? そんなの決まってるじゃないか。──僕たち《庭園》に喧嘩を売ってきた《
──私はそれを聞いて笑顔のまま固まった。
…………え? 今から《
……………………ま、いっか。《黒月》とツァオなら別に……そもそも向こうから喧嘩を売ってきたのは事実だし、私としても関係のない2人を襲ってきたことは許せなかったし……何してくるか分かんなくて怖いのはあるけど、こっちにはメルキオルとエンペラーもいるしね。なんなら2人に任せてれば勝手に終わらせてくれるだろう。あんまり目立たないようにしようね。それと関係ない人に被害が行かないようにも気をつけよう。心配するべきことはそれだけかな!
──七耀暦1204年。5月某日。深夜。
「──貴様……何者だ……!?」
「…………そういうお前は《
「っ……その言いよう……やはり貴様が──《切り裂き魔》か!?」
クロスベル市内の湾港区。その一角にある《黒月貿易公司》の建物の中で、私は伝説の凶手《
辺りは騒がしく、その一帯は雄叫びや悲鳴。鋼の音や発砲音が連続している。それが意味するところを正確に理解しているのだろう。《銀》は攻撃の手を休めないまま私に疑問を投げかけてきた。
「ルバーチェに雇われているのか……!? それとも別口か……!? 答えろ……貴様らはこの地で何をしでかそうとしている……!?」
「ふっ……質問が多いな。だが、ルバーチェは関係ない。あくまで《黒月》を狙ったまでのこと。お前には興味はあるが、特に用があるわけではない」
「なら別の組織の者か……《切り裂き魔》が何某かの組織に属しているという噂は本当だったらしいな……!」
「さてな。だが……1つだけ教えてやろう。この事態を収拾するためのヒントをな」
「何……!?」
そして私は告げる。この日に起こした襲撃と起きた襲撃。そして、多分これから起きる事件に対し、有効な手段を。突然壁を壊して現れた、
「──春のパン祭りだ」
「……………………えっ?」
「グオオオオオ!!!」
──私はそうして真実を告げた。銀が……というかリーシャちゃんが一瞬、マジで困惑した感じの声を上げたがしょうがない。だって本当のことだし……多分……そして同時にまたしてもクマさんが襲いかかってくる! ぎゃー! 危ない!? 早くパンを食べさせないと! もーなんでこうなるの!! メルキオルとエンペラーは多分だけどツァオを探してどっか行っちゃったしさぁ!! 《銀》のことを忘れてたのは私のせいだけどこれは絶対あいつのせいでしょ! あいつの!!
私は《銀》の攻撃を防ぎ、同時に襲いかかってくるルバーチェの構成員も手持ちのコッペパンやクロワッサンを試しに口に放り込んで無力化しながらその人物に対する怒りを内心で口にした──絶対に許さんぞー!! ヨアヒムのバカアホ変態釣りキチイカれ野郎ー!! このルバーチェの構成員が持ってる《
……あ、その前にベーカリー《モルジュ》でパンを買い占めておかないと。今日は《
今回はここまで。次回は特務支援課の捜査から始まりつつも遂にクロスベルで1番長い1日withアーヤちゃんにデュバリィちゃんに《庭園》にその他色々。別名、《ヨアヒム春のパン祭り》開幕です。なおガルシアだけはちょっと様子が違ってハニートーストを所望している模様。
それと余談として別ルートだとここで襲撃を起こさないので黒月がツァオ以外は《銀》も含めて丸々操られてしまいますので当然特務支援課は全滅します。ということで次回をお楽しみに。
感想、評価、良ければよろしくお願いします。